02ある少女の一生(下)
意外なことに、私にとって『リコリネ』になる訓練は、まったく苦痛ではなかった。
貴族らしく振る舞ううちの一つに、感情を表に出さないというものがあったが、それはまさに奴隷生活で私が会得した部分でもある。
勉強は楽しいし、もともと性格が似ていたのか、口調を似せるのも簡単だ。
本の趣味も合うし、ハイドリーフという豆本には私自身も感銘を受けた。
外の世界をあまり知らないという部分も、リコリネ様と一致する部分だ。
「リコリネ様。ひょっとしたら、奴隷も貴族も、色々と我慢しなければならないという根本的な部分では、そう変わらないのかもしれませんね」
ある日、私が感極まったようにそう言うと、リコリネ様は、とても感銘を受けたように「言い得て妙ですね」と笑っていた。
ただ、私はリコリネ様と違い、あまり優しくはないのだと思う。
賞金首をうっかり殺してしまわないか、そこは心配だった。
何度も読み返した日記は、もはや暗唱ができるのではないかと言えるくらいになっていた。
特に記憶にとどめるように気を付けたのは、リコリネ様が後悔や反省をしている部分だ。
私は『リコリネ』として、同じ轍を踏まないように努力をしなければならない。
同時に、私が書くだろう日記にも、同じように旅の中での反省点を書き綴ることになるだろう。
私の想いが、後の世代に引き継がれるという確信は、なんだか不思議な感覚だった。
一点、苦痛があったとしたら、それはやはり全身鎧を着て過ごす部分にあった。
祝福の力を使い続けるのは、常に全力疾走をしろと言われているような、そんな感覚に近い。
だけど、その苦難を吹き飛ばすくらい、日々は充実していた。
ウェイスノー先生は、賞金稼ぎの帰りにお土産を買ってきてくれたり、ファウラさんは、「秘密ね」と言って、私にだけこっそりとご褒美のお菓子をくれたり、みんな、私を気にしてくれる。
騎乗鳥も、とてもかわいい。
生まれてきてよかったとすら思える日々だった。
そして私は、十八歳になった。
継続は力なりと言うのは本当で、一時期は死ぬかと思ったものの、なんとか一日中、力の精霊の祝福を使いこなせるようになっていた。
次のリコリネも決まったという報告を受ける。
『ティセア』という少女のようだ。
私は別館でリコリネの修行をしているため、本館に居る、命の家のメンバーにはすれ違う程度しか会えない。
だが、ティセアが淡い桃色の髪の少女だということくらいは知っている。
彼女は命の家が始動した最初期メンバーの一人で、『リコリネ』の件は快諾したのだという話だ。
私は、彼女が成長してバトンを渡せるようになるまで、『リコリネ』をやらなければならない。
目標に具体性が増し、やる気が出てくる。
約束の日が近づいたある日、テリオターク殿から、報告の手紙が来た。
ユディ様が巨獣の島に行った今なら、どさくさに紛れて『リコリネ』が合流できるのではないかと、そう書かれてあった。
確かに、じっくりと再会するよりはバレる可能性は低いと判断し、私はリコリネ様達に、出立の挨拶をする。
「コニー。ここまでしておいて何ですが、以後はあなたの好きなように振る舞ってください。主は『私』を決して疑いませんからね。あなたが何をしようと決してバレないでしょうし、あなたが耐えきれなくなって自らの正体や気持ちを吐露したとしても、責める気はありません。あなたの好きなようにしてください。私は、あなたのことも、大切に思っているのですから」
リコリネ様が、心の底からそう言っているのが伝わってきて、私は少し泣きそうになった。
本当にユディ様にお会いしたいのは、リコリネ様のはずなのに。
「……はい。行ってまいります」
私はそう返事することで、愛情を示すくらいしかできなかった。
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覚悟を決めてお会いしたユディ様は、想像と違っていた。
失礼ながら、もっと頼りないかと思っていたのに。
思っていたよりもずっと頼もしく、男らしい人だ。
ちょっと背伸びをしているようにすら見える。
だけど、何の疑いもなく、優しい微笑みを向けてくるところは、想像と同じだった。
よかった、私が偽物だとバレてない。
………。
おかしい。
私は安堵しているはずなのに、どこかで、それを嫌だと思っている。
だって、ユディ様とリコリネ様には、目に見えないような、絆があってほしいから。
私のことは、すぐに偽物だと看破し、罵ってほしかった。
自分でリコリネ様らしく振る舞っておいて、この矛盾した気持ちは何だろう。
私は外の世界に出て、色々な事を知ってきたはずなのに、まだまだ自分の中にすら、知らない気持ちがある。
本当に、ちょっとだけ……ユディ様は、リコリネ様なら、誰でもいいのかな…と思った。
すごく変な言葉だが。
しかし、数日を共に過ごしてみると、私のこの感覚は、まったくの間違いだったとわかった。
うまく言えないが……違う。
ユディ様は、本当に、目の前しか見えていない。
それは、目の前にあるものを、すごく大事にするのと同義であるとも言える。
「誰でもいい」というのは、「どうでもいい」ということだ。
そうではなく、「どうでもよくないし、大事だから、どんなリコリネでも受け入れる」という、確固たる意志を感じる。
私が今からどんな奇行をしたところで、ユディ様は、「そんなのリコリネじゃない」と突っぱねたりせずに、笑って受け入れてくださるだろう。
なんだか…そういう人だ、とわかる。
だって、ユディ様はあの日、リコリネ様と約束をしたのだから。
「必ず帰ってくる」と言ったリコリネ様の言葉を、この方は本当に、愚直なまでに信じている。
リコリネ様を信じる以外の選択肢が思いつかないとでもいうように。
なんて愚かで、ひたむきな人なんだろう。
私は、汚い世界をたくさん見て育ってきた。
だからこそ、この全身全霊をかけたひたむきさは、眩しく、美しくすら感じる。
そして、それを美しいと感じられる自分が、震えるほど嬉しかった。
それで、だから、とても、困ってしまった。
だって、目の前にいる者を大事にするということは。
ユディ様は、『私』を見て、『私』を大事にしてくださっている、という意味だ。
…私は、この事実に、気づくべきではなかったのかもしれない…と、何故か思った。
リルハープ様は、私をとてもあたたかく受け入れてくださった。
そして二人きりになると、開口一番、リコリネ様の容態を聞かれる。
そのままを話すと、リルハープ様は泣いてしまわれた。
私もちょっと、泣いてしまった。
泣いてしまったけど、嬉しかった。
リルハープ様が、リコリネ様を大事に思っているのが、伝わってきた。
「仲良くしましょうね、コニー~~!」
「はい…!」
私たちは、すぐに親友になった。
私は日記を書き続ける。
同時に、報告書のような手紙も書き続けた。
リコリネ様は、私の報告をとても楽しみにしてくださるので、送り甲斐があった。
速達で返事が来るのも嬉しくて、ユディ様の話をたくさんたくさん書いた。
私の日々は、すぐにユディ様でいっぱいになった。
リコリネ様は、ユディ様がライサス先生に送った、巨獣の島の命の泉の水の効力で、少し生きながらえることができそうだ…と手紙に書いてあった。
ギュギュ殿が持ってきた方の泉の水も、ライサス先生が買い取ったらしい。
だけどそちらの方は、リコリネ様の強い要望で、ライサス先生が今現在行っている研究に使用されるそうだ。
確かに、あの研究がうまく行けば、ユディ様の力になるのは間違いないだろう。
色々と順調に行きそうで、私は純粋に喜んだ。
旅は楽しい。
面白い。
好きがたくさん生まれる。
物事を実際に体験するのは、勉強のために読んだ本とも、娯楽のために読んできた本とも、全然違う。
その日々は、常にユディ様と共にある。
ユディ様は、本当に、色々な言葉と行動で、『私』を大事にしていると、たくさん伝えてくださる。
誰にも必要とされなかった、奴隷の私を。
この人の役に立ちたい。
守りたい。
そして、一緒に……。
一緒に居たい、と自分が考えている事実に気づいた時、愕然とした。
私はただ、数年間の時間稼ぎのために、ここに居るだけなのに。
とても図々しいことを考えてしまっている。
この後、私の代わりが来るのに。
「私の、代わり……」
そう口に出して、ようやく私は、リコリネ様の苦しみに触れた気がした。
私は、やすやすとリコリネ様の依頼を引き受けてしまったが、本当にそれは正しかったのだろうか。
かえってリコリネ様を苦しめてしまったのではないだろうか。
あなたに代わりなどいません、と、そう言うべきだったのではないだろうか?
今更だ。
今更になって、私は、色々な事がわかってきてしまっていた。
ユディ様には自覚はないだろうが、もう私はユディ様と数年を共にしている。
ユディ様の心の成長のための年月は、あろうことか、私の心も育ててしまっていた。
私は、かつて奴隷だった頃と比べ物にならないほどに、人の心や、自分の気持ちというものが、わかるようになってきていた。
だからこそ。
ユディ様が、うす紫の蝶のイヤリングを贈ってくださったとき。
私は……胸が苦しくて、たまらなかった。
ユディ様は、リコリネ様の日記に書かれていた時とは違い、とても心が成長されていて、繊細な泣き虫さんではなくなっていた。
今では、私の方が泣き虫だった。
私は、奴隷ではなく、人間だと、その時初めて、そう思った。
私を人間にしたのは、間違いなく、ユディ様だった。
だけど皮肉なことに、人間になった私の心を、私は必死に抑え込まなければならなかった。
当たり前だ、私は次が来るまでの繋ぎなのだから。
そうして必死に『リコリネ』を続けていく私にとどめを刺したのは、大魔女と名乗るモノオモイだった。
嘘をつけない呪いというものをかけられる。
「リコリネ」とユディ様が私を呼ぶ。
「はい」と答えようとした。
それすらも、できなくなった。
だって私は、リコリネ様ではないのだから。
ちょっとした言葉が詰まるたびに、私はユディ様に嘘をつき続けてきたのだと思い知らされた。
それでも、なんとか心を保つ。
絶対に、この旅を完遂してみせると、喋らないことで決意を胸にする。
使命の中に、一秒でも長く一緒に居たいという、一筋の欲を混ぜながら。
だが、本当に嘘が付けなくなったのは、この後だった。
そんなはずはないと、何度も振り払おうとする。
なのに。
なのに、私の呪いは、解けていた。
私は、魔女の呪いによって、無理やり自分の気持ちを知らされてしまった。
なんて残酷な事だろうと思った時、ようやくリコリネ様に告げられた言葉の意味を理解する。
『いずれあなたは、私がやっている行為の残酷さを思い知るでしょう』
これは、こういうことだったんだ。
ずっと傍に居て、ずっと交流を重ねて、たくさんの言葉と思いを告げ合って。
使い捨てられるための人生しか持っていなかった私に、ユディ様は真摯に向き合ってくださった。
こんなの…。
こんなの、気持ちを寄せてしまうに決まってる。
リコリネ様は、それがわかっていたんだ。
私は…。
私にはもう、『リコリネ』を続けていくことが、できなくなった。
奴隷時代に比べたら、どんな苦行でも耐えて行けると思っていたはずなのに。
たった一度のキスで、私のすべては粉々に打ち砕かれた。
リルハープ様は、すべてを理解して、私のために泣いてくれた。
そして、「ごめんなさい」と何度も言われる。
その時私は、リルハープ様とリコリネ様は、共犯なんだなあ、と、変な意味で絆の深さを理解した。
私はそれでも、ユディ様とリルハープ様に会えてよかったと、そう告げた。
リルハープ様は、泣き止まなかった。
そうして私は、すらすらとユディ様に嘘をつく。
ガッディーロの有する秘湯という、ありもしない嘘を。
また会いましょうという嘘を。
泣いていませんという嘘を。
ただ一つ、私の耳には、本当が飾ってある。
ユディ様、ごめんなさい、このイヤリングだけは、私にください。
だって、死ぬまで大事にしますと約束したのは、『私』なのですから。
ギュギュ殿、あなたがうらやましい。
ユディ様に、「忘れないで」と言えたあなたが。
私はユディ様にとって、リコリネ様でしかない。
私は、誰でもない存在のまま終わる。
そして、誰でもない私は願う。
ユディ様、どうか、モノノリュウなどに、負けないでくださいね…と。
そうして私は、旅の思い出を詰め込んだ、次の『リコリネ』に渡すための日記を携え、リコリネ様の元へと帰った。
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リコリネ様とウェイスノー先生、ファウラさんは、私をあたたかく迎えいれる。
数年ぶりに会うリコリネ様は、少しやつれていて、心配になった。
この日を迎えたら、ずっと前から言おうと決めていたことがあり、私は開口一番、リコリネ様へと申し出る。
「リコリネ様。すべてが終わった時の報酬の件ですが」
「はい。何でも言ってください、コニー」
「リコリネ様。私は、闘技の街を滅ぼしに行こうと思います」
その場の誰も、驚かなかった。
そのことに、私の方が驚いてしまった。
それを隠すように、すぐに言葉を続ける。
「この旅で、私は知りました。奴隷であった時、私は、生まれてすらいなかったのだと。泣いて笑って、嬉しいときは嬉しいと、嫌なことは嫌だと言える、そんな自由を、私は他の奴隷にも味わってほしいのです。あの街は、間違っています。私は、すべての奴隷を解放したい。ですから、武器を貸し出してほしいのです」
リコリネ様は、静かに「ウェイスノー殿」と声をかけた。
するとウェイスノー先生は、一歩前に出る。
「コニーちゃん。俺の本当の名は、ウェイスリーアノー。騎士だった爺さんがつけた名だ。長い名前だろ? 精霊に還す名前と、自分の名。そして、あと一つ。『本当の主』に捧げる名を持てという願いを込めて、つけられた名だ」
ウェイスノー先生は、スっと私の前に跪いた。
「コニーちゃん。あんたがそれを決意したとき、俺はあんたを傍で支えようと決めていた。どうか、俺の『リーア』の名を、受け取ってもらえないだろうか?」
「ウェイスノー先生…!?」
戸惑う私に、ファウラさんが笑う。
「コニーちゃん、そいつがコニーちゃんの武器ってことさね。どうか受け取ってやってくれないかい」
「コニー。ガッディーロからは、剣と盾、投擲槍、斧をそれぞれ百ずつ、既に用意してあります。これらを奴隷自身に持たせれば、一個の軍隊となるでしょう。それを運ぶための鳥車はありますが、御者は傭兵を使う予定なので、今からかき集めねばなりません。数日ください」
続けられるリコリネ様の言葉に、私はしばらく言葉を失った。
「なにを…。何をおっしゃっているのですか、私は一人で決行するという意味で言っているのです! ウェイスノー先生、あなたがどんなにお強くとも、間違いなく命を落とす結果になるでしょう! リコリネ様もリコリネ様です! ガッディーロが一つの街を滅ぼすなどという蛮行に加担したと知れれば、どんなことになるか!」
リコリネ様は、静かに頷いた。
「そうですね。ですから、決して負けないでください。負ければ晒し首ですが、要は勝てばいいのです。その全身鎧はコニーが使ってください。次のリコリネ用の鎧は既に用意してありますからね。…残念です、私も動きまわれたなら、喜んで戦斧を振るいましたのに。昔の血が騒ぐというのは、こういうことを言うのですね」
「おいおいコニーちゃん、俺にいつまで跪かせる気だよ! この姿勢結構疲れるんだぜ!?」
私は、絶句した。
ファウラさんが、噴き出すように笑う。
「コニーちゃん、諦めなよ。アンタがリコリネさんの依頼を引き受けた時から、この人たちはこうするって決めてたんだ。ただ、この人たちを諦めさせる方法が、一つだけある。アンタが決起を諦めることだ。闘技の街は治外法権を主張し、騎士団も大陸情報倶楽部も置かれていない。つまり、誰も見て咎める者が居ない、外道の街だよ。あんな所に特攻するなんて、死にに行くようなもんさね」
「それは……」
私は、こぶしを握り締め、うつむいた。
たぶん、昔の私なら、この現状の意味はわからなかったに違いない。
だけど、今ならわかる。
この人たちは、私が生きる確率を、少しでも上げようとしてくれている。
私は、愛されている。
………。
闘技の街という単語を聞いた時に、顔を曇らせたユディ様を思い出す。
私とは、時間の流れが違うあの人。
あの人の未来が、少しでもいいものになるのならば。
少しでも、平和な世界が残せるのならば。
私は、どこかを睨みつけるように、顔を上げる。
「……とても、冷たい言い方になってしまいますが。『この程度』で諦めるような決意ではないのです。わかりました、ウェイスノー先生…いいえ、リーア。あなたの命を、いただきます」
「はいよ、コニー様」
ウェイスノー先生は、満足そうにニっと笑い、立ち上がる。
「俺の賞金稼ぎ仲間に、何人か頼もしい奴らが居るからな、協力して貰えるかどうか、ちょっくら相談してくらあ」
「コニー。後のことは何も考えず、圧殺鎧鬼の名も自由に使うといいでしょう。ハッタリになりますからね」
リコリネ様も言葉を続けた。
私はもう、吹っ切れたように頷く。
「では、ありがたく頂戴いたします。そしてリコリネ様、私は刺し違えてでもあの街を滅ぼす気で居ます。私とリーアが討ち死にした場合、フォローに動ける司令塔用の人材も、一人ご用意ください」
「……、わかりました。ファウラ殿」
「あいよ。コニーちゃん、これが闘技の街の見取り図と、あと最低でもコイツラだけ殺しときゃいいって似姿も作っておいたから、目を通しておいてね。やー、潜入工作なんて久しぶりにやったわ。アタシもまだまだ現役で行けるかもね」
私は驚きながら、差し出された紙束を受け取った。
今まで深く考えたことはなかったが、ファウラさんは何者なのだろう?
ファウラさんは、悪戯っぽく笑う。
「それと、解放された奴隷はみーんな、うちの『命の家』で引き取るからね! ちゃんと備蓄しておいたのよ、遠慮なくどんどん連れておいで」
「……頼もしいです」
誰のことも直視できず、私は手元の紙束に視線を落とす。
一番上の似姿は、あの監督官だった。
懐かしさすら覚える。
もう、あの街を出て何十年も経っている気になっていたけど、そうか、実際はまだ十年も経っておらず、この人はまだ、御存命なんだ。
まあ、それもあと数十日の命だろうけど。
私は、顔を上げる。
「では、急かすようで申し訳ないのですが、次の『リコリネ』との面談の場をご用意ください。今までの旅を報告し、日記と共に私のいだいた反省点などを、細かな部分まで伝えなければなりません。彼女に同じ轍を踏ませるわけにはいかないからです」
そう言って、私は日記帳の入った荷物に触れる。
思えば、最初にリコリネ様の日記を読んだ時、物語のようだと思ったものだが…。
私が過ごしてきた日々も、まさに物語のようだったと思う。
人間が生きるとは、そういうものなのかもしれない。
誰もが一つずつ、物語を持っているようなものだと感じる。
今では、人間が好きだという、ユディ様のお気持ちもよく理解できる。
私も今では、一人一人の物語に目を通してみたいと思うくらいには、人間に興味を持っていた。
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コンコン、
「どうぞ」
案内された部屋で待っていると、入ってきたのは、メイスを背負った、全身鎧の『リコリネ』だった。
リコリネは、私と向かい合うと、淡々と挨拶をする。
「はじめまして、リコリネ」
「はじめまして、リコリネ。何か聞きたいことがあれば、どうぞ。こちらの事情で時間が無くなってしまい恐縮ですが、何でも答えます」
「そうですね……」
私ではないリコリネは、フルフェイスの頤に手を当てて、何事かを考えこむ。
「あなたの目から見たユディ様は、どのようなお方でしたか?」
「…はい。あの方は、私がフルフェイスの下で泣いていても、笑っていても、注意深くそれを観察して、見抜いてきます。細心の注意を払い、自らの全力を持って、『リコリネ』を大事にしてくださる。そんな方です」
「それは……ステキな方ですね」
「はい、困ったことに、そうなんです」
「…? それは、困るような話なのですか?」
「……、あなたにも、きっとそのうち、わかるのだと思います」
「そうですか……」
確信がある。
以後のリコリネは、おそらく全員が孤児院の誰かだろう。
私と同じく、家族愛に飢えた彼女たちに、惜しみなく愛情を注いでくるユディ様の存在は、蜜毒に近い。
どんなに強くあろうとしても、それを跳ねのけることなどできないだろう…と。
私ではないリコリネは、好奇心のまま、質問を続ける。
「あなたは、ユディ様と別れてしまって、平気なのですか?」
まるで、大槌でガツンと殴られたかのような衝撃を受けた。
それは、私があの日、リコリネ様に聞いた質問と、同じものだった。
とっくにわかっていたはずなのに、私はこの時初めて、もう二度とユディ様に会えないのだと、そう思い知った。
思い出すだけで呼吸を忘れてしまうくらい、くらくらするほど、まばゆい日々だった。
ユディ様とリルハープ様と駆け抜けた、宝石のような日々。
隣を見れば、必ずユディ様が居たような気がする。
数年限りの私の一生が、そこに詰まっていた。
平常を保って返事をしたつもりだった。
しかし、声は震えていた。
「……あの時。主に、また会えると、私は自分で言っておきながら。心の中では、叫んでいた。嘘です。全部全部、嘘なんです、気づいてください、と。私の姦計など見破って、私をしかりつけてくださいと……私は……、私は……っ」
「! リコリネ、すみません、リコリネ…!」
私ではないリコリネが、咄嗟に私に寄り添い、手を握ってくる。
リコリネ様。
あなたは、こんな思いまでして、ユディ様の未来を守ろうと、決意されていたのですね。
今なら、すべてがわかります。
だって私は、リコリネだったのですから。
あなたは一人ではないと、そう思えることが、幸せだった。
いつも、どこか申し訳なさそうに私を見てくるリコリネ様。
残りの時間は、自分がどれほど幸福だったかを、あの方に説明することに費やそう。
ユディ様。
私はあなたに、世界を変えるほどの力をいただきました。
これから、それを証明してきます。
私はおそらく、リーアと共に果てるでしょう。
だけど、どんなに痛くったって、もう怖くはありません。
私の耳元には、幸せを運んでくる蝶が居るのですから。
幸せを、ありがとうございました―――。




