30僕の希望、あの子の絶望
「主!!」
悲鳴に似た声と、乱暴に右腕を掴まれた感触で、ユディはハッと我に返った。
見ると、リコリネがすぐ傍に居る。
ユディアールに触れかけた指はなんともなっておらず、ユディが見ていた暗闇の光景は、夢か幻だったかのように、一瞬の出来事であったようだ。
「増進の精霊、ソッティノイよ!!」
バシュッ!
低く身をかがめたトビークレイが、モノノリュウの翼に向けて、クロスボウの矢を放った。
威力を増したその一撃は、風の中を一直線に潜り抜け、見事に翼の可動部に直撃する。
モノノリュウはぐらりとバランスを崩し、二度、三度と羽ばたいた後、どしんと塔の屋上に落ちる。
暴風は止んだが、今度は立って居られないほどの揺れが来た。
「ケッ……ざま……みろ…」
トビークレイはそれだけを絞り出し、笑う余裕もない。
おそらく、精霊の祝福のほとんどを使ったのだろう、疲労を隠し切れずに、うずくまる。
ユディは、少し焦点の合わない目で、揺れの衝撃に合わせてふらついた。
リコリネがすぐにその肩を支える。
ユディは、ぼんやりとリコリネのフルフェイスを見た。
「……あ…れ…? リコリネ…?」
「主…! よかった、なんともなっていませんね!?」
「ええと……?」
一度首を傾げて、それから頷いた。
リコリネは、ほーー……と、長い安堵の息を吐く。
「よかった…! もし…。もし、主が今のディアール殿のような状態になってしまったら、私にはもう、逆らう術はありません。ただあなたに食われるのを待つだけでしょう。あなたと戦うなんて、絶対にできません…!」
「…!!」
リコリネにそう言われてから、ようやくユディは自分がどうなりそうだったかを思い知り、ぞっとした。
自分が、リコリネたちを傷つけようとするなんて、絶対にあってはダメな事なのに。
「ごめんリコリネ、でも、もう大丈夫だ。たぶんだけど、竜の夢に還したモノたちが、助けてくれた。それに、ミギくんとダリちゃんが、最後の力を振り絞って、来てくれたんだ。夢みたいな出来事だったけど、あれは確かにあったことだと思う」
「それは……」
リコリネは、感極まったように、フルフェイスの口元に手を当てる。
やがて、震える声で、リコリネは改めてユディを見た。
「今までの旅路は…すべて、無駄ではなかったのですね…!! 私たちは、必要な道を、歩いてきていたのですね…!!」
「!」
ユディは、瞠目する。
まただ。
また、リコリネの言葉がキラキラしているように感じる。
今までの、迷いや苦しみが、すべてその言葉で一掃されていくようだった。
「すごい……」
ユディは、無自覚に呟いていた。
「すごい…リコリネ。リコリネは、なんてすごいんだろう」
バカみたいに、同じことばかりを呟く。
リコリネは、不思議そうにしている。
ユディは立ち上がる。
気分はとても晴れやかで、迷いなく赤い空を見上げた。
「リコリネ、希望をありがとう。君こそが、僕の希望だ」
オオオオオオオオオオオオ―――ッ!!
ユディの言葉に、モノノリュウの雄たけびが被さる。
ビリビリと大気ごと肌が震える。
半透明のユディアールが、怒りに染まった瞳を向けて来た。
「くそっ、なんでだよ、ユディエル! なんで…どうして、そっち側に行くんだよ! そうじゃないだろ!? そっちに行ったって、辛くて苦しいばっかりなのに!」
ユディアールは癇癪を起こしたように地団駄を踏むが、半透明な姿ではこちらの世界に干渉ができないらしく、何の音もしない。
「イジメられる前にイジメるんだよ!! そっちにいたら、オレがオマエをイジメちゃうだろ!」
「違う、ディアール! 世界はそんな風にできてない! どうしてそんなに分けたがるんだ! 道を尋ねたら教えてくれる人だっている! 買い物をしたら、オマケをしてくれることだってあった! 笑顔を向けたら、笑顔を返してくれた人だって、たくさん居ただろ! そんな小さな幸せを大事に思ってるモノたちもいるから、僕は今、君に取り込まれずにここに居るんだ! どうして悪い方ばっかり見るんだ、そんなの、何も見てないのと一緒だろ!」
「だから、なんだよ! 自慢かよ、そうかよ! オレたちにはもう、そっち側の風景なんて、暗がりから眺める他所の家の明かりと変わらないのに! おかしいだろ、だってオレたちは、死ぬために生まれてきたようなもんじゃん!! 大人しく自殺してろって言うのかよ! 生かしておいても害悪な連中だっているのに、なんでオレたちがそのために死ななきゃなんないんだ!」
「違う! 死ぬのは誰だって同じだ、でも、生きてたじゃないか、僕たちは! あの旅を無かったことにするのかよ!」
「だまれ!!!」
ユディアールのあまりの剣幕に、ユディは一瞬口を閉じた。
ユディアールは急に、何かに怯えるようにぐしゃぐしゃと両手で髪の毛を掻く。
「だっ、黙れ、黙れ、黙れ!! ユディエル、オマエが何と言おうと、オマエはこっち側なんだ!」
「ちがう!!!」
今度は、ユディが強く反論した。
一瞬、ユディアールが怯む。
「僕は…。僕は、ユディエルじゃない。キオだ! 姉さんがつけてくれた名前だ! 例えこの身が人間じゃなくても、そのことで忌み嫌われようと、僕の心は人間なんだ!! 僕は、そっち側には戻らない!」
リコリネも、トビークレイも、固唾を飲んで二人のやり取りを見守っている。
ユディは…いや、キオは、ハアハアと息を荒くした後。
ふ、っと気が抜けたように笑った。
「誰かと、こんなに激しいケンカしたのって、初めてだよ、ディアール」
ユディアールは、呆けたような顔で、キオの笑顔を見る。
それから少しだけ、憑き物が落ちたような顔で、笑い返した。
「バカだな~、オマエはほんと。生意気だし」
「ディアールが我儘なだけだろ?」
「あ~あ。中途半端な希望を得ちゃってさ。いいよ、それごと粉々に打ち砕いてやるからさ~。マジで後悔するぜ?」
「しないよ」
「するって。だって……」
ユディアールはまた、邪悪な笑顔を浮かべる。
彼が目を向けたのは、リコリネとトビークレイだ。
「だって、オマエの弱点って、わかってるもんね~!」
「!」
場の全員が、緊迫したように武器を持ち、構えなおした。
モノノリュウは、気を取り直すように、バサリと矢の刺さった翼を広げる。
が、今度は飛び上がる様子はない。
「ハハハッ、ハハハハハハ!!! バカな人間たちだ! ちょっとは優勢を味わえて嬉しかったかよ! わ・ざ・と・だ・よ! 希望を持たせてから叩き落す方が、ダメージがでかいからな~! 一方でオレは無傷です~、残念でした~!」
ユディアールは、べろべろばあ、とやっている。
トビークレイは顔をゆがめた。
「ぬかせ。だったら音を上げるまで矢を叩き込むだけだ!」
「主はお下がりください、トビー殿、助太刀いたします!」
「大丈夫だ、僕も戦う!」
キオは細剣を抜き放ち、二人に並んだ。
その様子を見て、ユディアールは本当に楽しげに笑い転げる。
「マヌケ~っ、それが間違えてるってことだよ! オマエたちの相手がなんなのか、ほんとにわかって無いなんてね~!」
バシュッ!
トビークレイは構わずに、牽制のように一矢を撃った。
それは、モノノリュウの眉間めがけて、一直線に飛んで行く。
が、―――唐突に、空中でピタリと矢が止まる。
「…!?」
トビークレイだけでなく、リコリネも、キオも、驚いたようにそれを見た。
ユディアールは、ますます笑みを深める。
「バカだな~、オレたちは、モノでできてるのに! つまり、武器や防具だって、モノなのさ。モノでモノを倒すなんて、ナンセンスなことこの上ないね!」
「! トビー、逃げろ!」
瞬時に理解したキオは、トビークレイに体当たりするように突き飛ばした。
バシュッ!
先程までトビークレイが居た場所に、反転して飛んできた矢が刺さる。
トビークレイはしりもちをつきながら、驚いたように矢が刺さった地面を見た。
すぐに、キオを睨み上げる。
「よ、余計な事、するなよ!!」
キオは、ちょっと困ったように笑ってから、すぐにモノノリュウと対峙する。
ユディアールは、にやにやと、いやらしい笑顔を浮かべていた。
「ハハハッ、ハハハハハハ!!! 理解したかよ! さあ、ここからはオレの一方的な蹂躙がはっじまっるよ~!」
「くっ、こんなことが…! どうすれば…!!」
リコリネが、攻めあぐねるように、金棒を握ることすら躊躇している。
ユディアールは、トドメとばかりに、ス、と人間たちを指さした。
「こんなこともできるんだぜ……それ!」
パチンとユディアールは指を鳴らす。
その瞬間。
バカンッ!!
トビークレイのクロスボウが中央から割れ、キオの細剣も折れ、さらにはリコリネの装備のすべてが壊れた。
「なっ…!?」
全員が、同じように驚いて、はじけた自分の武器を見る。
キオは咄嗟にリコリネに目を向けた。
「リコリネ、もういい、逃―――…!!」
時間が止まったように感じた。
それほどまでの衝撃だった。
リコリネの纏っていた全身鎧が、自ら弾け飛ぶように取れていった。
剥き出しになる華奢な体。
薄い服。
リコリネのフルフェイスが中央から割れ、ふわりと長い髪が舞う。
スローモーションのような光景。
長い黒髪。
驚いたように見開かれた、切れ長の黒目。
耳元に、蝶の耳飾りはない。
あれ、この子、見たことがあるな…、とキオは妙にのんびりと思った。
確かあの時、リコリネと一緒に居た子だ。
硬の港町で、使者としてやってきた、アイネクライネという娘さん。
あの子だ、というのはわかるし、ハッキリと思い出せる。
だが、キオの口は、まったく別の言葉を発した。
「え……だれ……?」
カランカラン、と、地面にリコリネの全身鎧の破片が散らばる。
アイネクライネは、ぺたりと剥き出しの頬に触れた。
「―――ッッ!!」
その時キオは、人間が本当に絶望する瞬間、というものを初めて見た。
息をのむアイネクライネが浮かべたのは、そんな表情だった。
フルフェイスの中は、そんなにも表情豊かだった。
だがキオの口は、そんなことなどお構いなしに、勝手に動く。
「リコリネは……どこ?」
もうどこにも、キラキラが見つからない。
そこには、昏くて赤い空だけがあり、ごうごうと風が吹いていた。
<第三章・完>
【次回更新日】
トラブルがなければ、春過ぎに予定しています。




