29真実と、旅の終わり
その日は、エメラルドグリーンに澄み渡った晴れ空だった。
ドオン、と音と振動を上げて、一本の大きな光の柱が、モノガリの隠れ里に立つ。
この世界に発生した時、赤ん坊が産声を上げるのと同じで、青年を形作ったモノは、ただただ静かに涙を流していた。
初めて見た光景は、天からの贈り物という名の、あの光景。
シャラシャラと音を立てながら、空から降る金色の光。
里にあるすべての生命を材料に使い、受肉したあの一瞬には、全てがわかっていた。
自分がなすべきこと。
自分が何者であるのか。
この世の真理すらわかっていたような気がする。
早く行かないと。
だって竜の民は、約束を果たしに来てくれなかった。
精霊たちの限界が近いのを、肌で感じる。
だったらもう、自分で自分を殺すしかない。
この世界を守るために、竜は自殺を選んだ。
動けない本体の代わりに、手足という自分のパーツを媒介にして、世界のどこかに特別な竜の夢である、物借りを生み出して。
自らを削り続けても、この世界が大事だった。
見守り続けた友たちと過ごした思い出を守りたかった。
早く、力をつけて、強くなって、モノノリュウを倒しに行かないと。
竜が目覚めてしまうと、暴走した憎しみと怒りのままに、世界が滅ぼされてしまう。
かつて人形だったモノは知る。
生まれて初めての瞬き。
生まれて初めての呼吸。
肉体を持った感動。
それが積み重なるにつれて、頭の中が霞がかっていくように、よくわからなくなっていく。
自分は僕で、俺で、私で、姉で、母で、父で、息子で、娘で。
材料たちがひしめきあい、アベレージを取ろうとする。
料理のやり方、裁縫の仕方、大工仕事、自分のものではない誰かが培ってきた技術が、記憶が、細胞の隅々にまで染みわたっている。
次第に生き方すらわからなくなり、青年はぼんやりと歩き出す。
そこから一体、どのくらいの時間、森の中をさまよったのか。
わからないし、わかりようもない。
ずっとぼんやりしていた。
何十人も居てうるさい頭の中を、必死で整理し続けた。
それでも自分というものが見つからなかった。
あの子の、泣き声が聞こえるまでは。
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「うわあああああああああっ!!!」
ユディは叫び続ける。
それは悲鳴のような絶叫だった。
だが、それが一体何の感情から出た悲鳴なのか、それはユディ自身にもわからなかった。
「ハハハッ、ハハハハハハ!!!」
ユディアールは腹を抱えて笑い続ける。
その時。
バシュッ!
トビークレイの放ったクロスボウの矢が、半透明のユディアールをすり抜けて、モノノリュウの右腕に突き立った。
ユディアールはけろりとした顔で、半眼を向ける。
「なんのつもり? 今いいとこなのに」
「先にお前から殺す! ―――増進の精霊、ソッティノイよ!!」
トビークレイの周囲を、青い光が舞い始める。
「……!!」
突然、ユディアールは目を見開いた。
そのまま、モノノリュウの動きも硬直する。
「死ね、母のカタキ!!」
トビークレイは、直情的に矢を打ち込んだ。
モノノリュウは避けもせず、そして増幅された威力で、ズシンと矢が竜の巨体を揺らした。
数センチ下がるほどの威力だった。
だが、ユディアールは、凍り付いたようにトビークレイを見ているままだ。
いや、違う。
ユディアールが見ているのは、なぜか、増進の精霊が放つ、青い光だ。
リコリネはその様子を訝しげに見ながらも、戦いをトビークレイに預けるようにして、身をひるがえした。
ユディは、場の状況がまるで見えていないかのように、頭を抱えたまま叫び続けている。
「だったら!! 僕が人間じゃないんだったら!! おじじさんは、何のために死んだんだよ!! あんな暗い場所に閉じ込められて、僕に食料を分け与える必要なんてなかった!! ジャンだって、僕を庇う必要なんてなかったんだ!!」
「―――…ッ!!」
リコリネは、息が止まるような衝撃をうけ、一度立ち止まりそうになった。
ユディは、ぐしゃぐしゃと頭をかきむしる。
「里を滅ぼしたモノノリュウは僕だった!! だって、みんな、大好きだったんだ…!! 人間になりたかった、姉さんの助けになりたかった! 大好きだから食べた! だから最初に会ったモノオモイの、あの子の気持ちがわかった! 大好きだから、食べたんだ…!!」
「主!! 主、大丈夫です!!」
リコリネは、無理やりユディの両手を掴み、それを包み込むように、大事に持った。
ユディは一瞬、焦点が合わないような目をリコリネに向ける。
「リコリ…ネ……」
「はい、リコリネです! リコリネがお傍におります!」
ユディは、じっとリコリネのフルフェイスを見る。
リコリネに、動揺している様子がない。
「リコリネ……。僕が、人間じゃないって、知っていた……?」
「はい、存じておりました!」
ぱ、と花が咲くような、鮮烈なまでの返答だった。
ユディは、驚きに目をみはる。
リコリネが、本当に、なんてことのないように言うからだ。
リコリネは、ユディの手を握る腕に力を籠める。
「ですから、大丈夫です、主! リルハープ殿はとっくの昔に知っておりましたし、ライサス先生も、ウェイスノー殿も、そしてテリオターク殿も、みんなみんな、知っていてなお、主を大事に思っていましたよ! まことに勝手ながら、キルゼム事件の後、私が打ち明けたのです…! あの時、もう私一人では、主をお守りすることができなかったからです」
「え………」
「テリオターク殿が主に勘当を言い渡したのも、そのためです。次に会った時、年齢の食い違いが出てしまえば、主がご自分のことを知ってしまう。テリオターク殿は、主と二度と会わない決意をしたのです。ライサス先生は、年に二回行われるシンポジウムの会場が、ちょうど主の行き先と重なったことがありました。そして、芸術都市で忙しくしている主の姿を見かけられたそうです。かつてのままの、主の姿を。どんなに声をかけたかったでしょう。ですが、あの時には既に、主が自覚されている以上の年数が経っていたのです」
リコリネが、あんまり一生懸命に喋るので、ユディはじっとそれに聞き入っていた。
「連なりの諸島には、十年近く滞在していたのですよ。シュレイザ殿は、あなたの境遇を思い、涙ぐんでさえいました。村長のジャウカ殿には内情を話してはいませんが、あの方は適度な距離を保ち、何も言ってはこなかった」
話を聞きながら、今までのリコリネの行動の大部分を理解する。
ユディが子供と長く一緒に過ごすのを止めたのは、そのためだったのだろう。
そして、シュレイザとリコリネがケンカをしていた理由も、ユディのためだった。
「実際には、あなたが私たちと違う時間の流れを過ごしていることしかわからなかった。本当の正体が何なのか、そこまではまるで存じておりませんでした。ですが、本質など、どうでもいいのです。あなたがどうありたいか、それだけを、私は見てきました…!」
リコリネは、一度声を詰まらせる。
「そして、主。私は今、とても嬉しいのです。あなたが、私の主でよかったと…! ご自分を知ってなお、おじじ殿やジャン殿、そしてあなたが犠牲にしてきた命の方を、あなたは真っ先に気にされた! 怨嗟ではなく、悔恨を口にして…! パメ殿が言っていた通りです。モノノリュウは、優しい竜なのですね。あなたは、優しい。内側に、激しい怒りや憎しみが渦巻いているにも関わらず、あなたは優しく在る人だ。ただ優しいだけで居るよりも、それはとても難しいことなのに!」
「……、リコリネ……」
「なぜ隠していたのかと、怒っていただいて構いません。たくさんたくさん黙っていました。トビー殿が孤児院を脱走したことを黙っていたから、結果的にはこうなった。自覚はしているのです。私がしてきた行為は、あなたへの思いやりではなく、エゴにすぎない。何の憂いも焦りもないあなたと、一緒に楽しい旅を続けていたかった…! 罵っていただいて構いません」
ユディは、すぐに首を振った。
他に言葉が出てこない。
リコリネは、フルフェイスの中で、小さくはにかむような気配を出した。
「そして。主が先程、叫ばれていた内容への答えは、私の中に既にあります。主…。『それでも私は、あなたに会えて嬉しい』と。あなたが無事でいて嬉しい。あなたと出会えたことが嬉しい!」
キラキラキラキラと。
早朝でも何でもないのに、天からの贈り物が降ってきているように感じる。
ユディには、リコリネの言葉が光っているかのように感じた。
そんなことがあるのだろうかとも思うが、実際にそうでしかなかった。
人間ではない自分のすべてを受け入れてくれる人が、こんなにも居た。
それだけで、許されたような、救われたような、自分は自分でいいのだと言われたような。
震えるほどの何かが、自分の内側にある。
これが、希望というものなのかもしれない。
さっきまでは、涙も出なかったのに。
泣きそうなほどに、何か…もどかしい何かがある。
オオオオオオオオオオオオ―――ッ!!
突然、逆巻く風のような雄たけびが、その場を支配した。
先ほどまでされるがままだったモノノリュウが…いや、半透明のユディアールが、怒り狂った表情で叫んでいる。
「調子に、乗るなよ!!!」
モノノリュウは、暴風を伴って右腕を振るう。
トビークレイは、すんでのところで避けたはずだった。
ズガアアン!!
だが、その巨大な質量が生み出した一撃は、床を砕き、礫を容赦なく周囲にばらまいた。
「が、あ…!?」
トビークレイの体はあっさりと吹き飛んで、体に礫をめり込ませながら、塔の屋上を転がった。
たった一撃、しかも直撃ではないのに、トビークレイはかなりのダメージを受けていた。
「! トビー!!」
「トビー殿! 助太刀いたします!」
ユディは青ざめて立ち上がる。
リコリネは、背に一度しまっていた金棒を抜き放ち、すぐにモノノリュウに向けて駆けだした。
「トビー、今治すから!」
ユディは倒れたトビークレイに駆け寄り、精霊道具の本を腰元から取り出す。
バシッ!
本ごと、手を払われた。
「うるさい、寄るな!! アイツを倒したら、次はお前だ!」
長い前髪の中から、ユディを睨みつける瞳が覗く。
ユディは、驚いた。
トビークレイの目には、憎しみではなく、怯えの色の方が濃かった。
トビークレイはすぐに立ち上がると、よろよろとモノノリュウの方に向かい、クロスボウに矢をつがえていく。
ユディは、少し放心していた。
いつになっても、拒絶に慣れる日は来ないようだ。
しばらくして、リコリネたちの戦いの音が聞こえる。
加勢に行かねば、と立ち上がりかけた時。
地面に、何か、とても汚らしいものが落ちているのが見えた。
なんだろうと、妙に気になった。
そんな場合ではないはずなのに、どうしてか、手を伸ばしてしまう。
手に取ったそれは、小さな本だった。
もう、文字も何もかもが読めないくらい、擦り切れてボロボロになった本。
絵本のようだが、絵も手垢ですっかり汚れてしまっていた。
誰が見ても、ゴミでしかないだろう。
だが、今のユディには、これがとても、とても大事にされたモノだとわかる。
自分にも、姉にとても大事にされた記憶があるからだ。
なぜ、こんなものが、こんなところに?
そう思って、何ページかをめくった。
「! これ、あの時の…豆本!!」
それは、トビークレイによく読んであげた絵本だった。
別れ際に渡したものだった。
それがわかった瞬間、ぶわっと鳥肌が立つ。
それが豆本であるとわかる以上の、あらゆることを、ものの一瞬にして理解した。
ユディが人間ではないとわかっても、母のカタキと同類の何かだとわかっても、トビークレイは、これを捨てることができなかった。
トビークレイにとって、人生で一番楽しかった時期が詰まっている本だからだ。
何度、読み返してきたのだろう。
何度、あの頃に思いを馳せてきたのだろう。
どれほど、心の支えだったのだろう。
推し量ることさえできないほどに、それはもうボロボロだった。
今の今まで持ち歩いて、転げた拍子に落としたのだろう。
そして、それがトドメになったのか、ユディの手の中で、豆本はほろほろと形を保てなくなり、汚く地面に落ちていった。
あの目は。
あの怯えた目は、ユディが人間ではないことに怯えたわけではなかった。
ユディに、情が移ってしまうことのみを恐れていた。
ユディが大好きだったからだ。
疑いようもないくらい、何度も何度も大好きと言われ続けてきたのを、確かに覚えている。
好きだったから、裏切られたと感じて、憎んだ。
トビークレイの背に目を向ける。
がっしりとした後ろ姿は、本当にヴィッツローにそっくりだった。
前髪を伸ばしたのは、そのためだろう。
日に日に、父親に似てくる自分を見たくなかったのだろう。
孤児院を抜け出して、どんなに辛い日々を送ったのだろう。
ずっと一人で。
今まで積み重ねてきた旅が、経験が、ユディにここまでのことを理解させた。
人間ではないユディが、今ではこんなにも人間の心を理解していた。
「トビー…!!」
雄たけびを上げながら戦うトビークレイの大きな姿が、泣きじゃくっている少年の姿にしか見えない。
すっかり声変わりして、背だってユディより高くなったのに、あの頃の姿と重なる。
彼の代わりのように、ユディの方が泣いていた。
「トビー、リコリネも! もういい、危ないから下がるんだ! あとは全部僕がやるから! 頼む、君たちは安全な場所に居てくれ!! これは僕がつけるべき決着だ!!」
ユディは走り出す。
ユディアールは、一撃を入れ続けるリコリネに見向きもせず、ただ、トビークレイの周囲に漂う精霊の祝福を睨みつけている。
「オマエええぇえええええええっ、目障りなんだよ!!!!! その光を、やめろ!!!!」
バサアッ!
左腕のないモノノリュウは、ユディアールの叫びに合わせて、大きな翼を広げ、場に暴風を叩きつける。
「―――ッ!!」
ゴオ、と呼吸もできないほどの風が吹く。
リコリネも、トビークレイも、ユディも、風圧に耐えられず、なんとか飛ばされないように床に転がるだけで精いっぱいだった。
もしこの高さの塔から落ちでもしたら、即死だろう。
「く…っ、こ、この体格差、質量差では、我々が何をしても、まったく、一撃が届かない…!!」
リコリネが、なんとか活路を見つけようと状況整理をしているが、その場をしのぎ続けるので精いっぱいだった。
ユディも必死に文章を組み立てようとしているが、そもそもこんな風の中では、音の祝福はかき消されてしまうだろう。
その様子に、ようやくユディアールに狂気じみた笑顔が戻る。
「ハハハッ、ハハハハハハ!!! そうだ、そうだよ! 人間どもめ、約束破りの裏切者め!! オマエたちはそうやって、みじめたらしく地面に這いつくばってるのがお似合いなんだよ!!」
ユディアールが大きく口を開けると、あの頃と同じく八重歯が見える。
同じはずなのに、ずっと残酷なものに見えた。
バサバサと、翼による風の猛攻は続いている。
だが、半透明のユディアールは、それに何の影響も受けずに、必死にかがみこむユディの前に、ふわりとやってきた。
「さあ、ユディエル……おまたせ。今まで、よく頑張ったよ。ここが旅の終着点だ…」
甘い甘い、優しい声だった。
ユディは、驚いたように見上げる。
「かわいそうに、同じ時を過ごせない者達の中で、仲間ハズレで、ずっと一人で。でも、オレたちの存在は感じていたよね? そう、オレたちには、何よりも濃い絆があるからだ。元々は一つだったけど、可愛い末の弟みたいに思ってる」
ユディには、だんだん、風の音が聞こえなくなってきた。
目の前に居るユディアールの声だけがどんどんと大きくなり、それだけが世界のすべてであるかのように、目が離せない。
「ここに一番最初に辿り着いたのは、右足のアーシェムだった。彼は戦いもせずに、自らモノノリュウに身を捧げに来たんだ。人間たちに、騙され、裏切られ、いじめられて、もう生きる気力を無くしてた。そんな人間を守るために、どうしてオレたちが頑張らないといけないんだ? オマエだって見てきたはずだ、いい人間ばかりじゃないことを」
風の中に、誰かの必死な声が混ざった気がしたが、それもどうでもよくなってきた。
ユディアールは、甘やかな言葉を続ける。
「さあ、また一つに戻ろう? 本当は、全部全部をぐちゃぐちゃにしてやりたくて溜まらないんだろ? 大丈夫、オレたちは止めないよ。オマエは好きにふるまっていいんだ。わかるよ? 敵には、容赦なく、冷徹にふるまえるんだよな? だって、それが敵ってものだから」
「……!」
ユディアールの言葉が、胸を打った。
今まで抑え込んできた何かが許されたようで、ユディの目からぽろぽろと涙がこぼれる。
「わ……かって……くれた……」
「そうだよユディエル、オレたちだけが、オマエをわかってやれるんだ。つらかっただろ、苦しかっただろ? もう、無理に抑え込まなくていい、もう頑張らなくていいんだ……ほら……」
ユディアールが、優しく手を差し伸べて来た。
頭の隅っこでは、なにか…なにか、忘れていることがあるような気がした。
だがそれも、ほんの一瞬のうちにどうでもよくなってくる。
あらがえないほどに、今までなんてどうでもいいと思う。
それほどまでに、本来あるべき場所に行けることへの喜びがあった。
今、この瞬間こそが、全てだった。
ほとんど、勝手に手が動く、という感覚だった。
ユディは、そっと、ユディアールが差し伸べてきた手に、左手を伸ばす。
指の先が、触れるか触れないか、その瞬間。
いきなり、ブチンと、ユディの意識は途切れた。
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そこは、真っ暗な場所だった。
ヒソヒソヒソヒソヒソヒソ………
何か…嫌な気配がするような気がする。
ヒソヒソヒソヒソヒソヒソ………
よくわからない何かが囁いているような、ただの雑音のような。
そういったものが周囲をうごめいていて、不快だった。
ヒソヒソヒソヒソヒソヒソ………
しばらくして、ユディは気づく。
真っ暗な場所というわけではなかった。
ただ、自分が、目を閉じているだけだった。
ヒソヒソヒソヒソヒソヒソ………
なんだろう、気になる。
ひょっとしたら、負の感情を感覚にすると、あんな気配なのかもしれないな、と思う。
不快だからこそ、目を開けずにはいられない。
確かめずにはいられない。
ユディは、瞼を震わせる―――その時だった。
「目をあけちゃダメだよ、おにいちゃん!」
パ、と、女の子の声が飛び込んできた。
ユディは凍り付くように動きを止める。
懐かしい声だ、と、なぜかそう思った。
リーンゴーン、リーンゴーン―――
同時に、遠くのほうから、とても大きく澄んだ鐘の音が聞こえてくる。
すると、あのヒソヒソ声のようなものが、サアっと追いやられるように、どこかへ行ってしまったと感じた。
息苦しさが和らいで、初めて自分が今まで息苦しかったのだと知る。
その鐘の音も、懐かしいように思う。
いつか、どこかで聞いたような音だった。
「バカバカ! どうしてこんなところへ来たの! 早く帰って、ネーヤの世界を守って! ボクにはもう、守れないのに!」
「キャハッ♪ そうね、そうよ、アタシチャンとあなたは一度つながったけど、あなたまでここに還ってくる必要なんてないのだわ! だって、大事なのは、愛と、勇気と、希望と、夢と、勝利! それってぜーんぶ、ここには無くって、お外にあるの!」
誰だっただろうか…。
思い出せないが、確かに彼らとは、言葉ではない何かで、話をしたことがあるような気がする。
「まったくです。卿は我がマスターと違い、ちゃんと聞こえる耳を持っているのでしょう? 自ら外とのつながりを閉じてどうするのですか、嘆かわしい。早く帰りなさい」
なんだか、出て行けと言われ続けるのは寂しかった。
ここはこんなにも、懐かしいのに。
ここが自分の居場所なのに。
ユディは目を閉じたまま、手を伸ばす。
自分がちゃんと手を伸ばせているのかどうかもわからないが。
(いやだ、一緒に居たい!)
声にならない声で、そう叫んだ。
「にゃー!」
応えるように、声がした。
「にゃにゃーん!」
タカタカと、駆け寄ってくる小さな二つの足音。
音はするが、気配は本当に薄い。
まるで、消えかけの灯のような存在を感じる。
その二匹は、タン、と軽快に地を蹴る音を立てた。
それと同時に、ユディの腹に、どすんとタックルをされる感触。
痛みはない。
優しく、突き飛ばされたと感じた。
ユディの体が、後ろに落ちていく。
よくわからないが、そう感じる。
ユディはただ、必死で叫んだ。
「ミギくん、ダリちゃん!!!」
落ちていく。
二つの気配が、ふっとこの世から、欠片も残さず消失する。
もう、返事はなかった。




