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モノガリのユディ  作者: ササユリ ナツナ
第三章 ろくにん
106/137

25惑乱の大陸

 船旅は、想定していたよりも短かった。

 シュレイザはあらかじめ、試運転ついでに、惑乱の大陸周辺を一周してきていたらしい。

 上陸できそうな場所に当たりがついていたため、大陸をまたぐほどの船旅は、わずか数日で終わった。

 ユディがシュレイザの操船技術を手放しで褒め称えると、「単に天候に恵まれただけだ」とそっけない態度が返ってくる。


「もっと底意地の悪い海流があるイメージだったんだがな。別段他の大陸と変わりゃしねエ。拍子抜けですらある」


 シュレイザの感想は、そういう感じだった。


「では完全に、惑乱の大陸の問題点は、命の大賢者が生み出したとされる、キョウキという生き物が蔓延っている点にしかないのかもしれませんね」


 リコリネは、思案するようにそう述べる。

 ユディは、舵を握るシュレイザの方を眺めた。

 舵は外にあるタイプの船なので、普段から全員甲板に出ている。


「でも、特に問題がないのはいいことだよ。シュレイザ、送り届けたらすぐに帰っていいからね」


「……ああ。定期的に迎えに来てやる。天候にもよるが、大体一週間刻みで浜辺に船を寄せよう」


「えっ、でもそれじゃ、シュレイザがいつまでたっても連なりの諸島に帰れなくなるよ」


「だったら早く戻ってくるんだな。いつまでも迎えに来てやる。ずっとだ」


「シュレイザ……」


 ユディはじーんとする。


「おい全身鎧。そろそろ帆を畳む準備をしろ。上陸準備だ」


「わかりました、シュレイザ殿」


 こうして、全然余韻も何もなくちゃっちゃと上陸が決まり、「死ぬなよ」とだけ残して、さっさとシュレイザは去って行った。

 ユディとリコリネとリルハープは、浜辺で船を見送る。


「きちんと挨拶するとか、もうちょっと雰囲気を盛り上げるとかなかったのでしょうか~~? せっかくドラマティックにするチャンスでしたのに~~!」


 リルハープはメチャクチャ不満そうだ。


「考えてみれば我々は、あまり装飾過多なタイプではありませんからね」


 リコリネが淡々と述べている。


「まあ、あんまり気負わない感じでいいんじゃないかな? 僕もおかげで普段通りというか、大袈裟な別れじゃなかったから気楽というか、っと…?」


 ふとユディは、眉を顰める。


「主、どうされましたか?」


「いや、今一瞬、シュレイザの船から何かが落ちたような飛沫が上がった気がして…?」


「あれかもしれませんよ、ほら、連なりの諸島で見かけたイルカとか~~」


「あ、そうか、別にこの辺だって海の生物がいるよな」


 リルハープの言葉に、ユディは納得して、惑乱の大陸に向き直る。


「それじゃ、行こうか」


 リコリネが急に深刻な声を出した。


「いよいよですね……」


「急に気負わせようとしてきた!!?」


「ここまで長かったですね~~、いろいろなことがありました~~……」


「僕も仲間に入れよう!?」


 いつも通り、ぎゃーぎゃーやった。



-------------------------------------------



「ハアアアアアアッ!!」


   ドゴンッ!!


 リコリネの金棒の一撃で、キョウキたちはまるで粉末のようになって消えていく。

 噂に聞くキョウキとは、まるで動物のシルエットのような生き物だった。

 頭がニャンニャで、体がワンワのような影が襲い掛かって来たかと思えば、空からは鳥の翼を持つ蛇のようなシルエットが襲い掛かってくる。


「ひゅう―――…」


   ザスン―――ッ!!


 ユディは細く呼気を吐き出しながら、細剣でキョウキたちを寸断していく。

 だが、刃を収める暇もない。

 ユディとリコリネは、進行方向に居るキョウキたちを集中的に駆除していきながら、息を荒くして、惑乱の大陸を駆け抜ける。


 上陸して、少し内陸へと進むと、いきなり赤い空が広がっていた。

 それに驚く暇もなく、黒い影のようなキョウキたちが襲い掛かってきたのだ。

 ずっとそれが続いているため、落ち着いて惑乱の大陸を見渡せる余裕もない。

 一匹一匹はツギハギめいた弱さがあるのだが、とにかくキョウキは数が多く、ユディとリコリネは会話もできない。

 リルハープも、ユディの胸ポケットの中にしがみついているのがやっとの状態で、かれこれ半日は経過している気がする。


 どこに行けばいいのかもわからず、ただただ襲い来る影を倒し続ける。

 ただの単純作業ならばまだ救いはあっただろうが、油断をすると命の危険がある状態だ。

 細い線を踏み続けて進まなければならないようなこの行進は、早くも限界が近づいていた。


 なぜこの大陸はこんなことになっているのか。

 それも、数百年以上も前から。

 命の大賢者パメルクルスが惑乱してキョウキという生物を生み出したという話だが、なぜ賢者はそうなってしまったのか。

 なぜ、モノノリュウはこの大陸にいるのか。

 あの動かない月は何なのか。

 そもそも、答えはあるのか。


 疲労で朦朧してきた意識が、そんな答えのない疑問符をばらまき続ける。


「はあ、はあっ、はあ…!」


 ユディもリコリネも、息が荒い。

 体は汗でびしょびしょだ。

 少しでも休憩を取らねば、ここが死に場所になるのだろう。


 ふらつく足。

 もうここがどこなのかもわからない。


「くっ…!」


 重装備のリコリネが、まず膝をついた。

 ユディは咄嗟に、リコリネを守るように前に出る。


「リコリネ!!」


   ザブンッ!


 ユディが放った薙ぎの一撃に、キョウキが散っていく。

 だがそれは、ユディ自身の防御を捨てた攻撃だった。

 横合いから飛び掛かってくるキョウキの姿が、視界の端に見えた。


「主!!」


「―――ッ!!」


 覚悟を決めて、ぎゅっと目を閉じる。


   ―――シャンッ。


 唐突に、澄んだ鈴の音が鳴り響いた。

 ピタリと、キョウキの動きが止まる。


   シャン、シャン、


 音が鳴り響くにつれて、キョウキたちは引き上げるように、踵を返し始めた。


「……? これは…?」


 リコリネが、不思議そうにその光景を見ている。


 音の出所に目をやると、鈴のついた杖を鳴らしながら、若い女性が、ゆったりとこちらへとやってきていた。


「もうよい、もうよい。去りや、去りや」


 女性がどっしりとした声を発すると、キョウキたちは大人しくその場を去り始めた。

 ユディはもう疲労の限界で、気が抜けたようにその場に膝をつく。


 女性は、ユディとリコリネを見下ろした。


「うむうむ。よもや半日持ちこたえるとはな。どうやら物見遊山でこの大陸に来たわけではなさそうじゃ。よいよい、合格じゃ。アレらにはしばらく大人しゅうするように命じておくからの。大手を振ってこの大陸を歩くことを許そう」


「あなたは…?」


 ユディはそう声を出したつもりだったが、ほとんど掠れて声にならない。

 女性はそれを見ると、シャン、と杖を掲げた。


「命の精霊、コリネイリの祝福を―――!」


 ふわりと暖かな色をした桃色の光が周囲を漂い、ユディとリコリネを撫でるように過ぎていく。

 すると、先程までの疲労が、まるでなかったかのように消え失せた。

 ユディとリコリネは、驚いて自分の手を、ぐーぱーと確かめてみる。

 生命エネルギーに満ち溢れる、という表現がふさわしい。


「これは…! まさか、あなたは!」


「わしは命の大賢者、パメルクルス。ようこそ、果ての大陸へ。歓迎しよう、お客人」


 ユディの言葉に、パメルクルスはなんてことのないように答えた。

 リコリネは驚愕する。


「そんな…! パメルクルスは、もう何百年も前の大賢者のはずです!」


 パメルクルスは、上品に口元に手を当てて笑う。


「ほっほ。月日は流れ続け、巻き戻ることはない。そんな当たり前を、やはり実感してしまうの。こんなところで立ち話もなんじゃ、わしの住処に来るがよい。茶はないが、水程度なら出そう」


 シャン、と杖が鳴る。

 パメルクルスは、おもむろに背を向けて歩き始めた。

 ユディとリコリネは顔を見合わせたが、他に道もない。

 大人しく、命の大賢者の案内に従うことにした。



-------------------------------------------



 惑乱の大陸…いや、果ての大陸は、静かな場所だった。

 まるで、ユディたち以外に生き物が居ないかのように、シンと静まりかえっている。

 パメルクルスが案内した場所は、無人の村だった。

 戦のあとがあるわけでも、破壊の爪痕があるわけでもない。

 ただただ、静かに風化していった建物たちが転がっている。


 パメルクルスは、その中でも比較的無事な石の建物の中に入ると、「まあ座れ」とユディたちを促した。

 ユディたちは大人しく席に座ると、はじめて実感として、一息つくことができた。

 どうやら、体の疲労と心の疲労は別物らしい。


「ありがとうございます、パメルクルスさん。おかげで助かりました」


 ユディたちは、パメルクルスが振る舞った水を飲み、ようやく自分たちの無事を認識した。

 パメルクルスは、満足げに頷く。


「うむうむ。まあ、キョウキを放ったのはわしじゃからの。おぬしらは普通に被害者なわけじゃ、礼はいらぬよ。して、おぬしら。このようなところまで、何用かの」


「あ、はい。端的に結論だけ言うと、モノノリュウを倒しに来ました。パメルクルスさん、モノノリュウはご存じですか?」


「!」


 パメルクルスは、ガタンと立ち上がった。

 カシャリと、立てかけていた杖が倒れる。


 ユディもリコリネも、驚いて大賢者の顔を見ると、歓喜に打ち震えているようだった。


「おお…! ついに、ついに来たか! ということは、おぬし、約束の民か!」


「え…? いえ、僕は、モノガリの隠れ里から来ました」


 ユディが困惑してそう返すと、パメルクルスはきょとんとする。


「ものがりの、隠れ里…?」


 パメルクルスは、ひたすらハテナを浮かべながら、落ち着きを取り戻すように椅子に座り直す。

 やがて、慎重に言葉を選ぶように話し始める。


「…うむ。初めから、じっくり聞かせて貰おうか。心配せずとも、こちらの事情は後から話すでな。聞きたい話は山ほどあるじゃろうて」


「…わかりました」


 リコリネの見守る中、ユディはゆっくりと今までの経緯を話し始めた。

 自分の里がモノノリュウに滅ぼされたこと。

 自分はモノノリュウを討つために旅をしてきたこと。

 本来のモノガリの使命は、竜の夢を還していくこと。


 パメルクルスは、それぞれにふんふんと相槌のような頷きを付け加えていたが、全てを聞き終わると、「なるほどの」と呟いた。


「そういうことじゃったか…。どうやら、わしの時代の言語とは、少々のズレがあるようじゃ。まあ、言語なんてものは生き物じゃからな。変わっていく方が自然か」


「というと…?」


 ユディの問いに、パメルクルスは鷹揚に頷いた。


「わしらの時代では、モノオモイなどという言葉は存在せんかったんじゃ。竜の夢が物に宿り、その存在を借り受けることを、『物借り』と称しておった。それが長い年月をかけて、変わっていったんじゃな」


 ユディは驚きに目を見開いた。

 リコリネは、続けるように質問をする。


「なんと。それでは、そのように昔から、竜は夢を見ていたのですか? いえそもそも、モノノリュウはずっと生き続けてきたと?」


 パメルクルスはふっと笑った。


「一つずつ答えようかの、竜の夢は、昔からあった。じゃが、それはとても暖かく、優しく、人間を守るための夢じゃったよ。そしてモノノリュウは、わしが生まれるよりもずっと前からこの世に存在しておった。考えてもみるがよい。モノノリュウには伴侶がおらぬ。それはつまり、一個体で永遠を生き続けるのを許されたことに他ならんと言えよう。子を産むのは、種の存続のためじゃからの」


「なるほど…言われてみればと納得がいきます。ただ、スケールが大きすぎて、そのような話を考えたこともありませんでした」


「パメルクルスさんも、永遠を許されているんですか?」


 リコリネの言葉に続いたユディの質問に、パメルクルスはゆるりと首を振る。


「わしは、不老ではあるが、不死ではない。そもそも、これはわしの力によるものではないからの。わしの幼馴染に、ロットマーシュというヤツがおった。ヤツが受けた祝福は、時の精霊の祝福でな。わしの時間は、ヤツの命をかけて止められたんじゃ。すべては、この大陸を守るために。後を託されてな…」


 パメルクルスは、何かを思い出しているのか、つらそうに眉をしかめた。


「まあ、わしは見ての通り美人で麗しいからの。あまり威厳もない外見じゃとわかっておるから、昔からこのような喋り方をして威厳を水増ししておる。実際のところ、長年を生きたからといって謎のオーラが出たりはせんのじゃな。それだけが残念じゃ」


「…!?」


「何を驚いておるか」


「い、いえ、急に、イメージが変わったなと…」


「うむうむ? というかおぬしらこそ、だいぶ変わっておるの。今更の話じゃが」


 パメルクルスは、改めてユディとリコリネを見る。

 リコリネは、首を傾いだ。


「変わっていますか?」


「この大陸に今まで訪れたのは、おぬしら含め、たった四組みの旅人じゃ。しかしおぬしら以外は、わしとこのようにじっくりと話そうともせんかったわ。当然じゃろうな。何百年も前の人間が、明らかにキョウキを操っている動きをしながら現れたわけじゃからの。水を振る舞うと言うたが、飲んだのはおぬしらだけじゃ。他はみんな、怪しんでさっさと目的を果たしに行ったわ」


「! そういえばそうですね!?」

「渡りに船とばかり思っていました!」


 ユディとリコリネの反応を見て、パメルクルスは肩を震わせて笑う。


「ほっほ。世界には既に憎しみや疑念などの感情がもたらされて久しいと思うとったが、おぬしらのような者もまだおるんじゃな」


「もたらされた…とは?」


 パメルクルスの言葉に、リコリネはまた首を傾げる。


「うむうむ。わしの時代には、そういった感情は存在せんかったんじゃよ。正しく言うと、知られていなかった…と表現するのがふさわしいか。誰も怒り方や猜疑心を知らんかったから、そういったやり方すら思いつかんかったわけじゃ。人に狩られたことのない獣が、警戒心を知らぬのと同じようなもんじゃな」


「では、かつてこの世は、とても平和な世界だったのですね…」


 リコリネが、放心したように呟く。


「しかし、変わっておるのはそれだけじゃないの。おぬしからは、もう一つ、小さな命の気配がするようじゃが」


 そう言って、パメルクルスはユディの胸ポケットを指さした。

 すぐに、ひょこりとリルハープが顔を出す。


「バレてしまいましたか~~。まあ、出る機会を逸してしまっただけなのですが~~」


「おお、やはり妖精か! ルチェのヤツは元気にしとるかの」


 リルハープは、ふわりと舞い上がりながら、驚いたように口元に手を当てる。


「まあ~~、女王サマとお知り合いなのですか~~? びっくりです~~! 残念ながら、リルちゃんは最近発生したばかりの年若い部類なので、女王サマとお話しするなんてとんでもありません~~!」


「なんじゃなんじゃ、大層えらくなりおって。そもそもアレも妖精じゃからな、普通に悪戯が好きな困ったちゃんでしかなかったわ。機会があれば話しかけに行ってみるがよいわ、内心では可愛がってくれるじゃろうて。…とと、すまんの、話が逸れたか。何の話じゃったか…」


 パメルクルスは、助けを求めるようにユディに目を向ける。


「ええと…! 後を託された、の辺りですね!」


「うむうむ、そうじゃったそうじゃった。じゃが…。どうしたものか。わしも賢者の端くれじゃからの。物事を順序だてて説明したがるクセがあってな。まずはおぬしらに見て貰いたいものがあるのじゃが、体調の方はどうじゃな。一晩休みたいというのなら待つが、そもそもこの大陸には、最早夜は訪れんからの」


 そう言って、パメルクルスは、明け放しの窓から赤い空を見上げる。


「僕はいけるけど、リコリネは?」


「私も大丈夫です。というより、今眠ってしまうと、緊張感が失せてしまいそうで、できるなら続けていきたいですね」


「わかった。じゃあパメルクルスさん、お願いします。ですが、夜が来ないというのはどういうことですか?」


「うむうむ。では、移動しながら話そうかの。実際に見た方が早いでな」


 パメルクルスは、倒れたままの杖を拾い上げ、ゆっくりと立ち上がると歩き出す。

 ユディたちは、急いでその後ろをついていく。

 リルハープは、疲れたとばかりに、ユディの肩にふわりと腰を下ろした。

 パメルクルスは、少し歩くと、空の一角を指さした。


「この大陸は、もうずっと夕暮れに包まれておる。夕暮れの中心点は、あの塔じゃ」


 ユディたちが目を向けると、確かに塔が見える。

 今までは、周囲に気を配る余裕すらなかった。


「夕暮れって…、ですが夕暮れの色は、もっとくすんだ金色と言うか、セピア色と言うか、そんな感じじゃないですか? あんな赤い空は、生まれて初めて見ました」


 ユディの言葉に、パメルクルスは笑う。


「ほっほ、懐かしいの。昼空は緑で、夜は紫。そうじゃったそうじゃった。ずっとここにおったからの、もう忘れかけておったよ」


「…あの塔は、一体何なのですか?」


 リコリネの問いに、パメルクルスは目を細めて空を見上げる。


「あすこは、モノノリュウの住処じゃ。昔はな、あの塔の周辺だけが、赤い空だったんじゃがの。今やすっかり、この大陸を覆うほどに、夢が染み出しておる」


「夢が、染み出す……」


 ユディは思わず繰り返した。

 そうだ、とっくの昔に、竜の夢は染み出していたはずだ。

 天啓という形で。


「では、いずれこの世界の空は、全て赤くなってしまうのでしょうか?」


 リコリネの問いに、パメルクルスは肯定も否定もできない。


「そうならぬために、おぬしらが来たのかと思うたが。あの塔には、もう三組みの旅人が登って行った。そして、未だに誰も帰っては来ん……」


 ユディは、ごくりと喉を鳴らして塔を見上げる。


 パメルクルスは、散策をするようなのんびりとした足取りを続け、やがて塔のふもとが見える所までやってきた。

 塔の周辺には、入り口だけを避けるようにして、なぜか白い霧がかかっていた。

 パメルクルスは、トンと杖の底を地面につく。

 シャン、と涼やかな鈴音が鳴った。


「さて。見て欲しいものとは、この霧の中じゃ。すべてを話す前に、まずはその目で見てきてほしいものがある。おぬしらは、耳で聞くよりも、よほどわかりやすく、そして難解なものを見るじゃろう。妖精よ、おぬしはわしと留守番じゃ」


 そう言って手の平を差し出すパメルクルスを見て、リルハープはひしっとユディにしがみついた。


「な、なぜですか~~!」


「妖精は、人間よりも影響を受けやすいと思われるからの。実際おぬし、随分と疲弊しているように見えるが」


「リルハープ…。留守番を頼める? 君が警戒をしていない時点で、パメルクルスさんが信用できる人だとわかっているし、僕も安心できるからさ」


「ご主人サマ~~……」


 リルハープは、今にも泣きそうな目でユディを見上げる。

 パメルクルスは、微笑まし気に二人を眺めた。


「リルハープと言うのか。良い名じゃな。昔を思い出すよ。あの頃は、この世界にもたくさん妖精がおったでな…」


 懐かしむように言うパメルクルスに、ユディは今更のように胸を打たれた。


「パメルクルスさん…。本当に、一人きりでこんなところで…。寂しくなかったんですか?」


「…寂しくないと言えば嘘になるの。じゃが、この世界のためじゃ。仕方がない。こうして真実を探求する者達を導く存在は必要じゃからの。賢者とは、滅私で世界に奉公せねばならん」


「なんと。賢者とは昔からそうだったのですね。私の先生も賢者なのですが、同じことを言っておりました」


「マジか、バカバカしい! 何百年経ってもあんなクソみたいな風習だけは残るか、もうちょっと別に残すべきものがあったじゃろうて!!」


「パメルクルス殿は、時々言葉が乱れるのですね?」


 リコリネは冷静にその様子を受け止める。

 パメルクルスは、気を取り直すように、コホンと空咳をした。


「…まあ、口調が移ったのかもしれん。それもその霧の中に行けばわかる」


 ユディとリコリネは、あらためて霧に向き直る。

 ユディはリルハープを促すように、そっと妖精を空に放った。


「ほら、リルハープ。僕らはちょっと行ってくるから。君が待っていてくれると、ちゃんとここに戻ってこれる気がするから、留守番してくれると嬉しいな」


 そういって微笑むユディを、リルハープはまだ泣きそうな顔で見ている。

 しかし、ようやく腹を決めたのか、パタパタと飛んで、パメルクルスの手の平の上に降り立った。


「絶対帰ってきてくださいね~~…」


「もちろんです、リルハープ殿」


「ごめんねリルハープ。でも僕は、一体この世界で何が起きているのか、知りたいと思うし、知るべきだと思うんだ」


 若干大袈裟な別れになっている状況に、パメルクルスが口を挟んできた。


「まあ心配せんでも、危険が待ちうけているわけではないからの。おぬしらは、霧の中をまっすぐに歩くといい。すべてをわかろうとはせんでいい。ただ、受け止めるといい。誰が、何を思い、何をしたのか、その真実の一端を」


 命の大賢者は、導くように、スっと人差し指で霧にけぶる先を示した。

 ユディは、しっかりと頷く。


「じゃあ、いってくるよ、リルハープ」


 ユディは気を引き締めて歩き出す。

 リコリネは、ユディの後ろに付き従った。


 一歩、霧の中に入る。

 ユディたちは、ひやりとした空気に包まれた。

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