砕かれた咆哮
七回裏、阪神甲子園球場。
西日に焼かれたマウンドの支配者、伊良部秀輝。彼が右腕を振るたびに、スピードガンは「百五十五キロ」という、高校生の限界を嘲笑うような非情な数字を刻み続けていた。
バッターボックスの村上宗隆は、前の打席で愛棒を無残に粉砕された「怪物としての屈辱」を、今は、冷徹な殺意へと昇華させていた。
(……藤岡さんの計算は、絶対だ。伊良部さん。あんたの球は速すぎる。速すぎて、指先が白球を離すその刹那、物理法則に逆らって僅かに『浮いてる』。……そこが、あんたの神話の終着点だ)
伊良部が咆哮と共に投じた、百五十四キロのインハイ。村上は、それを強引に、最短距離を切り裂く軌道で迎え撃った。
メキメキッ、という、骨が折れるような鈍い音が響く。
村上のバットは再び二つに割れた。しかし、折れたバットの芯に、白球は確かに「執念」となって乗っていた。打球は一、二塁間を泥臭く破り、ライト前へ転がる。一塁ランナーの松坂大輔が、石を跳ね飛ばすような激走で三塁を陥れた。
『抜けたぁぁぁ! バットを二度までも折りながら、村上くんが執念の、文字通り身を削る安打で繋ぎました! 一死一、三塁。鳳凰大附属、ついに最強の剛腕・伊良部くんの喉元を捉えました!』
木佐綾子の絶叫が、逆転へのカウントダウンを告げる。
村上は一塁ベース上で、折れたバットの柄を野獣のように握りしめたまま、マウンドの伊良部を射殺さんばかりの瞳で睨み据えた。
次打者の一久は、村上が残していったバットの破片を、壊れ物を扱うように拾い上げた。
「……村上くん。君のバット、いい仕事をしたね。泣いているけど、誇らしげだ。……この『破片』が作った風穴を、僕がさらに広げてあげるよ。バニラアイスの底にある、一番甘いところを掬い取るみたいにね」
一久が伊良部と対峙する。王者の瞳には、初めて、湿り気を帯びた「焦燥」が混じっていた。
百五十キロ、百五十二キロ。全力の「怒り」が白球に乗り移り、一久を襲う。
しかし、一久は、薄笑いを浮かべていた。
三球目。伊良部が、自らの右腕を犠牲にするような形相で放った、本日最速の百五十六キロ。
一久は、それを「振った」のではない。
死神の鎌をそっと置くように、バットを「差し出した」。
……ポトッ。
意表を突く、極限の脱力スクイズ。
伊良部の巨体がマウンドを駆け下りるが、一久の転がした球は、まるで意志を持っているかのように三塁線ギリギリを這い、ピタリと止まった。
「セーフ! 一点!」
三塁から松坂が生還。鳳凰大附属、ついに一点差。なおも一死一、二塁。
ベンチの端。稲尾和久がレジ袋から、不吉なほど白く光る「熱中症対策の(自称)」ほんのり塩味のバニラアイスを取り出した。
「……ふふ。伊良部くんの『剛』を、村上くんの『折れない心』と、君の『底知れないデタラメ』が解体し始めた。……一点の重みが、王者の肩を岩のように変えていくだろう」
稲尾は、沈みゆく沖縄の太陽を、アイスを舐めながら見つめた。
「さあ、このまま甲子園の魔物ごと、飲み込んでしまいなさい」
逆襲の鳳凰。
伊良部秀輝という「最強」が、一久たちの紡いできた「嘘と絆」の前に、ついにその膝を折ろうとしていた。
一久の口の中に広がる塩味が、勝利の予感で最高に痺れていた。




