表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
石井一久物語  作者: 水前寺鯉太郎
2年生編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/48

相模の巨人、鳳凰の計算

 灼熱の太陽。銀傘に反射する光が、阪神甲子園球場を巨大な高熱の檻に変えていた。

 鳳凰大附属、二度目の聖地。アルプススタンドから響く重低音のブラスバンドは、もはや「敗北の味」を想起させる警笛ではなく、新たな伝説の序曲として一久の鼓膜を震わせていた。

 マウンドに立つ東海大相模のエース、菅野。

 その投球練習を見守るだけで、鳳凰大ベンチには鉛のような沈黙が落ちた。百五十キロの剛球、そして意志を持つかのように打者の手元で鋭利に曲がるスライダー。それは一分の隙もない、野球という競技の「完成形」だった。

「……一久さん。あの菅野さんって人、ボールじゃなくて物理法則そのものを投げつけてきてます。……あんなの数式で解こうとしたら、僕の脳細胞がショートして爆発しちゃいますよ」

 松坂大輔が、ベンチの隅でグラブを抱えながら、かつての自分のように震えている。

「……大輔くん、大丈夫。僕なんて、さっきから菅野さんの顔が『特売のバニラアイス』に見えてるから。……あんなに美味しそうな球、村上くんが一口で飲み干してくれるさ。僕らはその後片付けをするだけだよ」

 一久はバニラ味のガムを噛み、クチャりと音を立てて不敵に笑った。

『夏の甲子園、開幕戦! 先発は鳳凰大附属、背番号10の藤岡くん! 対する東海大相模は、若き巨星・菅野くんです!』

 木佐綾子の声が、真夏の空に凛と、そしてかつてない透明感を持って響き渡る。

 今は放送席のプロとして、そして一久の「止まった時間」を共に動かす共犯者として、彼女は震える指先を膝の上で強く握りしめていた。

 一回表。藤岡の立ち上がり。

 彼に菅野のような暴威はない。だが藤岡は、打者の視線、グリップの握り、肺の膨らみから読み取る呼吸の乱れ、そのすべてをデータとして処理し、ミットという「解」を導き出す。外角一ミリの出し入れ。打者の脳内時計を狂わせるチェンジアップ。東の横綱、相模の打線が、まるで計算式に当てはめられたかのように凡退していく。

 一方の菅野も、鳳凰大打線を漆黒の絶望で塗りつぶしていた。村上宗隆が打席に入ると、菅野の右腕は咆哮を上げる。内角を抉る百四十八キロ。村上の「阿蘇の噴火」のごときフルスイングを、正面から力でねじ伏せた。

 五回終了、零対零。

 藤岡はベンチに戻り、汗で曇った眼鏡を拭いながら、隣に座る一久を静かに見つめた。

「……一久。僕の計算だと、次の回が限界だ。相模の打線は、僕の『論理』を学習し始めている。……次は、君の『混沌デタラメ』で、この盤面をひっくり返してくれ」

「藤岡さん、お疲れ様。計画通りに力尽きるなんて、最高にクールだよ。……あとは僕が、菅野さんの物理法則を、僕のナックルで『誤植』だらけに書き換えてくるよ」

 ベンチの端。稲尾和久がレジ袋から、不吉なほど白く凍りついた「氷点下の(自称)」スポーツ飲料を取り出した。

「……ふふ。藤岡くんが完璧に『舞台エチュード』を整えた。……さあ、一久くん。君がマウンドに立った瞬間、この甲子園は、君と彼女だけの秘密の遊び場に変わるよ」

 六回裏。鳳凰大附属のエース、石井一久が、陽炎の揺れるマウンドへと向かう。

 菅野という「正解」に対する、石井一久という「嘘」。

 「不純な動機」を左腕に詰め込んだ死神が、ついに天下の相模の喉元へと、その不気味に揺れる白球を突き立てる。

「……木佐さん。僕、今日、今までで一番アイスが美味しく感じる予感がするんだ」

 一久が放送席へ小さくウィンクした(ように見えた)。

 聖地の魔物が、歓喜に震えて

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ