クロスファイアー、初夏の閃光
九回裏、宮崎県営野球場。蝉の声が止み、球場全体が死の静寂に包まれる。
無死一塁。一点取られれば即座に幕が降りる、絶体絶命の断頭台。一久は、マウンドの熱を帯びた土を、踏み潰すように固めた。
「……一久さん。すみません、僕の力不足で。……あ、これ、僕がさっきまでずっと握ってた『一番滑らない石』……じゃなくて、勝てるボールです。受け取ってください」
降板する松坂が、汗と土に汚れた顔でボールを差し出す。
「いいよ、大輔くん。君が地を這って見ていた『低い景色』、僕もしっかり脳にコピーしたから。……あとは、僕が木佐さんに『石井くん、やっぱり最高!』って言わせて、君の努力を歴史に書き換えるだけだ」
一久はセットポジションに入った。脳裏のスクリーンには、先ほどまで対峙していた成瀬の「腕を隠す術」が、スローモーションで再生されている。
(……成瀬さんは、右肩を壁にし、物理的限界まで左腕を隠した。……なら、僕はさらにその先へ。背中を打者に見せるほど捻り、松坂くんの『低さ』を混ぜて、死角から対角線へ叩き込む――!)
一久の体が、これまで以上に深く、不気味に捻じ切られる。
放たれた一三〇キロの直球。だがそれは、打者の目には「消えた場所から突然現れた凶器」と映った。右打者の内角を抉り、骨を砕かんばかりの角度で突き刺さる。
ズバァァァァンッ!
「……なっ!?」
打者は自分にボールが激突する錯覚に陥り、無様に尻餅をついた。ストライク。
成瀬の「隠し」と松坂の「低さ」、そして一久の「邪念」。すべてが融合した、一久流クロスファイアーの産声だった。
『入った! 九番、石井くん。代わり端の初球、右バッターの内角、これ以上ない――いえ、非人間的なコースに決まりました!』
木佐綾子の声が、興奮で激しく弾ける。彼女は、一久がマウンドで名門の技術を「強奪」し、新たな化け物へと変貌したことを、誰よりも早く、本能で察知していた。
続く打者に対し、一久はあえて力を抜いた。内角の残像に怯える打者の目の前で、八〇キロの山なりなスローカーブを外角へ逃がす。
「……あは。面白い。投げたいところに、指が勝手に滑り込んでくれる。木佐さんの声が、ガイドレールに見えますよ」
二者連続三振。二死一塁。
最後の打者は、宮崎学園の主将。
一久は、最後の一球に、自らの原点である「ナックル」を選んだ。
クロスファイアーの「剛」で脳を焼かれた打者の前で、今度は全く無回転の、意思を持たぬ白球が、不吉な蝶のように空中で踊る。
ボフッ。
バットが空を切る音さえ、どこか虚しく響いた。空振り三振。
九回裏、一久は完璧な「謎」の投球で、王者の進撃を完全に氷結させた。
ベンチに戻る一久を、稲尾和久が不敵な笑みで迎え撃った。
レジ袋の中には、見たこともない「高級志向(自称)」の、霜の降りたシャーベットが並んでいる。
「……一久くん。君、成瀬くんの技術を盗んだだけじゃない。松坂くんの『執念』さえも自分の栄養にしたね。……底なしに欲張りな左腕だ」
「稲尾さん。欲張りじゃないと、甲子園のバニラアイスなんて、到底食べきれませんよ。……さあ、延長戦。ササッと勝って、それを食べさせてください」
延長戦突入。
鳳凰大附属、絶体絶命の崖っぷちで、一人の死神が「世界一欲張りなヒーロー」へと成るための、残酷で美しい幕が上がろうとしていた。




