石切りの魔術師
鳳凰大附属、夕暮れのグラウンド。
一久は、バニラアイスの棒を前歯で噛みしめたまま、新入生・松坂大輔をマウンドの斜面へ連れて行った。
「……大輔くん。君、放課後はいつも川原で石を投げてたんだって? 五十回も跳ねさせるなんて、もはや水面への暴力だよ。……ちょっと、あそこの河西さんのミットを『水面』だと思って、石を投げるみたいに放ってみてよ」
「……はい。でも、野球のボールって石より重いし、跳ねないですよね……」
松坂はおどおどしながらも、セットポジションに入った。
その瞬間、彼の巨体が、獲物を狙う山猫のように低く、深く沈み込んだ。
シュパッ。
地面からわずか数センチの、物理的限界点から放たれた右腕。白球は一度沈み込むような軌道を見せた直後、ベースの手前で、あたかも水面を蹴った石のように鋭く浮き上がり、シュート気味に内角を抉った。
バシィィィィンッ!
「……な、何だ今の音は!?」
ミットを強奪されそうになった河西が、驚愕で目を剥いた。
「おい、今のは何だ! 球速は百二十キロそこらだが、手元でエグい『面』の変化をしたぞ! 捕球の瞬間にボールが笑った気がした!」
「あ、すみません……。石を滑らせる時みたいに、指先の腹でちょっと『面』を作って、回転を殺しちゃいました。……これ、野球では反則なんですか?」
一久は、口からアイスの棒をポロリと落とした。
「……大輔くん。それ、僕のナックルより三倍は『性格の悪い』変化をしてるよ。……合格だ。今日から君は、僕の『秘密兵器・一号』。世界を絶望させる、地を這う怪物だ」
「ええっ、怪物!? 僕、ただの石切り好きの帰宅部ですよ!?」
そこへ、マネージャー兼放送部として復帰した木佐綾子が、ストップウォッチを手に、春風のように駆け寄ってきた。
「……凄い! 今のボール、カメラのフレームから一瞬消えたわ。……一久くん、これなら夏の甲子園、本当にリベンジできるんじゃない? 『ダブル・カズヒサ』ならぬ『ダブル・怪物』ね!」
一久は、木佐綾子に褒められて顔を真っ赤にしている松坂を、冷酷な三白眼でジロリと射貫いた。
「……大輔くん。君、今、木佐さんに『凄い』って言われたね。それ、僕の特権なんだけどな。……よし、特訓だ。アンダースローをさらに低く、地面の土を抉るまで沈み込ませるぞ。モグラと友達になるまでだ」
「い、一久さん! 指先が削れてなくなっちゃいます!」
ベンチの端。稲尾和久が、音もなく、影のように笑っていた。
レジ袋の中には、「水切りの極意(自称)」と書かれた、煤けた古本が入っている。
「……ふふ。一久くん。君は松坂くんを嫉妬でしごいているようでいて、実は自分に足りなかった『低めへの制球力』と『執念』を、彼を通して学んでいる。……教えることは、二度学ぶこと。鳳凰が、泥を啜って地から這い上がる時が来たね」
石切りの技術で、白球に意思を宿す未経験のエース候補・松坂。
そして、嫉妬をガソリンに魔球を研磨する死神・一久。
鳳凰大附属、二年目の夏。
「名前負け」を「神話」へと書き換える、前代未聞の快進撃が、今、黒土を蹴って始まった。




