09 ミッキーと庭
リビングの隅、犬の寝床の横に腰を下ろす。
「覚えてるか?」
犬は目を閉じたまま、微かに耳を動かした。
「公園で遊んだこと。お前、子どもみたいに駆け回ってたよな」
春先の公園。桜の花びらが舞う中、犬は夢中になって走り回っていた。
俺がボールを投げると、勢いよく追いかけ、誇らしげに持って帰ってきた。
あの時の尻尾の振り方は、今でもよく覚えている。
「それから、犬の温泉。何度も行ったな。覚えてるか?」
透は少しだけ笑う。
温泉の湯に浸かる犬は、最初は戸惑っていた。でも、しばらくすると気持ちよさそうに目を細め、湯の中でゆっくりと落ち着いていった。
タオルで拭いたとき、ふわふわになった毛。香る湯の匂い。
犬は、庭を見ている。あそこに行きたいのか?
庭の桜の木の下、ミッキーは静かに横たわっている。
俺を見上げる目が優しい。
風が吹くたび、ひらひらと舞い落ちる花びらが、やわらかく地面を彩っていく。
犬はそれをじっと見つめていた。
かつて、この場所で跳ね回っていた。
花びらを追いかけて、夢中で飛び跳ねた。
口に加えて、得意げに俺の方へ駆け寄って来た。
今はもう跳ねない。
ただ、目で追いながら、穏やかに尻尾を振っている。
俺はそっとそばに座り込んだ。
桜は、今年も美しく咲いている。
柏の木は、まだ枯葉がついている。命を繋ぐ木だ。
「ミッキー、今年の桜も綺麗だな」
犬は、ほんのわずか、尻尾を振る速さを強めた。
休み明けに出勤すると声をかけられた。
「三日も休むなんて珍しいですね、部長。家族旅行ですか?」
軽い調子の声だった。
俺は書類を整理しながら、ほんの少しだけ手を止める。
「まあ、そんなところだな」
社員は笑ってうなずき、席へ戻っていく。
家族旅行。そう言われて、思い浮かぶのは、庭の隅で静かに横たわっていた犬の姿だった。
三日間、有給を使って、ただそばにいた。話をして、背を撫でて、静かに時間を過ごした。
社員が言う「家族旅行」とは違うかもしれない。
でも、俺にとって、あれが最後の家族旅行だった。
俺は、静かに骨壺を仏壇に置いた。
手の平に収まる小さな壺。
中には、ミッキーの骨が収められている。
三日間、ずっとそばにいた。
背を撫でながら、思い出話をした。始めて会った日。公園で遊んだこと。温泉に行ったこと。
犬は目を閉じて、ただ聞いていた。
そして、最後の瞬間。
桜の木に風が吹いた。ひらりと舞う花びらを、犬は静かに目で追っていた。
それが、跳ねることは出来ない。だが目も輝きはあの時のままだった。
俺は、深く息を吐く。
仏壇には、家族の写真。そしてミッキーの骨壺。
俺はそっと手を合わせた。
「ありがとうな」
風が、微かに頬を撫でた。妻の手のようだった。
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