第10章 第6話 悠久の時の中へ
「――ジーク、崩れるぞ!早く、ここから出ないと!」
城が――いや、城だけではない。
世界の崩壊が、地鳴りのように轟き渡る。
だが腕を引くアーサーに、ジークは木の根を見上げ、動こうとはしない。
「――ジーク?」
「俺は、一緒に行くことはできない」
「なに言ってる!」
ジークは振り返り、アーサーを見る。
「お前も知っているだろう。俺の本来の体は、千年も前に滅んでいる。今の俺は、世界樹が作り出した、仮初の器に過ぎないんだ」
「――!」
「世界樹が生を失う今、この体もまた、この姿を維持し続けることはできなくなる」
吐き出された声は重く、彼は両目を固く閉じる。
「俺は、自分が無様に砕けるさまを、アーサー、お前だけには見てほしくない」
アーサーは下を向き、奥歯を噛む。
しかし一瞬おいて彼は、ジークの片手を強く引いた。
「構うか、来い!」
先程よりも強い力に、ジークの足はアーサーと共に駆け出し始める。
背後を振り返り見た先で、シアルヴィはロシェと肩を寄せ合い、そしてしっかりと頷いてみせる
――俺には――、まだ――
ジークは正面に視線を戻す。
もう引かれて走るのではない。
彼はアーサーと歩調を合わせ、自らの意思で駆け出していた。
周囲に広がる灰色の空。
自分たちの出てきた場所へ、あの世界樹の根のある場所へ。
固く口を結んだまま、アーサーはジークを引いたまま、灰色の積もる大地を駆ける。
――転移魔法は使えない。
戦いの中で使いすぎた魔法力では、転移魔法を唱える力は残っていない。
——間に合ったか――
視界にそびえる古い木の根。
しかし瞬間、足元の大地は音を立てて崩れ落ちた。
「——しまッ——!」
アーサーの足が、虚空を掴む。
足元に開く漆黒の闇。
塗りつぶされる落下の予兆。
しかし直後、彼の体は重力に逆らうように、風を伴い宙へと浮いた。
「ジーク!」
白い翼の先からは、羽根が散るように光がこぼれ、それでもジークは正面を見据え、その背の翼をはためかせる。
「今度は離さない、絶対にだ!
必ずお前を、あるべき場所へと送り届ける!」
アーサーは黙って下を向いた。
あふれる涙を、彼にだけはみせたくなかった。
果てしない闇の中を高く、高く。
白く尾を引く彗星のように、一つの影が上り続けた。
「――世界樹が!」
人間界で待つ、神官の少女が声を上げる。
枝を落とし、葉は枯れ果て、死を待つだけに思えた世界樹が、まばゆい光を放っている。
「ジークさん、アーサーさん!」
叫ぶフィアナの目の前で、巨樹はひときわ強く輝く。
眩さに目を庇う彼女が、再びその目を開いたとき、そこには見慣れた二人がいた。
「あ……」
漏れるような安堵の声。
「え、えっと――」
頬の赤さを誤魔化すように、アーサーが人差し指で頬を軽くかき、フィアナの両目に涙が溜まる。
――行けよ
ジークが友の背中をつき、よろめくアーサーと、フィアナの距離が短くなる。
「――えっと、――ただいま」
フィアナの体がわずかに震え、涙を湛えて天を仰ぎ、そして彼女は体重の全てでアーサーの、胸の中へと飛び込んでいた。
「遅くなって、すまない」
彼女の背中をアーサーは抱き、フィアナは顔を彼の胸へとこすりつける。
そんな彼らへと微笑みかけ、眉を下げると、ジークは数歩、後ずさった。
後ろに立つフォルセティと視線を合わせ、そして、静かに世界樹へと向かう。
その背に、もはや翼はない。
手の先も、足の先も、既に全ての感覚は閉ざされていた。
「――ジーク?」
気づいたようにアーサーが、顔を上げると後ろを見る。
すでにジークの姿はない。
「――ジーク! おい!」
呼びかけようとも返事すらなく、枯葉を揺らす音だけが響く。
「ジーク、お前――」
「アーサーさん、あそこ!」
そのときフィアナが、古い世界樹を指で指した。
「見てください、世界樹が――」
少女の指の示す先には、完全に枯れた巨樹の株から、新しい若芽が覗いている。
「ジーク――、お前なのか?」
返事はない。
だが巡る風に揺れる若芽は、静かに答えているようだった。
「わかったよ、ジーク――」
アーサーは、報告するように語りはじめる。
「俺は、俺にできることを、これからも探し成し遂げていく。
大丈夫だ。お前が命をかけた世界は、俺が、俺達が守っていく。
だから――安心して、お前はそこで見ていてくれ」
歩み寄った少女が脇に寄り添い、アーサーが優しくその肩を抱く。
風の音はいつまでも、彼らの周りで歌い続けた。




