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織田信長、令和の日本で天下統一~47都道府県が戦国時代に!?天下を獲る~  作者: 月神世一


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EP 7

 世界最大級の工業地帯が止まる日

 夜明けの光が、濃尾平野の地平線を白々と染め抜いていく。

 愛知県豊田市。見渡す限り広がる敷地に築かれた、世界屈指の自動車製造工場。平時であれば、無数の大型トレーラーが列を成して部品を運び込み、幾千もの溶接火花が散り、規則正しい打撃音と機械油の熱気が夜を徹して渦巻いているはずの場所だった。

 だが、今そこを支配していたのは、耳を塞ぎたくなるような完全な「静寂」だった。

 重い鉄の扉を押し開け、信長は巨大な建屋の中へと大股で踏み込んだ。

 後ろには、防弾仕様の公用車を走らせて随行してきた藤堂直人、水野志保、そしてタブレットを抱えた井川澪が続く。

「……止まっておるな」

 信長の低く響く声が、高大な天井に跳ね返って空しく木霊した。

 どこまでも続く組み立てライン。頭上を走る黄色いクレーンレールも、整然と並んだ無人の黄色い産業用ロボットアームたちも、まるで時を止められた巨大な鋼鉄の怪獣のように首を垂れて沈黙していた。

 ベルトコンベアの上には、塗装を終えたばかりの白い車体が、前後の工程から切り離されたままポツンと取り残されている。

 床に座り込み、油に汚れた手袋を見つめていた数人の作業服の男たちが、信長たちの足音に気づいて顔を上げた。

「あ、あなた様は……」

 白髪交じりの現場責任者――組み立てラインの工長が、力なく立ち上がった。その目は赤く充血し、幾日も眠れぬ夜を明かしたような極度の疲労と絶望の色が濃く刻まれていた。

「……信長公、でいらっしゃいますか」

「うむ。織田信長である。……ここは、日ノ本一の輿を造り出す工房と聞いたが、なぜ動いておらぬのだ」

 信長が問いかけると、工長は胸を詰まらせ、絞り出すような声で頭を垂れた。

「申し訳ございません、殿……! 動かしたくても、もう動かせないのです! 車体をプレスするための特殊な鋼板も、バンパーや内装を固める樹脂の粉末も、昨夜の便を最後に倉庫から一粒もなくなりました! 他県からの供給が断たれた以上、我々がいくら命を削ろうと、ここから先はネジ一本打ち込めないのです……!」

 工長の背後にいた若い技術者たちも、拳を震わせて唇を噛んでいた。

「自分たちは……車を作ることしか知らないんです。入社してからずっと、世界一安全で頑丈な車を世に送り出すことだけを叩き込まれてきました。なのに、国境が塞がれただけで、こんな……こんな巨大な工場が、ただのガラクタの置き場になってしまうなんて……」

 若者の瞳から、大粒の涙が零れ落ち、冷え切ったコンクリートの床に染みを作った。

 誰も怠けてなどいない。誰一人として手を抜いてなどいない。世界最高峰の技と情熱を誇る職人たちが、ただ「外からの素材が途絶えた」という一点のみによって、完全に手足を縛られ、途方に暮れていた。

「…………」

 信長は無言のまま、停止したラインに歩み寄った。

 中途半端に組み付けられた車のドアフレームに素手で触れる。寸分の狂いもなく磨き上げられた滑らかな鉄の肌。戦国乱世、堺や国友の腕利き鍛冶がどれほど心血を注いでも辿り着けぬであろう、神業のごとき精緻な工作精度がそこにあった。

「澪」

 信長は振り返らずに呼んだ。

「……はい」

 澪が一歩進み出る。彼女の顔にも、かつて自動車産業の現場に身を置いていた者としての痛烈な悔しさが滲んでいた。

「貴様が言っていたことの真意が、ようやく骨の髄まで分かったぞ」

 信長は車体に触れた手を下ろし、息を吐いた。

「三万点の部品。その一つが欠けても輿は動かぬと申したな。わしはどこかで、愛知の職人が力づくで鉄を叩けば、どうにでもなると思うておった。だが、そうではない。この工房は、全国津々浦々の職人たちが糸を紡ぎ合うようにして、初めて動く巨大な織機だったのだな」

「おっしゃる通りです」

 澪は静かに頷いた。

「この工場が誇る『ジャスト・イン・タイム』――必要なものを、必要な時に、必要なだけ届けるという極限の効率化は、平和で開かれた物流網があって初めて成立する奇跡のシステムでした。県境が閉ざされた瞬間、その最大の強みは、最も致命的な弱点へと反転したのです」

「ならば、どうする」

 信長は鋭い眼光を澪に向けた。

「指をくわえて、この巨大な工房が錆びついていくのを見届ける気か。わしは、己の領国が干からびるのを黙って待つような愚将ではないぞ」

「当然です。だからこそ、発想を根本から切り替えていただきます」

 澪はタブレットを操作し、画面を信長と、周囲の技術者たちに向けて掲げた。

「森脇さんたち経営陣にも、すでに緊急の申し入れを行っています。信長様、本日をもって、愛知県内の全自動車工場における『新車の量産』を完全に停止してください」

「新車を作るのをやめよ、だと?」

 信長が眉を跳ね上げた。

 周囲の技術者たちからも、ざわりと動揺が走る。

「ええ。今の在庫で無理に新車を組み立てても、ほんの数十台、数百台で部品が尽きて終わりです。そんな自己満足の生産は、貴重な資源をドブに捨てるに等しい行為です」

 澪の声は、氷のように冷徹だった。しかし、その奥底には確固たる計算と情熱が燃えていた。

「我々が今、最優先で為すべきは――『重要部品の修理・再製造(リビルト)』、そして『既存インフラ設備の延命保全』です」

「修繕……ということか」

「はい。愛知県内には、すでに何百万台もの自動車、トラック、バス、救急車が走っています。そしてそれらは毎日、どこかの部品が摩耗し、故障の危機に瀕しています。他県からの新品供給が絶たれた今、走っている車が故障したら最後、二度と直せなくなるのです」

 澪はラインの工長を真っ直ぐに見据えた。

「工長。この工場のプレス機や工作機械を使って、新品の完成車を作るのではなく、現場で最も摩耗しやすいブレーキパッドやベアリング、サスペンションの代替ブッシュ、配線ケーブルの補修部品を削り出し、再生することは可能ですか?」

 工長はハッとしたように目を見開いた。

「そ、それは……! 正規の設計図通りの素材とはいきませんが、工場内にある規格外の鉄屑やアルミの端材を再溶解して、旋盤で削り出せば……寸法の合った補修部品なら、いくらでも作れます! 俺たちを誰だと思ってるんですか、天下のトヨタの職人ですよ!」

 消えかけていた工長の瞳に、猛烈な職人魂の火が再び宿った。

「やれます! 新車のラインをばらし、部品の分解・再生・修理ラインへと治具を組み替えれば、廃車になった車から使える部品を回収して、新品同様に蘇らせる『再生工房』に生まれ変わらせることができます!」

「それです」

 澪が力強く頷いた。

「新車を誇らしげに出荷する時代は終わりました。これからは、一台のトラックを十年、二十年と走らせ続けるための『延命の技術』こそが、愛知の、そして日本の生命線になります。工場ごとの垣根を越え、官民が一体となって保有設備と在庫を融通し合う『官民合同生産調整会議』を即座に立ち上げてください」

「官民合同の……生産調整会議か」

 信長は腕を組み、顎を撫でた。

 かつて戦国乱世において、戦が長引けば、野鍛冶を集めて折れた刀を鍛え直させ、拾い集めた矢を繕わせた。派手な新調ばかりが軍備ではない。手持ちの武器を研ぎ澄まし、最後の一振りに至るまで使い潰さぬ工夫を凝らすことこそが、持久戦を制する要諦であったはずだ。

「面白い」

 信長の口元が、獰猛に吊り上がった。

「まことに面白いぞ、澪! 新車が作れぬと嘆く暇があるなら、今ある車を百倍長持ちさせる鍛冶場に変えればよいのだな!」

 信長は踵を返し、停止したラインの中央、一段高くなった作業台の上へと飛び乗った。

 黒革のマントを風もないのに翻し、工場の隅々にまで響き渡る大音声で吠えた。

「愛知の職人ども、よく聞け!」

 その圧倒的な覇気に、建屋の中にいた何十人もの技術者や作業員たちが、弾かれたように顔を揃えて信長を見上げた。

「我が尾張が誇る大工房が、油と螺子が足らぬくらいで討ち死にしてたまるか! 新車が作れぬなら、救急車の車輪を直せ! 米を運ぶ荷車の腹を繕え! 貴様らが一本の螺子を削り直すごとに、尾張の民が一人生き延びるのだ! 世界に冠たる技を持つ貴様らが、こんな冷えた鉄屑の前で腐ってどうする!」

 信長は右腕を突き上げ、工場の天井を指し示した。

「これより、この工房は日ノ本一の『蘇生工場』となる! 官民合同生産調整会議の設置を命ずる! 長を澪とし、すべての設備、すべての技を、民の足を止めぬために注ぎ込め! 死にかけた鉄の輿に、貴様らの手で再び魂を吹き込んでみせよ!」

 一瞬の静寂。

 次の瞬間、建屋を吹き飛ばさんばかりの怒号のような喚声が轟き渡った。

「おおおおおっ!」「やってやるぞ!」「旋盤工を全員呼び戻せ!」「廃車置き場からエンジンブロックを回収してこい!」

 沈み込んでいた職人たちの顔から、絶望が消え失せていた。

 与えられたのは、新車の栄光ではない。しかし、この危機の中で自分たちの手腕が七百四十万の命を支えるのだという、誇り高き新たな戦場だった。

 工長が涙を拭い、信長に向かって深々と最敬礼を捧げた。

「信長公……ありがとうございます! 愛知の現場の意地、必ずやお見せいたします!」

 停止していた工作機械の主電源が、次々と投入されていく。

 ギュオオオオン、と空気を震わせるモーターの回転音。火花が散り、鉄を削る甲高い音が、静寂に包まれていた巨大工場を再び目覚めさせていった。

「……見事なものですな、殿」

 工場の外へ出たところで、秋の朝風を受けながら藤堂直人が感服したように呟いた。

「ただ命令を下すだけでなく、現場の人間のプライドに火をつけ、新たな役割を与える。さすがは幾多の家臣団を束ねてこられた天下人であられます」

「ふん。職人というのは古今東西、腕を振るう場所と名誉さえ与えれば、寝食を忘れて働くものよ」

 信長は鼻を鳴らし、隣を歩く水野志保に視線を向けた。

「志保。病院や消防の現場はどうだ」

「はい!」

 志保は手帳を胸に抱き、晴れやかな笑顔を見せた。

「先ほどの『再生部品』の優先供給計画が伝わったことで、各自治体の交通局や救急隊から安堵の声が上がっています。壊れたら終わりという恐怖が和らいだだけでも、現場の士気は劇的に改善しました!」

「うむ。……だが、澪」

 信長は、先ほどから手元の端末を険しい表情で見つめている産業政策補佐官に声をかけた。

「貴様の顔は、少しも晴れぬようだな」

「……ええ」

 澪は立ち止まり、眼鏡のブリッジを押し上げた。

「工場の組み替えによって、一時的な延命措置は取れました。ですが信長様、これはあくまで『手持ちの資材を食いつぶす速度を遅らせた』に過ぎません。特殊な潤滑油、超精密加工に必要な希少金属(レアメタル)、そして電子制御に不可欠な半導体……これらは、愛知県内のリサイクルだけではどう足掻いても自給できないのです」

「他国から奪うか、あるいは商いで手に入れるしかない、ということだな」

「その通りです。特に、航空機や高度な精密機器を維持するための部品は、愛知の力だけでは早晩限界を迎えます。……隣国の力を、どうしても引き入れなければなりません」

 信長が頷こうとした、その時だった。

 ツツツ……と藤堂の腰の公用暗号通信機が短く振動した。

 藤堂が端末を取り出し、受信した暗号電文を一瞥した瞬間、その端正な顔立ちが驚愕に歪んだ。

「……信長公!」

「どうした、トウドウ」

「岐阜県境の一宮・笠松検問所より、極秘の急報が入りました!」

 藤堂は周囲を警戒するように声を潜め、信長の耳元へ身を寄せた。

「岐阜県知事・斎藤道三公より――愛知の主君・織田信長公に宛てて、公式の外交使節とは異なる『密使』が、たった今、県境のバリケードを越えて名古屋へ向かったとのことです!」

「何だと……?」

 信長は目を細めた。

「公式の返書ではなく、密使だと?」

「はい。愛知県が打ち出した『緊急医療レーンの確保』、および先ほど決定された『部品の再生・物流統制政策』の全貌を知った道三公が、強い関心を示された模様です。使者は『我が主・道三より、信長殿の真意を直に確かめよとの密命を帯びて参った』と名乗っております」

 藤堂の報告を聞いた澪と志保が、息を呑んで顔を見合わせた。

 信長はしばし空を仰ぎ、やがて喉の奥からクツクツと低く、獰猛な笑いを漏らした。

「……くく、あはははは!」

 秋の冷気を震わせる、痛快極まりない哄笑。

「食いついてきおったか、あの老いぼれマムシめ! 大見得を切って関所を閉ざしながら、こちらの兵糧差配の鮮やかさに耐えかねて、たまらず間者を差し向けてきたというわけだ!」

 信長はくるりと身を翻し、公用車へと向かって大股で歩き出した。

「名古屋城へ戻るぞ! マムシの密使とやらが、どのような面下げて尾張の土を踏むか、直々に拝んでやろうではないか!」

読んでいただきありがとうございます。

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