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織田信長、令和の日本で天下統一~47都道府県が戦国時代に!?天下を獲る~  作者: 月神世一


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EP 6

信長、現代の兵糧奉行を任命する

 一宮の病院から名古屋の愛知県庁へと戻る公用車の中で、信長は上機嫌だった。

 助手席には藤堂直人、隣には水野志保が座り、タブレットを操作する井川澪は後続の車両で随伴している。

「ふふ、見たかトウドウ。あの民どもの安堵した顔を」

 信長は肘掛けに腕を置き、車窓を流れる街の灯りを眺めながら口元を綻ばせた。

「敵を斬り伏せることだけが武士の誉れではない。民を生かしてこその国主よ。……それにしても痛快だったな。大見得を切って関所を閉じたマムシめが、舌の根も乾かぬうちに『油をくれ、薬をくれ』と泣きついてくるとはな」

 藤堂がバックミラー越しに苦笑いを浮かべた。

「確かに、斎藤道三公からの非公式要請は、外交上の大きなカードになり得ます。しかし信長公、手放しで喜べる状況では決してありません」

「何がだ。向こうから頭を下げてきたのだぞ。少し薬を恵んでやり、代わりに岐阜の航空機工場を丸ごと愛知に従わせればよいではないか」

 信長が豪快に言い放った瞬間、県庁に到着した車から降りるなり、後ろから歩み寄ってきた井川澪が冷水を浴びせかけた。

「そんな甘い取引が通用するはずありません、信長様」

 澪は薄い眼鏡の位置を直しながら、冷徹な声で言い放った。

「岐阜に恩を売る前に、まず足元をご覧ください。一宮の病院を救えたのは、藤堂さんの部隊が無理をして予備の燃料を回し、既存の在庫を緊急融通したからに過ぎません。……つまり、ただの一時しのぎ(パッチ当て)です」

「……何だと?」

 信長は眉をひそめた。

「県庁の講堂へお戻りください。現実をお見せします」

 正庁講堂の大スクリーンには、信長が目にしたこともない巨大な表が映し出されていた。

 縦軸には食料、軽油、ガソリン、重油、抗生物質、人工透析液、そして自動車や発電機の保守部品などの品目が並び、横軸には愛知県内五十四の市町村名が細かく割り振られている。

 そしてその盤面の大半が、警告を示す「黄色」と、すでに危険水域に突入したことを示す「赤色」で埋め尽くされていた。

「これは……何だ。碁盤の目のようだが」

「愛知県全域における『重要物資需給バランスシート』です」

 澪が手元のタッチペンで画面を叩いた。

「戦国再臨からわずか一日。県民のパニックによる買い占めと物流の混乱により、名古屋市をはじめとする都市部のスーパーから米やパン、カップ麺が消えかけています。さらに、県境が閉ざされたことで、隣接県からの物資流入はゼロになりました」

 澪の切れ長の目が、信長を射抜くように捉えた。

「ガソリンスタンドには給油を求める車の長蛇の列ができ、一部では燃料を巡る小競り合いが始まっています。警察や自衛隊を配備して治安を維持しようにも、パトカーを走らせる燃料すら有限です。このまま各市町村や民間企業が勝手に物資を囲い込み、奪い合いを続ければ――道三と交渉する前に、愛知は自壊します」

「自壊だと……!?」

 信長は思わず玉座から身を乗り出した。

「七百四十万の民がおるのだぞ! 倉庫に米も油も唸るほどあるはずではないか!」

「物資はあっても、それを『誰が、どこへ、どれだけ配るか』を決める統制機能が完全に吹き飛んでいるのです」

 今度は内政担当の水野志保が進み出て、悲痛な声を上げた。

「国が消滅したせいで、法律に基づく物資の強制収用も、配給の手続きも根拠を失いました。今、県庁には各自治体の市長や病院長、運送会社の社長たちから、『うちを最優先にしろ』『燃料を寄こさなければ明日からゴミ収集を止める』『食料を回さなければ暴動が起きる』という悲鳴のような要請が、一秒間に何十件も殺到しています!」

 志保が抱えていた書類の束を机に叩きつける。その厚さは信長の腰の高さほどもあった。

「これ全部、今日中に決裁を求められている陳情書です! どれか一つを優先すれば、別の誰かが飢え、別の誰かが死ぬ……! 今の愛知県は、舵取りを失った巨大な泥舟なんです!」

 講堂を重苦しい沈黙が支配した。

 外見は近代的な高層ビルが立ち並び、空飛ぶ鉄の鳥が舞う超文明国家。だがその中身は、中央の統制を失った瞬間、飢餓と疑心暗鬼に怯える巨大な群衆に過ぎなかった。

 信長は腕を組み、顎を引いてじっと考え込んだ。

 鋭い眼光が、スクリーンに広がる膨大な数字の羅列を睨みつける。

「……なるほどな」

 不意に、信長の口から低く乾いた笑いが漏れた。

「ふ……ふふ。トウドウ、澪、志保。貴様らは難しく騒ぎ立てておるが、要するにこれは――あれではないか」

 信長は立ち上がり、黒革のマントを翻して三人を指差した。

「『兵糧の差配』であろう」

「へ……兵糧、ですか?」

 志保が目を丸くした。

「そうだ。合戦の勝敗を決めるのは、前線の槍働きだけではない。城にどれだけの米と塩を運び込み、一日に何合の握り飯を兵に配り、馬の秣(まぐさ)をどう工面するか。後方の兵糧奉行が算盤を弾き違えれば、十万の大軍とて三日で総崩れになる。……昔も今も、人の営みの根底にあるものは何一つ変わっておらぬではないか」

 信長の言葉に、澪がわずかに息を呑んだ。

「おっしゃる通りです。現代社会はあまりに高度化し、分業が進んだせいで見えにくくなっていますが、やっていることの本質は極限状態における『兵糧管理』そのものです」

「ならば話は早い」

 信長は迷うことなく、澪の前に大股で歩み寄った。

「澪。貴様を、我が織田家の『兵糧奉行』――いや、現代風に言えば何だ、産業政策の総責任者に任ずる」

「……え?」

 常に冷静沈着な澪が、珍しく虚を突かれたように目を瞬かせた。

「私を……ですか?」

「そうだ。貴様が言ったのだろう、工場の生産能力と実際に作れる数は別だと。数字の嘘を見抜き、無駄を削ぎ落とし、全体を冷徹に見渡せるのは貴様しかおらん。県内にある米、油、薬、そして車の螺子一本に至るまで、すべての在庫を把握し、利用の優先順位をつけよ。貴様が『出せ』と言えば出し、『止めよ』と言えば止める。愛知の物資の一元管理を、すべて貴様に一任する!」

 信長は間髪を入れず、志保と藤堂に向き直った。

「志保! 貴様は『町奉行』だ。内政補佐官として、自治体や民の不満を聞き、医療と生活の秩序を保て。澪が弾いた数字を、血の通った手配で現場の民へ届けるのは貴様の役目だ!」

「は、はいっ! 承知いたしました!」

「トウドウ! 貴様は『軍事奉行』だ。軍事補佐官として、自衛隊と警察の指揮を執れ。澪と志保の命に従って物資を確実に運び、万が一、買い占めや暴動を企む不届き者が現れたら、信長の名において容赦なく叩き潰せ!」

「はっ! 防衛と治安維持、この藤堂が命に代えて遂行いたします!」

 三人が直立し、力強く頭を垂れた。

 役割分担の明確化。信長が戦国乱世で幾多の有能な家臣を適材適所に配し、織田軍団を築き上げた天賦の統率力が、令和の愛知県庁で遺憾なく発揮された瞬間だった。

「よし!」

 信長は満足そうに顎をしゃくった。

「これで盤面は整った。澪、直ちに優先順位の帳簿をまとめ、各所へ号令を飛ばせ!」

 ――しかし。

 信長の思惑通りに事が運んだのは、そこまでだった。

「……ええい! 何なのだ、この紙の山は!?」

 執務室に移動して数時間後。

 信長は、机の上に積み上げられた書類の塔を前に、頭を抱えて唸り声を上げていた。

「命令一つで物資が動くのではないのか! なぜ、この『申請書』とやらに一々判子を押さねばならんのだ!」

 信長の手元には、自治体からの緊急支援要請、民間倉庫からの物資供出承諾書、自衛隊の燃料移動届出書など、膨大な公文書が山を成していた。

 隣で端末を猛烈な速度で叩いていた澪が、顔も上げずに淡々と告げる。

「独裁者が口頭で『出せ』と叫んだところで、現場のトラック運転手も倉庫の管理者も動きません。誰の責任で、どの法律の特例措置として、後でどのように対価が補償されるのか――書面と電子署名による手続きがなければ、現代の組織は一歩も動かないのです」

「補償だと? 天下の主たるわしが命じておるのだぞ!」

「信長様のお名前だけで安心してお米を差し出すほど、現代の民間業者は盲目ではありません。彼らにも養うべき社員と家族がいるのです。それに、この『優先順位』の決定をご覧ください」

 澪が差し出したタブレットには、さらに信長を悩ませる選択肢が並んでいた。

「豊田市の自動車部品工場へ送る電力用重油と、春日井市の透析専門病院へ送る自家発電用重油。残存するタンクローリーはあと一台しかありません。どちらへ回しますか?」

「な……」

「工場へ回さなければ、来週以降の修理部品が作れなくなります。病院へ回さなければ、明日の朝までに患者が死にます。さあ、信長様。どちらを切り捨てますか?」

「…………っ!」

 信長は言葉に詰まり、額に冷汗を滲ませた。

 どちらも切り捨てたくない。だが、資源は有限なのだ。

 戦国時代であれば、「城兵を救うために外の村を焼き払え」と非情に割り切ることもできた。だが、この令和の世において、そのどちらもが己が守るべき愛知の民であり、国家を支える重要な歯車なのだ。

「志保! 貴様はどう思う!」

 助けを求めるように内政補佐官を見やると、志保は志保で、ひっきりなしに鳴り響く電話機を耳に挟みながら、半泣きで叫んでいた。

「無理です殿! 名古屋市長からは『これ以上市民のガソリンを制限したら暴動が起きる』と怒鳴られ、農協からは『トラクターの軽油がなければ来期の収穫が全滅する』と詰め寄られています! どの現場も生きるか死ぬかなんです! 誰か一人を贔屓することなんてできません!」

 さらに藤堂が、沈痛な面持ちで報告書を差し出してくる。

「殿。県警察および自衛隊警備部隊より報告です。幹線道路の物資輸送トラックに対し、一部の困窮した市民による略奪未遂事件が発生いたしました。威嚇射撃による排除の許可を求められております」

「撃ってはならん!」

 信長は即座に怒鳴りつけた。

「飢えた民を撃ってどうする! 武士の恥晒しめが!」

「ですが、輸送を止めれば病院が全滅します!」

「ああもう……! ええい、鬱陶しいわ!」

 信長は両手で自らの髷を乱暴に掻きむしり、執務机に突っ伏した。

「敵の軍勢十万に囲まれた方が、よほど清々しいわ! 天下を獲るよりも、この帳簿の束を捌く方が遥かに手強いではないか……!」

 覇王が、生まれて初めて現代の「官僚機構と物資配分」という見えざる敵の前に、心底からの悲鳴を上げた瞬間だった。

 その信長の姿を見て、澪の口元がわずかに、本当にわずかに綻んだ。

「……安心してください、信長様。そのための私です」

「ん……?」

 信長が顔を上げると、澪は眼鏡の奥の瞳を冴え冴えと光らせ、手元の端末を一画面に固定して見せた。

「行政の煩雑さに絶望する必要はありません。要は、すべての要求に満額回答を出そうとするから破綻するのです。基準を三つに絞りましょう」

 澪は淀みなく指を立てた。

「一、生命維持に直結する医療・飲料水・最低限の食料。

 二、物流と治安を維持するための緊急車両用燃料。

 三、社会機能を延命させるための保守・修理部品の生産拠点。

 これ以外の要求――遊興施設、一般市民の自家用車、新車の製造ラインへの資材供給は、本日をもって『一切合切、例外なく完全凍結』します。文句を言う市長や社長には、信長公の署名入りの『非常事態統制令』を突きつけて私がすべて追い返します」

 信長は目を見張った。

 冷徹無比。だが、これ以上ないほどに合理的で、迷いのない切り捨てと選択。

「……ふ。言うではないか、我が兵糧奉行」

 信長は口元に獰猛な笑みを取り戻した。

「よい! その三箇条で行け! 反発する者がおれば、この信長が直々に一喝してやるわ!」

 澪の冷徹な統制令と、志保の粘り強い現場調整、そして藤堂の迅速な輸送部隊の運用により、愛知県内の大混乱は、奇跡的に最悪の暴動や医療崩壊を免れ、薄氷の上の安定へと向かい始めた。

 時刻は深夜二時を回っていた。

 講堂の窓の外には、街灯を間引かれ、静まり返った名古屋の夜景が広がっている。

「ふう……」

 冷めた茶をすすりながら、信長は息を吐いた。

「なんとか、一日は生き延びたな。……だが澪、これで美濃の道三に物資を恵んでやる余裕など、我が国には微塵もないことがよく分かったぞ」

「ええ。美濃どころか、愛知単独でもあと何日持つか――」

 澪が答えた、その時だった。

 ピピピピピピ――!

 県庁の産業部直通の赤電話が、けたたましい電子音を鳴らして講堂の静寂を切り裂いた。

 通信兵が受話器を取り、数秒後、顔面を蒼白にして振り返った。

「ほ、報告! 西三河のトヨタ系主要部品加工工場、および素材製造コンビナートより緊急入電です!」

 澪が即座に立ち上がった。

「何があったの!?」

「県外からの原材料供給が停止した影響により、高張力鋼板および特殊樹脂ペレットの民間備蓄が、今夜未明をもって完全に枯渇いたしました!」

 通信兵の悲痛な叫びが、広い講堂に木霊した。

「代替素材の調達目処も立ちません! これにより、明日朝一番をもって――愛知県内にある主要三工場の生産ラインが、完全に停止いたします!」

「なっ……!?」

 志保が息を呑み、澪の手からタッチペンが滑り落ちた。

 信長は立ち上がった。

 世界に誇る日本の心臓部、巨大工業地帯・愛知の息の根が――ついに、止まりかけていた。

読んでいただきありがとうございます。

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