EP 6
戦わずして援軍を送れ
「東名も新東名も、国道一号も全滅だと……!?」
愛知県庁正庁講堂に、信長の唸り声が重く響いた。
大型スピーカーの向こうから漏れ聞こえるのは、静岡県警の無線司令室の悲痛な絶叫と、断続的に鳴り響くサイレンの轟音だった。
『――下り線、日本坂トンネルの手前で大規模な斜面崩落! 数万立米の土砂が道路を完全に呑み込みました!』
『新東名の富士川橋梁手前でも地滑りが発生! 高架橋のアプローチ部分が二十メートルにわたり崩落、路面が宙に浮いています!』
『東京方面から名古屋へ向かっていた長距離輸送トラック群が寸断区間に閉じ込められました! 積載物は透析液の原料、電子基板用薬品、そして関東の精密機器部品! ドライバー数十名が車内に孤立、落石の危険により救出も難航しております!』
ザザ……と激しいホワイトノイズが走り、徳川家康の押し殺したような苦渋の声が割り込んできた。
『……信長公、聞こえますかな』
「竹千代、被害はどれほどだ」
『最悪です。前日の大雨で地盤が限界に達していたところへ、高速道路の老朽化が重なりました。……我が静岡県の自衛隊施設科や警察、民間の建設会社を総動員しておりますが、土砂の量が桁違いです。大型の重機も、トンネル坑口を塞ぐ巨岩を破砕する特殊機材も足りませぬ。このままでは……瓦礫の撤去だけで数週間、路面の復旧には数ヶ月を要します』
家康の声には、隠しようのない焦燥が滲んでいた。
『寸断区間に閉じ込められた運転手たちの食料や燃料も、あと一両日で底をつきます。何より、東京と中西部を結ぶ血流が数ヶ月も止まれば――静岡も、愛知も、東国の諸県も、すべて干上がってしまいますぞ』
プツリ、と通信が途絶した。
講堂内が水を打ったような静寂に包まれる。
先ほどまで「月間四千キロリットルの燃料割当」や「等価交換の相互保守」を巡って侃々諤々の議論を交わしていた愛知の産業界幹部たちも、血の気を引かせて立ち尽くしていた。
東海道が死んだのだ。
いくら協定を結ぼうと、道路が物理的に埋没してしまえば、一本のネジ、一滴の油すら運ぶことはできない。
「……トウドウ」
信長が低く呼んだ。
「はっ」
「我が尾張の兵を出すか。装甲車を連ね、工兵を率いて静岡へ突っ込ませれば、土砂を吹き飛ばすくらいはできまいか」
信長の問いに、軍事補佐官の藤堂直人は即座に首を横に振った。
「なりません、信長公。武装した自衛隊部隊が装甲車両で他県へ越境すれば、静岡県民に【侵略】と受け止められ、猛烈なパニックと警戒を呼び起こします。現場の警察官や自衛官が不測の衝突を起こせば、災害復旧どころではなくなります」
「ならば指をくわえて見ていろというのか! あの寸断された道には、我が国へ届くはずの貴重な部品と薬が眠っておるのだぞ!」
信長が机を拳で叩いた。
その時、産業政策補佐官の井川澪が、眼鏡の奥の切れ長の瞳を冴え冴えと光らせて前に進み出た。
「藤堂さんの言う通り、戦うための軍隊を送ってはなりません。……ですが、【直すための部隊】なら話は別です」
「直すための部隊……?」
「ええ」
澪はタブレットを操作し、愛知県内の企業・インフラ資源マップを展開した。
「豊田市、刈谷市、大府市――愛知県内には、自動車だけでなく、世界屈指の油圧ショベルやブルドーザー、トンネル掘削機の特殊アタッチメントを製造・整備できる重機メーカーやディーラーの拠点が集結しています。さらに、豊田の再生工場には、過酷な現場で壊れた建設機械をその場で修繕できる移動式工作車と、超一流のメカニックたちが揃っています」
「土木の職人どもか!」
「それだけではありません」
今度は内政補佐官の水野志保が進み出た。
「信長公、岐阜の斎藤道三公に直ちに応援を頼みましょう! 各務原の航空自衛隊や防災ヘリを使えば、寸断されたトンネルの孤立区間へ、上空から水、食料、防寒シート、緊急医薬品をピンポイントで投下・空輸できます! さらに岐阜県は山岳地帯を多く抱えているため、土砂崩れや法面崩壊の緊急復旧に関する高度なノウハウと資材を持っています!」
「……ほう!」
信長の目がカッと見開かれた。
武力ではない。
愛知の圧倒的な重機整備力と工作機械。
岐阜の空飛ぶ翼と山岳土木の知恵。
そして、自衛隊が誇る災害救助の統率力。
戦うための兵器ではなく、壊れた文明を繋ぎ止めるための「技術と物資の大軍」を編制するのだ。
「面白い……! まことに面白いぞ!」
信長は黒革のマントを翻し、講堂の全員を見渡して号令を下した。
「トウドウ! 陸上自衛隊第十師団の施設大隊(工兵部隊)と後方支援連隊を直ちに招集せよ! 小銃は最小限の警備用にとどめ、大型ショベル、ドーザー、架橋戦車、重レッカ車をありったけ掻き集めろ!」
「はっ! 施設科および需品科、直ちに災害派遣準備に入ります!」
「澪! 豊田の再生工場から腕利きの修理工を百人募れ! 移動工作車に特殊鋼と油圧ホースを満載し、自衛隊の車列に組み込め!」
「了解いたしました! 民間重機ディーラーからも大型重機トレーラーを十台徴用します!」
「志保! 美濃のマムシへ電文を打て! 『各務原のヘリをすべて飛ばせ、食料を積んで静岡の空へ向かえ』とな! 恩を売る絶好の機会だと言えば、あの老いぼれなら泣いて喜ぶわ!」
「はいっ! 直ちに岐阜県知事官房へ繋ぎます!」
信長は腰の太刀の鞘を鳴らし、堂々たる足取りで講堂の出口へと歩み出した。
「戦わずして援軍を送るぞ! 東海道の喉首を、我が尾張と美濃の手でこじ開けてみせる!」
数時間後。
愛知と静岡の県境――国道一号・潮見坂検問所。
突然、西の地平線から轟音とともに巨大なヘッドライトの光列が現れた。
静岡県警の検問隊員たちが、目を見張って息を呑む。
現れたのは、迷彩塗装の自衛隊大型トラックや重機運搬用セミトレーラー、そして「愛知県災害復旧支援隊」「豊田車両再生救援隊」と大書された黄色い民間大型特殊車両――総勢五十台を超える長大な車列であった。
車列の先頭に立つのは、九六式装輪装甲車ではなく、巨大な油圧ショベルを積んだトレーラーと、ウィンチを装備した自衛隊の重レッカ車だった。
「な、何だ、あれは……!? 愛知からの軍勢か!?」
静岡側の警察官が慌てて無線機を握りしめた瞬間、先頭の高機動車から一人の将校が飛び降りてきた。陸上自衛隊第十師団の藤堂直人一等陸佐であった。
藤堂は一切の武器を構えず、静岡県警の現場責任者に向かって直立不動の敬礼を捧げた。
「愛知県知事・織田信長公の命により参上いたしました。陸上自衛隊および愛知県災害派遣支援隊であります! 日本坂トンネルおよび富士川崩落現場の瓦礫撤去、ならびに孤立車両の救出支援にまいりました! 通行の許可を願いたい!」
警察官が息を呑み、手元の無線機から静岡県庁・徳川家康の震えるような直通号令が響いた。
『……通せ! 全ゲートを開放せよ! 尾張からの救援隊を、最優先で現場へ先導せよ!』
バリケードが一気に押し開けられた。
愛知の重機部隊が、けたたましいディーゼルエンジンの唸りを上げて静岡の地へと雪崩れ込んでいった。
東名高速道路・日本坂トンネル下り線坑口。
そこは、まさに地獄絵図の様相を呈していた。
山の斜面が巨大な爪で引き裂かれたように崩落し、赤土と巨岩、薙ぎ倒された大木が、トンネルの入口を完全に埋め尽くしていた。冷たい雨が降りしきる中、静岡県の建設作業員や自衛官たちがスコップや小型重機で土砂を掻き出そうとしていたが、落ちてきた巨岩の前に歯が立たず、途方に暮れていた。
「駄目だ! 岩が硬すぎてブレーカーの刃が立たない!」「トンネル内に取り残されたトラックの連中、寒さで凍えてるぞ! 早く開けないと死んじまう!」
絶望的な叫びが飛び交う現場へ、突如として地鳴りのような重低音が響き渡った。
「退いてください! 愛知支援隊、入ります!」
怒号とともに、愛知から到着した自衛隊の施設科ショベルと、豊田の重機部隊が泥煙を上げて突入してきた。
「な、何だあいつらは……!?」
静岡の作業員たちが呆気にとられる中、愛知の移動工作車から油まみれの作業着を着たベテラン整備士たちが次々と飛び降りてきた。
「おい、あそこの重機、油圧ホースが裂けて油が噴いてるぞ! 五分で繋ぎ直す、工具回せ!」「岩を割るダイヤモンドカッターのアタッチメントを持ってきた! クレーンで吊り上げろ!」「岐阜から届いた超硬チップの削岩ドリルをセットしろ!」
凄まじい手際だった。
新車の量産を止め、数万点の部品の修繕と再生で極限まで鍛え上げられてきた愛知の職人たちである。故障した静岡の重機をその場で即座に修理し、息を吹き返させると、自衛隊の超大型油圧ショベルが唸りを上げて巨岩を掴み、粉砕していった。
さらに頭上から、バタバタバタッ! と激しいローター音が轟いた。
見上げれば、岐阜県各務原市から飛来した航空自衛隊の大型輸送ヘリCH-47チヌークと、防災ヘリが二機、荒れ狂う雨雲を切り裂いてホバリングしていた。
「岐阜のヘリだ!」「上空から物資を投下するぞ!」
ヘリからワイヤーで吊り降ろされたのは、美濃の新米で握られた温かいおにぎりと、ポリタンクに入った飲料水、毛布、そして携帯用酸素ボンベの山だった。
トンネルの反対側、寸断区間に閉じ込められていたトラックの運転手たちが、涙を流しながら物資を受け取った。
「助かった……! 愛知と岐阜の連中が来てくれたぞ!」「道が開くぞ!」
歓声が雨の山谷に木霊した。
愛知の重機が泥を掻き分け、岐阜の翼が命を繋ぎ、静岡の作業員たちが一体となって汗を流す。
県境を越えた、空前絶後の合同救出作戦。
作業開始からわずか十四時間後――。
ズゴゴゴゴッ、という地響きとともにトンネル坑口を塞いでいた最後の巨岩が排除され、暗闇のトンネルの向こうから、一筋のヘッドライトの光が貫通した。
「開いたーーっ!!」
泥まみれになった愛知、岐阜、静岡の男たちが、ヘルメットを投げ捨てて抱き合い、歓声を爆発させた。
立ち往生していた数十台の大型トラックが、ゆっくりとエンジンを始動させ、トンネルを抜けて前進を始めた。積まれていた貴重な医療物資と電子基板は、一つとして失われることなく、無事に救出されたのだ。
富士川の橋梁区間でも、自衛隊施設科が持ち込んだ組み立て式の仮設橋(パネル橋)が迅速に架橋され、片側交互通行ながらも、東海道の動脈は奇跡的な速度で息を吹き返した。
その日の夕刻。
静岡県庁の知事執務室。
徳川家康は、泥まみれの作業着を着たまま、窓の外の駿府の街を静かに見下ろしていた。
机の上には、日本坂トンネルと富士川の応急復旧完了を告げる報告書が置かれている。そこには、愛知県の重機部隊と岐阜県のヘリ部隊がいかに迅速に、そしていかに献身的に静岡の民と道路を救ったかが、克明に記されていた。
「……信長公」
家康の口から、低く掠れた呟きが漏れた。
傍らに控える特使の本多が、恐る恐る口を開く。
「家康公……信長公の送り込んできた部隊、武器を一発も撃たず、略奪も一切行わず、ただ瓦礫を撤去し、トラックを修理しただけで、すでに帰途に就き始めております」
「……分かっておる」
家康は目を閉じ、深く息を吐き出した。
かつて戦国乱世において、織田信長という男は、常に圧倒的な軍事力で他者をねじ伏せ、恐怖で従わせる覇王であった。家康自身、その苛烈さに怯え、幾度となく理不尽な要求に耐え忍んできた記憶がある。
だからこそ、令和の世に蘇った今、家康は信長に二度と従属すまいと心に決め、冷徹な「制度」と「法外な通行税」を盾にして壁を築いたのだ。
だが――信長が今回見せたものは何だったのか。
軍事的な威嚇でも、政治的な駆け引きでもない。
困窮する隣国に対し、自国の最も貴重な技術と職人を無償で注ぎ込み、汗を流して民の命と道を救ってみせたのだ。
「……負けたな」
家康はぽつりと呟いた。
「へ……? 家康公?」
本多が目を丸くする。
家康は振り返り、自嘲気味に口元を綻ばせた。
「戦わずして、完膚なきまでに負けたわ。……信長公は、わしが突きつけた狭量な損得勘定など、遥かに超えた高みに立っておられた。力でねじ伏せられるより、こうして無私無欲の誠意で助けられる方が……遥かに重い【借り】になるわい」
家康は着物の襟を正し、力強い眼差しで本多を見据えた。
「本多。車の支度をせよ」
「車、と申しますと……どちらへ?」
「決まっておろうが」
家康は破顔し、迷いのない声で言い放った。
「これほどの恩を受け、電文一本で済ませられるか。……わしが自ら、名古屋へ行く。織田信長公に、直々にお目通りを願うのだ」
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




