3.生産と物流-4
騒動の後、HSサウス社の会議室に呼び出されたので顔を出してみれば、そこには父やクリーヴを始めとした重役たちが一堂に会していた。
皆の顔は険しく、中には怒りを隠しきれない者もいる。
だが、私とリオが席につくなり、誰よりも先に口を開いたのはクリーヴだった。
「何を勝手なことをやっているんだ!」
クリーヴの叱責が部屋中に響き渡り、空気が震えるような感覚に襲われる。
思わず目を閉じて体をビクリと震わせるが、ここで黙っていては協力してくれた皆に申し訳が立たない。
(工場長が配送品の変更対応をしてくれたおかげで、他の納品に影響は出なかったと聞いたわ)
せめて、彼らには累が及ばないようにしないとと、必死に口を開きクリーヴに反論する。
「でも、配送員を助けるにはああするしかなかったのよ。あのまま放置してたら、配送員やトラックが危なかった。それは分かるでしょ?」
しかし、クリーヴは顔を歪め、吐き捨てるように否定した。
「それは理解している。だが、お前のやったことは、問題児にキャンディをやって言うことを聞かせるようなものだ。調子に乗った奴らは同じような問題を起こす。そのたびに甘い顔をするつもりか?ルールを守っている人間がそれを見てどう思う?」
「......」
クリーヴの正論に対し、私は何も言えなくなる。
彼が正しいのは百も承知だ。
それを分かった上で目先の問題解決を優先したのだが、彼らがここまで怒っているのは想定外だった。
「そもそも、お前は配送関係の担当者ではない。会社の承認も得ずに勝手なことをするな!お前にそんな権限は無い!」
クリーヴの言葉に合わせ、重役の数人が頷く。
会社という場で罵声を口にする礼儀知らずはいないが、それでも私を睨みつける程度のことはしている。
いや、クリーヴが率先して文句を言うことで、彼らを抑え込んでくれているのかもしれない。
(彼らは配送や管理本部の重役ね。自分の担当領域で好き勝手にやれば、いい顔をしないのも当然か...)
まだ理解しきれていないが、どうやら私はかなりの地雷を踏み抜いたらしい。
あの時、リオが必死に止めたのも、彼はこの状況になると予想していたからだろう。
(彼らと私の違いは会社に関する知識の差。彼らと同じ知識があれば、もっと良い解決策が思い浮かんだ?...いつになったら彼らに追いつけるのかしら)
大企業で働くという経験の不足が、どこまでいっても足を引っ張ってくる。
悔しさに唇を噛みしめながら黙ってクリーヴの叱責に耳を傾けていると、聞き捨てならない言葉が飛び出してきた。
「自分のしでかしたことは理解できたようだな。後ほど始末書を提出しろ。工場の従業員も連帯責任として同じ処罰を受けている。今後は注意するように」
「なんで!?彼らは私の要求に従っただけよ。処罰を受けるなら私だけでしょ!?」
私は椅子を蹴って立ち上がり、クリーヴを睨みつける。
しかし、クリーヴの目は冷たいまま、こちらをまっすぐ見返してきた。
「規則を守らない者、それを止めなかった者も同罪だ。工場長には管理責任があり、工員には上申義務がある。見て見ぬ振りを許せば、組織の規律は緩む。これは必要な処罰だ。彼らも納得し、受け入れている」
「だからって!」
私とクリーヴが睨み合う中、それまで黙っていた父が口を開いた。
「ケリー・ターナー、これは会社としての決定だ。誰であっても同じ処罰を受けるのが会社のルールだ。事情は理解しているから、彼らに悪いようにはしない。君も指示に従うように」
「......はい」
父がわざわざフルネームで呼んだ意味を悟り、私は水をかけられたように正気に戻る。
そのまま退出するように促され、私とリオは会議室から出ていく。
重役たちの厳しい視線は、最後まで私の背中に突き刺さったままだった。
**********
ケリーたちが去った後の会議室。
ハーヴィーは社長として部下を処罰する必要性と、父として娘を叱らねばならない苦悩に胸を痛めていた。
そして、疲労を顔に浮かべたまま、何も言わずに会議室を去る。
ハーヴィーがこの場を去った後でも、クリーヴたち重役は残ったまま話し合いを続けていた。
その中の1人、配送関係の重役が焦った顔で机を激しく叩く。
「不味いぞ!彼女をこれ以上自由にさせるのは不味い!」
彼の言葉を受け、その場にいた全員が沈痛な面持ちで顔を伏せた。
彼らがケリーを問題視しているのは、生意気な小娘が気に入らないという下賤な理由ではない。
むしろ彼らは彼女を評価しており、その評価こそが問題を生み出していた。
「現場からの評価が高すぎる!このままでは歯止めが効かなくなるぞ!」
彼の言葉に他の重役たちも深刻そうに頷く。
「体を張って配送員を守ろうとした。そのことも、評判を上げるのに一役買っている」
「助けられた配送員や店主からも、処罰を避けるよう嘆願が上がっている。今後の待遇次第では現場から反発が予想される」
重役たちは皆揃ってため息をついた。
ケリーが自分のためだけに動いたのなら話は単純だった。
しかし、彼女は現場の人間を救おうとしたのだ。
「会社のルールを逸脱した行為であったとしても、助けられた人間やその同僚からすれば恩義を感じるのは当然だ」
「商品開発で実績を上げているだけに、会社としても彼女の言葉を無視するわけにはいかん」
苦渋の滲んだその言葉を、誰かがため息をつきながら引き継ぐ。
「彼女がルールを無視してもきつく処罰することができない。重い処分はかえって社内の分断を招くが、困ったことに彼女にはそれを理解するだけの経験が足りていない!」
「彼女を介して要望を通そうとする者も増え始めている。彼女が良かれと思っていても、正式な申請ルートを通らないやり方を認めるわけにはいかん!」
「彼女を次期社長と呼ぶ声すら増えているんだ!この調子で派閥を形成されれば、現場は彼女の指示を優先するぞ!」
重役たちは悲鳴混じりの声で議論を始めた。
議論が紛糾する中、クリーヴは机に肘をつき、拳を顔に当てて痛々しい様相を呈していた。
(ケリーに悪意がないことは分かっている。ほとんどの従業員たちにしてもそうだ。皆が良かれと行動している。しかし......)
誰が悪いというわけではない。
だが、この道の先に待っているのは会社の分裂しかない。
(HSサウス社の強みはハーヴィー社長を筆頭にした一枚岩であること。それが今脅かされている)
ハーヴィーの地位を脅かしているのが、よりによって娘であるケリーという事実に、クリーヴの表情が歪む。
血縁と実績があるだけに、彼女を次期社長に望む声は、荒唐無稽な話と笑い飛ばすことができなかった。
(せめて、彼女がもっと早くに会社で働いていてくれれば。彼女がもっと社長から会社のことを学んでいてくれれば。彼女に社長との血縁がなければ...)
苦境を前にして、ありえなかった可能性に縋りたくなる。
だが、彼はなんとか誘惑を振り切って声を絞り出した。
「......彼女が成長するまで時間を稼げるか?」
クリーヴの弱った声に重役たちが静まり返った。
後継者レースの真っ最中に、功績者に足かせをはめるような行為が何を意味するか。
それを理解できない者はこの場には1人もいなかった。
しばらくして、誰かが口を開いた。
「彼女がこれ以上功績を上げないようにし、その間に会社のことを学んでもらう。工場の買収や販売網の対応をこちらで引き受ければ、彼女にできることも限られるだろう。部署を一通り回らせれば時間も稼げるはずだ」
その言葉に、クリーヴは「それしかないか」と頷く。
「うむ。彼女には研修という形で現場を回ってもらおう。リオにはお目付け役を兼ねてもらうが、皆にも現場の人間が勝手なことをしないように注意してもらいたい」
クリーヴの言葉に一同が頷く。
ここにいる人間はハーヴィーに恩義がある者ばかり。
彼を守るためなら何でもする覚悟があるし、事実そうしてきた過去がある。
例え、彼の娘であっても例外ではなかった。
**********
小売店での騒動から数日後、同じような問題が発生したと聞いて、ケリーは自分のデスクで椅子にもたれ掛かりながら天を仰いだ。
騒動が再び起きた理由は至極単純。
「先日の話を聞いて、騒げばミックスバーが買えると思った。それを転売して一稼ぎするつもりだった」
騒動を起こした人間は警察に取り押さえられ、店の被害はなかった。
しかし、そのあまりにも自分勝手な供述を聞いて私は胸を痛めた。
「クリーヴの言った通りね。ルールを遵守し、多少の被害を許容しないといけないこともある。......個人店とは正解の在り方が違いすぎる」
彼や重役たちが懸念していたのは、まさにこの展開だったのだろう。
最悪の形で自分の行動が誤りだったことを理解させられた。
「小銭稼ぎに好き勝手やる店主がいるなら、同じような客がいるのも当然よね。甘く見すぎたわ...」
心のどこかで、「客には一定のモラルがある」と甘く見ていた。
だが、クリーヴたちはもっと生々しい現場を見てきたのだろう。
姿勢を戻そうとするが体を支える元気がなく、今度は肩を落として顔を伏せる。
「はぁ...」
「随分と落ち込んでるね。いつもの元気はどこにいったの?」
私が机にめり込みそうになるほど項垂れていると、リオが覗き込むように話しかけてきた。
「流石に反省してるの。それと、あなたにも迷惑かけてごめんなさい」
私は席を立ってリオに向き合い、深々と頭を下げる。
そんな私の姿を見て、リオは天変地異の前触れでも見たかのように仰天した。
「君がそんなだと、こっちまで調子が狂いそうだよ。とりあえず、紅茶でも飲んで一息ついて」
そう言ってリオは手にしていたカップを私の机に置いた。
「ありがとう、頂くわ」
私は礼を言って紅茶を一口飲む。
砂糖とミルクがたっぷり入っていて、その甘さは疲れた体に染み渡り、落ち込んだ気分が少しだけ回復した気がした。
リオが隣の席から椅子を引っ張って座ったのを見て、私は再びリオに向き合って頭を下げた。
「今回の件、何が悪かったのかをもう一度教えてもらえない?クリーヴが言ったことは覚えてる。でも、あなたから見てどうだったのか、それを知りたいの」
「いいよ」
リオは私と同じように紅茶を一口啜ってから、少し真面目な顔をして口を開いた。
「会社同士の付き合いは何よりも契約が優先される。そして、会社の取引は信頼に基づく部分が大きく、例えば支払いなどは全部掛け払い。つまり、商品が先、支払いは後になる」
「街のケーキ屋や屋台なら、仕入れの時にその場で現金払いが一般的だけど。そこは明確に違うわよね」
私の言葉にリオは首肯するように頷く。
「そうだね。会社同士の取引は月末にまとめて払うのが一般的だね。でもそれは、『相手はちゃんと支払ってくれる』という信頼があってこそだ」
「信頼...」
資本主義から縁遠く感じる言葉を噛みしめるように、私は小さく呟いた。
「会社が動かすお金は巨額だ。全部現金で払えと言われれば資金繰りが厳しくなる。だから、信頼を得るために契約を遵守することが不可欠なんだ」
私が黙って頷くのを見て、リオは言葉を続ける。
「今回の話で言えば、小売店との契約も絡んでいる。僕たちは契約に準じて商品を納品する。納品する数も、納品順番も契約に従っている」
そう言って、彼はどこからともなくミックスバーを取り出し、それを魔法の杖のように軽く振ってみせた。
しかし、当然ながら彼は魔法使いではなく、ミックスバーが増えたりもしない。
「でも、現状では小売店が求める量を提供することはできない。契約通りに納品した後、『あるだけ追加を持ってこい』と言うからね」
「そういう時はどうするの?」
私の言葉にリオは肩をすくめ、「正解はないよ」と言外に主張する。
「それを判断するのが管理本部の仕事さ。贔屓の店に数を回せば、その分だけ他が割を食う。でも、過去にこちらに便宜を図ってくれた店には恩義があるから、多少の融通は利かせたい」
「信頼に恩義。大企業となれば、もっと割り切ったドライな付き合い方をしてるのかと思ったわ」
意外と人情じみた話をするものだと私が驚いてみせると、リオは「そうだよ」と言って軽く笑った。
「相手もこっちも人間だからね。邪険にされれば腹も立つし、助けてもらえばそれに報いようと頑張る。会社というのは、どこまでいっても人と人の付き合いでできているんだよ」
「人と人の付き合い...」
私は腕を組んで険しい表情をする。
(人間関係は一朝一夕じゃ作れない。それこそ時間と実績を重ねないと無理)
前途多難だな、と改めて思い知らされた。
「今後の話をするなら、契約と優先順位の問題は必ず出てくる。販売網を広げるほど、その問題は大きくなっていくからね」
「具体的には?」
「大口の店と契約すれば、多少の優遇は必要になる。でも、それでどこが割りを食う?今まで優遇されていた店は黙ってる?」
何かが増えれば天秤が傾く。
天秤が傾けば文句を言う人が出てくる。
まるでいたちごっこだ。
「不平不満は必ず出てくる。だからこそ、会社は隙を見せないように契約を遵守しなければならない。......そういうことね」
「そうだよ。それで多少の被害が出たとしてもだね」
少しだけ諦めが混じった私の言葉に、リオは真面目な顔で頷いた。
誰もが納得する正解などないし、問題を無くすことなどできない。
私たちにできるのは、天秤が偏りすぎないように注意することだけだ。
「...知らないことだらけね」
改めて自分の失敗を理解し、私は肩を落とした。
(クリーヴたちが激怒するのも当然ね。自分たちが必死に積み上げてきたものを、横から蹴り壊されたようなものよ)
落ち込む私を見て、リオは優しい目をして励ましてくれた。
「そうだね。でも、新人が失敗するなんて珍しいことじゃないし、皆似たようなことを経験して今がある。それに、足りないものを学ぶために研修があるんだ」
「研修...」
「そう、研修。君が見て回る現場の案内。それがそろそろ届くはずだよ」
リオが話しかけてきたのはその用事もあったのだと理解し、私はこの先待ち構える研修に意識を向けた。
**********
結局、工場買収の手配はクリーヴたちが対処することとなった。
小売店の不正な販売に関しても、所轄部署が契約の見直しを実施する。
そして、新商品の開発は新規にチームを立ち上げることに決定した。
(創業者ダグラスの死去後の反省から学び、個人の発想に依存せず、データとロジックに基づいて組織で対応する体制を目指す。長期的なことを考えれば、会社として当然の判断ね)
私に命じられたのは現場を見て回り、経験を積むこと。
結果的には仕事を取り上げられたことになるが、私に不満などあるはずがなかった。
それどころか、面倒事を彼らに押し付ける形になったことを申し訳なく思っている。
(今の私はただのパティシエでしかなく、企業を経営する経験と能力が足りていない)
今回のことでそれを痛感した。
(ビジネスでは常に問題が発生し続ける。それに対処し続けるのが会社を経営するということ)
失敗はしたが学んだこともある。
そして、自分の将来のためにも、父を後継者レースに勝たせるためにも、もっと学ばなければならない。
「ここからが本当のスタートよ」
私はそう呟き、覚悟と決意を固めた。




