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チョコレート帝国後継者戦争-5人の後継者候補と6番目の席-  作者: 牛熊


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10/23

3.生産と物流-5

HSサウス社の会議室。


そこでリオは1人で物憂げに腕を組んでいた。



「うーん、どうしたものかな?」


そう呟きながら椅子の背に体を預けると、体格の良さに耐えかねて悲鳴のような音を立てた。


悩みの種はケリーのことだ。


当の本人は管理本部の人間と共に、現場での研修中。


自分は他のメンバーと、今後の研修内容について打ち合わせをしていたところだ。



「化粧で誤魔化しているけど、目の下のクマは日増しに酷くなっている。やる気があるのはいいけど、不規則な生活は止めてほしいな」


どうせ会議室に残っているのは自分だけ。


おまけにここは好きに使っていいと言われているので、誰はばかることなく声に出して頭の中を整理する。


とはいえ、ケリーは大人しく言うことを聞く人間ではない。



「あの調子だと、マンションに帰ってからも休まず勉強してそう。どうしたものかな」


お目付け役とはいえ、流石に若い女性の家に乗り込むわけにもいかない。


打つ手がなかった。



「失敗から反省し、必死で努力を積む。それはいいんだけど、一朝一夕ではどうにもならないと受け入れるのも大事なんだけどね。それで体や心を壊したら意味がない」


『男女の関係』というよりは『妹の面倒を見る兄』のような感覚だが、ケリーを放っておけないという思いは、自分の中で日増しに強くなる一方だ。


だが、彼女の健康を憂う一方で、強く止めない自分もいた。



(彼女の意思を尊重したい。彼女がどこまで行けるのかを見届けたい)


例え自分の判断が正しくともケリーの邪魔はしたくない。


クリーヴからはケリーの監視を命じられているが、彼女が本気で望めば多少のことは見逃すつもりだ。



(自分がこんなことを考えるなんて驚きだ。仕事には忠実だと思っていたんだけどな)


天井を仰いで照明の眩しさに目を細めながら、かつてケリーにパティシエの道を選んだ理由を聞いたことを思い出す。


あの時、本当に知りたかったのは、彼女の強い意思がどこから来ているのか。


そして、それを持たない自分との違いを知りたかった。



(僕は大抵のことは何でもできたし、育った環境を含めて恵まれ過ぎた人生だった。既に満たされているから、何かを欲しがるような強い欲求も、何かを果たしたいという強い意思もない)


自己分析の結果、明らかになったのは、物欲も出世欲もない空虚な自分。


皮肉なことに、だからこそ誰とも隔てることなく接することができ、だからこそ誰からも愛されてきた。



(ただ必要とされ、自分も楽しいと思えるから仕事をしているだけだ。そこに僕の主体性は無い)


良くも悪くも誰かを助けることが目的となってしまう。


そんな自分とは違い、ケリーは自らの意思に従い、障害を乗り越えながら突き進もうとする。


さながら、スコップ片手に大山にトンネルを掘ろうとするようなものだが、そんな彼女だからこそ惹かれるものがあった。



「ハーヴィー社長も、ああ見えて意思が強い。周囲の意見には耳を傾けるし、柔軟に対応を変える。でも、どれだけ時間をかけても、目標を達成しようとする粘り強さがある」


彼はチョコレートが売りにくい南部を自ら担当し、冷蔵装置の開発にまで手を回しているほどの筋金入りだ。


血は争えないというやつだろうか?



「こんなに面白い劇を見逃したくない。彼女の隣を誰にも譲りたくない」


ポツリと溢れた言葉がやけに腑に落ちた。


その瞬間、会議室のドアがノックされ、思わず悲鳴を上げそうになった。



「...どうぞ」


必死に誤魔化しながらそう答えると、ドアがゆっくりと開き、ケリーの顔が目に映る。


その顔色は青ざめ、今朝会った時よりも明らかに悪くなっていた。



「......今日の分の研修は終わったわ」


覇気のない声とふらつく体。


この様子だと独り言は聞かれてなさそうだと胸を撫で下ろすが、今度は別の問題が浮上してきた。



(どう見ても限界だ。流石に今日は早く寝るように言わないと)


どう言い聞かせたものかと思案するが、良いアイデアはそう簡単に思い浮かばない。



「とりあえず座って休んで。今、コーヒーを淹れ―――」


立ち上がってそう言いかけた時、突如としてケリーの膝が折れ、体がグラリと傾いた。


「ああっ、なんてことだ!」


僕は自分の失態に顔を歪めながら慌てて駆け寄り、すんでのところで彼女を支えた。



「大丈夫かい?」


「......」


返事のできないケリーの顔を覗き込み、額に手を当てる。


伝わる体温は僅かに熱いものの、高熱でうなされてるほどではない。


呼吸は乱れているが、素人目には大ごとには見えなかった。



「たちくらみかな...。聞こえてるかい、ケリー?君を病院に連れて行く。大人しく医師の診断を受けるんだ」


そう言ってケリーを抱き上げ、会議室の外へと出ると、ようやく返事が返ってきた。



「...大丈夫よ」


「大丈夫じゃない人は皆そう言うんだ」


手近な社員に声をかけて事情を説明し、後の処理を依頼する。


そして、自分はケリーを車へと運び、病院に向けて発進させる。


ちらりと後ろを覗くと、彼女は後部座席で大人しく横になっており、僅かに寝息のようなものが聞こえてきた。



(容態が急変する様子もないし、一旦安心してよさそうかな?やれやれ、倒れるまで止まらないとか...。おちおち目を離してられないな)


反省と安堵が入り混じる中、再び思考は自分の望みに対する思索へと戻る。



(創業者ダグラスさんが抱いていた野望とは違う。どちらかと言えば彼の妻、ラモーナさんに近いのかもしれない)


自分の見初めた人がどこまで行けるのかを見てみたい。


純粋な興味と好奇心。


だが、純粋だからこそ歯止めが効かない。



(取締役たちにとってダグラスさんが王であったように、僕にとって彼女は支えるのに値する存在のように思える。うーん、古い時代の騎士みたいだね)


会社のためではなく、彼女のために行動する。


それは会社に対する裏切りでもあった。


しかし、自分がそうするのは正しい行いであるかのように感じられ、不思議と罪悪感は無かった。



(それにハーヴィー社長が後継者レースで勝つためにはケリーの力が必要だ。その点、クリーヴさんたち重役の判断は社長の意向を無視している)


彼らが彼女により多くの権限を与えようとしないのは、社長を守ることを優先した結果だと分かっている。



(ケリーの存在が会社を割ろうとしているのは事実。でも、誰かが悪いわけじゃない。誰もが会社のためを思って行動しているだけ。それが困るんだよね)


彼女だけが悪いかと言えばそんなことはない。


しかし、すれ違いが対立を生むのもまた、会社ではよくある話だった。



(このままだと不味いことになる...。かといって、上手く着地させるのも難しい)


既に社内政治の時間は始まっている。


ケリーを自由にするためには、最悪クリーヴと対立しないといけないかもしれない。


だが、後継者レースで勝つためにはクリーヴの力もまた必要だった。



「うーん、どうしたものかな?」


どうにもならない現状に頭を悩ませながら、僕は病院に向けて車を走らせ続けた。



**********



『目を覚ましたら病院のベッド』というのは些か気分が悪い。


「おはよう、ケリー。いや、夜だから『こんばんわ』かな?」


しかも、男性に寝顔を見られていたとなればなおさらだ。



「......どっちでもいいわよ」


私は恥ずかしさを誤魔化すように少しだけぶっきらぼうに返事するが、リオのいつもの笑顔を直視する勇気はなかった。


抱き上げられて運ばれたのも、その手や胸の感触も薄っすら覚えている。


先ほどとは異なる恥ずかしさで顔が真っ赤になり、思わずシーツを頭から被った。



「病院に運ばれてから1時間ほど経ったかな?少しは元気になった?」


「ええ、おかげで随分と頭がスッキリしたわ。自分の馬鹿さ加減を理解できる程度にはね」


見るからに怪しい姿の私を無視し、いつも通りの調子で話しかけてくれることに感謝をしつつ相槌を打つ。


睡眠不足の挙句、職場で倒れるなど社会人失格だ。



(まあ、体力勝負のパティシエだと、意外と珍しい話でもないんだけど...。年の一大イベントなんて数日前から寝る暇もないし。男性でも倉庫に転がってたりするし)


しかし、職場が変われば文化も変わる。


要注意人物である自分の評価は更に悪くなったことだろう。



(頑張ろうって言った矢先に、問題起こしてどうするのよ...)


思わず深いため息が漏れた。


私はリオに一言断ってからお手洗いに行き、顔を洗って頭を切り替え、再び病室へと戻る。


リオは先ほど同様、ベッド脇の椅子に腰掛けたまま、別の椅子を手で指した。



「とりあえず、状況を説明しようか」


「お願い」


私はその椅子に腰掛けるが、体はふらついたりせず、幾分か回復したことを実感した。



「君はオフィスで体調不良を起こし、病院に運び込まれた。医師の診断によると過労と寝不足。病気の兆候は見当たらないけど、念のため明日病院に来て検査を受けるように」


「また病院に行かないといけないの?一晩ぐっすり眠れば十分でしょ」


そんな暇はないと私は不満げにするが、リオは「駄目だよ」と取り付く島もない。



「ハーヴィー社長には大事ないとは伝えたけど、心配そうにしてたよ。安心させるためにも、ここは従ってもらう」


「...そういうことなら」


完全に失念していたが、会社で倒れれば家族に連絡がいくのも当然だった。


流石の私も父を不安にさせたことを申し訳無く思い、大人しく従うことにした。


その答えにリオも満足そうに頷き、真剣な表情で私の目を見て話を続ける。



「ここからは大企業で働く先輩としての助言だよ。いいかい?ビジネスというのは長期戦で、安定と成果の両立が重要だ。そして、責任者が倒れる時点で、その組織の運営は破綻している」


「そうよね...」


倒れるまで働いたことで、リオの言わんとすることは身にしみてよく分かった。



(オーバーワークが必要な時はあるけど、それは長く続けられない。そして、無理をするにしても、きちんと計画的にやらないといけない。責任者ならなおさらね)


要は短距離ではなく、マラソンだ。


闇雲に一生懸命になったところで非効率。


可能な限り平均速度を高め、誰よりも遠くへ辿り着かなければならない。



「......とりあえず、残業を減らすことから始めるわ」


「いいね、その調子だ」


私が反省したのを見て取ったのか、彼は緊張を解き、いつもの笑みを浮かべた。



(なんのかんので、リオには頼りっぱなしよね)


会社の命令とはいえ、自分を助け、時には釘を差してもくれる。


(会社で1番頼りになるのは誰かと言えば、彼しかいない。そして、自分1人でできることは限界がある)


長期戦に必要なのは自分を支えてくれる存在だ。


ならば、まず私は誰かに頼ることを覚えなくてはいけない。



「これからもよろしく」


私がそう言って手を差し出すと、リオは驚いたようだったが、すぐに手を握り返してくれた。


「こちらこそ」


力強く交わした握手。


彼をパートナーとして認識した瞬間だった。



**********



翌日。


一晩ぐっすり寝た後に病院に赴くと、お決まりの問診と各種検査が待ち受けていた。


とはいえ、先日運び込まれた際に一通りの検査を受けているだけに、特段驚くような結果も出てこなかった。



「過労と寝不足だ。大事を取って今日明日は休むこと」


「今日から働いちゃ駄目でしょうか?残業はしないので」


「駄目だ。睡眠時間も増やすように。目の下のクマは意外と消えにくいぞ?」


男性医師は手慣れた様子で私の抵抗を一蹴し、手元のカルテに診断結果を書き込んでいく。


そして、その手が途中でピタリと止まり、彼の目が細くなった。



「...ん?君はHSサウス社の社員だったな?」


「ええ、それが何か?」


会社の福利厚生で医療費の大部分が免除されることに感謝しつつ答えると、医師はこちらを向いてカルテを指さした。



「連絡先がハーヴィー・カリントンとなっている。親戚か?」


「父です。お知り合いですか?」


「彼の担当医だよ」


そう言いながら彼は私の顔をまじまじと見てくるが、「...母親似か?」と小さく呟いたのを聞き逃さなかった。



(母と瓜二つだって言われ慣れてるし、特にどうこう思ったりはしないけど。家庭環境を聞かない程度にはデリカシーがあるのかしら)


そんなことを考えていると、医師は呆れ果てたような表情を浮かべた。



「病気でも仕事優先とは。そういうところは父親と同じだな」


「...えっ、どういうことですか?父も何か問題を抱えてるってこと?」


医師の何気ない一言に、私は眉をひそめて医師を問いただした。



「いや、その...。守秘義務が...」


医師は慌てて誤魔化そうとするが、そうは問屋が卸さない。


「肉親です。家族が病気だというなら、私には知る権利があります」


「家族だと言うなら、彼に直接聞けばいい」


「家族にも言わないから問題なんでしょ?後で訴訟で揉めたくないのよ」


医師に対し、額がぶつかるほど目を近づけて睨みつける。


しばし睨み合った末、医師は抵抗を諦めて渋々喋り出すが、その内容は衝撃的だった。



「......彼は心臓病を抱えている。聞いていなかったのか?」


「初耳です!」


医師は「なんてことだ...」と呟いて、手で顔を覆った。


そして、彼の説明が進むごとに、私の顔が険しくなっていく。


心臓病。


しかも、当代の医学では治療方法が見つかっていない。



「会社を辞めて、長期療養することを勧めたが、『夢がある』と断られてしまった。せめて仕事を減らしてほしいところだが...。発作が起きて倒れたらどうなるか分からない」


「......病気が判明したのはいつ頃ですか?」


「半年ほど前だ」


医師の回答に心当たりが思い浮かび、思わず顔を歪めた。



(私に会いに来た時期と一致している...)


つまり、母や仕事の話をするためだけではなく、死ぬ前に自分の顔を見ておくことも目的に含まれていたのだろう。


初めて会った日、父は「財産の生前分与だ」と冗談めかして言っていた。



(半ば本気だったのね。こんな大事な話を隠していたのは気に入らないとはいえ、出会ったばかりの娘に話せないのも理解できる。それはそうとして腹が立つけど)


母を亡くしたばかりの娘に、「自分も死ぬかもしれないから顔を見に来た」などと言えるはずもない。



(私はどうすべき?父を止める?止められる?)


クリーヴたちに話をする手もある。


だが、それで今更止まるとも思えないし、下手をすれば会社が割れる。


(こういうところは似なくていいのに!)


妥協点があるとすれば、父を後継者レースに勝たせ、その上で父の仕事を誰かが引き継ぐしかない。



「大丈夫か?」


医師が心配そうにこちらを伺ってくる。


私はさぞかし思いつめた表情をしていたのだろう。


しかし、今の私にはそんなことを気にしている余裕はなかった。



(父を支えないと。少なくとも、私が社長の仕事を引き受けることができれば...)


HSサウス社の社長になりたいわけではないが、父を助けるためにはそれなりの立場と権限が必要だろう。


何ができるか。


何をすべきか。


私はひたすらそのことだけを考えていた。



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