8.規律と責任-6
ケリーとリオがいつも通りオフィスで仕事をしていると、HSウェスト社の男性社員が慌てて駆け込んで来るのが見えた。
汗を流して息を乱す姿を見て、ただ事ではないと悟った社員たちがざわつく。
そして、彼の叫んだ言葉は波紋のように広がっていった。
「HSイースト社の工場で火災が発生した!」
私とリオは思わず顔を見合わせた。
「......まずくない?」
「まずいね」
工場での火災。
製造業に関わる者なら誰もが恐れる事態だ。
機械が焼ければ工場は止まり、倉庫は原材料で埋まり、その間も人件費を払い続ける。
堪ったものではない。
「被害はどのくらいだ?」
「怪我人は出たの?」
オフィスのどこからか質問が飛び交い始めた。
競争相手とはいえ、こんな時は流石に同情が集まるものだ。
「工場の一部が焼け落ちたらしい。夜間の出火で対処が遅れたようだ。怪我人は今のところ無しだ」
男性社員の話を聞いて、あちらこちらで話し合う声が響き始める。
これは野次馬根性だけではない。
私たちは競争相手なのだから、市場への影響を気にするのも当然の話だった。
「それだとほぼ稼働できねえな」
「工場は他にもあるから品切れにはならないだろうけど...」
「納品予定の原材料を引き取ってくれって、卸会社が言ってくるかもしれないぞ」
「倉庫に空きがあったかな...」
にわかに騒ぎ始めるオフィスを眺めつつ、私はリオに尋ねた。
「こういう時って、お見舞いを送るものなの?」
「形式的には一言伝えた方がいいね。でも、あちらは気にする暇なんてないだろうけど」
「どうして?工場再建で忙しいから?」
「それもあるけど、火災となれば警察とメディアが押しかけてくる。そっちで手一杯さ」
「ああ...、それは大変ね」
状況を把握できていないのに、警察から事情聴取を受け、ネタを求めるメディアからは追いかけ回される。
想像するだけで嫌気が差す。
私は心の底からHSイースト社の社員に同情した。
**********
『不審火で焼け落ちた工場!社長への怨恨か!?』
数日後、新聞にデカデカと掲載された記事を前に、ブランディンが疲労した顔で頭を抱えている。
目の下にクマがあるのはストレスで眠れていないせいだろうか?
私は事件の報告会に呼ばれたのだが、彼がこの様子ではまともな話は無理そうだ。
私とリオは目の前に並ぶ新聞を手に取ってみたが、一目でその無節操さに呆れ果てた。
『社長のセールストークに詐欺の疑い!?元社員の告白インタビューを掲載!』
『成り上がり社長の実態はパワハラの権化!いつの間にか同僚が消える恐怖の職場!』
『保険金詐欺を疑う声も。業績悪化を誤魔化すためか?』
『秘められた兄弟の確執!仲違いの果てに待つものは?』
「好き勝手書いてるわね」
私は新聞をバシバシ叩く。
適当にでっち上げた記事も多い。
まともに読んでいたら頭がおかしくなりそうだった。
「これが彼らのビジネスだからね。とにかく客の目を引こうと過激になるのさ。否定しても無視されるし、記事を鵜呑みにした人が会社に怒鳴り込んで来ることもある」
「...やってられないわね」
面倒事に燃料を注いで儲けるなど気に入らない。
新聞を破り捨てたくなるのを我慢していると、リオが小声で話しかけてきた。
「流石のエイモスさんも表に全く出なくなったらしい。顔を出せばメディアに叩かれるからね」
「なんてことかしら!」
エイモスにも落ち度はあるが、そこまでされなければならないのだろうか?
ブランディンの顔色が悪かったのは、兄の心配もあるのかもしれない。
「オフィスには出て来てるの?」
「いや、副社長に任せている。マンションも記者が張り込んでるから、オフィスに行こうとしても邪魔されるんだ。適当なホテルにいるんじゃないかな」
「身を隠してるってこと?まるで犯罪者扱いじゃない」
ますます気に入らなくなってきたが、そうこうする内に火災の報告が始まった。
「HSイースト社の火災ですが、工場の3割が焼け落ちたものの、負傷者や死者は出ていないとのことです。出火元は火の気の無い場所らしく、怪しい人影を見たという情報があります。警察の発表によると、放火として調査を進めるとのことです」
女性社員はいくつかの事項を説明した後、そう締め括った。
エイモスは強引なやり方でここまで来たから、敵も多い。
元社員に取引先、出世レースで蹴落とされた同僚と、怪しい相手はいくらでもいる。
警察が犯人を特定するまで時間がかかるに違いない。
「流石に被害は大きいが、メディアも次第に飽きるから辛抱は今だけだ。ただ、放火なら次が起きてもおかしくない。犯人が私を恨んでいれば、当社の工場を狙う可能性が高い」
ブランディンの放った言葉に、その場にいる全員の空気が張り詰めた。
(ああ、そうか。兄弟でやってきたんだから、彼が恨まれていてもおかしくないのか)
彼が兄を止める役だったとしても、恨む側からすれば大差ない。
今までは他人事だったが、ここからは自分たちにも関わる話だけに、全員の顔が真剣なものへと変わった。
HSイースト社の方は警察が動いているから、こちらに逃げてくるという予想も真実味がある。
その上、HSウェスト社の最大の工場はこのオフィスの近くにあるのだから、狙われるとしたらここが怪しい。
しかし、当の報告者の顔色は困惑の色が浮かんでいた。
「...それなんですが」
「なんだ?これ以上は関係のない話だろう。チョコレートを回せとでも言われたのか?」
ブランディンに問われ、女性は言いにくそうに視線を逸らす。
だが、埒が明かないと判断したのか、覚悟を決めてブランディンへと向き合った。
「あの火災は当社の社員がやったという噂が流れています」
「なに?」
唐突な話にブランディンは驚き、横で聞いていた私たちはポカンと間抜け面を晒した。
「...なぜそこで当社が出てくるんだ?まさか社員が現場に居合わせたのか!?」
「いえ、そうではなく...。社長はエイモスさんと仲違いしたわけですが...。それが理由で逆恨みしている。火事も復讐ではないか、と新聞が記事にしています」
部下の報告にブランディンは慌てふためき、椅子を蹴って立ち上がり叫んだ。
普段冷静な彼にしては珍しく動揺していた。
「そんな馬鹿な話があるか!どこの新聞だ?」
「よくある三流ゴシップ紙です。クレームを入れても無視されるでしょう」
「クソッ、こんな時に面倒なことをしてくれる...」
ブランディンは顔を歪め、あちこちを歩き回る。
社員たちの中には「まさか社員の暴走?」と、ほんの僅かな可能性に顔をしかめる者もいたが、彼の反応はいささか過剰だった。
「まずいのは分かるけど、そこまで焦る必要はあるの?タチの悪い新聞なんていくらでもあるでしょ?」
ブランディンがなぜ大慌てしているのか分からず、私は首を傾げた。
だが、彼は落ち着くどころか冷や汗を額に浮かべていた。
「今回ばかりは話が別だ。あの兄がこんな話を聞いて黙っているはずがない!」
「...あー」
指摘されてようやく気がついた。
確かにあのエイモスが聞きつければ一悶着あるに違いない。
それこそHSウェスト社に乗り込んでくるくらいならする。
彼はそういう人間だ。
「どうするの?」
「どうするも何も、会社として正式にプレスリリースを出すしかない。警察には対応しているし、身の潔白を訴えるしかないだろう」
彼の指示を受け、部下の1人が急いでプレスリリースの文言を考え始めた。
プレスリリースは下手な書き方をすると矛先がこちらに向く。
面倒な上に責任重大な仕事を任された男性社員の顔色は、ブランディンに劣らないほど悪くなっていた。
「身の潔白を訴えつつ、警察に警戒を要請する。合わせて警備員も増加するぞ」
売上を競っている最中に工場が焼け落ちるなど、笑い話にもならない。
ブランディンの言葉に危機感を煽られ、その場にいる全員が頷いた。
「私も工場の見回りに参加しようかしら?」
チョコパケットの工場が狙われようものなら、犯人をぶん殴ってしまうかもしれない。
棍棒でも仕入れようか思案していると、リオがジト目でこちらを見てくる。
「個人的には止めて欲しいね」
「1人じゃやらないわよ」
「いや、そういう問題じゃなくて...」
「無関係とはいかないでしょ?なんにせよ、夜間だけじゃなくて昼間も見回りが必要になるわね。警戒するにしても限度はあるけど」
工場は土地の確保や騒音対策のため、基本的に郊外にあり、人通りも少ない。
そもそも、どこの工場が狙われるかも分からない。
私は警備員の気苦労が増えたことに同情した。
「こんなことやってる場合じゃないんだけど...」
被害が大きいから放置するわけにはいかない。
しかし、犯人が捕まるまで気を張り続けるのはキツイ。
想像するだけで嫌気が差し、大きなため息をついた。




