8.規律と責任-7
「うーん、分かっていたけど皆が怪しく見えるわ」
手の空いている者たちが、日替わりで昼間の見回りを始めてから数日後。
私たちは早速壁にぶつかっていた。
郊外で人通りが少ないといっても、車や業者の出入りはあるし、近くに住んでいる人たちも出歩いている。
ここから放火犯を見つけ出すなど、干草の山から針を探すより難しい。
「やっぱり、犯人逮捕は警察に任せて、私たちは工場を守ることに専念するしかないかしら...あれ?」
「どうしたんだい?」
私が急にキョロキョロと辺りを見回し始めると、リオが不思議そうな顔をした。
「いや、その...。エイモスさんに似た人がいたような」
「えっ、本当に!?」
「帽子を被ってたから自信はないけど。背丈も似てたわ」
「人違いって言いたいけど、君は彼を近くで見たことあるからなぁ」
一緒に見回りしていた人たちは見間違えだと笑っていたが、リオが悩むのを見てざわつき始める。
「まさか本当に乗り込んで来たのか?」
「いくらなんでもそれはない!あの人はメディアに追われてるんだぞ」
「でもさ、エイモスさんからすれば、今の状況はブランディンさんが発端なわけだろ」
「恨み積もってか...」
馬鹿な想像が急に現実味を帯び始め、その場にいる者たちの口数が減る。
「...オフィスに戻って報告しましょう。間違いでもいいからブランディンに伝えておかないと、後で大問題になるよりマシよ」
私の言葉に全員が頷いた。
放火犯は恐ろしいが、エイモスも別の意味で恐ろしい。
何をするか分かったものではない。
私たちは戦々恐々としながら、逃げるようにオフィスへと走り出した。
**********
「社長、危険ですから戻ってください」
「馬鹿なことを言うな。こんな時に社長が隠れてどうする!」
「社長には社長の仕事があると言っているんです!」
エイモスを見かけた日の夜。
工場の見回りに出かけると言い出したブランディンと、それを止めようとする部下たちの言い合いが開催されていた。
どちらの言い分も筋が通っているだけに、なかなか決着がつかない。
(兄の話を聞いて冷静さを失ってる。というわけじゃなくて、社長として逃げる気がないってところ?)
彼のような立場の人間がこういう時先頭に立つと、社内外からの目は大きく変わるだけに止めろとも言い難い。
かといって、このままのんびりと決着を待つほど、私の堪忍袋の緒は頑丈ではなかった。
「あー、もう面倒だから彼を連れて見回りにいきましょう。ただし、危ないことはしないと約束して。犯人を追いかけたりとか」
ブランディンと部下のやり取りが止まる。
彼らは互いの目を見て―――渋々頷いた。
私たちは用意したライトを持って、オフィスの外へと向かう。
5名の男性陣の中には、木の棒やロープを抱えている者もいて、犯人を捕まえたらボコボコにしてやると意気込んでいた。
「昨日今日で、犯人と出くわしたら苦労しないわよね」
「でも、警察に追われてるから、犯行まで猶予はないよ。犯人が既にここに来てるなら、今日明日にでも犯行に及んでもおかしくない」
「それもそうか。いや、犯人が来ないに越したことはないけど...」
楽観的な私に比べ、隣に立つリオは悲観的だった。
「この暗闇じゃ、犯人なんてそうそう見つけられないじゃない?ライトがなきゃ何も見えないわ」
私は視線を遠くに向け、状況を分析する。
工場の片側は森林で覆われて光が無いから、1人で歩き回るのを躊躇う。
犯人が侵入するとしたらそちらからだろうと当たりをつけているが、小さなライトだけで人を見つけ出すのはかなり難しかった。
逆に犯人からすれば、こちらの光ですぐに気がつく。
1時間ほど工場の周囲を捜索したが、案の定怪しい人影は見つからなかった。
「空振りか...」
変な足跡でもないかと地面を観察するが、都合よく見つかったりなどしない。
ブランディンたちも苛立ち半分、安堵半分といった感じで軽口を叩き始めていた。
その時、どこからかパンを焼く匂いが漂ってきた。
「どこかの店の仕込み?」
そんな呑気なことを言った直後に、別の可能性に思い当たって表情が一変した。
これはパンを焼く匂いではない。
何かが焦げる匂いだ。
「どこだ!?」
他の者たちも危険を察知し、慌てて周囲を見回す。
しかし、電灯のない闇夜では煙も目立たない。
皆が騒いでいると、リオがとある方向を指さした。
「あっちだ!赤い光が見えた!」
「行くぞ!」
全員がそちらに向けて駆け出す。
しばらく走ると、何やら騒ぐ男性の声が聞こえてきた。
視界が開けると、そこに争う2人の男性と―――火のついた松明が転がっていた。
暗闇で男たちの顔はよく見えない。
だが、足元に転がる松明や油壷を見れば、放火犯だと一目で分かった。
「お前たち何をやってる!?」
ブランディンが怒りも露わに叫ぶと、取っ組み合いをしていた2人が揃ってこちらを向く。
「クソッ!」
こちらを見るなり、帽子を被ってない方が慌てて逃げ出そうとする。
「逃がすか!」
もう1人の帽子を被った方が腕を掴んで引っ張り、2人は「離せ!」「逃がすか!」と押し合い始めた。
やましいことがあるから逃げようとするわけで、帽子を被っていない方が放火犯で間違いない。
「そのまま離さないで!」
私の声を号令にリオたちが加速する。
それを見た放火犯は苛立たしげに舌打ちし、掴み合っている相手の服を掴み上げた。
「邪魔だ!」
火事場の何とやらか、放火犯は男性を持ち上げ足払いし、地面に叩きつけた。
「ぐぇっ!」
叩きつけられた方は受け身も取れず、そのまま痛みで身動きが取れなくなる。
邪魔者から解放された放火犯はすぐさま身を翻し、闇夜の向こうへと駆け出した。
「ブランディン!その人は任せたわ!」
私はスピードを落とさず犯人を追う。
だが―――。
「お、追いつけない...」
悲しいかな、私の足では犯人に敵わず、じわじわ離されていく。
リオたちも一緒に追いかけているが、放火犯の足は早く距離が詰まらない。
このままでは逃げられる!
そう判断した私は、半ば自棄になって足元に転がっていた石を拾い、投げつけた。
「喰らいなさい!」
石は狙い違わず放火犯の背に―――などということはなく、見当違いの方向へと飛んでいった。
素人の投石で、明かりもない暗闇を全力で走る人間に当てられるわけがない。
しかし、ブランディンの部下たちも私に倣い、木の棒やらなんやらをとにかく投げつけ始めると状況が変わった。
「や、止めろ!」
後ろから好き勝手に物を投げられれば、流石に恐怖心が湧く。
ただでさえ視界が悪い夜の森を走っているのに、後ろから石やら木の棒が飛んでくるとなれば堪ったものではなかったらしい。
当たりはしなかったが、背後に気を取られた放火犯は足を滑らせた。
「転べ!」
ブランディンの部下が叫ぶ。
「誰が!」
放火犯は悪態をつきながら必死に木にしがみついて耐えた。
しかし、動きが止まったところをリオが狙いすましてタックルした。
「捕まえたっ!」
「うおっ!?」
後ろから引きずり倒された放火犯は、そのまま地面に顔面を叩きつけられ悶絶。
そこに追いついたブランディンの部下たちがのしかかり、持ってきたロープでやたらめったら縛り上げる。
私がライトで放火犯の顔を照らし出すと、誰かが声を漏らした。
「こ、こいつはエイモスさんの部下じゃねえか!?」
「テメエ、どういう了見だ!なんでこっちの工場を狙った!?関係ねえだろ!」
知り合いに裏切られたブランディンの部下たちは怒り心頭といった様子で凄むが、放火犯は逆に食って掛かる勢いで叫び返した。
「復讐だよ、復讐!それ以外何があるってんだ!あいつらのために長年働いてきたってのに、つまらねえことでクビにされたんだぞ。黙ってられるかよ!エイモスもブランディンもくたばりやがれ!」
男はそのまま罵声を叫び続けるが、逃げ出せないと察したのか暴れようとはしなかった。
「誰、この人?」
私が隣に立っていた男性に聞くと、彼は苦々しげに表情を歪めた。
「......エイモスさんの部下で、営業成績がトップだった奴だ。何度も表彰されてたし、『こいつがいなけりゃ話にならねえ』って持ち上げられてた。当然、ブランディンさんとも面識がある」
「あー、なまじ大切にされてきただけに、反動が凄かったわけね...」
愛憎入り交じる展開にげんなりとしてきた。
私は荒んだ気分を誤魔化すように放火犯をマジマジと見た。
背丈や雰囲気はエイモスに似ていた。
となると、町中で見かけたのは彼だろうか?
「......とりあえず、この人をつれて戻りましょう」
「そうだな」
私たちは放火犯を立ち上がらせ、逃がすまいと両腕をしっかりと拘束する。
なんにせよ、これで騒動は一段落だ。
誰もがそう安堵していた。
そして、その期待は程なく裏切られることになる。
**********
一方、ケリーらについていかなかったブランディンは、地面に横たわる人間の側で呆然としていた。
放火犯に転ばされた彼を手当てしようと、片膝をついて顔を覗き込む。
そこにあったのは、まさかのエイモスの顔だった。
「......馬鹿な」
ケリーの言葉を疑っていたわけではないが、流石に実物を目にすると困惑が勝る。
なにより兄とは最悪の別れ方をして、散々争ってきただけに、何と言えばいいのか全く分からなかった。
エイモスは憮然としているが、とりあえず目に見える大きな傷はない。
そのことに安堵し、ひとまず大きく息を吐いた。
「......なぜこんなところにいる?自分が置かれた状況を理解しているのか?」
状況を見れば、エイモスが自分の工場を守ろうとしたことくらい彼も分かっている。
しかし、喧嘩別れした兄が体を張ってまで、そうする理由が分からなかった。
ブランディンが震える声で尋ねると、エイモスは地面に横たわったまま空を睨みつけ、フンと鼻を鳴らした。
「俺はお前の兄貴だぞ。お前が狙われてる時に黙ってられるかよ」
「えっ!?」
ブランディンは想定外の言葉に衝撃を受けて黙り込む。
エイモスはそれ以上何も言わない。
代わりにブランディンを押しのけると、腰を擦りながら立ち上がった。
「イテテ、腰をやっちまったな...」
エイモスは体をはたき、服についた土汚れを落とし終えると、ブランディンへと向き合う。
その顔は憑き物が落ちたかのようにスッキリし、同時に覚悟を決めた男の顔をしていた。
「俺は事件の責任を取って辞任する。ハムズスイーツ社の取締役も、HSイースト社の社長もだ」
「な、何を急に言っているんだ!」
「騒動が大きくなり過ぎたからな。誰かの首を差し出さなきゃ収まらねえだろ。あの野郎は元俺の社員だからな。俺がケジメをつける」
エイモスは「やれやれ」と呟きながら肩をすくめる。
最早地位に対する未練など残っておらず、肩の荷が下りて随分と気が楽になっていた。
むしろ彼の落ち着き払った様子を見て、ブランディンの方が狼狽していた。
「会社はどうするつもりだ!?」
ブランディンが食って掛かると、エイモスは勢いよく右腕を上げた。
「っ!?」
まさか腹いせに殴るつもりかとブランディンは警戒し、身構える。
しかし、振り上げられた腕は勢いをなくし、そのまま軽くブランディンの肩を叩いた。
「後は任せた。すまんが残った社員の面倒を見てくれ」
エイモスはそう言い残し、その場を去ろうとする。
「私を置いていくのか!?」
ブランディンが縋るように叫ぶ。
エイモスは片手を上げるだけで、背を向けたまま歩みを止めなかった。
「お前ならできるさ。俺の弟だからな」
「兄さん!私は...」
口の端に笑みを浮かべるエイモス。
ブランディンは何かを言いかけ―――押し黙った。
顔を伏せ、握る拳が震える。
だが、しばらくしてブランディンは顔を上げ、遠くに見えるエイモスの背に向かって叫んだ。
「面倒事を押し付けやがって!やればいいんだろう。兄貴の尻拭いくらいやってやる!」
**********
「すまない。私は後継者レースから降りる」
オフィスに戻るなり、ブランディンは唐突にとんでもないことを言い出した。
ことの背景は説明されたが、だからといって「そうですか」と受け入れられるわけがない。
私だけではなく、ブランディンの部下たちまで仰天していた。
「どういうことですか社長!今まで何のために頑張ってきたんですか!?」
ブランディンの部下たちは皆口々に叫ぶが、当の本人は微塵も揺るがない。
「期待を裏切るような真似をしてすまないと思っている。君たちの貢献には感謝しているが、こればかりは我儘を言わせてくれ」
深々と頭を下げるブランディンを前に、誰も何も言えなくなった。
その姿からは彼の覚悟が滲み出ていた。
今更何かを言ったところで前言を撤回しないと、その場にいる誰もが理解した。
「そういうことだ。約束を破って申し訳ない」
ブランディンは頭を上げると、今度は私に向かって頭を下げた。
エイモスとの競争で彼を勝たせる手伝いをし、その見返りに私の起業を手伝うという約束。
エイモスに勝てば、その次は後継者レースでの勝利を目指すはずだった。
それが反故になってしまうわけで、彼の謝罪にも申し訳なさが溢れていた。
「はぁ...。この状況で文句言えるわけないでしょ」
私は盛大にため息をついた。
彼の決断の理由を考えれば、ここで「約束を守れ!」などと言えるはずがない。
ハムズスイーツ社の取締役と社長であれば、後者の方が断然影響力は強い。
彼が後継者レースに勝てば、私の起業も随分と楽になっただろうが、世の中そんなに甘い話はなかったようだ。
「それで、兄の事業を引き継ぐってことでいいの?」
「そうだ。HSイースト社は私が引き継ぐ。そして、フレークを世界に広めることに専念する」
ブランディンの顔は真剣そのもの。
社員の誰かが「もったいない!」と叫んだ。
フレークとチョコパケットを抱えた今なら、彼は後継者レースでトップを走れるはず。
だが、それを惜しむ気配は全くなかった。
「兄に託されたんだ。私には社長の地位よりも重要なことだ」
「......そこまで言われたら仕方ないわね」
彼はハムズスイーツ社の社長という座を諦め、代わりに別の夢を追うことを決意したわけだ。
他人の夢にケチをつけるほど私は無粋ではない。
「もちろん、私に出来ることは何でもする。伝手を使い、君を全力で支援しよう」
ブランディンはそう言ってくれる。
しかし、私は目先の仕事を失って困り果てていた。
「どうしようかしら?」
私はリオに尋ねるが、彼も困ったような表情を浮かべていた。
「どうしようかねぇ。一応、実績と伝手は確保できたけど」
このままブランディンの下で手伝いをするという選択肢もある。
しかし、この先の仕事は傾いたHSイースト社の立て直しとフレークの販売拡充。
新商品の開発という私の本来の仕事はほぼ終わってしまったので、大きな手柄や実績を稼ぐ機会は乏しい。
「もう少し実績を積み上げるなら、残った後継者候補の下で働くって手もあるけど?」
リオの提案に私は顔をしかめた。
残るのは結果的に私を追い出した父ハーヴィー陣営と、縁もゆかりも無いレナード陣営だけである。
前者は論外。
後者にしても、招いてくれたブランディンとは違って、受け入れてくれるかは定かではない。
それに、彼らには既に主力製品が存在している。
報酬を用意してまで、私を雇うメリットがあるかは微妙だった。
「もういっそラモーナさんのところに話をしに行こうかしら?」
一難去ってまた一難と頭を悩ませていると、どこからか男性が「大変だ!」と叫びながら駆け込んできた。
トラブルの大安売りだなと、その場にいる誰もが呆れかえる。
しかし、後に続く言葉を聞いて、弛緩していた空気が吹き飛んだ。
「ハーヴィー取締役が心臓発作で倒れた!」
その知らせを耳にし、私の視界はグラリと傾いた。




