7.転機-3
私は眼前にそびえ立つハムズスイーツ社の本社オフィスを眩しそうに見上げた。
自分の会社を立ち上げようと動き始めてから、あっという間に1ヶ月半ほどが経っていた。
今日は最後の訪問先―――ハムズスイーツ社の社長であるラモーナとの話し合いである。
(感じ方が違うのは緊張しているせい?それとも立場の違い?)
かつての私はHSサウス社の社員として訪れた。
今日は個人、つまり部外者としてだ。
本社には管理機能のみ置かれているため、オフィスの規模も控えめである。
それでも重厚感のある石造りの外観は歴史を感じさせる。
案内された応接室の内装も、嫌味にならないよう洗練された華美さがあった。
(ここに威厳に溢れたラモーナが現れれば、不慣れな取引先は蛇に睨まれた蛙のように萎縮してしまうでしょうね。その時点で取引は負け。オフィスの見栄えも大事って分かるわ)
自分の置かれた状況なので嫌というほど実感できる。
そして、肝心のラモーナはテーブルを挟んで私の向かいに腰掛け、楽しげにこちらを伺っていた。
「リオからある程度要件は聞いてるけど、改めてあなたの口から教えてほしいの。どうしたいの?」
ラモーナは私の隣に座るリオに視線を向けた後、緊張を解すアイスブレイクなど放り投げ、直接切り込んできた。
(なんというか、話の主導権を取るのが染み付いているみたい。王様や貴族がいたらこんな感じだったのかしら?)
あちらは大企業の共同創業者にして大株主。
一方、こちらは懐が暖かいとはいえ、地位や権力もない。
その差は王と平民くらいはある。
だから、彼女の行動もおかしくないと言える。
「自分のチョコレート会社を作ろうと思ってます」
「目標はどこ?地元で1番を目指す?それとも別?」
「ええと、その...」
「包み隠さず言って頂戴。怒ったりしないわよ」
私が言い淀んでいると、ラモーナは微笑を浮かべながら促した。
こちらに気を使っているのとは違う。
何を言われても痛む腹はないという様子だった。
(まあ、彼女からすれば小娘が背伸びしてるくらいなものか)
ならば遠慮する必要もない。
「ハムズスイーツ社に匹敵するような規模を。関係者全員の顔を引っ叩くくらいの衝撃を与えたいと思います」
「剛毅ね!」
ラモーナはパチパチと手を叩きながら、楽しげに笑い声を上げた。
「そうでしょう?」
リオが調子よく相槌を打つと、「久々に胸がすくような話を聞いたわ」と鷹揚に頷く。
しかし、ラモーナはすぐに真顔に戻り、言葉を続けた。
「でも、会社を作るのは簡単な話じゃないわ」
自身の経験に裏打ちされたと思わしき言葉と口調は、まさに歴戦の経営者と呼ぶに相応しかった。
「自分で言うのもなんだけど、夫ダグラスがハムズスイーツ社を設立できたのは、私が出資したおかげ」
ラモーナは自分の胸に手を当て、昔を思い出すように言葉を紡いでいく。
「信頼のない若造が各社と取引できたのも、天涯孤独だった彼が人材を集められたのも、必要な関係者と出会いの場を持てたのも―――全て私の支援があったから」
自分の手柄だと主張する彼女の言葉は強いが、その表情には嫌なところは見当たらない。
なぜなら、全て真実だから。
(ラモーナは古い商会の娘の1人。ダグラスに初めて出資し、公私にわたって支えてきた。この自負も当然ね)
彼女が出した資金は潤沢ではなかっただろう。
支援と言っても限界があったに違いない。
ただ、ダグラス本人が出資者や協力者を口説き落とすのに長けていたとしても、彼女の支援があるのとないのでは天と地ほど違う。
彼女の最大の功績は、ダグラスという原石を見つけ、磨き上げたことだ。
ダグラスの成功は彼女の成功に他ならなかった。
「大量生産は資本と組織の戦い。資金は手当て出来たとしても、組織を運営するには多くの人材が必要。協力してくれる関係者もね。創業者1人だけが優秀では足りないの。当てはあるの?」
「それは...」
痛いところをラモーナに突かれ、私は言葉が出なかった。
(普通、起業する時は過去の職場や知り合いを誘う。でも、HSサウス社から人を引き抜くわけにはいかないし...)
このあたりはやはり年季が物を言う。
経験豊富で実績がある人間ほど、協力してくれる相手が多くなるのは当然だった。
大口の取引先が協力を名乗り出てくれれば、人を採用しやすくなるし、事業が軌道に乗るスピードも大幅に上がる。
私にはそれがない。
「それともこの場で新しい計画を考えられる?」
「......」
「あの人はできたわよ」
その言葉は支援の拒否を意味していた。
非凡な人間と比較される居心地の悪さに居た堪れなくなり、思わずスーツの裾を握りしめた。
だが、同時に光明も見えた。
(つまり、私が今すべきことは協力してくれる相手を探すこと)
ラモーナは私に不足している点を列挙してくれた。
逆に言えば、これを何とかすれば彼女は支援してくれるということでもある。
(彼女は根っからの商売人。儲かると分かれば間違いなく投資する)
確信が表情に現れていたのか、私の顔つきを見たラモーナがクスリと笑った。
「戦える準備を整えられたのなら、また来なさい。その時は出資してあげる。あの人の時と同じように」
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アパートに戻るなり荷物の片付けもそこそこに、私はバッグから書類の束を取り出し、窓際のテーブルの上に並べた。
この書類はラモーナが「お土産よ」と言って渡してくれたもの。
私がHSサウス社を辞めた後の後継者レースの報告書だった。
(私は会社を辞めたけど、競争は今も続いている)
競争の主役は私ではないのだから当然だ。
書類には概要しか載っていないが、それでも不味い行為であるのは事実である。
(元社員とはいえ、内部情報を漏らすのは褒められた行為じゃない。ここまでしてくれたことに感謝するしかないわ)
改めて資料の内容を確認していると、荷物を置いたリオが反対側の椅子に座った。
「HSサウス社は順調そうだね」
「そうね。ミックスバーの味違いを展開する戦略が功を奏したみたい」
「フルーツキャラメルとは、面白いところに目をつけたもんだ。イチゴにメロン、ブルーベリーにオレンジ。フルーツの爽やかな香りと甘さは気分転換に向いてる。日替わりで買うものを変える楽しさも味わえる」
「それだけじゃないわ。これなら同じ機械を使い回して、いくらでも新商品を展開できる。当たりは定番商品にして、売れなくとも損失は小さい。本当に上手くやってる」
私とリオは感心のため息を漏らした。
個人の感覚に頼らない、データと組織による再現性を持った商品開発。
私が在籍していた時から着手していた取り組みが花開いていた。
(称賛半分、悔しさ半分ってところね。少なくとも、フルーツキャラメルを使うってアイデアは思いつかなかったわ)
彼らの「お前がいなくともやれる」という言葉が聞こえた気がした。
私は深呼吸し、頭を切り替えて資料と向き合う。
「並行して、工場やキャラメル会社を買収して、製造量を増やす取り組みも進めてる。売上が右肩上がりになるのも当然よ」
私が肩をすくめると、リオは頷いて同意した。
「これなら競争相手たちの売上を上回るのも遠くない。ハーヴィー社長は後継者レースの先頭に立った。ラモーナさんもそう結論付けてる」
分かっていたことだが、クリーヴたちは本当に優秀だった。
ミックスバーを生み出したのは私だが、彼らはそれを発展させた。
0から1を生み出すのと、1を10にするのでは求められる能力が違う。
そして、後者の方がより大きな富を生み出すことができる。
「地に足がついたやり方だから、もし誰かが欠けても穴埋めは容易。この先も事業を続けるためのシステムを作り上げている。大したものね」
「君の参考にもなるんじゃない?」
「こっちはそれ以前の問題よ。事業を30年続けるためには、まず始めなきゃどうにもならないでしょ」
私はテーブルに肘をつき、口の前で手を組み思案する。
ラモーナのように顔の広い協力者を見つけるのが理想だ。
だが、そんな相手はそうそう転がっていない。
「それなんだけど...」
「なに?」
「ハーヴィー社長は駄目なのかい?彼じゃなくとも、彼の知り合いを紹介してもらうとか」
「うっ...」
リオのもっともな提案に対し、私は思わず声を漏らした。
私の知り合いで地位や名声がある人間といえば、まずもって父の名前が上がるのは当然だった。
業界歴の長い父なら、起業の助けとなる人々にも心当たりがあるに違いない。
しかし、私は首を振って否定した。
「それは駄目」
「どうして?」
「それは...」
何と言おうかとしばし逡巡したが、結局私は父が心臓病を患っていることを伝えた。
恵まれた職場を捨ててまで彼はついてきてくれたのだ。
彼は私の最初の協力者であり、そんな相手に隠し事はしたくなかった。
「なんだって!?それは本当なのかい?」
リオは椅子から立ち上がって驚き、頭を抱える。
オフィスで働く父は元気そうにしていたので、そんな可能性を全く考えていなかったのだろう。
「...本当よ。担当医師から聞き出して、カルテも見せてもらったわ」
私も席を立ち、彼と目線を合わせて答えた。
「なんてことだ...」
リオは呆然とするが、すぐに何かを察したように表情を変えた。
「もしかして、君のこれまでの行動は...?」
誰にも伝えてこなかったことだが、今更隠すこともない。
私は寂しそうに笑い、肯定した。
「...全部無駄だったけどね」
「無駄じゃない!君は1人で頑張っていたんだ。それは凄いことだよ」
リオは前に出て私の肩を掴む。
父の病気に気づかなかった後悔のせいか、彼の手は少し震えていた。
「僕は君の味方だ。ずっと一緒にいる。これまでも、これからも」
誰にも言えなかった秘密を打ち明け、そして受け入れられた。
感情が入り乱れて胸が詰まる。
それでも、かろうじて一言だけ口にすることができた。
「...ありがとう」
リオは無言で私を抱き締めた。
強く、それでいて優しさを感じる抱擁に胸が暖かくなる。
彼がいたからこそ、会社を辞めた後も変わらずやってこれたのだ。
今更ながら、私はリオに向ける思いの正体に気がついた。
(自分のことを理解して、隣にいてくれる人。こんなに愛おしく感じるのね。もし彼がいなくなったら―――私はきっと耐えられない)
そんな思いに突き動かされ、私は顔を上げる。
リオと目を合わせ、そのままキスをした。
しばらくして顔を離し、恥ずかしさから視線を逸らす。
その時、突如声がかけられ、口から心臓が飛び出しそうになった。
「お邪魔だったかな?」
「!?」
声にならない悲鳴を上げつつ、声のした方を振り返る。
少し離れた玄関のドアの近くにはハムズスイーツ社の取締役の1人、ブランディンが立っていた。
壁に背を預け、いかにも「面白いものを見た」と言わんばかりの顔をしている。
「ノックしなさい!失礼でしょ!」
私は顔を真っ赤にしながら叫ぶ。
だが、ブランディンは肩をすくめるだけで、悪びれる様子はない。
眼鏡に触れ、ズレを直しながら答えた。
「したよ。何度もね。それと、鍵をかけ忘れていたようだ。不用心だから次から注意した方がいい」
彼は眼鏡を光らせながら、ドアを軽く叩く。
暗にドアを開ける音にすら気がつかなかったと指摘され、私は押し黙った。
これ以上文句を言うのは恥の上塗り。
顔を伏せて口を真一文字に結ぶ私に代わり、リオがブランディンに問いかけた。
「今日はどういった要件で?わざわざ僕たちのところに来るなんて、それなりの理由があると見た」
リオは恥ずかしいところを見られた引け目など全く感じさせず、いつも通りの笑みを浮かべていた。
大した度胸だ。
これなら俳優でもやっていけるだろう。
「話が早くて助かる。馬に蹴られる前に出直せと言われないか、ヒヤヒヤしていたんだ」
ブランディンは壁から背を離し、私たちに歩み寄ってきた。
先ほどまでのからかうような色は消え失せ、その表情は真剣そのもの。
そこにいたのは覚悟を決めた人間だった。
「君たちの力を借りに来たんだ。兄を...エイモスを倒すために」




