7.転機-2
リオの手配に従い、ケリーは大手カカオメーカーの1社を訪問した。
ここはHSサウス社と取引がある会社なので、品質や価格では問題無い。
原材料の仕入先としては第1候補に上がる。
ケリーは起業に向けた最初の一歩として胸を高鳴らせていたが、商談の場に現れたケビンと名乗る男性からの回答は期待を大きく裏切るものだった。
「大変申し訳ないが、あなたとはお取引できません」
「ど、どうしてですか!?」
私が起業することと希望する取引の内容を伝えるや否や、ケビンは残念そうに、しかしきっぱりと宣言した。
この様子では交渉のためのブラフといった、駆け引きなどではないと一目で分かる。
「支払いがご懸念でしょうか?それであれば現金で都度支払いでも構いませんが...」
「いや、問題はそこではありません。量なのです」
「量?」
「はい、量です」
そう言ってケビンは私が提示した書類を指さした。
「ご説明頂いた内容によりますと、我が社の最低発注量を大きく下回っています。これでは取引の決裁が下りません。起業直後では仕方ないと私も承知しているのですが...」
「その、具体的にはどの程度の量が必要なのでしょうか?」
「それは―――」
私はおずおずと尋ねるが、ケビンの答えを聞いて目が飛び出そうになった。
「そ、そんなに大量のカカオは購入できません!」
「おっしゃるとおりです。商品に自信があったとしても、いきなりこれだけの取引は困難でしょう。ですが、我が社としてもこればかりはルールでして...」
想定していた規模感の違いで目がクラクラしてきた。
同時に、HSサウス社での経験が蘇ってきた。
(そういえば、HSサウス社では商品の1ロットといえば10万個だった。でも、新設のチョコレートメーカーが10万個も作れるわけがないでしょ)
街のケーキ屋が、「チョコレートケーキ10万個分のカカオ」を購入したとする。
頭がおかしくなったのかと噂されるだろう。
支払いはなんとかしたとしても、倉庫を借りる必要があるし、長期間放置すれば品質も悪くなる。
「あのミックスバーを開発されたあなたであれば、新商品にも期待が持てる。私個人としては応援したいのですが、いかんせん我が社はあくまでも原材料メーカーなのです」
ケビンの言葉にリオが反応し、「おや?」と声を漏らした。
「ミックスバーをご存知でしたか?」
リオの質問に、ケビンは胸を張って答えた。
「当然です。今やハムズスイーツ社の新商品ラッシュは業界の注目の的です。カカオを扱う我が社では話題に上がらない日はありません。私もミックスバーのファンです。そのあなたが起業し、新商品に挑戦する。これは興奮しますよ!」
ケビンは顔を少し上気させながら、「毎日買ってますよ」と付け加えた。
(熱心に話を聞いてくれると思ったら、そういう背景があったのね...)
自分の開発した商品のファンを見て嬉しさが込み上げてきた。
しかし、会社を追い出されたなどとファンに言えず、私は若干気まずくなったのを誤魔化すように話題を変えた。
「大口取引以外は対応されていないのですか?」
ケビンは手で顎を擦りながら思案し、「そうですね...」とアイデアを捻り出そうとする。
「企業間取引、いわゆるBtoBではなく、個人や小規模事業者向けのBtoCという形であれば可能です。ですが、販売価格は高くなり、融通も効かなくなります」
「おいくらですか!?」
私は噛みつかんばかりに前のめりになった。
カカオがなければチョコレート菓子を作るなど不可能。
なんとしても取引を実現させなければならなかった。
「ご希望の取引量ですと、だいたい―――」
「よ、40%くらい高いんですけど...」
提示された価格に腰が引け、思わず「おおぅ...」と嗚咽がこぼれた。
「小口取引は配送料や各種手配で費用がかさみます。こちらが高いというより、ハムズスイーツ社のような大口が極めて安く仕入れているとお考えください」
私の考えを察したのか、ケビンが慌ててフォローを入れる。
彼が悪いわけではないが、肝心のカカオが高くなればそれだけ商品の利益率は悪化する。
それは死活問題だった。
「それに...」
「それに?」
ケビンは言いにくそうに目線を逸らすが、少し躊躇った後、覚悟を決めて口を開く。
「現在、カカオの需要はかつて無いほど高まっています。その影響もあり、新規の小口取引は決裁が下りないかもしれません」
「なんでそんなことになってるんですか!?」
価格が高くなるのを我慢しても、それでも取引できない可能性があるとはどういうことか!
私は驚きと怒りに拳を握り、叫んだ。
「ハムズスイーツ社が新商品を大量に提供し始めたことが切っ掛けです。シェアを奪われまいと、競合各社も必死に商品を展開しています。おかげでカカオは品不足です」
「......ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
私は拳を解き、頭を下げた。
自らが撒いた種から芽が育ち、伸びた蔓が私の首を締めていたのだった。
結局、ケビンはあれこれと世話を焼いてくれたが徒労に終わる。
彼個人は将来の有望取引先として確保したがっていたが、会社としての判断は別物というわけだ。
彼に文句を言う気にはならない。
私もハムズスイーツ社では、取引を希望する相手に似たような判断をしていたからだ。
「どうしたものかしら...」
ケビンと別れてオフィスの外に出た私は、雲1つない澄んだ青空を呆然と眺めていた。
私が想定していたカカオの値段は、ハムズスイーツ社の立場があってこそのものだった。
そして、これはカカオに限った話ではないだろう。
「状況は理解できた?」
隣に立つリオが私の顔を伺いながら尋ねる。
私は大きなため息をついて答えた。
「嫌ってほどね。今ならあの言葉の意味が痛いほどよく分かるわ。これが規模の経済ってやつ?」
「そうだね。会社は大きければ大きいほど有利になる。公平なんて言葉は、利益の前じゃ消し飛ぶんだよ」
私は車に向かってトボトボと歩き出す。
大手の看板がないと、同じ条件で戦うことすら許されない。
それが資本主義というものだった。
(小口向けの原材料メーカーはあるから、個人の小さな店をやる分にはなんとかなる。でも、ハムズスイーツ社と戦うのは無理)
もちろん業界最大手といきなり戦えるなどと、私も自惚れてはいない。
だが、そこに至るまでの道筋すら見えないのが問題だった。
「リオ、個人店から始めて、ハムズスイーツ社に次ぐ規模になるまでどれくらいかかると思う?」
車の助手席のドアを開き、乗り込みながら尋ねる。
リオは運転席に座ってエンジンを鳴らし、車の揺れ具合を確かめながら答えた。
「上手くいって数十年。でも、それじゃ遅すぎるよね?まあ、新規参入した企業は潰れる可能性の方が高いんだけど」
「以前聞いたことがあるけど、飲食店が3年生き残る確率は5割だったかしら?菓子メーカーも似たようなものよね」
「そんなところだね。生き残ってる企業も、かろうじて黒字ってところばかり。成長していくところはもっと少ない」
「大手じゃないと利益が減る。利益が減れば設備投資の余力もなくなる。悪循環ね」
自分で言っていて嫌気が差し、思わず天を仰ぐが、視界に広がる車の天井が行き止まりに見えた。
店が潰れるのはよく聞く話だから、今更驚くことはない。
しかし、利益率の差はボディーブローのように経営に響き、間違いなく会社の成長を遅らせる。
「創業者のダグラスさんはどうやったの?」
現状を理解した後、まず疑問に浮かんだのはハムズスイーツ社のことだった。
リオの方を向いて、彼の横顔を見つめながら疑問をぶつけた。
「彼は何も無かったのよね?実績も、看板も、資金も。それでどうやって会社を立ち上げたの?」
自分と似た状況、いやそれ以上に苦しい状況から彼はスタートしたのだ。
どうやって状況を打破し、成長への階段を登ったのか。
先達への興味が湧くのも当然だろう。
「支援者を見つけたんだよ」
「支援者?資金を出してくれた人?」
「資金だけじゃない。人材紹介や各種サポートもね。それこそ保証人代わりもだ」
リオはこちらを振り返り、微笑む。
その表情は教え子に対する教師のような印象を受けた。
「というわけで、これから君をあちこちに紹介して回る。そして、最後に行くのはラモーナさんのところだ。彼女かその代わりになる人を口説き落とし、後ろ盾になってもらう。それが君が乗り越えなきゃならないハードルだよ」
そう言ってリオは車を発進させた。




