6.権力争い-5
ミックスバーの横流し事件後の翌週。
HSサウス社ではハーヴィー社長以下、取締役や重役を集めた会議が招集された。
会議の目的は事件の報告と社内の引き締め。
しかし、参加者の誰もがそれだけでは済まないと薄っすら予想していた。
そんな中、リオが会議室へと向かっていると、クリーヴに声をかけられた。
「少しいいか?」
「はい。どうしました?」
リオはいつもの笑みを浮かべているが、一方のクリーヴは険しい表情を隠そうともしない。
適当な空き部屋へと入るなり、クリーヴは普段より低い声で尋ねた。
「ケリーを止めるのがお前の仕事だろう。一体何をやっているんだ?」
「何をと言われましても...。彼女の補佐が僕の仕事ですよ。職務に忠実だと言ってほしいですね」
2人の視線が合い、しばしの間言葉も無く睨み合う。
再び口を開いたのはクリーヴだった。
「お前が現場を唆したのか?」
何をとは言わないが、一歩踏み込んだ発言に緊張が増す。
しかし、リオは大仰に驚き、心外だとばかりに否定した。
「まさか。そんな勝手なことはしませんよ」
「聞き方を変えよう。あえて止めなかったのか?」
「......」
リオは今度の質問には答えず、ただ笑みを浮かべる。
それを見てクリーヴは思わず舌打ちした。
「なんのために?お前にどんな利益がある?」
「彼女がどこまでやれるのかを見てみたいんです。クリーヴさんもハーヴィー社長の邪魔をしようとは思いませんよね?それと同じです」
「もう彼女は七光りの娘ではない。彼女本人を信奉する社員が増えている。会社を割りたいのか?」
「いいことじゃないですか。良い人材の下に人が集まる。会社としてはそちらの方が健全です」
リオは当然のことだと主張するが、クリーヴは頭を振った。
「それは我が社の在り方ではない」
「会社は時代に合わせて変わっていくものですよ。永遠に変わらないものなんてありません」
リオの反論にクリーヴは思わず顔を歪めた。
彼もハーヴィー第一主義の現重役たちの姿勢に、少なからず問題があることは理解している。
だが、同時にその信条を捨てることがいかに難しいかも理解していた。
(合理性だけでは人は生きていけない。我々には恩義がある。それを捨てれば、かつて我々を追い出した会社と同じになってしまう...)
押し黙るクリーヴを見て、その心情を察したリオの表情が陰る。
(クリーヴさんたちのやり方が全て悪いわけじゃない。実際、ハーヴィー社長の地位を守り、成果を上げてきたのは彼らだ)
2人の相違はHSサウス社の現状を象徴していた。
全てを解決する完璧なやり方など存在せず、メリット・デメリットが混在するのが当然。
どちらが正しいのか。
それは時計の針が先に進んだ後にしか分からなかった。
「それで、今日は何を話すつもりですか?」
リオは「場合によっては覚悟を決めないとな」と思いつつ、再び薄っすらと笑みを浮かべた。
「彼女次第だ」
クリーヴはそう言い残し、背を向けて部屋を出ていった。
**********
長方形に配置されたテーブルに会議の参加者が座る中、管理本部の重役だけが立って報告していた。
「...お手元の資料に記載のとおり、今回導入した管理体制に加え、定期的な在庫の抜き出しチェックを増やします。また、不良品に関しても同様に行います。これにより、今回と同様の不正はほぼ防げるものと認識しています」
報告は粛々と進められるが、会議室の空気はどこか上滑りしている。
参加者の興味関心は別のところにあるようだった。
「現場からは以上です。何かご質問はありますか?」
彼の言葉に誰も反応しないのを見て、管理本部の重役は安堵して着席した。
そして、それを見計らってハーヴィーが周囲を見渡し、口を開いた。
「さて、今回の件は色々と学ぶことが多い。会社が急拡大した歪みが出たと言えばいいか。こういった問題を全て避けるのは不可能であり、大切なのはこの先どうするか。それを肝に銘じてほしい」
その場にいる全員が黙って頷いた。
問題が起きたのは事実だが、フォローできないほど深刻だったわけではない。
むしろ、より大きな問題を生み出さないため、社内を引き締める良い切っ掛けでもあった。
そんな彼らの反応を見てハーヴィーは満足そうにし、今度はケリーの方を向く。
「まずは今回の現場の対応ご苦労だった」
「仕事ですから」
「きちんと仕事をこなしたら、評価されるのが当然だ」
ケリーは「大したことはしていない」と謙遜したが、ハーヴィーに軽く諭されて少し恥ずかしそうに照れた。
「冷蔵技術の研究開発に興味があると聞いた。本当かな?」
「ええ、そのとおりです」
想定外の話にケリーは驚くが、ハーヴィーは気にせず「そうか」とだけ呟き、しばし思案する。
「既にあちらこちらに首を突っ込んでいるようだが、やりたいと言うならこの件にも参加して構わない。やる気がある者には働いてもらうのが我が社の流儀だ」
この言葉にケリーは目を見開いて驚き、会議室はざわついた。
社長肝いりの案件に参加することは、出世コース以外の何物でもない。
加えて、抜擢されるのが社長の娘となれば、その意味は更に重くなる。
一方、思いがけない展開にリオは密かにほくそ笑んでいた。
(次期社長の話がにわかに現実味を帯びてきたね。瓢箪から出た駒か。でも、重役たちからすれば面白くない話だ)
リオはそんなことを考えながら周囲を伺うと、案の定重役たちは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
一方、ハーヴィーは重役たちの反応を見て、狙い通りの効果があったと満足した。
(重役たちの牽制と娘の要望。同時に叶えるならこれくらいは必要だろう)
ハーヴィーは重役とケリーの対立が加速していることを把握している。
そこで、ここらで釘を差しておこうと企んでいたのだった。
社長として社内のバランスを取ったつもりであったが、それは想定外のケリーの反応をもたらした。
「報告は行いますし、指示には従いますけど、どうせなら実務は私に任せてほしい」
案件への参加ではなく委任を要求する発言に、会議室のざわつきが一層大きくなる。
これまで楽しげに眺めていたリオですら目を細め、真剣な表情をした。
ハーヴィーは少しだけ驚いた後、「ふむ」と呟き一拍置く。
「後ろで見ていれば十分。そう言いたいのか?」
「少し早い引退の準備だと思ってね。そうじゃないと社長の仕事が減らないでしょう?」
強気の言葉とは裏腹に、ケリーの表情は自信や野心が溢れているとは言い難く、むしろどこか縋るような色が浮かんでいた。
それに対し、想定外の要求を突きつけられたハーヴィーの方は落ち着き払っている。
ケリーの頭にあったのは父の体調のことだけであり、その意図はハーヴィーには正しく伝わっていた。
(はて?以前も引退の話をしていたな。もしかして、病気のことに気がついたのか?)
思い起こせば、先日会った医師は失態を隠すようにどこかそわそわしていたし、ケリーは健康のことをたびたび気にしていた。
(長期療養が叶わないなら、仕事を減らせばマシになる。そういう考えか...)
政治や腹芸とは縁遠い娘が、わざわざ派閥を作ろうとしているのが不思議で仕方なかった。
だが、病気のことを知っていたとなれば腑に落ちる。
権限が散れば、仕事も分散するのが道理だ。
(...引き時かもしれん。まあ、娘に夢を託して退くのも悪くない)
折を見つつ、段階的に権限を譲渡する。
そんな計画を思い描きながら、ハーヴィーはケリーの提案を受け入れようとした。
「そういうことであれば―――」
しかしハーヴィが言い切るより早く、会議室内に重役たちの一際大きな声が響き渡った。
「待った!今の発言は問題だ!」
「ハーヴィー社長に対する引退要求にも取れる!見過ごすわけにはいかん!」
「もう社長気取りか!増長しすぎだ!」
「厚顔無恥とはまさにこのこと!」
重役たちは今まで大人しく黙っていたが、ケリーの要求に堪忍袋の緒が切れた。
彼らにとって社長とはハーヴィーであり、それ以外の人間が取って代わるなど許しがたい反逆でしかなかったのだ。
そして、そんな彼らの反応はケリーの怒りを呼び起こした。
「いつまで社長に頼っているつもり!?社長を大事にするのと依存するのは別なのよ!」
「なんだと!そもそも、お前のような平社員が社長に要求すること自体おかしいのだ!」
「地位や権限がどうこう言うなら、適当な肩書をくれればいいでしょ!そうすれば万事解決よ!」
「馬脚を現したな!やはり会社を乗っ取るつもりか!」
ケリーと重役たちの口論は加速し、加熱していく。
そして、今まで黙っていたクリーヴが口を開いた。
「横流しの摘発。その関係者に事情聴取を行った。工員の何人かが『ケリーのためにやった』と証言している」
決定的な責任の追求となる言葉に、会議室が一気に静まり返った。
ケリーは机に手をついて身を乗り出し、叫ぶ。
「私が頼んだわけじゃない!」
「そうだろうな、本人たちもそう言っていた。あくまでも自発的な行動だと。責任転嫁したい者もいるかもしれん」
身の潔白を主張するケリーと、同意するクリーヴ。
しかし、両者の見解には埋めがたい溝が存在した。
「君からすれば巻き添えを食らっただけ。だが、人の上に立つということは、理不尽な責任を取らされるということでもある。本来なら厳重注意で終わらせたいところだが、君の立場と状況がそれを許してくれない」
「それは...」
クリーヴの言葉にケリーは口ごもった。
彼女が問題を起こした時、関係部署の管理者も責任を取らされたのを思い出したのだった。
そして、今度は彼女が責任を取る番が巡ってきたことを理解した。
一方のクリーヴも、最後の提案を口にすることを躊躇っていた。
(これを口にすればもう後戻りはできない。本当にこれでいいのか?)
後継者レースの真っ最中に社内で争うなど馬鹿げている。
ケリーの優秀さは承知しているし、ハーヴィーにも恨まれるかもしれない。
だが、会社とハーヴィーを守るという意思は、それらの葛藤を乗り越えていった。
「ケリー・ターナーの解雇を提案する。理由は指揮系統を乱して現場の暴走を招き、組織運営に実害を与えているため。審議が必要なら、取締役会で採決しても構わない」
「賛成だ!」
クリーヴの提案に重役たちは一斉に声を上げた。
「待て、本気なのかお前達!?」
ハーヴィーが慌てて口を挟むが、重役たちは一歩も下がらない。
「もちろんです。心苦しいでしょうが、全ては会社と社長のためです」
「私は反対だ!新商品の立役者を解雇にするなど、おおよそまともな判断ではない!」
ハーヴィーは重役の1人が発した言葉に噛みつくが、それでもなお彼の意思は硬かった。
それどころか、その場にいる重役たち全員がケリーの解雇に賛成していた。
「そんな馬鹿な...」
ハーヴィーは唖然とし、二の句が継げなくなった。
自分の指示を絶対に遵守してきた重役たち。
その彼らが全員揃って、ここまで強烈な拒否反応を見せるとは予想だにしていなかった。
そして、重役全員が賛成したことで、ハーヴィーだけでは止められない状況へと発展した。
(取締役会に持ち込まれれば、議決権の数差でクリーヴの提案は間違いなく承認される。これはどうしたものか......)
取締役会の多数決において社長の1票も、他の取締役の1票も重さは同じ。
いくら社長とはいえ、ハーヴィーができることには限度がある。
ケリーの解雇は避けられないものとなり、ハーヴィーは顔を歪めて苦悶するしかなかった。
(父の負担を減らすどころか、私が父さんの負担になっている...)
ハーヴィーの様子を見て、ケリーもまた胸を痛めていた。
会社は割れ、自分の解雇は避けられず、長年上手くやってきた父と部下たちの間に亀裂が入ろうとしている。
このままでは父の仕事を引き継ぐどころではなかった。
(どうする?父さんは私に残ってほしいみたいだけど...。ここから巻き返す方法なんてあるの?)
チラリとクリーヴの方を伺う。
彼の顔は厳しかったが、その目に浮かんでいたのは怒りや憎悪ではなく、ただ覚悟だけが存在していた。
この様子では、いくら言葉を尽くしても翻意させることは不可能だろうと悟る。
(ケリーの存在が現場の暴走を招いている。このまま放置すれば、最後には社長へと飛び火するだろう。社長に恨まれようとも、会社と彼を守るためにやるべきことをやる)
クリーヴにケリーを恨む意図はなく、ただ今やらねば全てを失うという恐怖心が彼の背を押していた。
そして、彼を支える意思の強さはケリーにも伝わっていた。
(クリーヴたちは優秀。彼らは必死になって父を支えてくれるから、私がいなくても会社は上手く回る。なら、邪魔なのは...)
父には療養してほしい。
父の夢を叶えたい。
どちらを優先するのか。
HSサウス社で働く前なら違っただろう。
だが、仕事を通じて夢を叶える楽しさを知り、父のことを深く理解したケリーが選んだのは後者だった。
「解雇を受け入れるわ」
ケリーは席を立って会議室を見渡し、背筋を伸ばして胸を張り、はっきりと宣言した。
泣き言を言わず、目尻に涙を浮かべたりもしない。
その潔い態度を前に重役たちは鼻白み、ケリーへの疑いを薄れさせるが、今更撤回するはずもなく押し黙る。
そして、ケリーはハーヴィーを少しだけ見た後、会議室を退出した。
リオはケリーの背を数秒見送った後、覚悟を決めたように口元を引き締め、立ち上がる。
「僕も会社を辞めます。彼女についていくと決めたので」
リオがそこまでするとは思っていなかったのか、重役たちの口から驚きの声が漏れた。
ハーヴィーはリオと視線を合わせ、一言だけ発した。
「頼む」
「任されました」
リオは頷き、ケリーの後を追って会議室を出ていく。
一方、会議室に残った者たちも満面の笑みなど浮かべていない。
娘を失ったハーヴィーは目をつぶって手で口元を覆い、嘆きが漏れそうになるのを必死に堪えている。
クリーヴたちも目的は達成したが、ハーヴィーに逆らった後味の悪さに、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
ケリーの解雇。
この日、HSサウス社で起きた騒動は方々に伝わり、後継者レースの競争相手たちにも影響を及ぼすこととなる。




