第九話 差す影
目を覚ましたのはスマホのアラーム音。画面を確認すると、昨夜の通話の画面は何も残っていなかった。しかし昨夜の事を嘘では無いと証拠付ける様に華凛さんからのメールで『充電切れちゃったみたい。ごめんね、また学校でね。』と送られている。
寝落ち通話は嘘では無かった上にまさか本当に華凛さんと夢の様な会話を一晩続ける事が出来るとは思ってもいなかった。思わず口元を緩ませて夢の余韻に浸ろうとするが、身体は既に起き上がって登校の準備を始めようと足を動かそうとする。
そこで枕元に置いていたスマホが突然震え出した。画面を見ると華凛さんから『学校行くね。』とのメッセージ。今の一瞬で寝惚けた脳は覚醒し、急いで身支度を始める。
そして朝食を摂る時間は無いものの、せめてもと思い洗面台の鏡の前に立つ父の横で歯を磨き始めた。
聖裕「んふっ...」
父「そんなニヤニヤして聖裕、可愛い子でも学校にいた?」
聖裕「まぁね。」
父「そっかぁ、もう彼女出来たんだ。」
聖裕「!?」
とんでもない勘違いをされた。しかし半分当たっている様なものであるが、それは勘違いかもしれない。そろそろ登校しなければならない為話を濁して洗面所から抜け出すと部屋に戻り学生服に身を包んで鞄を持つと家を出た。
桜が徐々に緑を帯びる。緑く染まる木々と快晴の青い空。夏は早くに来そうだと考えながら高校へと足を急かした。
_無事に学校へ着き、昨日と同じ日々を送る。変化した事と言えば、今日から本格的な授業がスタートした事だろうか。授業の開始と共に配布される教材は真新しい物ばかりで、それを見ると初心に戻れた様な気がする。
時間の流れを昨日よりも早く感じながら、時の流れに意識を戻した時には既に昼休み。皆は校庭に出ているのだろうかと窓を開けて校庭を眺めようと身を少し窓から出した時。目の前の光景に疑問を思ってしまった。
聖裕「え...?」
花壇の傍に一つ、孤独な影。五階から見下ろす形で此方が見ているため断言は出来ないが、あの髪、シルエット。恐らく華凛さんだろう。何故誰にも気付かれない、いや。見つからない様な場所に一人で突っ立っているのか。
更に微動だにせずにただ立ち続けるその姿は何か悩み事でもあるのか、または単に考え事をしているだけなのか。あるいはどちらもか。目の前で起こっている光景がどうも不可解な物で、気付いた時には身体は階段を駆け下りて校庭を目指していた。
廊下を走るなと言う生徒指導の先生の声も無視して学校中を駆け回った自分は息を切らして花壇へと辿り着くと、一人俯く彼女を見つけた。
聖裕「華凛さん!」
華凛「っ!」
身体を震わせては此方に振り向く華凛さん。普段よりも少し表情が暗い様な気がして彼女に寄り添う様に隣へ立つ。
華凛「どうしたの...?」
聖裕「う、上から校庭眺めてたら華凛さんが一人で立ってるの見つけて...」
華凛「ふっ、そっか。大丈夫だよ。ありがとうね。」
そう言って頭を撫でてくる華凛さん。その笑顔に少し安堵するが、やはり何処か空元気の脆さを感じてしまう。瞳が空虚な様に見える。
一体今日の間に彼女に何があったのか、疑念が渦を巻くもここで深く掘り下げて彼女の気を損ねる事になっては元も子も無いと口を噤む。
聖裕「華凛さん...何かあったんですか?」
華凛「...ううん、何も無いよ?」
嘘だと分かる程に声を震わせる彼女は再び空元気で誤魔化そうとするのかと思いきや、突然自分の腕を掴んでくる彼女の表情は何処か切羽詰まっていた様に見える。そしてそのまま腕を引っ張られた自分は校舎裏に連れて来られていた。
華凛「今日、また一緒に帰りたい。お願い。聖裕君。」
聖裕「良いですけど、大丈夫なんですか...?」
華凛「...ちょっと一人じゃ帰れないかもしれないから。」
一体学校で何があったのか。段々と胸に突っかかりが出来てくるのを感じるが、何も言ってこない彼女に対して深く追及する事は出来ない事に変わりは無い為に此方も口を噤んだ。そしてタイミングの悪い事にチャイムが鳴ってしまう。
思わず身体が強ばるが、華凛さんは此方に向き直ると両腕で力強く抱き締めて来る。
聖裕「か、華凛さん...?」
華凛「...放課後、少し待っててね。」
低めの声でそう言う彼女は一層力を強める様に抱き締めては緩めた後去ってしまった。姿が見えなくなるまで見送ってから教室に戻って午後の授業を受けたが、その間もずっと彼女の事しか考える事は出来なかった。
そしてあっという間に時間は過ぎてしまい気付けば帰りのHRが終わっていた様で担任の先生より解散の声がかかると自分は鞄を持ち席を立ち上がる。階段を降り、下駄箱へと足を進める中でスマホのバイブレーション機能が振動する。
華凛『今から下駄箱行くね。正門で待ってて。』
聖裕「あ、分かりました。」
どうやら正門で待っていて、との事なので下駄箱に自身の上履きを仕舞っては正門へと足早に向かう。
辿り着いた時にはまだ華凛さんは来ておらず、スマホをポケットから取り出すと意味も無くスマホを弄ってしまうが、それも束の間。ローファーの軽い足音が此方へ近付いて来ている事に気が付き振り返ると、やはり彼女だった。
華凛「待っててくれたんだ。」
聖裕「そりゃそうですよ、華凛さんの顔暗かったから心配して...。」
華凛「...そっか、ありがとね。」
そう言った彼女の笑顔はどこか切なそうで、痛々しさすら感じる。
彼女を連れて帰るのが日課となっている事を実感しながら帰路につくといつも通り彼女に声を掛けてから歩き始めたのだが、その間会話も続かずお互いに無言を貫いていた為に場は淀んだ空気に包まれてしまう。
此方が考えすぎているのか、それとも華凛さんが考えすぎているのかは分からないが、この空気感は自分にとって居心地が悪い。何か話そうにも話題が無い為に何も話す事が出来ずにいる自分が情けなく感じてしまう。
聖裕「あの...」
華凛「...ん?」
気まずくなってしまった雰囲気に思わず口を開いてしまったものの、その後に続く言葉が出てこない為再び口を閉ざしてしまう。しかしそんな自分を見兼ねてか彼女は優しく微笑んでくれると此方の手を握ってくる。
そして少し間を置いてから口を開くとこう告げたのだった。
聖裕「言いたい事は分かるよ。大丈夫、学校では何も無いから。」
聖裕「えっ、何もって...?」
華凛「...絶対秘密に出来る?」
真剣な表情でそう言ってくる彼女だがその目は何かに耐えている様にも見える。自分は何度も頭を縦に振って肯定すると彼女の手を取り両手で包み込んだ。少し驚いたように此方を見たものの彼女は唇を噛んで俯くと前髪が垂れて表情を隠してしまう。
一体学校で何があったのかと言う不安感は増していくばかりだが、今はただ彼女が口を開くのを待つしか無いだろうと思い黙って待つ事にしたのだが、華凛さんは一向に顔を上げない。俯いたままである。しかし、その原因に気付いてしまった。
足元に上から垂れる液体。一滴、また一滴と彼女の足元に染みを生んでいく。肩をビクビクと震わせては遂に此方を抱き締めて来た。脊髄反射で彼女の背中に手を添えて撫でる。
華凛「ごめんね...私聖裕君の思い浮かべる程、理想の華凛じゃ無いから...。私、聖裕君に嫌われるのだけは嫌で...!
昨日あんな事言ったのだって嫌われたらどうしようって、それで聖裕君に頼って今時間奪ってるのに何も返せて無くて、こんな私を好きでいてくれてるのに...!!」
訴える様に、それでいて弱々しく吐き出された言葉達。やはり彼女は昨日の言葉とその前の通話で何か自分に想いを伝えてくれたのだろうと確信を持ったがそれは彼女の言葉に阻まれる。
華凛「聖裕君...話していい...?絶対内緒にしててくれる...?」
聖裕「は、はい。絶対秘密にします。」
華凛「...私___」
言葉を放とうとした時、彼女は何かを思った様に言葉を押し殺した。そして再び強く抱き締められ鼻をすする音が耳元で聴こえる。彼女の言葉を待っていると、先程の言葉を塗り替えて言い換える様に別の言葉を紡いだ様で。
華凛「私ね、華道部が唯一の居場所なんだぁ...」
聖裕「え...?」
華凛「私友達少なくてさ...男子とは仲悪いし、運悪く三年のクラスは仲悪い人間が固まっちゃってね。色々あって今の私の居場所は華道部。でもそれ以上に安心出来るのは家でも無くて、君。聖裕君。君なんだ。」
聖裕「華凛さん...」
肩から聞こえる声。それは涙に濡れていて、彼女の言葉一つ一つが胸に突き刺さって来る。彼女は今どんな表情をしているのだろうかと気になったが、それを聞く事は出来なかった。涙に濡れた声に、鼻をすする音。
彼女の言葉は一言一句逃さず鼓膜を震わせて脳に刻み込まれた。
華凛「ごめんね...泣いたりなんてしてさ...。君に頼ってばっかりでごめん...。」
聖裕「良いんですよ、華凛さん。その...華凛さんに頼って貰えるのが、凄く嬉しくて...。」
華凛「ふ...ふふっ、そっかぁ...。」
まだ少し引きつっているだろうか、喉を鳴らす様な声で笑う彼女だがなんだかその声に安心を感じてしまうのは自分がおかしいのか。腕を掴んでくる彼女の手に力が込められる。
そして身体をゆっくりと離しては顔を隠す様に俯いて此方を見上げると涙で濡れた顔は無理に笑顔を作っていた。
華凛「今日さ、私の家まで送って欲しいな。もし聖裕君が嫌じゃ無ければなんだけどさ。」
聖裕「嫌なんかじゃないですよ、寧ろ僕で大丈夫です?」
華凛「聖裕君じゃなきゃ嫌だな、」
気のせいだったら良いのだが、此処最近華凛さんの言動が妙に変に見える気がする。何故か冗談混じりに言っている様にも聞こえ、以前の様にからかいも含まれているのだが、何処か甘い様な、こそばゆい様な感覚を覚えて心臓の鼓動が早くなる。
しかしそんな彼女に嫌と言う感情は一切湧かず、寧ろもっと彼女の側に居たいという想いの方が思考を上回ってしまい、身体は華凛さんの方へと抱き着いていた。
華凛「もう...どうしたの?最近結構甘えんぼだよね?」
聖裕「華凛さんだって好き好き言ってくるじゃないですか...。」
華凛「あ、あれはその...ね?」
聖裕「華凛さん...好きです、何度も言ってますけど、僕はあなたが好きです。」
華凛「し、知ってるよ?」
聖裕「めちゃめちゃ好きです...」
華凛「ちょ、ちょっと今帰宅中だからあんま言うと私まで我慢出来なくなっちゃうから本当にやめて...!」
顔を真っ赤にする彼女。先程までの憂鬱な気分は何処へやら、互いに頬を染めて帰路を歩んで行く。確かに道の真ん中で言う事では無かったか、と少し反省をしながらも顔から熱が引くのを待つ事にした。
日暮れに照らされて歩く二人の影は密着する様に伸びていて、春の暖かい日差しを浴びての下校は一日の終わりを知らせる事となっていた。
華凛「ねぇ、昨日言った事覚えてる?」
聖裕「通話のですか?」
華凛「そ、結構恥ずかしい事言っちゃったからさ。私前より甘えちゃってるし、このままじゃ聖裕君に依存しちゃいそう。」
聖裕「全然良いですよ、華凛さんが僕を心の拠り所としてくれるなら。」
華凛「全く聖裕君はさぁ...本当に私を好きになって良かったの?」
聖裕「逆に...華凛さんは僕の事どう思ってるんですか?」
華凛「んー、ん-...まぁ、今聖裕君がいなくなっちゃったら困っちゃうなって感情。言語化するのが難しそうな感情かな。」
聖裕「あ、ありがとうございます。」
華凛「んふっ、その返事は予想してませんでしたーって感じ?」
聖裕「不意打ちですよ本当に...」
華凛「んー?そかな、」
そんな他愛も無い会話。何か特別な事が無くとも、ただただ会話をするだけでも彼女となら満たされた時間を送る事が出来るのだが、それでも物足りなさを感じてしまう自分が居るのは確かだった。
当の彼女は相変わらず此方の表情や顔に現れる変化の機微を楽しんでは此方の反応を見て微笑んでいる。
華凛「顔真っ赤だねー?」
聖裕「誰のせいだと思ってるんですか!」
ニコニコと自分の揚げ足を取って喜んでいる彼女の顔を見ているとやはり主導権を握られている様で少しだけ悔しさが残るが、それに勝るとも劣らない愛おしさがある事に気が付いた時自然と笑みが溢れてしまった。
帰路に着く最中、やはり歩くと距離は縮まる物で華凛さんの自宅への距離も短くなって行く。自分達と彼女の自宅との距離が縮まるに連れて、会話の中で生ずる言葉の響きは音を下げて行き、遂に話題も尽きてしまった。
それでも終わりたくないと願う自分がいる事に驚きながら彼女の表情を窺ってみると、眉を下げて影の差した表情。
華凛「あぁ...もう着いちゃったか、」
聖裕「...そうみたいですね...」
華凛「うん、ありがとうね。」
そんな顔をして欲しくないのに笑顔で見送る事も出来なくて彼女になんて声を掛けるべきなのか悩んでいたのだがその必要は無かった様だった。彼女は自分の言葉を待つ事も無く抱き着いて来た為に言葉を発す事が出来なかったからだ。
不安を寄せる様に抱き締めて抱き締めて来る彼女の背中に手を回すと優しく撫でる。そして、少しして離れた彼女は此方に顔を見られない様にか背を向けては口を開いた。
華凛「...じゃ、また明日ね。」
聖裕「あっ、はい!何かあれば絶対通話かけて下さいね!」
そう大声で呼び掛けると、背を向けたまま彼女は頷いてから手を振って自宅へと入って行った。
本当にやるべき事を成せたのだろうかと、自分は何時まで経ってもこんな小さな事しか出来ないのでは無いかと少し後ろ向きな事を考えながら彼女の帰宅を見送る事にしたのだが、只管に小さくなる後ろ姿を瞳の中に焼き付ける様にして見送っていたのだった。
華凛「...ダメだってば、聖裕君。」




