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第十五話 『サイレント・カロル』 4. 接近



 光輔は一年A組の教室へ足を踏み入れた。選抜クラスとあって、体育コースの自分達の教室とはかなり異なる雰囲気が漂っていた。

 光輔の顔を確認し、一人の男子生徒が手を上げる。

「おい、ホム、こっち」

「お、栗原」

 二人はともにサッカー部員だった。

「なんか、このクラスって居心地悪くね?」

「そうか?」栗原と呼ばれた少年がサラサラの髪を揺らしながら答える。「ま、体育コースのおまえらから見たら、大人しく見えるんだろうな」

「なんか、早弁とかしてねえし、おかしいよ」

「いや、一時限目からしないっしょ」

「いや、体育コースにとっての早弁はおまえらの予習にヒッテキするんだぜ」

「マジか?」

「おお、だいたい八十パーセントくらいのヒッテキ率だな」

「おまえ、匹敵の意味わかってる?」

「まあ、かく言う俺は予習派なんだけどさ」

「嘘だな」

「うん、嘘」

 楽しそうに笑い合う。頭の程度はかなりの隔たりがあるものの、二人はよく気が合った。

「あれ?」

「ん?」

 光輔が振り向いた方角に栗原も顔を向ける。

 窓際の席に夕季の姿があった。頬杖をつき、つまらなそうに窓の外を眺めている。周囲に溶け込むことなく、また周囲もそれに触れようとはしなかった。

「古閑さんと知り合いだっけ?」

 光輔が頷く。

「あいつって、いつもあんな感じなの?」

「ん?」

「いや、友達いないのは知ってたけどさ」

「ああ」言葉を選びながら栗原が続けた。「古閑さん、おっかないんだよな。今はちょっとよくなったけど、少し前までいつもピリピリしててさ。何か言うとすぐ怒りそうな感じだし」

「ま、当たってるけど……」

 夕季が小さく息を吐き出す。

 それが光輔にはしごくつまらなそうに見えた。


「うぜえぞ、雅」

 礼也の声がし、三年生の校舎の近くで楓が足を止める。

 礼也と雅の姿があった。楽しそうに談笑する様子を遠巻きに眺める。

「じゃあ、約束したからね。破っちゃだめだよ」

 にゅっと笑い、雅が小指を立てる。

「ガラじゃねえって、クリスマス会なんてよ」

「駄目。せっかくしぃちゃんが企画してくれたんだから。綾さんも礼也君に会いたがってたよ」

「綾さんが?」

「あたしや夕季、綾さんとよくチャットで話すの。礼也君もパソコン覚えればいいのにって言ってた」

「無理だって、そんなの」

「あたしもそう思う」

 礼也を眺め、意地悪そうに雅が笑った。

 去って行く礼也を雅が手を振って見送る。

 礼也の姿が完全に見えなくなる頃を見はからって、楓が静かに間合いを詰めた。

「あの……」

「ん?」口もとをつり上げながら雅が振り返る。「あたし?」

「はい」楓が神妙な仕草で頷く。一呼吸おき、やや上ずり気味に切り出した。「先輩、こだま先生の妹さんですよね」

「ええ」

 真剣な表情でそれを口にした楓を、雅が戸惑うように見つめ返す。

「私、先生とお話したことがあるんです。教育実習の時に少しだけでしたけれど、とてもいい人だなって思いました」

 嘘だった。実習中、陵太郎と楓との接点はない。

 それが本当かどうかはわからなかったが、それでも雅は嬉しそうに笑ってみせた。

「そう。ありがとう。お兄ちゃんも喜ぶよ。ロリコンだから」

「ロリ……」

 得体の知れない後ろめたさのため、楓は雅を直視できなかった。

 顔を伏せた楓を気遣うように雅が優しげな声をかける。

「礼也君のお友達だよね」

 楓の心臓がドクッと音を立てた。

 楓が顔を上げ雅と再び向き合おうとする。その屈託のない笑顔が眩しくて、涙腺が緩みそうだった。

「礼也君と仲良くしてあげてね。礼也君、あんなふうだから誤解されちゃうけど、本当はすごくさびしんぼなんだよ」

「樹神先輩……」

「ん? 呼びにくいでしょ」光輔や礼也に向けるものと同じ笑顔で雅が楓をつつみ込んだ。「みやびちゃんでいいよ」

「……それは、ちょっと」

「そっか」涼しげに空を見上げる。「じゃ、こだまっちで」

「それも、ちょっと……」


「おいっす」

 聞き覚えのある声に夕季が振り返る。わざとらしい笑顔をふりまく光輔を表情もなく見つめ返した。

「……」

「元気?」

「……」何のリアクションもとらずに再び窓の外へと視線を投げかけた。

「待て待て、無視すんなって」

 ふん、と憤りのような鼻息をもらし、夕季が不機嫌そうな顔を向ける。

「何か用?」

「数1の教科書貸して」

「……」ぶすっとしたまま机の中を探り、無愛想に突き出す。「次の休み時間に必ず持ってきて」

 言うが早いか、すぐさま顔をそむける。

 口もとを引きつらせながら、光輔が仕切り直した。

「いやいや、あのさ。できたらちょっと教えてほしいんだけど……」

 その突き刺すような視線に光輔が凍りつく。

 昼食後の長い休憩時間を生徒達はそれぞれの目的ですごしていた。友人達と談笑する者、携帯電話とにらめっこする者、携帯ゲームをする者、次の授業の予習をする者、机に突っ伏して眠る者。だが、何もせずに退屈な時がすぎるのをひたすら待つのは夕季くらいのものだった。

 わずかに身をのけぞらせ、自嘲気味に光輔が続ける。

「次の時間、俺、当たるんだよ。すっこり忘れててさ。ここ教えて、お願い」

「知らない。自分のせいでしょ」ぷいと横を向く。「数学、苦手だから」

「いや、そんな冷たいこと言わんと。苺ロールおごるからさ。あ、また力仕事とかあったら、手伝いに行くし。いつでも呼んでよ。困ったことあったらすぐ行くから」

「……」あきれたように嘆息する。渋々シャープ・ペンシルを取り出した。「どこ」

「やった、ラッキ!」

 ジロリと夕季。

「……まったくどうしようもないな。俺って奴は……」

「……」

 表情一つ変えず、書き写すように夕季が問題を解き始める。思考時間とのタイムラグは、ほぼゼロだった。

「すげえな、おまえ……」

 二人の様子をちらちらとうかがいながら、何やらこそこそ話している男子生徒達に光輔が気がつく。顔を向けるとその閉鎖的文科系の二人はこそこそと顔をそむけた。

「?」

「おう、ホム」

 栗原の声が聞こえ、光輔が振り返る。

「何やってんだ、おまえ」

「おお、夕季に宿題教えてもらってたんだよ」

 夕季が手を止める。

「なんだよ、ホム。俺が教えてやったのに」

「マジか」

「おう。こんなの簡単。ボールと数学は友達だ!」

 夕季の机から教科書を取り上げる。

「あ、それ、夕季の」

「あ、悪い」栗原が自分のノートを持ち出し、ペンを走らせた。「はい、一個!」

「さすが選抜クラス」

「まかせろ!」

「……」夕季がゆっくりと窓の外へと顔を向けた。

「んじゃ、こっちは?」

「これはな、こうなってこうなって……」手を休め、首を傾げた。「ん? ……あ、こーだ」

「すげー」感動しながらノートを手に取り、光輔が夕季のものと見比べる。「あれ、なんか夕季のと答え違うぞ」

「何!」

「どっちがあってんだ?」

「間違ってないと思うんだけどな。……たぶん」

「でも夕季が間違ってるとも思えないし」

「……」ひったくるように夕季のノートを手にした。「ちょっと見せろ」

 無表情のまま、夕季がそろりと顔を向ける。

 栗原の目が点になっていた。

「……。こっちであってる……。んじゃあさ、これは?」夕季の顔をちらちら見ながら、自分のカバンから問題集を取り出した。「これ参考書見ても、よく意味がわからなかったんだけど」

 困ったように夕季が光輔の方を見やる。しかし何のリアクションもなく、無言のまま栗原の指した問題を夕季が解いてみせた。

「すげえ……」食い入るように解答を凝視し、栗原の体が硬直する。「この問題、何年か前のセンター試験で正解率一桁だった難問だぜ」

「そりゃそうだろ」何故か、えへん、と光輔が胸を張った。「なんたってこいつ、センター試験で満点取ったって都市伝説持ってる奴だからな。ま、数学は苦手な方らしいですが」

「光輔!」

 夕季の叫びに教室中が注目する。

 いたたまれず、夕季が泣きそうな顔でうつむいた。

 そんなことなどおかまいなしで、閉塞状態に陥った栗原の敗北感が加速する。

「こんなひねくれた問題、解けるわけないよ……」

 夕季がくすぐったそうに眉間をひくつかせる。

 そして光輔がさらに自慢げに胸を張り上げた。

「まあ、こいつもひねくれ者だからね」

 夕季がギッと光輔を睨みつけた。

「あ、睨まれた……」

「……」

「あれ? 否定しないね」

「……」ぷいと顔をそむける。

「……まあ、睨まれてもいたしかたないかも……」

 そんな二人のやりとりなど耳に入らず、栗原はひたすら敗北感に打ちひしがれていた。




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