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第十四話 『避けられぬプロセス』 12. 避けられぬプロセス

 


「おそらく、フォラスだろう」

「フォラス?」静かに告げた凪野を見据え、桔平が眉を寄せる。「それが、今発動しているプログラムの正体だと言うのですか」

 問い返した桔平に重々しく頷き、凪野は報告書を手渡しながら先につないだ。

「極秘裏にプロジェクト・フォラスは進行している。これまでの一連の流れも、アスモデウスではなく、すべてフォラスが起こしていたような節さえある」

 用語事典ほどもある分厚い報告書を手に取り、桔平は食い入るように消化していった。

「あさ……、進藤局長はそれを?」

 凪野が手を組んだまま、首を横へ振る。

「知らないはずだ」

 桔平の胸中は複雑だった。表向きトップである局長のあさみにすら知らされていないプロジェクトとは、どれだけ極秘だと言うのだろうか。自分の考えすら及ばぬ、メガルの底と奥行の深さに戦慄せざるを得なかった。

「俺達の知っているメガルっていうのは、氷山の一角にすぎないってわけですね」

 素直に心の内を晒す。

 凪野も同等のかまえでそれに対応した。

「実際のところ、君がどのレベルまでメガルの情報を把握しているのか、こちらでもはかりかねているのだがな」

 皮肉には皮肉を。

 だが、今の桔平にはそれを取り上げる余裕すらなかった。

「その情報を外部へ持ち出すことはかなわない。もし君にその気があるのならば、何日でもここで読みふけるがいいだろう」

「必要ないでしょう」報告書をパタンと閉じ、凪野へ返す。「司令官も知らない情報を知ったところで無意味に混乱を招くだけです。必要なことは、すべてあなた達が執り行うはずだ。俺達の知らないところでこれまでどおりに。ならば俺達もこれまでどおり、自分達が正しいと思ったことを続ければいい」

 報告書を受け取り、凪野が桔平を凝視する。

「その柔軟さこそが、我々に足りず、そして何より必要なものなのだろうな」

「行き当たりばったりなだけですよ」

「そうではない」ふいに口もとをゆるめ、表情を和らげた。「我々は書類の上でしか物事のアウトラインを描けない。一行文章がずれるだけで、どう対処したらいいのかもわからない。彼女が君を信頼する気持ちがよくわかる」

「……」無造作に報告書を放り投げた凪野を眺め、桔平が認めたくないものを受け入れなければならない時の表情になった。「博士のおっしゃることが事実ならば、あのアスモデウスですら単なるテストだったと言うわけですか?」

 凪野が頷いた。

「人類の進化レベルをはかるためのな」桔平以上の熱いまなざしを向ける。「これまでの接触で彼らは、人類がプログラムを受け止めるべき対象だと認知したにすぎない。これから、本格的な攻撃が始まるはずだ」

「……。……あさみにはそれを」

「言ってはいない」

「何故俺に?」

「……」

 凪野はその問いかけに答えようとはしなかった。

 それが逆に桔平にすべてを悟らせることとなる。

「……知っているようですね。すべて」

「君が自ら買って出たこともな」

 凪野の表情は変わらない。それをしごく当然のことであると受け止めているようだった。

「いつから」

「君の採用が正式に決定する半年ほど前からだ」

「どうりで。これで合点がいきました」朗らかな口調とは対照的にまなざしに殺気を宿す。「何故」

 桔平と同じ表情で凪野が答える。

「最初はそのつもりだった。だが、獣は草むらに身を潜めている時の方が恐ろしい。相手によっては剥き出しの牙が目の前にあった方が安心できることもある。危険は承知の上だ」

「なるほど。追い出されずにいたわけではなく、むしろこちらが檻に閉じ込められていたというわけですか。息苦しかったのは堅苦しい制服のせいじゃなく、のどくびに槍が突きつけられていたからだ」その目を見据えたまま、にやりとする。「怖い人だ」

「君もな」にやりと笑う。「まるで今初めて知ったというふうに聞こえる」

「白々しいのはお互い様でしょう」

「違いない」

 睨み合う二つの激情により、空間の密度が増し、空気が研ぎ澄まされる。

 不用意に吸い込めば全身を蝕む毒となる危険さを伴うほどに。

 やがて対峙に疲れ果てたように背もたれに身を投げ出し、桔平は数時間ぶりの呼吸を再開するがごとくに大きく息を吸い込んでみせた。

「……いったい、あなたは、何を背負っているというのですか」

「それを知ったところで、君のメリットは何もない」

「わかっていますよ、そんなことは」

「私もだ。君と火刈の関係をこれ以上詮索するつもりは毛頭ない。君は自分がすべきことをしろ。だが、後のことを頼みたい。進藤あさみのことも含めてな」

 桔平がぼりぼりと頭をかく。己のかなわない相手に出会った時、無意識にそうしてしまうのだった。

「当然、彼が二つの顔を使い分けていることも、知っていますよね」

「ああ」

「ならば何も隠すことはない」厳しい表情を向ける。それは凪野を通して、他の何かを見据えているはずだった。「表の顔と合わせて三つ。或いはそれ以上の顔を、あの男は持っているのかもしれない」

「……。彼の目的は、……いや、望みは何だ」

「わかりません」

「……」

「ただ、もし彼を理解しようという気持ちがあるのならば、彼からたどり着けるもっとも遠いものを思い描かなければならないのかもしれません」

 凪野が重々しく頷く。

「正義と平和、か。或いは……」

「……」

「君は……」

「はい」

「……いや、何でもない」

 凪野が口ごもる。それは桔平の前で初めて露呈した反応だった。

 その心境を察するように、桔平が笑ってみせた。

「あなたと同じですよ」

「……」

「俺はあなたと同じです」

「……。そうか」

「はい」その目を見据えながらしっかりと頷く。「信じられないほどのスピードで状況が激しく変化し、内容も複雑に交錯し続けている。間隔も日増しに短くなりつつあります。まばたきする余裕すら与えられず、常に形を変えながら遠ざかるその深い闇に対応していかなければ、到底真実へはたどりつけない」

「そしてそれが、君が彼の手持ちの捨て駒達と一線を画す理由でもある」

「……」

「人間が戦う理由は様々だが、その種類は概ね二つに大別できる。争いを求める者と、求めない者だ。君はどちらだ?」

「おかしなことを言いますね」

「?」

「俺達はそれを受け入れるしか選択の余地がないのに」

「……」凪野が笑う。「そのとおりだ」

 それに応えるように桔平が重々しく頷いた。

「彼女にとって君と出会ったことが運命ならば、彼女が君と我々を引き合わせたことも運命なのだろうな」

「すべてが必然なんじゃないですか」

 不可思議なものを眺めるように凪野が眉を寄せる。

 桔平はわずかにも臆することなく、あらかじめ用意されていた答えを淡々と発していった。

「こんなぶっそうな街なのに、人は減るどころかどんどん入ってくる。それだけのメリットがあるからです。こういった環境だと真ん中の連中が抜け、いい人間と悪い人間だけが自然と残っていく。そんな人間達を戦場で腐るほど見てきたが、良くも悪くも、生き死にの場面では真っ先に決断し、行動できる人間達です。彼らは勝手に引き合い、また俺達もそんな人間達を求めている」

 空虚なまなざしを投げかけながら、桔平は静かに先につないでみせた。

「俺とあなたがこうして刃を向け合うために引き寄せられたように……」


           *


「おい、桔平」

 トリップしていた桔平の心を、木場が引き戻す。

「んあ?」

「おまえ……。……いや、何でもない」

 何か言いたげな様子で木場が言葉を飲み込む。

 桔平が見透かしたように口を開いた。

「何だよ、はっきり言えって」

「……」

「俺の正体が知りたいんだろ」

「!」

 二人が向かい合ったまま、沈黙だけが流れていく。

 それを破ったのは、やはり桔平の方だった。

「教えてやるよ。あのな……」

「桔平さ~ん!」

 朗らかな声に振り返る二人。

 詰め所の入り口付近で雅が手を振っていた。その後方に夕季の姿が見てとれる。

「晩ご飯、食べに行きましょ。てか、おごってって、夕季が」

「みやちゃん!」

 木場が桔平の様子をうかがう。

 桔平の表情は先から変わらなかった。

 いつもとは違う雰囲気に夕季が気づく。

 それを知り、なおも攻め続けるのが雅だった。

「何の話してたの。真面目な話?」

「ん、ああ」

 ばつが悪そうに桔平をちらちらと見る木場に、雅が追い討ちをかけた。

「駄目だよ、ケンカとかしてちゃ。メッ、だから」

「ん、ああ……」

「みやちゃん……」

「何の話してたのか、教えてやろうか?」

 表情も変えずに桔平が切り出す。

 その真剣な面持ちに、三人の視線は釘づけだった。

「俺が政府のエージェントで、ある重要人物を暗殺するためにメガルに派遣されたスパイだってことを説明してたんだ。な、木場」

「……」

 どう対応すればいいのかわからない。

 雅を除いては。

「またまたあ」面白そうに笑い、夕季へと振り返る。「桔平さんって、ホント、そういうマンガみたいな話するの、好きだよね。スパイとか、エージェントとか。ね、夕季。……エージェントってどういう意味だっけ?」

「……」

 夕季は真剣なまなざしで桔平に注目し続けていた。

 それに気づき、ようやく桔平の顔から笑みがこぼれた。

「バカ。んなわけねえだろ。何でもかんでもすぐ信じてんじゃねえ。ノリツッコミだ」

「……」ぴくりと眉をうごめかせる。「……。……バカ?……」

「わかった、わかった、にう麺おごってやるから怒んな」おもしろそうに笑う。「木場が」

「な!」

「にう麺って?」無邪気にアヒル口を向ける雅。

「ソウ麺を煮込んだ……」

「あたしババンビがいいな。ババンビ、ババンビ」

「……みやちゃん、許して」

「じゃ、にんにくらーめんチャーシュー激盛り~。木場さん、ごちそうさま」

「お、おお……」

「あ、しぃちゃんも呼んでこようよ。夕季、メール打って」

「うん」

「電話したらどうだ?」

 急に思い出したように雅が振り返る。

「あ、そう言えば、綾さんが駄目出ししてたよ、木場さんのこと」

「何!」

「何だかマジ怒りっぽかったけど、フォローしといた方がいいかも。ヤバイよ、ヤバイよ~、嫌われちゃう」

「……」複雑そうな表情で木場が雅を見返した。「冗談だろ」

「もうプンスカプンでした」

「……。何も心当たりがないが……。理由は?」

「え~とね……」

「うむ」

 真剣なまなざしをぶつけ合う二人。

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……。……」

「……。……忘れてしまったのか?」

「うむ」

「……」

「……」

「……」

「あ、でも、大丈夫だよ」

「いや、大丈夫じゃないだろ……」

 オレンジ色に波打つ海岸線の彼方へと桔平が視線を泳がせる。

 その紅く染まった横顔を、夕季は眩しそうに目を細め眺めていた。






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