閑話11【監獄六区】
閑話3【思えば異世界来たもんだ】の監獄サイド、中国黒龍江省、砂俄監獄第六区・性犯罪者収容区で起きた囚人失踪事件の日中合同捜査の中国人の通訳視点のお話。
「ああ!!またかよ!!これで何度目!!?」
嗚呼、また坂本サンが荒れてる。
バンッ、バンッ…と音が鳴ること、4回、5回。
荒れた坂本サンは必ず5回、分厚い調書ファイルで机を激しく叩く。そして、ロッカーを蹴って痛がって悶絶……しない?
「坂本サン、8回目ェでロッカー蹴ると痛い、覚えたネ!」
坂本サンの成長を微笑ましく思って言ったボクを、何故か鋭く睨んでくる坂本サン。
切れ長の目をした美人に睨まれると、凄みがあってメッチャ怖いんですケド…!!
「“ゴロウ”ちゃあぁん、そぉんなにロッカーの代わりに蹴られたいのぉ?」
「ヒィ!!」
坂本サンは、ボクの名前“悟郎”を日本語読みで呼びながらゆっくり迫ってくる。
まるで肉食獣が、獲物を品定めするみたいに……怖いよぉ!!
ここは、黒龍江省にある砂俄監獄。殺人や麻薬関係よりは軽いけど、比較的重度の準凶悪犯罪者を収監する古い監獄で、ボクと坂本サンが居るのは、その中にある小さなミーティングルームの1つ。
今は、この監獄の第六区で起きたある事件の、調査員の為に充てがわれている部屋で、ボクはそこに通訳として来ている。
半年前に起きた囚人の集団失踪事件。その中に1人日本人観光客が含まれてるっていうことで、日本から捜査員が2人来た。
1人は、服部サンという30代後半の紳士。人柄も当たりがよくてボクの拙い通訳でも文句を言わずに聞いてくれる。
そしてもう1人が、坂本サンという20代半ばぐらいの若い女性。
切れ長の目が印象的で、最初見た時は知的美人に見えたんだけど……
「ほんっっっとアイツら絶対大事な所ボカしやがる!!こっちは“その証言”があって中国まで来てるってのによお!!」
目の前で暴言を叫ぶ坂本サンは、知的美人の印象からは程遠い。
「はぁ…」
「どうしたんだい?毛さん」
やっと坂本サンから解放されて、一服しようと喫煙室へと行くと、ちょうどもう1人の日本人捜査員の服部サンと一緒になった。
「服部サン。坂本サン、とても疲れるヨ」
「ははっ、すまないな、迷惑かけて」
「迷惑ナイけど、ちょっと大変だネ」
「まぁでも、アイツには俺より毛さんの方が話しやすいみたいだ。こっちにいる間は、よろしく頼む」
「話しやすい?ボクが?ボク日本語あまり上手じゃナイ、どうして?」
通訳の仕事をしてるのに日本語が上手じゃない?って思われるかもしれないけど、ボクは2年間の日本の大学への留学を終わって、この春通訳の仕事を始めたばかりの新米だ。
もちろん、中国人の中では日本語が話せる方だけど、日本人と話しているとまだまだダメなのはわかる。
そんなボクが、どうして坂本サンが話しやすいのかわからなかったけど、服部さんは説明してくれた。
「俺だとさ、先輩後輩の立場があるから、どうしても言われた事にアレコレ言っちまうんだ。でも、毛さんはこうやって話を聞いてくれるだろ。そういう所さ、坂本が毛さんにいろいろ言っちまうのは」
「そうですか。確かにボクの仕事、あちらの言葉を聞く、こちらの言葉に直すの仕事。聞くは得意」
「だろ?女ってのはさ、答えを求めるように喋ってても、ただ話を聞いてほしいってだけや、同意してほしいってことが多いんだ。だから、俺みたいに言い返してくるヤツより、毛さんみたいに聞いてくれる人の方がいいんだよ」
そうやって服部サンはニカッと笑うと、もうフィルターしか残っていないタバコを吸い殻入れへと放り込み、立ち上がって行ってしまった。
ああ、服部サンも坂本サンの相手に疲れているんだろうな。喫煙室を出て行く服部サンの後ろ姿に、ボクはそう共感した。
彼らが中国に来て調査できるのは2週間。その半分の1週間が既に経過していて、調査は難航。
と言うのも、ボクでもわかるぐらい当局の調査員達は、大事な部分の証言、囚人達が失踪した瞬間の出来事をすべてボカしている。
最初はボクみたいな新米通訳が、何でこんな重要な現場に充てられたのかわからなかったけど、中国当局側の意図を理解して納得した。
そしてボクも、中国側の調査員から強く言い付けられている言葉があった。
「この合同捜査の間、“紫の蝶々”という言葉を絶対に口にするな」…と。
だから、日本の捜査員の服部サンと坂本サンは、残念だけど無意味な2週間を過ごすことになると、ボクは思っている。
坂本サンが荒れるのも仕方ないけど、正直ボクには彼女の相手はキツい。
最初はもちろん「毛さん」て呼んでくれたけど、次の日には「ゴロウちゃん」で、「“監獄六区”だってさ。エルビス・プレスリーかよ」なんて冗談を言ってきた。
そして3日目には、あの暴言のような愚痴の数々。
もちろん、愚痴の原因がはっきりわかっているから、服部サンが言うようにボクは聞き役に徹しているんだけど、いつの間にかボクは坂本サンの相手をしたくなくて、彼女の姿を見たら逃げてしまうようになった。
そうやって時間ばかりが過ぎて行って、捜査も残すところ今日を入れて3日となった日。
「あれ?ゴロウちゃんいなかった?」
「さ、さあ。どうした?俺は今から失踪した鬼頭の…」
「まあいいや、服部さん聞いてくださいよ!!またアイツら…」
ごめんなさい、服部サン。
ボクは詰所から少し離れた柱の影で、聞こえてくる坂本サンの声から、服部サンが犠牲になってくれたことを察して、心の中で謝りながらその場を離れた。
坂本サンの荒れ方は日増しに酷くなっていく。
しまいには「お前もグルなんじゃねぇのか!?」って胸ぐら掴まれて迫られる始末。
確かに、言っちゃいけない言葉は言われてるけど、悪いのは中国側の捜査員だから、通訳に罪はない。
だから、こうして坂本サンから逃げ回るのは、正当な逃亡なのだ。
合同捜査は今日を入れてもあと3日だし、最終日は情報の確認と共有の会議で終わるから、実質今日と明日を逃げ切れば、ボクは坂本サンから解放される。
坂本サンから逃げ回り、1回捕まりかけたけどすぐに会議が始まって、会議の後もボクは中国側の捜査員と話をするフリをして逃げて、なんとか坂本サンの脅威から逃げ切ったその夜。
コンコンッと、少し強めのノックの音がした。
充てがわれたホテルの一室でシャワーも浴びて、あと明日を凌げば終わると、一息ついて寛いでいた時だった。
こんな時間に誰だろう?
ボクはガウンのままドアノブを回して
「やあゴロウちゃん、オツカレ」
後悔した。
ボクが反射的にドアを閉めるよりも早く、坂本サンは僅かに開いたドアを信じられないぐらいの力で強引にこじ開けて、ドアのこちら側へ体を滑り込ませて来る。
「ゴロウちゃん、ちょっとコレ見て欲しいんだけどさ」
いやいやいや!?日本人ならここで普通「今いい?」とか「時間大丈夫?」とか、こっちの都合を確認するんじゃないの!?
だいたい、ボクは今シャワーを浴びてバスローブ姿でくつろいでる所なんだよ!?この格好見てわからない!?
「ちょっと、坂本サン!?」
しかもしかも!!なんで勝手に部屋に入って勝手にソファに座っちゃうの!?
そもそもこんな時間に女の子が男の部屋に入って来るなんて、非常識極まりないよ!!
なんて心の中で叫んでみても、ボクのことなんかお構いなしに、何やら纏めたノートを広げて、お得意のマシンガントークを炸裂させる坂本サン。
言って聞く人じゃないのはもうよく知ってる。仕方なしに、ボクも坂本サンの隣に座り、坂本サンが手に持って広げているノートに視線を落とす。
しかし、よく纏めてあるなぁ。
喋る時は話が四方八方へ飛び回って、何言ってるかわからないことが多いけど、流石に国際捜査に駆り出されるだけあって、こうして見るとなんだかんだ頭の良い人なんだなぁって思う。
そんな風に感心して見ていると、ふとノートを持つ坂本サンの胸元で揺れ動いているモノに目が行く。
「!!」
ちょっ!?
坂本サン……胸が!!
ゆったりした襟元からは、ノートを持つ坂本サンの両腕に挟まれて、存在感を強調している谷間が!!
更に、坂本サンが熱く語るのに合わせて、ぷるんぷるんと揺れ動く!!
途端に、ボクは今の状況を意識してしまった。
夜も遅い時間
ホテルの一室
男女2人きり
ボクはシャワー上がりのバスローブ1枚の姿
坂本サンは部屋着のような、ゆったりした無防備な服装……
ダメだ、これはダメだ!!
反射的にボクは坂本サンから逃れるようにソファの隅に寄るけど、坂本サンはそのボクの動きに合わせて、ノートを見せる為に更に前のめりになる。
もちろん、胸元は更に露わとなり、柔らかな谷間を作る双丘のその頂さえも見えそうになる。
ていうか坂本サン、ノーブラ!?
ボクの心拍数は加速し続け、もう冷静に坂本サンの話を聞いていられなくなった所へ
「だからさぁ、この満ていう囚人は絶対何か見てるはずなんだって。“あの証言”だって、目撃できたのは満しかいないはずだから、絶対に満の証言のはずなんだよ」
「そ、そう」
ボクの思考に冷静さを取り戻させる言葉が、冷静さを奪った坂本サンから齎された。
“あの証言”、それに関する単語が出るだけで、ボクの緊張はMAXになる。
ボクはようやく落ち着いて、諸悪の根源である淫魔の谷間から視線を外すことに成功した。
事件発生当初、現地警察の行った調査では、坂本サンが言う“満”という囚人が「信じられないぐらい大きな蝶々を見た」と証言している。
そして、坂本サンはその証言を耳にして、今回の合同調査に名乗りを上げた…というか、坂本サンの熱意でこの合同捜査が実現したと、服部サンは言ってた。
けど、日本との合同捜査が決まってから、中国当局は情報の隠匿にかかった。
それは、5人の囚人が消えた瞬間の証言を、全て書き換えるという暴挙。
それは、通訳のボクの耳にも入って来るぐらい、中国側の捜査員には知られている。
けど、日本側の捜査員にはボクが話さない限り伝わらない。それでも、この合同捜査がおかしいことにはすぐに気付く。
だって、目撃者である囚人の聴取でさえ、日本側の捜査員には許可されないんだから。
「だからさゴロウちゃん、なんとかこの満ていう囚人の証言だけでも取りたいんだよ、協力して!」
だから、坂本サンがこういう事を言い出すのも仕方がない。
「協力して言われても、ボク通訳、何もできない」
「通訳がいないと何も始まらないんだよ!!中国側の捜査員にも1人ぐらいいるでしょ、今回の合同捜査がおかしいって思ってる人。てか、おかしいと思わない方がどうかしてると思わない?だから向こうの捜査員に頼んで、私が満の事情聴取出来るようにして来て」
「いや、そんな…」
「ていうかゴロウちゃん、なんでこんな時にバスローブなんか着て寛いでるの?あと2日しかないんだよ!?最終日はほとんど会議で終わっちゃうから、実質明日しかないんだよ!?そんな時によくそんな格好で寛いでいられるよね!?」
ソファの肘掛けに腰を仰け反らせて、再び迫る淫魔の谷間から目を逸らし、迫る坂本サンから逃げ切れないポジションでどうしていいかわからない。
いつの間にか中国側の捜査員への愚痴だったのが、何故かボクを責める叱責に変わっていて、後ろに逃げ場がないから、右へ左へ体を捩っていると、
「わっ!?」
「きゃあっ!?」
ボクらはソファから滑り落ちてしまった。
「疼…!?」
背中から落ちた筈なのに、何故か痛むオデコを右手で摩りながら、左手の自由が効かない事に気付き、一瞬後にその理由に至る。
ボクの腕には、坂本サンの柔らかな胸がのしかかり、坂本サンの綺麗で艶のある黒髪が、ボクの顔の真横からシャンプーの良い匂いを漂わせていた。
なんだよ、坂本サンもシャワーを浴びてたんじゃないか。
じゃなくて!!
この状況は本気でヤバい!!
横たわり重なり合う、ガウンのハダけた男と胸元が無防備な女。
どうしよう、どうしよう!?
腕を引こうとしても、坂本サンの体重がしっかりかかっちゃっていて、モゾモゾと坂本サンの胸をいたずらに刺激するだけで、余計に悪い事をしている意識が強くなる。
「うっ…」
呻めきながら、坂本サンがゆっくり身体を起こす。
枝垂れのように垂れ下がる黒髪から覗く美貌。
ゆっくりと元の形を取り戻しながら、ボクの腕から離れて行く坂本サンの胸。
広くゆったりした襟元から、その桃色の頂まではっきり見えてしまい、ボクは時間が止まったようにそこから目を離せなかった。
その視線がバレたのか、坂本サンはそっと胸元を隠し、ようやくそこで気まずくなって、ボクは視線を逸らした。
けど、胸元を隠すその仕草が、普段の坂本サンの暴力的なイメージとは真逆の、恥じらう乙女のそれに感じて、坂本サンの表情を確認しようと、つい逸らした視線を一瞬向けてしまった。
いつもはグッと皺のよっている坂本サンの眉間は、皺の代わりにほんのり赤くなっている。
自分のオデコの痛みに、坂本サンと頭がぶつかったのだと知る。
痛みのせいか別の理由か、潤んでいるように見える坂本サンの切れ長の瞳。
その瞳に捉えられたボクの視線は、絡め取られたように動かす事が出来なくなった。
「タダで触ったんだから、協力してくれるよね」
いつもの勢いに比べると、囁くような声で言う坂本サン。
坂本サンのクセに、そんな恥じらうような表情をするなんてズルい。
いろんな意味で、ボクはYES以外の返事を封じられてしまった。
「只需5分钟」
「5分だけ」
看守の言葉をそのまま日本語で伝えると、坂本サンは無言で頷いた。
結論から言うと、坂本サンの要求は意外と簡単に実現できてしまった。
実は、あの場で了解したのも、坂本サンの色気に惚けていただけじゃない。ボクなりの見込みがあってのことだった。
江さんという、中国側の捜査員の1人からも、今回の合同捜査の件で相談を受けていた。
江さんは今回の失踪した囚人に同郷の人がいて、なんとか見つけ出したいと思っていたが、当局からの圧力に屈しざるを得ない状況に歯噛みしていたという。
そこへ来ての日本警察との合同捜査に一縷の望みを賭けたが、フタを開けてみれば日本警察側への激しい情報規制で、名目だけの合同捜査に意気消沈しかけていたところだった。
ボクはそんな江さんに、坂本サンから迫られたその晩の内に連絡を取り、日本警察の若き熱意を伝えた。
江さんは、是非と協力を快諾してくれて、以前から当たりをつけていた看守にけっこうな金を握らせて、連絡を取った翌晩……
つまり今夜、この場を作ってくれた。
それでも、猶予は5分だけ。
看守曰く、江さんから貰った金で例の囚人、満を買収し、本来規則を破った囚人が入る独房へと入って貰った。
そしてボクら…江さんと坂本サンとボクは、看守の案内で独房へ続く廊下…ではなく、独房のある棟の外壁沿いを歩いて、満がいる独房の前へと至った。
看守の言う5分とは、看守室にある監視カメラのモニターの切り替わるタイミングらしい。
「満」
看守が声を掛けると、中から剥き出しのコンクリートの床を擦る音と、手枷の鎖がカチャリと鳴る音が聞こえた。
「毛先生」
看守が小声でボクを呼び、ボクはボイスレコーダーのスイッチを入れて、あらかじめ坂本サンと打ち合わせておいた質問をした。
「告诉我们你看到的紫色蝴蝶」
事件発生当時の様子となると、話が長くなってしまう。また、当局が規制している情報も、ある程度日本側に漏れているのだと匂わせる意味も含めての内容で、ボクと坂本サンで考えた。
「唉…」
ボクの問い掛けに、満の方も予め用意していたかのような答えを、淀みなく紡いだ。
「不敢相信…」
「何て言ったの!?」
思わず中国語で「信じられない」と呟いたボクに坂本サンが詰め寄るけど、ボクはそれを無言で手で制した。
「時間まだ大丈夫、でも、5分居る意味、ない」
5分っていうのは、最大限の余裕だ。必要な情報が聞き出せたならさっさと離れるべきだと、最初から江さんと話していたので、ボクらは囚人に礼を言ってその場を退散した。
「ちょっと、信じられない話…」
昨夜と同じく、ボクと坂本サンはボクの部屋のソファに並んで座って、さっきの事を話した。
昨日の事もあって気まずかったけど、女性の部屋へ行くわけにもいかず、他にこんな話しが出来る場所もなく、ボクの部屋ということになったのだけど、本題に入るとその気まずさも霧散するほどの緊張感が蘇る。
「とてもアンビリーバブル、信じられない、でも、満の言った言葉、そのまま日本語に訳すよ」
ボクは、ボイスレコーダーを再生させながら、一文ずつ訳した。
「私は、背がとても高いので、5人の後ろから、それが見えた。どこから入った、わからない大きいの紫の蝶々、看守の背中に付いた見た、看守の背中が裂けた。私の前にいた囚人、みんな看守の背中、入った、消えた」
「ちょ……めっちゃ鳥肌立ったんだけど…」
そう言って坂本サンは、プツプツと粟立つ細い腕をボクに見せてくる。
ボクだって、話を聞いた時は背中に針を刺された様な衝撃を感じた。坂本サンが受けた印象もよくわかる。
「嘘…じゃないよね」
「ボクは、だから、当局が隠したがった事実、思うヨ」
「なるほど。中国政府が隠したいのは、秘密の科学的な何かか、心霊現象か、宇宙人か……」
ボク達はしばらく思いつく限りの可能性を言葉にしてみたけど、どれも全部憶測に過ぎず、その晩はそれぞれ休む事にした。
坂本サンは、どうせ眠れないと思うけどって言って、ボクの部屋を出て行った。
その翌日、坂本サンと服部サンは日本に帰って行った。
ボクとしては、とても不思議な体験だったけど、またいつもの日常に戻る内に、思い出の一つになっていった。
そして、季節が移り変わり、それと共に記憶から少しずつ薄れようとしていた、その年の終わり頃。
「ゴロウちゃん、やっほー」
「え!?え!?坂本サン!?」
あれから3ヶ月しか経ってないのに、坂本サンは突然哈爾濱のボクの家へとやって来た。
「ちょっとさあ、香港に行きたいんだけど、通訳頼めないかな」
「いや、そういうことなら予め連絡してよ!!ボクの事務所の連絡先わかるでしょ!?ていうか、なんでボクの家がわかるの!?」
「さっきそこで見かけたから」
「はぁあ!?」
いやいやいや、本当に意味がわからない!!坂本サンは日本の警察官でしょ!?なんで近所の散歩感覚で哈爾濱にいるの!?
「それより、なんで哈爾濱にいるの?仕事は?」
「ああ、警察は辞めた」
「は!?辞めた!?」
確かに、警察の捜査には国家権力が絡むから限界がどうとか言ってたけど……
「服部パイセンがさぁ、ゴロウちゃんがそこの橋の近くに住んでるって教えてくれてさ、とりあえず来てみた」
「服部サン!?」
確かに、服部サンには松花江の橋の近くって話したけど、「とりあえず来てみた」で来るか普通!?
「私今フリーランスだからさ、いくらでも時間あるから、とりあえず都合つけてよ。どうせ駆け出しのぺーぺーなんだから、たいして仕事もないでしょ?」
「失礼だヨ!!月末まで仕事入ってるんだから!!」
「じゃあ、来月は空いてんだね。よろしく」
「いや、えぇえ!?」
なんか、自分で墓穴掘った気がするけど、なんだ今のは!?なんでこんなに坂本サンに都合よく話が進むんだ!?
「あとさ、江さんにも連絡取れない?香港で紫の蝶々の手掛かりがありそうなんだよね」
「え?」
あれからたった3ヶ月、いったい何をどう調べたのかわからないけど、突然現れた坂本サンは、ボクからありったけの度肝を引っこ抜いた。
そして、2月の春節の前に2人で香港へと行くことになってしまった。
そしてまさか、これがボクの一生を決めてしまう旅になるなんて、この時は予想もしていなかった。
坂本サン……今では妻となった莉子と出会った砂俄監獄第六区。
真面目な捜査現場で、莉子は
「ゴロウちゃん、“監獄六区”だってさ。エルビス・プレスリーかよ」
って笑ってた。
今でも彼女と当時の想い出話しをすると、頭の中で白い服を着たアメリカの古き良き時代のスターが、スタンドマイク片手に歌い出す。
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