第6章【辺境の農村なのに魔法使いばかりのチート集落で申し訳ありません】7
第7話【巨虎vsアーク】
身欠けの月が雲に隠れ、一層濃くなった夜の暗闇の中でも、その特徴的な体の模様がはっきりわかる気がした。
こちらの殺気に気付いたからか、その巨躯からは想像もつかないほど、静かにゆっくりとこちらに歩み寄る巨大な魔物。
平屋の屋根から頭が覗くほどの巨虎は、一踏みで簡単に潰せてしまうような小さなニンゲンを…アークを慎重に警戒している。
アークの放つ殺気か、迸る魔力か、はたまた彼の周囲に散らばる魔狼の死骸からか、アークが自分を傷付ける戦闘力を持つ “敵” だとしっかり認識しているようだ。
巨虎の一歩に合わせ、アークも摺り足で1つ前に出る。
巨虎がその大きな顔を下げ身を低くすると、アークは刀に反りを打ち重心を移動させるように身を沈める。
慎重にこちらを伺い、巨体に似つかわしくない静かな足取りで、巨虎が間合いに入る。
瞬間、打って変わって激しく地を蹴った巨虎は、最短の軌道でアークに飛びかかった。
「ゴアァアアァァァ!!」
開いた口に、アークの体など簡単に貫いてしまうほどの大きな牙がいくつも覗く。
アークは怯むことなく居合の一閃を振った。
魔法は使わない。
純粋な剣技のみでの一閃。
何かを斬った手応えは感じた。だが、巨虎に致命傷を与える程の手応えではないのも同時に感じる。
そのまま巨体の突進に吹き飛ばされ、アークは何転も地面を転がって行く。
意識を失わなかっただけでも僥倖といえるほどの衝撃で、すぐに立ち上がることもままならない。
横たわったままのアークは直ぐさま視線だけでも巨虎に向ける。
巨虎は追撃してくる様子はなく、痛みに苦しんでいる様だった。
見ると、巨虎の右頬がざっくりと裂け、大量の血がダバダバと流れていた。
さっきの手応えは、巨虎の右頬を斬り裂いたものだった。
まるで右の顎だけ外れたように斜めに開いた口に、噛む為の筋肉が殆ど斬れたのだとわかる。
そのため、噛み砕かれることなく吹き飛ばされただけで済んだのだとわかった。
だが、立ち上がれないほどの全身強打と引き換えに与えたダメージとしては、割が悪すぎる。
アークは、危機感よりも悔しさの方を強く感じていた。
負けたくない。
それは、目の前の強大な魔物に対してではなく
数ヶ月前、突如現れてプライドを粉々に砕いた、自分よりも年若い1人の男に。
あれだけ吹き飛ばされたというのに、アークの右手には石刀が握られていた。
そういえば、レンが「刀はサムライのタマシイだ」とか言っていた。
サムライもタマシイも、何のことだかわからなかったが、サムライは剣と忠義に生きる戦士で、タマシイは命そのもののことだと聞いた。
農園で育ったアークには、忠義などというものもピンとこないが、これだけダメージを受けるほど吹き飛ばされたと言うのに、石刀を手放さなかったなんて、自分もサムライになったのかと、ふと笑みが溢れた。
知らず知らずのうちに、随分レンに影響を受けている。
最初は、突然現れて、自分たち兄弟妹の何年分もの努力を嘲笑うかのように、なんでもできてしまうレンが大嫌いだった。
あいつに出来て自分に出来ないことはないと、レンのやる事全て真似した。
レンが持つ、自分に属性のない魔法に挑戦したこともあった。もちろん出来なかったが。
レンを超える。その一心でこの数ヶ月魔力と技を磨いて来た。
そして、その目標達成に相応しい明確な敵が、“幸運”にも目の前に現れたのだ。
レンに自分を認めさせてやる。
そして、負けを認めさせてやる。
そのためには、まずこのデカブツを倒す!!
アークは、石刀を杖にヨロヨロと立ち上がった。
巨虎も、がっくりと下がってしまった顎をそのままに、再びアークを狙う姿勢で構えた。
アークは、痛みフラつく身体を無理矢理立たせ、再び居合に構える。
立っているだけで身体のあちこちから激痛が走る。おそらく何本か骨も折れているだろう。
だが、そんなものは集中力でなんとでもなる。アークはそう自分に言い聞かすが、どうやら左手は今のダメージで動かないようだ。
ならば右手一本で倒してやる。そう決意し、右手に掴んだ石刀を強く握り直す。
巨虎は、ダメージのある右頬を庇うように、左半身をアークに向け、アークを中心に左回りに円を描くように動く。
その歩みは、先程までの異常に静かな足運びではないが、慎重さの感じられる動きだった。
アークは、レンの動きを思い出す。
初動が遅いと何度も指摘された。
流れるような動作のレンと、自分の剣技の違い。
違うのはわかるけど何が違うのか、何度やってもわからない。
呼吸がどうのこうのと言っていた。
空気を吸って吐くだけの呼吸になんの意味があるのか、さっぱりわからなかったが、レンに出来て自分に出来ないということは、レンにあって自分にないものがあるという事だ。
わからないが、疎かにしては先に進まないことは理解していた。
大きく息を吐き、吸うと同時に無意識に石刀を背中に担ぐように構える。
片手で振るのに、より威力を得る為に助走距離を取るように。
左回りに動く巨虎は、視線と殺気をアークに向けたまま、アークの真横まで来る。
間合いは変わらない。巨虎が一足飛びで詰められる距離で、アークの石刀では数歩寄らなくては届かない距離。
アークは動かない。
巨虎は真横を過ぎたが、アークの視線は正面を向いたまま。
月明かりも乏しい闇夜では視覚はさほど頼りにならないことを、森で狩をして来て熟知しているアークは、視覚以外の感覚全てで巨虎を捉えていた。
遠くで風切り音が聞こえた。
自分を呼ぶような声も微かに聞こえる。
アイツが来る。
安堵より、焦りを感じた。
この獲物は渡さない。
そう思った瞬間、アークの殺気が膨らむ。
アークの視界から身を半分ほど先へ進めていた巨虎は、もう3歩先を目指していた。
アークから完全に死角になる瞬間。
その瞬間を狙って、静かに歩を進めていた。
その瞬間だけ歩むテンポを変え、相手が予測しているのとズレた位置から攻撃を仕掛けようと。
獲物を狩ることと、生きることがほぼイコールの、肉食獣が持つ本能とも言うべき能力である。
遠くで風切り音が聞こえた。別の人間の声も聞こえる。
巨虎にとってこの獲物を仕留めること以外、すべて意識の外側の出来事として切り捨てる。
だが、その人間の声を合図にするように、突如獲物の殺気が爆発するように高まった。
巨虎は、爆発する殺気に当てられるように、目的の位置より後一歩手前だというのにアークに飛び掛かってしまった。
それは、自らの突進に反応して反撃したこの達人相手では、明らかな悪手であった。
視界から消えた瞬間、巨虎の動きが変わった。
レンの接近を感じて、殺気と集中力が上がった瞬間の巨虎の急な動きの転換に、アークもまた呼吸を合わせたように反応する。
「はっ!!」
本気の一撃を出す時、レンがするように、自然と呼気に声が乗る。
同時に、背に担いだ石刀を右腕一本で一閃。
最後の最後に取っておいた一握りの魔力を振り絞り、石刀を巨虎との間合いを埋める長さにまで瞬発的に伸ばす。
アークの石刀は、巨虎の首に深々と食い込み、頚動脈を切断。
骨に当たった所で止まってしまったが、石刀の重みと勢いで、巨虎の巨体は飛び込みの軌道から逸れて、アークの眼前スレスレの地面に倒れ、滑っていく。
倒れたまま動く様子もなく、ただ痙攣する巨虎。首を刎ねる程の威力ではなかったが、十分な致命傷を与えたようだ。
アークは、石刀を振り切ったままの姿勢で固まっていた。
やった…
巨虎に勝てた手応えと、目の前に横たわる巨体と、そして…
「アーク!!」
アークが編み出した、石柱を魔法で伸縮させる移動法により飛んで来たレンが、アークに駆け寄り、倒れた巨虎を見る。
「すご…アーク、倒しちゃった」
ライバルに己の実力を見せつけることが出来たことに、アークは静かに歓喜し、石刀を振り切った姿勢からまっすぐ立ってレンへと顔を向けた。
「オレは、倒れなかったぞ」
あの日、巨虎を倒した直後に魔力欠乏で倒れたレンに対し、自分は余力のあるまま巨虎を倒したのだと言いたいのだろう。
レンは巨虎の首を刎ね飛ばし即死させたが、アークは致命傷を与えたにとどまった。
だが倒したことは同じだ。その上で余力を残した自分は、あの日のレンを超えたということだ。
「うん、僕の負けだよ」
負けず嫌いのアークの言わんとすることを上手く読み取ったレンも、その功績を素直に認めた。
「へへっ」
アークは、一歩前へ出て巨虎の身体に手をつき、もたれかかるように背を預けて崩れ落ちた。
やがて巨虎の息が止まり、マークは莫大な魔力を手に入れた。
レンは、しばらく巨虎の死体を見ていた。
なんとなく、あの時の巨虎よりも大きい気がする。
まさかアークが倒してしまうとは。
早々に自分など超えられてしまうなと、思わず笑みが溢れた。
別に、レンは自分が最強であるとか、そんなことは一度も思ったことはないし、拘ってもいない。
ここの魔法使い達が、本気でレベルアップしようとすれば、自分なんかすぐに追い抜かれてしまうとわかっていた。
最近では、特にアークとはその差がどんどん縮まっているのを感じる。
レンは、たまたまこの世界に来てすぐに、大きな魔力を得てしまったのだと最近になって気付いた。
この世界に来たその日、まだミッツと出会う前の見知らぬ森の中で見つけた、不思議な茶色い大きな何か。
手を触れた瞬間、ぼんやりと光って身体がゾクッとしたあの時、魔物の魔力を得ていたのだろう。
あの茶色い塊がなんの魔物かはわからないが、この虎より大きかったような覚えがある。
手を繋いでいたミーユにも魔力は流れたようなので、半分こしてもまだあれだけの魔力があったのだ。
アークがこの巨虎の魔力を得たのなら、もう明日にでも自分に追いついてしまうだろうと、自分も巨大魔蝙蝠の魔力を得たことをすっかり忘れているレンだった。
巨虎にもたれ、眠っているというよりは意識を失っているようなアーク。
ふと、肩の位置がおかしいとレンは思った。よく見ると左の鎖骨が折れているようだ。
他にも怪我をしているだろう。
レンは、手に治癒の魔力球を灯らせ、アークに当てた。
鎖骨の折れたところに魔力を当てると、魔力球はフワッとひと回り膨らむ。
しばらくそのままの状態でいると、やがて元の大きさに戻る。
アークの鎖骨が治り、肩が元の位置に戻っていた。
魔力球でゆっくりアークの身体をなぞると、また魔力球が大きくなる箇所があった。
レンは治癒魔法に、外傷のない見た目からわからない怪我を見つけられる、センサー機能のようなものを無意識に発動させていた。
何度か繰り返し、もうアークに大きな怪我はないと、立ち上がるレン。
幸い、魔狼も大百足もこっちには来ないようだが、まだ壁の周りをウロウロしているのだろう。
気を引き締めて、レンは意識を失っているアークを背負い、石壁へ向かって歩いて行く。
飛んで戻るほどの魔力がないわけではないが、まだ何が起きるかわからない夜に、油断はできない。
温存できる魔力は、無駄に使わないに越したことはないのだ。
「ミルク、少し落ち着け」
「だって!!あの虎がまた出たんでしょ!?落ち着いてなんかいられないよ!!」
「レンが行ったんだ。万が一もないさ」
「でも、間に合わなかったら…!!」
「巨虎が現れたかもしれない」とレンが言ったことで、ミルクは落ち着きなくウロウロしている。
そのミルクに落ち着けというカーズも、決して落ち着いているわけではないが。
2人とも、かつて目の当たりにした巨虎の恐怖と、以前まだ魔狼に苦戦していた時に見た、瀕死のアークの姿を思い出し、気が気でなくなっているのだ。
それでもまだカーズは冷静でいる方だが、ミルクは本格的なパニックになっていないだけまだマシというぐらいには落ち着きがない。
石壁からは、ガリガリと壁を硬い何かで削ろうとする音も聞こえる。
大百足が石壁を齧っているのだろうか。
レンが造った石のシェルターの中に居るとはいえ、予断のならない状況に、未だ空気は緊迫したままだ。
トッ
と、天井から何か物音がした。
しばらくして、天井の角の一部に穴が空く。
「おーい、カーズー」
「レンだ!!」
「レン!!」
穴から聞こえるレンの声に、カーズもミルクも弾けるように飛び出した。
テントで休んでいたマーサーと、ミーユの側にいたサラも様子を見に出て来る。
「アークを下ろしたいから手伝って」
レンの口調から、とりあえずアークは無事なのだろうとわかるが、その姿を見るまではまだ気が抜けないようだ。
カーズとマーサーの助けを借りて、アークを下に連れて来た。
シェルター内は、ミルクの光魔法で生み出した光球に照らされて、その明かりの下で見るアークは、疲労と魔力切れで少し痩けているが、落ち着いた顔色で寝息を立てていた。
無事なアークの姿を見て、みんなようやく気を緩めた。
落ち着いたところで、レンから事の経緯を聞く。
「あの巨虎を、1人で!?」
アークが1人で巨虎を仕留めたことに驚くカーズは、魔蝙蝠には親玉が居て、それがレンでも苦戦する相手だったと聞いて慄いて、まだ外を彷徨いている大百足は、外殻は硬いが口から攻撃を突っ込めば倒せると聞くと、今から倒しに行こうと息巻いてと、とにかくリアクションに忙しいかった。
「魔狼も大百足も、此処には入っては来れないから、中にいれば安心だよ」
そうレンが言うので、疲労困憊な一同は、石壁の中で一晩をやり過ごすことにし、それぞれ身体を休めるために、倒壊を免れたテントへ入った。
やがて、それぞれのテントから聞こえる寝息が、1つ2つと増えていく。
雲の切れ間から身欠けの月が覗き、青く淡い光を地上に落とす。
淡い月光は、巨虎の死体を優しく照らし、その傍に白い人影を浮かび上がらせる。
白い人影──足首まである長いローブの様な羽織りと、その下から覗くゆったりした作りのズボン。頭には丸い玉を乗せたような大きな帽子。その全てが白一色で統一された──は、暗闇の森に不自然に建つ石壁を眺めていた。
「狼も蝙蝠も、ほぼ全滅させたか。 ムカデはまだほとんど生きているが…うまくやり過ごしているようだな。気配から察するに、魔法使い共は全員生き残ったか……」
巨虎の傷口に手で触れて、傍に転がる長い石刀に視線を向ける。
「2度も倒すとは…偶然じゃないな。今のところ、候補はここの連中だけかな。その中でも、この虎を殺った奴が最有力候補か。だが、まだまだだ。もっと成長してくれよ、“勇者”」
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