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閑話2【君の瞳は1000000V①】

現代日本、蓮次郎と美遊が行方不明になって少し経った頃のお話です。ちと長めです。

ピーンポーン


ピーンポーン


昭和を感じる、公団の鉄製のドアの前で、俺は少し緊張してチャイムを押した。


季節は春で、今日は天気も良いってのに、まだなんとなく冷たい風と北側にある玄関のせいで、薄着で来たことを少し後悔するぐらいの肌寒さを感じながら、このドアの向こうの住民の反応を待つ。返事がない。


もう一度チャイムを鳴らしてみても、人の動くような気配はない。


巴奈(ハナ)ちゃーん、いないのー?」


鉄製の玄関ドアの向こうへ聞こえるぐらいの声で呼んでみても、何の反応もない。


「巴奈ちゃーん」


あまりの無反応に、良くない想像をしつつ、もう一度呼んでからドアノブに手を掛けてみた。


ガチャリ


「え、鍵開いてんの!?」


いやいやいや、母子家庭でこれは不用心過ぎるだろ!?


良くない想像が加速するけど、俺は平常心を保ちつつゆっくりとドアを開けた。


香水とか柔軟剤とか、なんかそういう色々混ざってそうな女の子の部屋特有の匂いに少しドキドキしながら、玄関の内側を覗き込む。


過去に2度ほど訪れたことがあるが、その風景はほぼ変わらない。


暗い玄関に無造作に脱ぎ散らかされた、ハイヒールと白猫のキャラクターがプリントされた健康サンダル、そして隅に揃えて置かれた幼児サイズの可愛らしい女の子の靴。


以前の俺の記憶と違うのは、出迎えるミニチュアダックスがいないことぐらいか。


「巴奈ちゃーん、入るよー」


一応断りを入れたからな、勝手に上り込むわけじゃないからな。


誰に言ってんだかわからない言い訳を心の中で唱えながら、俺が玄関に足を踏み入れると、同時に廊下の向こうからゴソッと人の動くような音がして、俺は足を踏み入れたその姿勢のまま……そっと安堵の息を吐いた。


とりあえず、良くない想像のようにはなっていないようだ。




あれから2週間とちょっと、やっぱりまだ立ち直るのは難しいのかな…


そんな事を考えながら待つ事しばし、ボサボサの茶髪のロングヘアをかき上げながら、暗い廊下の向こうから現れたのは、女性としては高めの165㎝ぐらいの身長なのに、細すぎて丈で合わせた部屋着は肩の位置がズレている、巴奈ちゃん。


「てんちょー、何?」


「おはよう巴奈ちゃん。連絡ないから様子見に来たよ」


店の接客で聞く声とは全く違う、作っていない寝起きの地声の巴奈ちゃんに、俺は努めて優しく話す。


少し幼さを感じる話し方に、俺の中では彼女の呼ぶ「店長」は「てんちょー」と脳内表記された。


「………ん」


「とりあえず、上がっていい?」


下心はない。店長として、2週間もバイトを休んでいるスタッフが心配で様子を見に来ただけなんだ。本当だ。て、誰に言い訳してんだ俺は。


「………ん、ああ、ちょっと待って」


寝室へ引き返しかけた巴奈ちゃんは、2秒ほどフリーズして再びこっちへ振り返る。


「下のカフェで待ってて。すぐ行くから」


「わかったよ」


即答して、部屋を後にし、コンクリートの階段を降りる。


下心はない、断じて。


だから残念な気持ちなどない……とも言い切れない。


とりあえず、カフェで待とう。




「おまたせ」


ボサボサ頭は綺麗に解かれ、最低限のメイクを施した巴奈ちゃんがやって来たのはあれから40分後。


どこぞの空賊ばーさんの言うように40秒とは言わないが、「すぐ行く」と言ったのならせめて半分以下の時間で支度して来て欲しい。


て、思っても言葉にはしないけど。


特に、今の巴奈ちゃんの境遇を考えれば尚更。


時間はランチタイムの少し前。客もまばらな店内で、1人でコーヒーを飲みながら40分待つのは、ちょっと気まずかったけど。


俺の向かいの席に着いた巴奈ちゃんに、メニューを差し出す。


「何か食べる?てか最近ちゃんと食べてる?窶れてない?」


「……ん、大丈夫」


巴奈ちゃんは、さっきの寝起きの時とあまり変わらない、抑揚のない言葉で手短に答える。


その様子を見て、俺は内心こっそり溜息を吐いた。


俺の知っている巴奈ちゃんは、明るく活発で、お店のスタッフにもお客さんにも人気の看板娘だ。


「もう娘なんて歳じゃないですよー」なんて本人はよく言うけど、アラフォーの俺からすれば20代の巴奈ちゃんはまだまだ娘だ。


その巴奈ちゃんは、ボーッとメニューを眺めていた。


「決まったら言ってね」


「…ん」


俺が一言声を掛けると、ようやく巴奈ちゃんの目がメニューを追いかけ始めた。




「で、仕事は復帰できそう?」


注文したランチが届き、巴奈ちゃんの食べる様子を見ながら頃合いを見計らって、本題を切り出す。


巴奈ちゃんは手を止めることなく、しばらく変わらないペースで食事を進め、なにか考える仕草のように視線を何もない方へと向けた。


「わかんない」


そう一言だけ答えた。


ペーパー布巾で口元を拭い、水を飲む。


「そっかぁ…」


巴奈ちゃんの心情を察して、つい出てしまいそうな急かす言葉を飲み込み、巴奈ちゃんに合わせたローペースな受け答えを意識する。


「最初さ、1週間ぐらいって言ってたじゃん」


「…うん」


ワンテンポ遅れて返事が来る。


俺も同じぐらい間を取って、巴奈ちゃんの様子を見ながら次に出す言葉を頭の中で選ぶ。


「まぁ、事態が事態だったからさ、俺も1週間ぐらいで終わらないこともあるかなぁとは思ってたからさ、それは別にいいんだけどさ…」


「………」


巴奈ちゃんの相槌はない。


「そろそろ、来月のシフトとか決めなきゃいけないんだけど、ハナちゃんが居てくれるのと居ないのとじゃ全然違うから、とりあえず出れるかどうかだけでも聞きたいなーって…」


「わかんない」


巴奈ちゃんの表情と声が変わった。


俺は、思わず言葉を止める。


しばしの沈黙の後、少し鼻をすすった巴奈ちゃんが、押し殺したような声で呟くように話す。


「私だって知りたいよ。いつになったら帰って来るの、あの子は?」


巴奈ちゃんの目が潤んで、小さな雫が一つ落ちた。




あれから半月か……


巴奈ちゃんは、バツイチで今は独身だけど、この春小学生になったばかりの娘がいる。


その1人娘の美遊(ミユ)ちゃんが、半月前、小学校の入学式の帰り道で、巴奈ちゃんの従兄弟の高校生と共に行方不明になった。


当初、警察を含めた誰もが、一緒に行方不明になった巴奈ちゃんの従兄弟が美遊ちゃんを連れ去ったと思った。


もちろん俺もそう思ったけど、巴奈ちゃんから「絶対に有り得ない」と否定された。


よくある、受験などの抑圧された環境でストレスを鬱積させた若者が起こす犯罪の類いとは程遠い、人畜無害を絵に描いたような臆病者の従兄弟が、そんなこと “出来るわけが” ないと、彼の周辺の誰もがそう言ったとか。


加えて、最後に存在が確認された通り沿いの小さな公園から、2人が出て来た所を全く目撃されていないという。


この街もそこそこの人口がいる。そんな街の住宅地で、学生服の男子高校生と入学式の格好をした女児の組み合わせが目撃すらされていないのは異常だった。


結果、警察は巴奈ちゃんの従兄弟も一緒に、なんらかの事件に巻き込まれた可能性が高いと判断した。


そして半月以上が経ち、事件はまだ何も進展はない。


時が経てば経つほど絶望は深まり、母親である巴奈ちゃんの精神は蝕まれていく。


地元では “令和の神隠し事件” として話題になり、噂の公園は警察による立ち入り禁止が解かれた今でも立ち寄る者はいないとか。


「そう……だね、ごめん」


しばらく、巴奈ちゃんの鼻をすする音だけが聞こえる。


正午を過ぎ、店内に客が増えて来たのを意識したのか、巴奈ちゃんが声を上げて泣くことはなかった。




最初に事件の話を聞いて、しばらく休ませてほしいとLINEが来た時は、焦って直ぐ様電話をかけたけど、電話に出た巴奈ちゃんは既に号泣状態で話にならなかった。


居ても立っても居られなかった俺は、そのまま巴奈ちゃんの家まで駆け付けたが、巴奈ちゃんは家の事も何も手につかずにいたようで、散歩に連れて行ってもらえていないミニチュアダックスのコタロウが、悲痛に吠えていた。


とりあえず、家の中を勝手に触れる範囲で片付けてやり、コタロウは俺の実家で今年定年した俺の親父と母親に頼んで面倒をみてもらうことにした。


その時から考えると、今の巴奈ちゃんの様子はだいぶ落ち着いたように思う。


俺もバツイチで、2人の子供は元嫁が引き取って行った。


まだ小さかったから、成長を見守ることが出来ない悲しさと悔しさに、酒に溺れて咽び泣いたこともある。


子を失う辛さを知っているからこそ、今の巴奈ちゃんの境遇をある程度理解できるつもりでいたけど、俺は子供の行き先も知っているし、会おうと思えば会えなくもない。


でも巴奈ちゃんの娘の美遊ちゃんは、ある日突然行方不明になってしまったのだ。


半分自業自得で子供を手放しただけの俺とは、比べようもないほど巴奈ちゃんの心の内は計り知れない。


「てんちょー、お願いがあるんだけど」


「…何?」


どきりとした。


巴奈ちゃんは店の看板娘と言える程、容姿が整っている。有り体に言って美人だ。


巴奈ちゃん目当てのオッさん客も多いし、巴奈ちゃんがシフトに入っていない曜日は明らかに売り上げが落ちる。


1人娘を失ったショックで窶れてはいるが、寧ろその窶れ具合が男の保護欲を唆る……て、こんな時に俺は何を考えてんだ!!


まぁでも、そんな巴奈ちゃんが俯き加減に視線を向けた、所謂 “上目遣い” で「お願い」なんて言ったら、俺には断れるはずもなかった。


「一緒に来て」




30分後、俺は巴奈ちゃんと警察署にいた。


「佐久間さん、御気分はいかがですか?」


聴取室に通され、2人で並んで奥の椅子に座った。


普通、無関係の人間が一緒に聴取室に入れるもんじゃないと思うけど、巴奈ちゃんが落ち着くからと、俺も何故か同席させられている。


担当する巡査に声を掛けられ、巴奈ちゃんは無言で頷く。


「ではもう一度、美遊さんが失踪した当日の様子を聞かせてもらえますか?」


巴奈ちゃんより少し年上、30を少し回った頃合いの巡査は、美遊ちゃんが失踪して直ぐの聴取も担当してた。


前回はとにかく巴奈ちゃんが泣き通しで、ちっとも事情聴取にならなかったらしい。


代わりに、最後に目撃された公園から状況証拠がいくつか見つかった。巴奈ちゃんの従兄弟の通学用リュックと、瞬間接着剤でつけたと思われる4〜12の葉が付いているクローバー。


3月になったぐらいの頃、美遊ちゃんが最近保育園で四ツ葉を覚えて来て、クローバーがマイブームって言ってたから、2人で多葉のクローバーを作って遊んでたんじゃないかって、巴奈ちゃんが言う。


鑑識からは「瞬間接着剤だけ見つからないことと、クローバーに付着した紫の粉以外は、おかしなところはない」とのことだった。


警察犬も導入されたらしいけど、どれだけ匂いを辿らせても、隣に建つ雑居ビルの壁際に至ったという。


仮に、何からの方法で雑居ビルの壁を屋上まで登ったとしたら、それこそ真昼の風景としては目立つことこと上ない。


“ビルの壁を登る、女児を連れた高校生” なんて珍事に、目撃者がいないわけがない。


結局、遺留品以外の状況証拠は見つからず、巴奈ちゃんの従兄弟は、女児誘拐の容疑者から共に行方不明になった被害者となった…てのが、この半月の調査結果だそうだ。


つまり、全く進んでいない。




巴奈ちゃんは、時折鼻をすするぐらいに涙を流す場面もあったが、大きく取り乱すこともなく事情聴取は終わった。


「もうこんな時間か」


警察署を出ると、既に陽は西へと傾き始め、学校から帰る児童が黄色い旗を持った保護者に伴われて列をなして歩いて行く。


その様子をぼんやり眺める巴奈ちゃん。その横顔が切なすぎて、居たたまれなくなった俺は掛ける言葉も見つからないので、行動で促すように先へと歩き出した。


「帰ろ、巴奈ちゃん」


「……うん」


動かない巴奈ちゃんに声を掛けると、思いのほか素直に言うことを聞いて、俺の斜め後ろを歩き出す。


警察署の駐車場に停めてあった俺の車に乗った巴奈ちゃんは、ぼんやり外を眺めていた。






「お電話ありがとうございます、カフェ…」


『てんちょー?佐久間です』


翌日、夜のピークタイムが終わり、客足も途絶え始めた店の電話が鳴って出ると、マニュアル対応の途中で遮るように、電話の相手が喋る。


「ああ、巴奈ちゃんお疲れ様。どうしたの?」


『うん…来月のシフト…』


「え?巴奈ちゃん来月出れるの?」


巴奈ちゃんが来月出れる!!そう聞いただけで、1日の疲れが吹っ飛ぶぐらいテンションが上がるのが自分でもわかる。


うん、やっぱり看板娘は必要だもんな!!店として、店長として、巴奈ちゃんは居て欲しい存在だからな!!個人的に嬉しいわけじゃないぞ!!って、誰に言い訳してんだ俺は。


「あ、堀田さん」


俺は電話を切ると、いつからそこにいたのか、近くにいた年嵩の女性スタッフの堀田さんを呼び止める。


「ハナちゃ…佐久間さんが今からシフトの相談に来るっていうから、後のこと任せていいかな?ほら、彼女いろいろあったばっかりだから、話とか聞いてあげなきゃいけないかもしれないし…」


ああ!!俺は何を言ってるんだ!!シフトの相談しに来るからだけでいいじゃないか!!


浮かれ野郎の言い訳みたいな事を口走ったけど、別に浮かれてねぇから!!堀田さんもニヤニヤしないで!!


俺は、急いでバックヤードへと向かった。




「店長、集計終わったのでチェックをお願いできますか?」


巴奈ちゃんのシフト相談がひと段落ついた頃、堀田さんがノックしてバックヤードに入ってくる。


全部終わってからにしようと思ってたけど、堀田さんの妙な目力で、俺はバックヤードからカウンターへ出た。


まったく、これから巴奈ちゃんの話しを聞いてあげなきゃいけないってのに!!


俺は集計のチェックをマッハで終わらせて、巴奈ちゃんの話しを聞くべくバックヤードへダッシュで戻った。




「夢を見たんです。美遊の夢を。あれから毎日のように美遊の夢は見るんですけど、昨日はちょっと違って……。

いつもは泣いてるだけだった美遊が、昨日は泣きながら、私を……私を励ましてくれるんです……。

ママ、ひとりぼっちで大丈夫?って。美遊がぎゅってしてあげるから、泣かないでって。

あの子、知ってたんですね。私が離婚してすぐ、美遊に「大丈夫だよ、心配ないよ」って、慰めるつもりで抱き締めていたのが、本当は私が不安で不安で仕方なくて、美遊を心の支えにしていたこと、あの子、知ってたんですね。

美遊には、レン君がついてるから大丈夫だから、心配しないでって、言われちゃいました」


「そう…じゃあきっと、何処かで元気にしてるんでしょうね。元気出して、またいつもの可愛い巴奈ちゃんに戻ってね」


「ありがとうございます、堀田さん」


あれ〜?


なんで俺の役目の聞き役が、堀田さんに取って代わられてる〜?


「あ、店長お疲れ様です。()()()()()のお話なら私が聞いておきましたので、もう大丈夫ですよ」


「堀田さんに話し聞いてもらったら、ちょっと落ち着いたから、また来月からがんばります!!迷惑かけてごめんね、てんちょー」


「あ、ああ、うん……」


いや、うん


元気になれたなら、良かったよ。うん。


別に、残念とか……思うよ!!堀田さん!!

ご閲覧いただきありがとうございます。誤字・脱字、矛盾点等ありましたら、ご指摘頂けると幸いです。

2022.3.6.軽微な矛盾点の修正をしました。

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