ヒョウの罪
ヒョウの罪。それは血で赤く染めたわけでも誰かに毒薬で実験したわけでもなかった。
ただ、自分のせいで一人の幸せにはなるハズだった人生を止めてしまった。
「何読んでるの?」中年太りした母はヒョウの顔を覗き込みながらそっとたずねる。
「!…な、何でもない。」ヒョウは慌ててその本を隠した様子を見て母はハハンと鼻息をならした。
「あらあら、ごめんねぇ。お楽しみの邪魔しちゃって♡」
その丸い顔にはえくぼが見えた。
「ヒョウ、そういうのは部屋で読むんだぞ~。」
ノンビリした声の方に振り向くと、こちらにも樽のように大きな体付きをした(ただしこちらは筋肉だ。)父さんがゴロリと床に寝ころがっていた。
ヒョウはキョトンとしていたが、ようやくその意味が分かりブンブンと顔を横に振った。
「違う!そういう本じゃない!!」
それを証明するために本の内容を両親に見せる。それは傷や火傷のケガの図と治し方だった。
「なによぅ、別に隠す必要ないじゃない。」
複雑な表情で俯くヒョウに父さんは「そういうの、好きなのか?」と面と向かって聞いてきた。
不意を突かれて戸惑ったが、否定するわけにもいかずヒョウは俯いたままコクリと頷いた。
変なのは分かっている。ギズやケガの跡が好きだなんて普通では考えられない。……異常だ。
「え~~、いいじゃない。」母さんのあっけらかんとした声がヒョウに届き、思わず顔を上げる。
この家族はヒョウを甘やかし、そして他の家より自由に育てた。そんな家だからこそヒョウはノビノビと年を重ねていった。
「そうだっ。じゃあアンタ医者なんて目指したら?」
「おぉ、そりゃいいな!!」
「医者?」
聞けば、病気や怪我を負った人を治してやる人の事らしい。なるほど自分に向いているかもしれない。それに父さんまでいいと言ってくれるなんて相当だ。ヒョウは少しその仕事に興味が湧いてきた。
「そうそう、将来一生安定よ~~~。」
「父さん達の老後の資金も安心だなぁ。」
「あとはヒョウの貰い手だけよねぇ。…あ、お嫁さん出来なかったら、アンタにおしめかえて貰うんだからね!」
「アハハハッ!父さんのも頼むわ!」父さんがフワッフワッとした大きな笑い声を立てる。
下心丸出しな両親にヒョウはバカバカしくなり「絶対医者になんてならねぇ。」と言い放つと、また二人は笑うのだ。
おバカな両親に呆れながらもヒョウはつられて笑ってしまった。……温かい家族だった。
ザザザ……ザザッ…。あのノイズが聞こえる。
次の瞬間には、修繕屋から父があの懐中時計を受け取っていた。
「いつもありがとうございます。」と父は感謝を述べ、自分と手を繋いで店を出た。
思春期のヒョウには店の向こうの部屋にいた茶髪の男の子には話し掛けられなかった。
名残惜しそうに店に目を向けると上から父の声がした。「父さん、この後も仕事なんだ。」
「…そっか。」休日なのだが、仕事なら仕方がない。
「あぁ…うん。そうだ。」
どちらも会話が得意なタイプではなかったので二人でいると沈黙が多い。
父さんは気まずく思ったのか、ポケットからタバコを一本取りだし、くわえた。火をつける。
「仕事って何?」
「警備だよ。いつも通り。」
「そっか……。」「そうだ…。」
はい、会話終了。お互い会話ベタにもほどがある。
父さんは偉い人の警備をするのが仕事だ。
普段の腹巻きとモモヒキを装着したグータラな姿とは裏腹に仕事中の父さんは制服をビシッと着て美しい姿勢で立っている。
それは母さんに言わせると『惚れ直す』ほどかっこいい(らしい。)
ヒョウも昔こそは父のような警備隊なりたいと思っていたが、ケンカがめっぽう弱い自分には無理だと最近やっと気づいた。
「…お前は、地下に落とされる奴が全員悪い奴だと思うか?」
たばこの息をヒョウとは逆の向きにフゥと出しながらそんな脈絡のないことを聞いた。
「当たり前だろ、地下に落とされるのは大体ロクでもない奴らだよ。」
授業でも新聞でも地下に落とされた奴の性格や罪、境遇を知ることが出来たがどいつもこいつも落とされて当然の奴らばかりだった。
「そうか………。」
結局父さんは何が言いたいのかヒョウにはサッパリ分からず少しだけ苛立ちが募った。
そんな自分の気色が向こうに伝わったのか父さんは「いや、なに。人の意見ってのは色々あるんだなぁって思っただけだよ。」と言った。
「父さんは違うの?」
「父さんは…そうだなぁ。半分半分だな。」
もう一度たばこの息をフゥとはくと、ある一つの話をしてくれた。
「昔地下に落とされた子はね、13だったんだよ。お前と同じくらいだな。その子の家は可愛そうで両親が病気だ。そしたら当然、家は貧乏でお金はないから稼がなくちゃいけない。その子は働くことが出来ないから盗みをしてお金を稼いでたんだ。その数なんと30件。よく気づかなかったもんだよなぁ。政府も。
『僕一人でやりました。』って捕まった時もすごく素直だったよ。きっと…家族が大事だったんだろうな。あの時の目がさ、今でも忘れられないよ。
………もちろん盗みは悪いことだ。幼い子だからって釈放するわけにはいかない…でもね、どんな事にもなにかしら大なり小なり理由があるんだよ。
それを見ようともしないで『全部悪だ』って決め付けるのはよくないなって最近になって思ったんだ。……あくまでもこれは父さんの意見だけどね。」
ヒョウはその話を静かに聞いていた。なにかとても大切なことを教えられている気がしたからだ。
ヒョウはそんな風に考えた事がなかった。そして気づけば「じゃあどうすれば良いと思う?」と聞いていた。もっと聞きたいと思ったのだ。
「んー…その人の持っている不満を解決してやれば良いんじゃないかな。家が貧乏なら政府がお金を出して家庭を補ったり、家が嫌いなら逃げ場所になるような場所を作ってやればいい。皆が自由に使える遊具とか歌ばっかり歌える建物とかね。」「フフ…なにそれ。」
「そんなのであんな事件が起きないならやすいだろう?…でもまぁ『そんなの』が作れたらの話だけど。」
「作ればいいじゃん。それが父さんのしたい事なんだろ?」
「ん~………そうだなぁ。」
どこか複雑な顔をする父さんは明後日の方向を向いた。ヒョウは密かに父さんはこれを果たすためにお国の警備隊に入ったのかもしれないなと思った。
金色の懐中時計がキラリと輝く。
これを持てるのは国に近しい者のみ…。
父さんがそれをもっているのが誇らしいと思えた瞬間だった。
ザザザ……ザザッ……
「駄目です。」キッパリと断る先生の言葉に少し大きくなったヒョウは目を細めた。「何でですか?」
担任の先生の手には原稿が握られていてそれはヒョウがかいた作文コンクールに出すための物だった。
テーマは自由であるのに駄目だと言われる理由が分からない。
ヒョウは父さんの話をもっと皆に知って欲しかった。優勝すればみんなに見てもらえる。そう思って丹精込めて書いた力作だった。
「大体なんですか?この罪人を入れる箱って。」
高く上げたおだんごをキッチリと止めた中年女性の先生の眼鏡の奥には鋭い目狐目がギラギラして見えた。国から雇われている人は皆こうピリピリするものだろうか。もっと父さんみたいにノンビリしていた方が人生楽しいだろうに、といつも思ってしまう。
「比喩です。正確には建物なんですけど…その中に罪人を閉じ込めて反省させるんです。そして本当に悪いことをした奴だけ地下に落とすんです。」
その言葉に狐目を更に細めて「…まぁ、取りあえず。これはこちらで持っておきます。」
「出してくれるんですか?」
「………内容をもっと確認してからです。」
ザザッ…ザザッ……。
「じゃ、行ってくる。」「えぇ、もう仕事ぉ?」
父さんの仕事は朝早くから始まる。
「働かなきゃマンマ(ご飯)が食べれないダロ?…フフッ、行って来ます。」
「はぁい、気をつけてね。」
そう言うと母さんは父さんにチュッとキスをした。
チュッチュッ……チュッ……と(どんだけするんじゃ。)
その見慣れしまった光景にヒョウは赤くなることもなく冷然とため息をついた。
「なにぃ?ヒョウやきもち?」
「してねーよ。」
「父さんとチューするか?」
「しないって!………早く行きなよ。」
「アハハハハッッ!」両親の笑い声を背にヒョウは自室に戻った。
今日は学校が休みだったので、図書館で暇を潰していたらすっかり暗くなってしまった。そしてその帰り道に妹のスズと会った。どうやらスズも友達と遅くまで遊んでいたらしい。
ヒョウを見つけると透き通るような白い肌を少し昂揚させ、目をパァーッと輝かせてピョンピョンとついてくる。その姿がまるで白ウサギのようで可愛かった。
金色の綺麗なロングヘアをなびかせながらスズは友達との間であった愉快な話をする。ヒョウはそれをうんうんと聞く、これが二人のいつも通りだ。
「あ、ヒョウ兄。そういえばどうなったの?例の計画。」会話の途中、思いだしたかのように手を叩くスズにヒョウは肩を落とした。
「友達にも先生にも話してみたんだ……けど、駄目だった。」例のこととは当然父さんの話の事だ。
友達には「お前さては世界をぶっ壊す気か?」と笑われ、本気だと言えば言うほどドン引きされてしまった。ヒョウは真面目に話したかったのだが彼等は最近の流行りや冗談を言い合うのが好きなようだった。先生には前の通りである。
「あーねー…そりゃそうなるわねぇ。」
「俺はすごく感動したのに。………スズもやっぱり、俺の言ったこと変だと思う?」
「……まぁ、ちょっとだけ。」
「………。」
素直で正直なのがまた可愛いところなのだが、時にそれがするどいトゲになってヒョウ返ってくる。
そんな話をしていた刹那、
パンパーーーーーーン
重い鉛が弾けるような音がした。音の大きさからここからそう遠くないだろう。それはいつか父さんが見せてくれた警備隊が身につけている護身用の銃のような音によく似ていた。
心なしか獣の唸るような声がした気もする。
そんな音は幼きヒョウたちを怯えさせるのに十分だった。
ヒョウとスズはどちらともなく顔を見合わせて、駆け足で家に帰った。
「あら、遅かったわねら、ご飯できてるからちゃっちゃと食べちゃって~。」何も知らない母さんはノンビリと言う。
ヒョウは靴を雑に脱ぎ捨てながら母に急き込んで話す。「母さん!あのさっ」
パーンパーーーーン!!
ヒョウの言葉が言い終わらないうちに後ろから先ほどの音に似た何かが鳴り響いた。
「まぁ、花火だわぁ~。」母さんは靴をはいてそのまま外に出てしまった。
ヒョウはしばらく呆然と立っていたが母の声に呼ばれてベランダに向かった。
「…銃声じゃなかったね。」いつの間にか隣にいたスズがこそっと耳打ちをしてくる。
ヒョウ達は肩を並べて夜に舞い散る花火を見ていた。
「それにしても父さん遅いわね~。」
「その内帰ってくるでしょ。」
「それもそうね。あ〜、早く会いたいわぁ。」
しかし花火が終わっても………父さんは帰ってこなかった。
それどころか丸々二日経っても戻ってこない。さすがの母さんも顔を青くして警備隊の本部に足を運んだ。
そうして一週間経った後、父さんは帰ってきた。…燃え尽くした屍となって。
死因は、煙草の不始末による放火だそうだ。
その姿を目にしたヒョウは立ち尽くし、母さんは泣き崩れそのまま膝から崩れ落ちた。
最後に聞いた父さんのフワフワ笑い声が繰り返し、鮮明に蘇った。
ザザッ…ザザッ……ザザッ…。
葬式を終えた後でもまだ現実味が湧かなかった。
だってつい最近までは生きて、喋っていたのに今では焼けた粘土の固まりのようになっている。
幼きヒョウには未だその事実を受け入れることが出来なかった。
(父さんはまだ死んでない。きっと、父さん生きてる。)
受け入れることが出来ない自分をおいて時間は過ぎていく。
ヒョウは手袋をつけ、白い吐息を吐きながらスズと学校に向かった。「行ってらっしゃーい。」といつもの明るい声が背後から聞こえる。
胸に残った傷をヒョウ達に見せないように気丈に振る舞う母さんを見て、時々胸がチクリと痛んだ。
* *
「一色君ねぇ…あの子少し変わってたから。」
そんな声がヒョウの耳に入る。変わっていると言われるのは慣れているがいつ聞いても気持ち良い言葉ではない。三人の先生方がたむろしていた禁煙室を通ったことを後悔した。
「案外目をつけられてたのかもね。上に。」
「そんなただの一般人が?まっさかぁ。」
「そのまさかですよ。あの子一時期変なこと言ってたじゃないですか。…だからその戒め的な?」
「アッハハ!お前小説の読み過ぎか?」
「そうですよ。そんな不吉な事生徒の前では言わないで下さいよ、全く。」
ヒョウもまさかと鼻で笑いながらも足の震えが止まらなかった。
頭がチカチカと真っ白になり手の震えも止まらない。
ある、一つの考えが頭に浮かんでしまったから。
「先生!!」
気がつけば階段を駆け下りて自分の担任の先生の教室に駆け込んでいた。
古びた教卓なもたれかけながらあの狐目の先生は今日も相変わらず無愛想な顔つきで息を整えているヒョウを見た。
「作文を返して下さい!」
先生は虚を突かれたような顔つきでその理由を自分に問う。
「…な、夏の応募はとっくに終わっています。そろそろ返してくれてもいい頃です。…は、早く返して下さいよ。」
言葉が強くなってしまったかとチラリと思ったが、すぐ止めた。
遅れているのは先生だ。何にも言えないだろう。
先生は暫時黙り込んでいたが…やがて。
「何を…焦っているんですか?」とたずねた。
ヒョウの肩はびくりと跳ね上がりった。
恐る恐る上を向くとそこには当たり前のように先生の顔があった。
いつものようにつり目の無表情の顔が更にキツく、そして冷たく感じられるのはなぜだろう。
先生にはヒョウの危惧している事が全て見透かされているかのような気がした。
互いの沈黙を裂いたのは先生の方だった。
「ごめんなさいね。焦っていたのは私の方でした。」首を傾げるヒョウに先生はばつが悪そうに右の袖を掴みながらポソリと言った。
「あの作文…提出はしたんだけど、なくしてしまったの。ごめんなさい。」
* *
ヒョウは父の部屋の書斎の椅子に座っていた。
今、頭の中にはグルグルと色んな事が過っていた。
もし父さんが事故でなく殺されていたのなら…。
もしそれが自分の書いた作文が関わっていたら…。
もしそれが自分が友達に話した内容が漏れたものだとしたら。
それが政府の目に止まってしまったなら…。
そんなあり得るはずのない『もしも』に置き換えてみると全てがピッタリ当てはまるのだ。
作文の内容を見た先生の表情。
父さんが出かけた日にあった謎の銃声。
葬式の時に自分に話し掛けてきた見たこともない警備隊の中年男性。
国に雇われている先生のあの下手な嘘…。
「うちの生徒がこんな物を…」
「なんだこれは!我が国の思想に反するものではないか!」
そんな想像さえも容易く出来てしまった。
つまるところ…原因は、自分だ。
父さんと手を繋いで時計屋を出たときの顔を思いだす。
(そっか…だから父さんはあの時、複雑な表情してたんだ。)
(こうなるってことを分かってたから、今までやって来なかったんだ。)
「……ッ。」グッと目の奥からこみ上げてくるものを必死に抑える。
自分が泣いていい気がしなかったからだ。泣いてはいけない気がした。
それは父の死を認めると共に、自分が哀れな被害者ぶっているように思えたからだ。
「う…っく…うぅ……ツッ~~」
けれどもとりどめなく溢れてくるものをヒョウには止めることが出来なかった。手で止めようとしても、止めることはできなかった。
泣きながら何度も…何度も何度何度も何度も、亡き父に謝罪した。
出来るならもう一度過去をやり直したい。そしてあの日の自分の口を塞いでやりたい。無関心でも関係なく首を突っ込んだ無知な自分を蹴り飛ばしてやりたい。
…………それが出来ないのなら、せめて忘れてたい。
己のした罪を。
* *
「気持ち悪ィ。」イザヤはブルッと体を震わせながらある資料を読んで言った。
それはヒョウから渡されたケイ殺害未遂の南のギャングのアイバイをまとめたものだった。
それが何故、気持ち悪ィのかはヒョウが南に向かった朝まで遡る。
「もし、俺が一生ここにいるっていったら、君は俺をここに置いてくれるか?」
西の天井から一本の光がうっすらと照らし出した頃、荷物を馬に乗せ終えたヒョウは唐突に言った。彼はどこか虚ろな目をしていた。
「あ?…なんだよ急に「置いてくれるか?」
「…まぁ、置いてやらねぇこともないけど。」
ヒョウが来てから確かに自分のギャング達の傷口からの病的感染すごく減った気がする。このままずっとここにいてくれると言うのなら助かると言っても過言ではない。
しかしそんなことを急に言い出すなんて、見返りとして何か欲しているのだろうか。
相手の意図が分からないのでこうやってあやふやに返事するしかない。
「よかった。」ホッとした顔でヒョウは馬に体を乗せた。
「おいおい、何が良かっただ。地上はどうした一生ここにいるって「もういいんだ。」
「…………は?」
「もういいんだよ、地上は。もういいから。」
こちらを見ずにそう言い終えるとヒョウは連れと共に南に駆けていった。
それからしばらく経った後に、この資料が送られてきた。
前にも言ったが、あいつは何事にも無関心だ。そんな奴を動かす唯一の原動力が『地上』であってそのために奴は治療なりなんなりしている。
自分からイザヤの為に何か行動するなんて気味が悪いにもほどがあった。けれど……
「すげぇ細かく書いてあるなぁ。……あいつもやるときゃやるんスね。」
カズの言うとおり今まで見たことがないほどの丁寧な仕事ぶりだった。全てのページを見終えた下の所には《また何か分かったら報告する》と簡潔に右斜めのクセのある字で書かれていた。
(これは…逆に放っておいたほうが良いんじゃねーか?)
ヒョウの態度に違和感を覚えながらもイザヤはそう納得した。




