09.
キッチンから、スパイスの芳醇な香りが漂ってくる。
聖華は大きめの皿に白米をこんもりと盛り、その上から熱々のカレーを限界までなみなみと注いだ。
ルーがこぼれそうなほどずっしりと重い二つの皿を持ち、リビングのテーブルへと歩き出す。
大好きな人に手料理を振る舞うという極上のシチュエーションに、聖華の足取りはフワフワと浮ついていた。
それが、最大の油断を招いた。
なみなみに注がれたルーがタプンと揺れ、慌ててバランスを取ろうとした聖華の足がもつれてしまう。
「はい、特製カレーだよっ。熱いから気をつけてっ、きゃっ!」
バランスを崩し、聖華の身体が前へと大きく傾く。
手から離れ、宙を舞う二つのお皿。
このままでは、熱湯のようなカレーを全身に被り、大惨事になってしまう。
「危ない」
短い声とともに、ローテーブルに座っていた奉太郎が弾かれたように立ち上がった。
彼は咄嗟に腕を伸ばし、倒れ込む聖華の身体をガシッと抱きとめる。
ガチャンと鈍い音が床に響き、お皿が割れてカレーが絨毯にぶちまけられた。
聖華自身は奉太郎の腕の中にすっぽりと収まり、怪我一つない。
だが、勢いよく波打った熱いルーの一部が、奉太郎の腕と手の甲にべちゃりと跳ねてしまっていた。
「あっ、阿智くん! 火傷っ!」
聖華は悲鳴を上げ、彼の腕を掴む。
手の甲がすでにうっすらと赤みを帯びている。
激しい自己嫌悪が、一瞬にして聖華の胸を締め付けた。
「気にしないで」
奉太郎は顔色一つ変えず、近くにあったティッシュを抜き取って自分の手についたルーを拭き取った。
火傷の痛みなど微塵も感じていないような、いつも通りの凪いだ瞳だ。
しかし、聖華の目からはボロボロと大粒の涙が溢れ出してしまう。
「ごめんなさいっ。せっかくのカレー、ぐちゃぐちゃだしっ。最悪、あたし、ほんと最悪っ」
せっかく気合いを入れてお洒落をしたのに。彼を喜ばせたかったのに。
すべてを台無しにしてしまった自分が情けなくて、その場にガックリと膝から崩れ落ちる。
「泣かないで。泣くようなことないから」
奉太郎はしゃがみ込み、ポロポロと泣きじゃくる聖華の頭にぽんと手を置いた。
不器用で、けれど酷く優しい手つきだった。
「でも、阿智くんの手、火傷しちゃってっ」
「俺が運ぶべきだったし。限界まで注いだ重い皿を、君一人に任せた俺のミスだ」
奉太郎は淡々と言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
自分の不注意を、彼は一切責めようとしない。
その時、キッチンの方からジリジリという異音と、酷く焦げ臭い匂いが漂ってきた。
「あっ」
聖華はハッと息を呑んだ。
寸胴鍋に入った残りのカレーを、火にかけたままにしてしまっていたのだ。
慌ててキッチンへ向かうが、時すでに遅く、鍋の底からは完全に焦げ付いた真っ黒な煙が上がっていた。
「うぅっ、お鍋のカレーも焦がしちゃったぁっ」
「見事にカレーはおじゃんになったな。まあ、もともと俺はご相伴にあがるだけの立場だし」
奉太郎は床の上の惨状と煙を上げるキッチンを交互に見て、小さく息を吐いた。
「てんやものでも取ろうよ。俺が奢るから」
「う、うんっ」
しゃくり上げながら、聖華は小さく頷いた。
涙で滲んだ視界の中で、彼がスマートフォンを取り出して出前アプリを開いているのが見える。
その横顔は、親の都合で世間に達観しているはずなのに、誰よりも温かかった。
(優しすぎるよ、奉太郎くん)
胸の奥がギュッと締め付けられる。
火傷を負わせてしまった罪悪感と、怒るどころか出前まで頼んでくれる彼への重すぎる愛情が混ざり合い、聖華の心はさらに深くトロトロに彼へと溺れていくのだった。
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