05.
朝。
始業前の二年C組の教室は、生徒たちのざわめきと活気で満ちていた。
そこへ、ガラガラと勢いよく前扉が開く音が響き渡る。
「みんな、おっはよー!」
明るく弾けるような声とともに、昼神聖華が教室に足を踏み入れた。
ゆるく巻かれたミルクティーブロンドの髪が揺れ、甘いココナッツの香水がふわりと香る。
派手に着崩した制服姿の彼女が現れた瞬間、教室の空気は明確に二分された。
「お、昼神! おはよ!」
「今日もマジ可愛いな! 週末どこ行ってた?」
男子たちはデレデレとだらしない顔を浮かべ、いそいそと聖華の周りに群がってくる。
一方で、女子たちの反応は真逆だった。
「うわ、また朝から男に媚び売って。キッツ」
「どうせ週末も、どこかの男とヤってたんでしょ」
あからさまな嫌悪感を含んだ囁き声が、冷ややかな視線とともに針のように飛んでくる。
女子たちから総スカンを食らっていることは、聖華自身が一番よく理解していた。
だが、聖華はそんな悪意など意に介さないように、見事な笑顔の仮面を貼り付けて男子たちに応対する。
「えー、週末は普通に買い物とか行ってたよー! 特売日だったし!」
「特売日? 昼神って意外と所帯染みてんなー」
適当な相槌を打ちながら、聖華は教室の後方へと視線を向けた。
そこには、窓際の席で気怠げに文庫本を読んでいる少年、阿智奉太郎の姿がある。
彼を見つけた瞬間、聖華の心臓はトクトクと早鐘を打ち始めた。
脳裏にフラッシュバックするのは、昨日の休日の出来事だ。
彼の部屋に上がり込み、一緒にスーパーで買った豚肉で生姜焼きを作った。
あの狭くて殺風景な部屋で、自分の手料理を美味しそうに頬張ってくれた彼の横顔が忘れられない。
男子たちの輪を抜け、聖華は自分の席、つまり奉太郎の隣の席へと近づいていく。
ただ朝の挨拶をするだけなのに、足がすくみ、喉がカラカラに渇いていくのがわかった。
「おおおお、おは、おはおはおはよ……っ、阿智くん!」
盛大に噛み倒した裏返った声が、教室の片隅に響き渡る。
聖華の顔は、耳の裏まで沸騰したように真っ赤に染まっていた。
奉太郎はゆっくりと文庫本から視線を外し、凪いだ瞳で聖華を見上げる。
「……おはよう」
抑揚のない、いつも通りの見事な塩対応だった。
しかし、今の聖華にとってはその素っ気なさすらも、極上のご褒美に等しい。
(あああああ! 朝からブレない! そんなクールなところも好きぃ〜っ!)
内心で激しく身悶えし、聖華の背後では見えない尻尾が千切れんばかりにパタパタと振られていた。
他の男子には余裕でニコニコと愛想を振りまけるのに、本命の奉太郎を前にすると、途端にポンコツな純情乙女になり下がってしまうのだ。
そんな聖華のあからさまな態度の違いに、周囲が気づかないはずがなかった。
先ほどまで聖華と話していた男子の一人が、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて近づいてくる。
「なんだよ昼神。阿智にだけ随分と態度違うじゃん」
「えっ?」
「もしかして昼神、阿智のこと好きなの?」
無遠慮に投げかけられたその言葉に、教室の空気がピタリと止まった。
嫌悪感を丸出しにしていた女子たちまでもが、興味本位の視線をこちらに向けてくる。
図星を突かれた聖華は、カァッと顔を燃え上がらせて完全にフリーズしてしまった。
頭の中が真っ白になり、言い訳の言葉すら思い浮かばない。
肯定してしまえば、彼に迷惑がかかる。
誰でもヤらせてくれるという自分の悪質な噂に、彼を巻き込むことになってしまうのだ。
しかし、嘘をついて否定するには、あまりにも奉太郎への想いが重すぎた。
「あ、う……」
パニックに陥り、情けない音しか出せなくなった絶体絶命の窮地。
その空気を切り裂くように、凍りつくような冷たい声が教室に響いた。
「そんなわけないでしょ。くだらない」
声の主は、頬杖をついたまま退屈そうに目を細めている奉太郎だった。
彼はからかってきた男子を一瞥すらせず、無表情のまま言葉を紡ぐ。
「ただの隣の席だ。俺みたいなつまらない奴に、こいつが興味を持つはずないだろ」
「お、おう。そりゃそうか。阿智みたいなノリの悪い奴となんか、釣り合わねえもんな」
奉太郎のあまりにも冷え切った塩対応に毒気を抜かれ、男子生徒は面白くなさそうに肩を竦めて去っていった。
周囲の注目も散り、教室には再び日常の喧騒が戻ってくる。
聖華は小さく息を吐き出し、胸をなでおろした。
一見すると、奉太郎の言葉は聖華を突き放すような冷たいものだ。
しかし、聖華には彼の本当の意図が痛いほどよくわかっていた。
不器用で、世の中に達観している彼のことだ。
聖華が返答に困っているのを察し、あえて自分を下げることで、角が立たないように悪者を買って出てくれたのである。
(阿智くん、わざとあんな言い方して……あたしを庇ってくれたんだ)
その不器用すぎる優しさに触れ、聖華は机の下でギュッと拳を握りしめた。
どうしようもないほど、彼への愛おしさが込み上げてくる。
二時間目の授業が終わり、理科室への移動時間がやってきた。
チャイムが鳴るやいなや、奉太郎は教科書を小脇に抱えて足早に教室を出ていく。
聖華は慌ててその後を追いかけ、混雑する廊下を小走りで進んだ。
「あ、阿智くん! 待って!」
パタパタと上履きを鳴らして駆け寄り、少し猫背な彼の背中に声をかける。
奉太郎は立ち止まることなく、歩く速度だけを少し緩めてくれた。
並んで歩きながら、聖華は俯きがちに口を開く。
「さっきは、あ、ありがとう……。あたしのせいで、変な空気になっちゃって」
「気にするな。相互扶助の精神だよ」
前を向いたまま、奉太郎は淡々と聞き慣れない言葉を口にした。
「そーご……なにそれ?」
「助け合い。困った時は、お互い様ってことだ」
「お互い様……」
「お隣なんだし、それくらいはするさ」
達観した瞳のまま、奉太郎は事もなげに言い切る。
その言葉はとても温かかったが、同時に聖華の胸に小さな罪悪感を抱かせた。
雨の日に助けられ、看病され、今日もまた彼に守ってもらってしまった。
「でもごめん、あたしばっか助けてもらってて……」
聖華は見えない耳をペタンと伏せ、シュンと落ち込むように肩を落とした。
これでは相互扶助にならない。自分はただ迷惑をかけているだけではないのか。
そんな不安に駆られた時、不意に奉太郎の足がピタリと止まった。
彼は振り返り、少しだけ呆れたような視線を聖華に向ける。
「そんなことはない。ご飯」
「あ……」
「お前が作ってくれる飯のおかげで、俺の食生活はまともになっている。俺にとっては、あれが一番ありがたい」
真っ直ぐな言葉だった。
奉太郎は再び歩き出しながら、ポツリと本音をこぼす。
「一方的にもらってばかりは気持ち悪いからな。これでちょうどいい」
「っ……!」
自分の押し付けがましい手料理を、彼が恩として対等にカウントしてくれていた。
その事実を突きつけられ、聖華の心臓は限界を突破した。
全身の血液が一気に沸騰し、顔面から火が出そうになる。
(ふにゃぁ……だめだ、やばい、好きすぎてやばい……!)
理性が完全に焼き切れ、聖華はその場にドロドロに溶けてへたり込みそうになる。
膝から崩れ落ちるのを必死に堪え、彼女は真っ赤な顔で奉太郎の背中を睨みつけた。
「も、もー! 気持ち悪いってひどいよ!」
「事実を言っただけだ。騒ぐな」
「あははっ、阿智くんのバカー!」
プクッと大袈裟に頬を膨らませ、聖華は弾むような足取りで彼の隣に並ぶ。
相互扶助という名の最強の口実を得て、聖華の胃袋掌握計画はさらに加速していく。
世界一不器用で誠実な少年をオトすため、純情ギャルの甘い猛アタックは止まらないのだった。
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