7話
栗東トレーニングセンターは朝から賑わっていた。
「いよいよこの日が来たか」
赤城調教師はついにカナヅルコトヒメとジンライフウレツが厩舎に来る日が来たので緊張していた。
何日か前からマスコミからの取材も増えて対応に追われわれていたが、今日も何人もマスコミが来ており今か今かと馬運車が来るのを待っていた。
「すごい盛況ぶりですね」
声をかけられたので振り返るとそこには加賀騎手がいた。
「加賀、見に来たのか」
「それはもちろん、いよいよ来るわけですからね。北海道の牧場から栗東トレセンへの初めての長距離輸送。カナヅルコトヒメが何の問題も無く輸送出来るのか、初日から不安が消えませんからね」
加賀騎手も心配になって見に来たのだった。
「そうだな、周りのマスコミや他の厩舎の奴等みたいに興味本位で覗きに来ただけだったらどんなに気が楽か」
赤城調教師は周りを見渡した。
周りには珍しい双子の競走馬、おまけに1頭が白毛という非常に珍しい馬を取材しにマスコミが来ている。
話題性抜群のネタに今すぐにでも取材しようというマスコミの人達。
その横で話しているのは珍しいだけではなく赤城調教師や加賀騎手、陸奥騎手が期待をかけているという噂を聞きつけて、どんな馬かを一目見ようと同じ栗東トレーニングセンターの時間の空いている調教師や騎手たちが見学に来ていた。
「来る前からすごい状態ですね」
陸奥騎手が取材を終えて話しかけてきた。
陸奥騎手はジンライフウレツのデビュー戦に騎乗する予定なので取材を受けていたのだ。
「まだ厩舎に来てないのに、デビューを楽しみにしていると周りに言いふらすからそんなに取材が来るんだよ」
加賀騎手は陸奥騎手がジンライフウレツのデビューを楽しみにしていることを周りに話す姿を何度見かけていた。
大勢のマスコミが取材に来るのは自業自得だと呆れていた。
「まあ競馬界にとっては明るい話題が出てくるのは良いことだがな。ただ、当事者としてはここまで期待が大きくなるのは歓迎できないな」
赤城調教師は最初競馬界の話題作りに貢献できればという思いもあった。
調教を進めていくうちに不安要素が増えていくと、 ここまで大きな話題になるのだったらもう少し控えめな発言をしておくべきだったと後悔の念があった。
「そういえば飛鳥はどうしたんですか?」
陸奥騎手は厩舎に来る日を楽しみにしていた大和騎手が見当たらないので質問した。
「飛鳥なら美浦トレセンに拠点を移しているよ」
加賀騎手は大和騎手が関東の方にしばらく拠点を移して武者修行に行っていると伝えた。
「あんなにジンライフウレツとカナヅルコトヒメが厩舎に来る日を楽しみにしてたのにこの時期に美浦に行ったんですか?」
「ああ。 厩舎に来ても乗せてもらえないと赤城先生に言われたから現役中に乗せてもらうために少しでも腕を上げて勝てるようにできることは何でもやりますと言っていたんでな。俺と赤城先生が口を利いて美浦の厩舎で預かって貰えるように頼んだんだ」
「飛鳥も相当乗りたいと思ってるんですね」
「速い馬に乗りたいと思うのが騎手だからな。まして自分の所属している厩舎に来てくれたのだからせめて調教には乗ってみたいと思うだろう」
陸奥騎手と加賀騎手は相当この2頭に乗りたいんだなと話をしていた。しかし、今のままでは難しいだろうというのが2人の共通の考えだった。
ジンライフウレツは厩舎の中で今年一番の期待を背負っている馬なので大事に育てていきたいからまだまだ未熟な飛鳥には任せられない。そして、コトヒメの方はあまりにも危なすぎるので まだ未熟な飛鳥には任せられないと2頭それぞれ別の意味で乗せないというのが赤城調教師の方針であった。
2人が話していると赤城調教師が話しかけてきた。
「そろそろ来るみたいだぞ」
赤城調教師の声に2人が反応すると馬運車がやってきた。マスコミの人たちも馬運車に気づいて周りで降りてくるのを今か今かと待っている。
馬運車が止まり後ろの扉が開き下ろす準備が終わるとまず最初にジンライフウレツが降りてきた。ジンライフウレツは初めて来た場所に興味を持ったのかその場所にとどまってしばらく周りをじーっと見続けていた。しばらく動こうとはしていなかったが厩務員が手綱を引くと大人しく厩舎の方について行った。
赤城調教師はまずジンライフウレツは見たところ問題もなく無事に厩舎に来たのでほっとした。しかし、ほっとしたのもつかの間、馬運車の中から物音が聞こえてきた。すぐに馬運車の方に向かうと予想通りカナヅルコトヒメが興奮して暴れる寸前の状態であった。
マスコミの人たちは今回の取材の目玉であるカナヅルコトヒメに注目していたが、なかなか降りて来ないので何かあったのかとざわつき始めていた。
赤城調教師はこのまま馬運車の中に居続けるわけもいかないのですぐに降ろそうとした。
興奮している状態なのでなだめながら暴れないようにと注意をしながら馬運車から降ろした。
馬運車から降ろした後も厩舎に連れて行こうと引っ張ってもをなかなか言うことを聞かず、初めて見る景色と見たことのない大勢の人に警戒しながら降りた場所から動こうとしなかった。 無理に引っ張ろうとしても暴れて危ないので落ち着くまでしばらく様子を見ていると、徐々に周囲への警戒を解いて落ち着いてきたので、ようやく厩舎の方へと連れて行くことができた。そして馬房に入ってようやく大人しくなってくれた。
赤城調教師と厩舎のスタッフもほっとして緊張を解くことができた。
「一仕事終えたみたいだな。赤城先生もお疲れ様」
ほっとしているところに後ろから声をかけてきたのは春日調教師だった。
春日調教師は栗東の調教師で年も近いので昔から付き合いのある調教師だ。
厩舎の付き合いもあるが、双子が厩舎に入ることが決まった後に有力馬を預かることや調教を進めていくうちに出てきた課題、将来の不安について色々と話していたので、興味を持った春日調教師も今日見に来ていたのである。
「話には聞いていたがその通りの馬だな。これからの調教も大変だろうな」
厩舎に来たカナヅルコトヒメの姿を見て春日調教師もこれからの苦労を想像して気の毒に思った。
「今日の様子はまだましだと思うよ。何しろ誰も怪我をさせるようなことにはならなかった」
調教が始まったらどんな事が起きるのか不安でならない赤城調教師はカナヅルコトヒメを見て苦労を察した春日調教師にこれからが本番だろうと言う。
「調教が重なる時には注意するように調教スタッフのみんなには伝えるようにするよ」
調教が始まったらさらに大変だという赤城調教師の言葉を聞いて厩舎の馬の調教が重なった時にはカナヅルコトヒメを気にするようにと全員に伝えるのを忘れないようにしなければと肝に銘じた。
一方、調教師2人が話している近くでは陸奥騎手が同期の安芸騎手と話していた。
「あの2 頭が陸奥が期待していると話していたジンライフウレツとカナヅルコトヒメか」
安芸騎手は陸奥騎手の同期で同じ栗東の騎手である。
すでにリーディングの上位を定位置としてG1レースも勝ってトップジョッキーの仲間入りしている 陸奥騎手と違い、まだ重賞を勝ったことはなく勝利数も多く無い。
話題に上がるジョッキーではないが、騎手学校時代から陸奥騎手とは馬が合い、卒業して騎手になってからも何かと話したりする仲である。
騎手学校を卒業して騎手になってからは春日厩舎に所属している。
今日赤城厩舎に覗きに来たのはジンライフウレツとカナヅルコトヒメの話題を春日調教師から聞いていたのと、陸奥騎手からも話を聞いていたので興味を持ち、春日調教師が見に行くお供で一緒に見に来ていた。
「ああ、 俺はジンライフウレツが一番のお気に入りなんだけどな」
「陸奥がそこまで言うなんて相当期待しているんだな」
安芸騎手は騎手学校時代からの付き合いの中でデビュー前からここまで期待している姿を見たことがなかったのでかなりの期待を感じていた。
「それじゃあもう1頭の方はどうなんだ?」
安芸騎手にもう1頭のカナヅルコトヒメについて聞かれるが
「正直レースに勝てるかと言うと自信は持てない。双子で話題にはなっているけど、やっぱり2 頭とも勝ち上がるほど甘くは無いな」
安芸騎手がカナヅルコトヒメの評価がジンライフウレツに比べて低いことから話題性はあるが強さの方が違いがあるのかと思ったのだが陸奥騎手のは返答は違った。
「いや、 乗りこなす自信がないんだ。調教の様子を聞いていると加賀さんでもレースで問題無く騎乗出来るのかわからないと言っているから、俺が乗りこなせるという自信がなかなか持てないんだ 」
「陸奥がそこまで騎乗に自信が持てない馬なのか 」
安芸騎手は騎手学校時代からずっと陸奥騎手を見てきたので、乗りこなす自信がないという陸奥騎手の言葉に耳を疑った。同時にそこまで言わせるカナヅルコトヒメにも驚かされた。
「ジンライフウレツはデビューの1戦目からも来年のクラシックを目指す騎乗していこうと思っている。生意気な事を言っているとは思うが、それだけのことを言っていい馬だと俺は思っている。騎手になってから初めてそう言っていいと思う馬なんだ。
けど、カナヅルコトヒメはとにかくレースに勝つという目標の前にまず、トレセンでの調教をちゃんとできるかどうかすら不安な状態だ。レースに出れるのかどうかすら不安が残る。
赤城先生も話題になっている馬だからなんとかオープンまでは勝ち上がって繁殖入りを目指したいというのが目標だからな」
競馬ファンの注目は白毛のカナヅルコトヒメに集中しがちだが、 赤城調教師や陸奥騎手にはジンライフウレツが厩舎にとっての大本命で琴姫は大穴のような扱いになっていた。
もし、ちゃんと調教を進めて騎乗することができるのならジンライフウレツ同様に重賞タイトルを取ることも夢ではないだろう。が、今の状況ではレースに出て1勝するどころかレースを走る事をが目標にせざるを得ないほどハードルが高くオープン馬になるのも夢物語に感じていた。




