32話
北海道の下津江牧場では明るい話題が続き大騒ぎになっていた。
「場長、いよいよ週末はダービーですね」
「ああ、年末に赤城先生から来年のクラシックは期待できるから予定を空けた方がいいと言われていたが、あっという間だったな」
下津江場長は去年からのジンライフウレツとカナヅルコトヒメの活躍を思い出し感慨に耽っていた。
去年の秋にジンライフウレツがデビューした新馬戦を勝利した時は牧場のスタッフ全員が喜んでお祝いムードになった。
その次の日にカナヅルコトヒメも新馬戦を勝利すると夢の中にいるのではないかと信じられない思いだった。
続けて2頭共が2戦目を勝利し年末の朝日杯フューチュリティステークスとホープフルステークスに出走が決まると牧場の空気は更に過熱して皆が下津江牧場の初G 1を期待しながらレースまでの日々を過ごした。
そして年末の朝日杯フューチュリティステークスをジンライフウレツが勝利し、カナヅルコトヒメがホープフルステークス5着と好走した事で昨年は素晴らしい結果で終わった。
年が明けてクラシックに出走した2頭はまだ勝利出来ていないがフローラステークス、皐月賞、オークスと全て馬券に絡む結果を残して好調な走りを続けていた。
その影響で取材も殺到しファンの人たちにも牧場の名前が知られるようになった。
これまでは地方で走る馬が中心で、何頭か中央で重賞を走る馬を出す事もある中規模の牧場だった。
しかし、ジンライフウレツとカナヅルコトヒメの活躍によりファンの注目を浴びるようにようになる。
春には例年よりも多くの馬主や調教師が1歳馬を見に来て何頭かの売却が決まっている。
セリに出す予定の馬も例年より高値がつくのではないかと期待が膨らんでいる。
「これでジーがダービーを勝ったらどうなりますかね」
「まあ期待して買いたい人は増えるだろうな。
だがジーとヒメの弟妹がいるわけじゃないから驚くほど高くはならないだろう」
「ジーとヒメの弟妹がいたら牧場もだいぶ助かったんですけどね」
「仕方ない、オミナも高齢だったしジーとヒメを産んで体調も良くなかったからな」
ジンライフウレツとカナヅルコトヒメの母のアキノノオミナエシは2頭を産んだ後、高齢で体調が優れないためそのまま繁殖牝馬を引退して牧場の功労馬として過ごしていた。
ジンライフウレツとカナヅルコトヒメが競走馬登録されて話題に上がった時は牧場は平和に過ごしていた。
風向き気が変わったのはジンライフウレツとカナヅルコトヒメが新馬戦を勝利した頃からだった。
以前から付き合いのある馬主や調教師から2頭の弟妹を売ってくれないかという電話が入るようになった。
ジンライフウレツが朝日杯フューチュリティステークスを勝ちG 1 馬になると年末は電話がひっきりなしに鳴り続けていた。
2頭の弟妹はおらず、アキノノオミナエシも繁殖牝馬を引退したということが周りに周知され今は落ち着いているが、アキノノオミナエシをもう一度繁殖に回さないかという提案する人は何人かおり、その度に断っているのが現状だ。
「ジーとヒメの弟妹いなくてよかったのかもしれないな。もし弟妹がいたらもっと大騒ぎになっていただろうし、オミナの引退させるのをためらったかもしれないしな」
アキノノオミナエシの子供が高く売れたら牧場としては助かったが、長い間牧場のために働いてくれた アキノノオミナエシにはのんびり余生を過ごしてほしいと思っていた。
「ダービーには場長が見に行かれるんですか」
「皐月賞とオークスには行けなかったからな。
それに牧場としても初めてのダービーで、本命となれば牧場から誰も行かないわけにはいかないだろう」
「会長も行かれるんですか」
「いや、親父はセリに出す馬の世話もあるし朝日杯の時に行ったから今回は俺に譲るとさ」
「せっかくの日本ダービーなのに会長は行かれないんですね」
「昔ダービーに出走した時に親父は見に行った事があるからな。 もう次があるかどうかわからないから俺にと雰囲気を味わって来いとさ」
下津江牧場は北海道で代々続く生産牧場だが現在は父親の下津江達彦から息子の達麻に経営を任されている。
牧場の経営を任された下津江達麻場長は繁殖牝馬の購入を積極的に行うようにして少しずつ牧場の規模を大きくしていった。
そんな中、産まれたのがジンライフウレツとカナヅルコトヒメだった。
牧場としては長く牧場を支えてくれたアキノノオミナエシの子供が初めてG 1馬となった時は皆が泣いて喜んだ。
「浅葱オーナーも東京競馬場には家族全員で来られるそうだからな。こちらとしてもしっかりと挨拶をしておきたいしな」
「うちの牧場の新しいお得意さんですからね」
「去年買ってもらった馬が今年デビューするし今年も1頭買ってもらえたんだ、これでダービーを買ったらもう1 頭ぐらい買ってもらえるかもしれないからな、きちんと挨拶しておかないとな」
去年の秋、セールに上場した馬が売れ残ってしまったのだが、そのすぐ後にジンライフウレツとカナヅルコトヒメが新馬戦に勝利した。
その後、浅葱オーナーと話をした時にその話題が上がると浅葱オーナーに売れ残っていた馬を購入してもらえたのだ。
それから浅葱オーナーと直接会ってお礼を言う機会がなかったので今回はそのお礼を言うちょうどいい機会だと考えていた。
「これからもお得意さんとして長い付き合いをしてもらいたい人だからな。それもあって親父は俺に行くように言ったんだろう」
これからの牧場の経営のためにも経営から退いている自分ではなく息子に付き合いを深めてほしいと思い、ダービーを見に行くように進めたのだろう。
牧場の生産馬がダービーを勝つのは牧場関係者にとっては1番の夢だ。
そしてダービーを勝って牧場が注目を浴びたら多くの馬主や調教師が興味持って高値で買ってくれるチャンスも増えるだろう。
そうすれば牧場の経営も楽になり、よりいい馬を多く生産できるようになる。
そのためにもジンライフウレツにはダービーを勝って欲しい。
下津江場長は栗東でレースに備えてトレーニングをを続けているだろうジンライフウレツが無事に勝つ事を期待しながらレースの日を楽しみにしていた。




