8 親切な人
応接室の黒いソファーに浅く腰掛けた私。その隣ではお父様が引き攣った笑みを浮かべていて、テーブルを挟んだ目の前には優雅に微笑む公爵令息の姿が。
なんだろう、この組み合わせ? なぜこうなってしまったんだ?
私がそんな疑問を何度も脳内で繰り返している間に、マクブライド様はお父様へ昨日の茶会での出来事を丁寧に説明し終えた。
知られちゃマズい部分は上手く省きつつ、ヘンリー様の非道っぷりは若干強調している。
その手腕に、流石は高位貴族だなぁ、なんて妙に感心してしまう。
「───と、いう訳ですので、本日はご息女と真剣にお付き合いをする許可をいただきたく、参上した次第です」
昨日の今日で? 対応早過ぎない?
「そうですか……、昨日の茶会で、そんな事が……」
そう呟きながら、こちらへ鋭い視線を投げるお父様。
『聞いてないぞ』と言いたげなその視線を避ける様に、私はフッと顔を逸らした。
家族だけの席であれば確実に私が怒鳴られる場面だが、流石に他家の、しかも公爵家のご令息の前では控えるくらいの常識は持っていた様でなによりだ。
それでもやっぱり納得はいっていないらしく、なんとも複雑な表情をしたお父様は、おずおずと口を開いた。
「あの……、ですが、お恥ずかしい話、シェリルはあまり出来のいい娘ではありませんので、そちら様のご迷惑になるのではないかと……。
それに、ヘンリー殿との婚約も、まだ正式に解消された訳ではありませんし……」
私を貶める発言が出たところで、マクブライド様は一瞬だけ不快そうに目を細めた。
彼とは昨日まで挨拶を交わした事くらいしかなかったから、よく知らなかったけど、やっぱり優しい人なのだろうと思う。
「ほぅ……。では伯爵は、僕には人を見る目がないと仰りたいのですね?」
微笑みを浮かべたままのマクブライド様だが、その声色は冷たく、明らかに怒気を帯びている。
お父様は大慌てで首を左右に振った。
「えっ? い、いえ! とんでもないっ!!」
「そうでしょうか。
だって、僕が選んだ女性を悪し様に仰るのですから、そういう事だとしか思えないのですが?」
「それは……た、単なる、謙遜……、そう、謙遜ですっ! はいっ!!」
普段は偉そうな態度のお父様が、こんなにもペコペコしているのを見たのは初めてかもしれない。
その情けない姿を見て、マクブライド様はスッと怒気を引っ込めた。
「なんだ、そうでしたか。過剰な謙遜は嫌味に聞こえますから、以後気をつけた方が良いかもしれません。
しかし、それならベンサム家との婚約を早急に解消してくだされば、なにも問題ありませんね。
ご心配なさらずともあちらの有責ですから、優秀なご子息に任せておけば、事業提携の件についてもハサウェイ家に有利な形で決着できるはずです。
伯爵は書類にサインさえしていただければよろしいかと」
「ええ、はい!
勿論、喜んでサインさせていただきますとも!」
圧の強いマクブライド様の笑顔に、お父様はブンブンと大きく頷いた。
マクブライド様の台詞には、お兄様と比べてお父様を馬鹿にするニュアンスが仄かに含まれているが、当のお父様はそれに気付く余裕すらないらしい。
こんな器の小っさい男に長年傷付けられてきたのかと思うと、なんだかとても腹立たしく感じた。
お父様を残して応接室を出た私達は、場所を庭園のガゼボに移した。
ニコラが淹れてくれた紅茶は、いつも通り美味しい。ちょっと騒がしいが、実は優秀な侍女なのだ。
応接室でもニコラがお茶を出してくれたが、あの状況では味わう余裕なんてなかった。
マクブライド様も、ティーカップを手に取り口を付けると僅かに笑みを深めた。
どうやらお気に召したらしい。自分が淹れたお茶でもないのに、なんだかちょっと誇らしい気分になる。
「本日はわざわざ足をお運びいただき、ありがとうございました」
「少しはお役に立てたでしょうか?」
「少しだなんて、とんでもない。とても助かりましたわ」
本当に。
マクブライド様のお陰ですんなりと婚約破棄が進みそうで、心から感謝している。
「それなら来た甲斐がありました。
実は、以前からエイベルに少しだけハサウェイ家の内情を聞いていたので、ちょっと心配だったのです」
そうか。
だからこんなにも早く行動してくれたんだ。
マクブライド様の親切心に触れ、お父様のせいで冷え切っていた胸の奥が少しだけ温度を取り戻した。




