32 寝言は寝てから
その日は、元々別の客人が来訪していた。
馬車の揺れの軽減について研究している学者がいると知って、お兄様が『話を聞かせて欲しい』と呼び出したのだ。
言うまでもなく、蜂の巣箱の運搬に使えないか検討する為である。
因みにこの事業にはヴィンス様も出資してくださる予定なので、彼もお兄様と一緒に話を聞いている。
私も事前にその馬車の設計図を見せてもらったが、丈夫な革ベルトなどで客車を外枠に固定して、ハンモックみたいに宙に浮かせる様な感じで衝撃を吸収する構造らしい。
とても興味深いのだが、お話の場に同席するのは遠慮した。
お兄様やヴィンス様とお仕事の話をするのはだいぶ慣れたけど、初対面の男性がいる場に同席するのは、やっぱり怖いから。
その代わり、後でお兄様を質問攻めにしてやろうと思っている。
そんな事情で、私は暇を持て余していた。
ヘンリー様への警戒も完全には解かれていないので、一人で外出するのも禁じられている。
一人で外出と言っても、当然護衛がつくのだから、問題ないんじゃないかと思うのだけど、過保護なお兄様は許してくれない。
仕方がないので、庭園を散歩する事にした。
自邸の敷地内なのに、護衛が私にピッタリと張り付いている。例のシードルの夜にお目付け役を押し付けられた、お兄様のお気に入りの騎士だ。
正直面倒臭いし、ニコラもいるから大丈夫なのにと思うけど、お兄様の命令に逆らえない騎士に文句を言うのは筋違いだから我慢した。
王都のタウンハウスは小ぢんまりしているが、領地邸の庭園はかなり広い。
サルビアやジニア、アガパンサスなど、色とりどりの花を楽しみながらのんびりと歩いていると、半歩後ろにいたニコラが不意に足を止め、背後を振り返った。
なんだか難しい顔をしている。
「どうかした?」
「あ、いえ……、なんか、正門の方が騒がしくないですか?」
そう言われて耳を澄ますと、確かに少しザワザワしている。
「なにか揉めてるのかしら? ちょっと見に行ってみましょう」
「ダメですよ。
お嬢様を危ない目に遭わせたら、私が叱られるんですからね!」
「危なくなんかないわよ。不審者なら門は開かれないもの」
商人とかの中にも、門番を見下して横柄な態度を取る人間がいる。そういう輩は大抵、貴族である私達が姿を見せると、途端に大人しくなるのだ。
屈強な護衛も帯同しているし、物理的な危険は一切ないだろう。
不服そうなニコラを説き伏せて、正門へ向かったのだが───。
はっきりと声が聞こえる位置まで来て、ニコラの忠告を聞くべきだったと若干後悔した。
門番と揉めている相手は、明らかにヘンリー様の声だったのだ。
チラリと隣に視線を向けると、ニコラが『ほら、言わんこっちゃない』とでも言いたげな顔をしてこちらを見ている。
この場所からは門扉に阻まれてヘンリー様の姿は見えていないし、あちらもまだ私の存在には気付いていないだろう。
そのまま踵を返そうかとも思ったが、ウンザリした様子の門番が可哀想になって、そのまま歩を進めた。
どうせヘンリー様がベンサム侯爵領に送られたら、二度と顔を合わせる機会なんてないだろうから、最後に言いたい事を言ってやるのも、また一興だと思ったのだ。
「困ってるみたいね」
声を掛けると、門番が振り向いた。
「お嬢様……」
鉄製の重い門扉は一部が窓の様になっていて、鉄格子がはまっている。
その鉄格子越しに、ヘンリー様と目が合った。
「シェリル!! シェリル、会いに来てやったぞ!」
相変わらず偉そうだ。
「頼んでおりません。気安く名前を呼ばないで」
「なっ……、俺がせっかく来てやったのに、客人に対してそんな態度はないだろう!」
「ですから、頼んでませんし、甚だ迷惑です。
ベンサム侯爵家ではどうなのか知りませんけど、ハサウェイ伯爵家では、先触れもなく勝手に訪問する人間を『客人』とは呼びません」
冷ややかにそう言うと、ヘンリー様は言葉に詰まって悔しそうに顔を歪めた。
常識についての再教育を受けているって聞いたけど、全然効果がないみたいに見える。
「とにかく、門を開ける様に言ってくれ」
私の反論で勢いが削がれたのか、それとも私と対面した事で一つ目的を達成したからか、ヘンリー様の口調がほんの少し穏やかになった。
それにしても、まだ中に入れてもらえると思っているなんて信じられない。
「開ける訳ないじゃないですか。
まあ、仕方がないので、言いたい事があるのでしたら、この場でならば聞いて差し上げます。
私も暇じゃないので、手短にお願いしますね」
本当はさっきまで暇だったけどね。
どんなに暇でも、ヘンリー様に割く時間は一秒たりとも惜しいから。
「冷たい事を言うなよ。お前にとっても悪い話じゃないはずなんだ」
いや、アンタが持ってきた話って時点で、既に悪い話でしかない。
「そういうの良いですから、早く本題に入ってください」
「だから、俺はもう一度、お前と婚約を結んでやろうと思って……」
「はあっ!? 寝言は寝てから言ってくれません?」
この馬鹿、なにを言い出すの?
あんなに私を蔑ろにしておいて、それが受け入れられると本気で思っているのだろうか?
過去の不当な扱いが脳裏に蘇って、黒い不快な感情がお腹の辺りにグルグル渦巻く。
私が剣呑な眼差しを向けると、予想していた反応と違ったせいか、ヘンリー様は狼狽えながら意味不明な説明を始めた。
「いや、だからさ……、お前まだマクブライド公子と正式に婚約を結んでもらえていないんだろ?
そりゃあそうだよな、お前みたいなつまらない女が、三男とはいえ公爵家の子息に求婚されるなんて、なにかの間違い……」
そんなヘンリー様の妄言を遮る様に、逞しい腕が背後から私をフワリと抱き寄せた。
お兄様とは違う男性用のコロンが、微かに香る。
驚いたと同時に、不思議と黒い感情が霧散した。
ヘンリー様はビクッと大きく肩を震わせて、見る見る内に顔を青褪めさせる。
「僕が、どうかしたか?」
顔は見えないけど、とても不機嫌そうなヴィンス様の声が、頭のすぐ後ろから重々しく響いた。




