25 夜の訪問者
「こんなに気持ち良さそうに眠っているのに、起こしたら可哀想だろ?
だから僕が───」
「なにを言ってる。まだ正式に婚約してもいない癖に。
この状況なら、兄である俺が部屋まで運ぶのが筋だろうが」
そんなお兄様とヴィンス様の口論によって、私の意識は浮上した。
「ぅん゛……」
「あぁ、ほら、起きちゃったじゃないか」
小さく呻きながら重い瞼をこじ開けると、超至近距離にヴィンス様の麗しいお顔が。
ヒュッと息を呑んで、思わず座席の端まで飛び退いた。
どうやら寄り掛かって眠ってしまっていたらしい。長旅を経て昨日こちらへ着いたばかりのヴィンス様の方が、余程お疲れだっただろうに。
「す、す、す、すみませんっ!!」
盛大に吃りながら謝罪をすると、ヴィンス様はブンブンと手を左右に振った。
「え? 全然。寧ろ役得だったよ」
そう言ってニコニコ笑いながら、私の寝癖を手櫛でササッと直してくれる。至れり尽くせりである。
過剰に世話を焼かせるのは申し訳ないが、あまりにも自然な仕草だったので、遠慮するタイミングを逸してしまった。
それにしても、ほんの少し領地を歩いた程度でこの為体は酷過ぎないか?
自分の体力のなさが恨めしい。運動でも始めるべきかしら?
その後、一旦解散してそれぞれ身支度を整え直し、夕食の席で再び顔を合わせたけど、恐縮し過ぎていた私はろくに会話も楽しめなかった。
食事を終えて自室へ戻る。
まだ少し早い時間だったので、ソファーに座って読みかけの小説を開いた。
十ページほど読み進めた頃だったろうか? 扉をノックする音が響いて、顔を上げた。
「どなた?」
誰何の声に応えたのは、意外な人物だった。
「ヴィンセントだけど。
まだ寝支度を始めてなかったら、もう少し話せないかな?」
深夜という程の時間ではないが、夕食も終えたこんなタイミングで、彼が私の部屋を訪ねて来るなんて思わなかった。
部屋のすみに控えていたニコラも予想外だったのか、目をパチクリさせている。
「……はい」
少し迷いつつも扉を開くと、いつもより少しラフな格好のヴィンス様がそこにいた。
「部屋に入れてもらっても良い?
一応エイベルには許可を取ったけど、もし嫌なら他の場所でも……」
こんな時間の訪問をお兄様が許可した事は驚きだったが、ヴィンス様の背後を見て納得した。
お兄様が一番信頼している騎士とメイドを連れていたのだ。
いわゆる、お目付け役というヤツだろう。
私の視線の先を追う様に、ヴィンス様もチラリと背後へ目を向け、不服とも諦観ともつかない複雑な表情で軽く肩を竦めた。
「すみませんね、お嬢様。
馬に蹴られて殺されそうな役割ですが、なにぶん主の命ですのでご容赦ください」
大きな体を縮こまらせながら謝る騎士がちょっぴり可哀想になり、苦笑いを浮かべた。
「どうぞ、お入りになって」
少し横に避けて、彼等を部屋へ通す。
メイドが押しているワゴンの上には、グラスが二つとお酒が入っているらしき瓶。ナッツとチーズも用意されていた。
「今日のデートはエイベルに邪魔されてしまったから、その穴埋めに二人で話す時間が欲しいって交渉したんだ」
「それは、私が……」
「いいや。シェリルが誘ったせいじゃなくて、アレは確実に僕への嫌がらせだった」
ムスッとした顔でそう言ったヴィンス様を見て、少し笑いそうになった。
そんな事はないだろう。と、思いかけたが、なくもないかもしれない。
お兄様はちょっぴり過保護だから。
「まあ、二人きりではないけどね」
部屋の入り口付近に直立不動で控えている騎士とメイドへ、胡乱な眼差しを向けるヴィンス様。
「私達は壁ですのでっ!」
「そうです、壁ですっっ!!」
「壁は喋らないよ」
そう指摘された二人は、両手で口を押さえた。
ニコラも慌ててメイドの隣に並び、同じ様に口を押さえる。
どうやら彼女も壁になりきる覚悟らしい。
「シェリルは、アルコールは飲める?」
「あ、はい。多分、人並み程度には」
この国では、学園に入学する年齢になると飲酒が許可される。
私も、フレッカー子爵邸で入学のお祝いをしてもらった際に、ワインを初めて飲んだ。
お父様が家を空けている時には、お兄様やお母様と一緒に飲む事もある。
まだその美味しさは良く分からないけど、弱い体質ではないらしく、結構沢山飲んでも酔った事はない。
「なら良かった。
コレ、ウチの領地で作ってるシードルなんだ。一応、度数が低めの物を用意したから、大丈夫だと思うんだけど」
注がれた液体は淡い琥珀色で、シュワシュワと小さな泡が弾けている。
グラスを手に取ると甘酸っぱい香りがした。
「爽やかな香りですね。シードルを頂くのは初めてです」
「台風とかで傷付いた林檎を有効利用しているんだ。
口に合うと良いけど」
軽くグラスを掲げてから、口を付ける。
香りから想像したよりも、スッキリとした甘みが広がった。
「美味しいし、飲み易いですね。でも逆に危険かも……」
「そうなんだよね。水代わりにガブガブ飲む人もいるけど、油断し過ぎると意外と酔っ払うから、シェリルも気を付けて」
まさか、そんなヴィンス様の言葉がフラグになるなんて、この時は全然思っていなかった。




