12 否定しない人
──────ル。
─────リル?
「……シェリル?」
思考の海に沈み込み、ぼんやりとしていた私は、ヴィンス様の声で急激に現実へと引き戻された。
どうやら何度も名を呼ばれていたらしい。
「大丈夫かい?」
「は、い。……大丈夫、です」
私の顔をジッと覗き込むヴィンス様の瞳には、侮蔑でも嫌悪でもなく、私への心配だけが浮かんでいる。
その顔を見て、ハッとした。
私、どうしてこの人に嫌われるかもしれないだなんて思っちゃったんだろう?
この人はきっと、そんなくだらない事だけで他人を嫌ったりはしない。
まだ付き合いは浅いけれど、その位は判断出来る。
「あぁ、良かった。
どうした? 話の途中で急に返事しなくなったから驚いたよ」
「すみません。あの、少し、考え事をしてしまって」
ヴィンス様は私の返事に瞳を瞬かせたが、深くは聞かずに、ただ「そっか」と呟いた。
「お待たせしましたぁ!……って、あれ?なんかお二人共、空気重くないですか?」
丁度良いタイミングでニコラがチーズケーキを持って戻ってくれたのは良いんだけど、一言多い!
優秀な侍女としては、そこは気付かない振りをするべき所でしょ?
ほら見なさい。ヴィンス様も苦笑いしているじゃない。
「まあ、それはさて置き……。
こちらがマルベリージャムとチーズケーキでございます」
そう言いながら、ヴィンス様の前にケーキの皿を提供するニコラ。
……思い空気を簡単にさて置かれた。
まあ良いけど。
ヴィンス様は皿の上をまじまじと観察している。
一人前にカットされたチーズケーキの隣には、生クリームと共にマルベリージャムが添えられている。
「へえ、コレが……。うん、なんか独特な見た目だね」
あー、養蚕が盛んな地域以外の人はマルベリーを見慣れてないだろうから、ベリー系の赤っぽい色を想像してたなら、この黒さはちょっと意外かもね。
しかもウチのマルベリージャムは、あまり煮込み過ぎずに果肉の食感を残してるから、小さな粒々が密集した感じがなんかダメって人も結構いるみたい。
最近人気なのは本当なんだけどね。
まあ、どんな食べ物でも、人によって好き嫌いはあるから。
「もし苦手そうでしたら、ご無理はなさらず……」
「いや、全然。イメージと違ってただけ」
そう言ったヴィンス様は、フォークで一口大に切り分けたチーズケーキに、添えられていたジャムをたっぷりと絡めて口に入れた。
「え? なにコレ、うまっっ!!」
その少年の様な反応に、思わずこちらまで笑みが零れる。
「お口に合ったなら良かったです」
「これは母上に知られたら、絶対『貴方だけ食べたなんて狡いわっ!』って怒られるヤツだな。
でも、味も想像してたのと違う。ベリーと言っても酸味は殆どないんだね。それになんだろう、甘さにコクがある感じがする」
「ああ、それはもしかしたら、砂糖の代わりに蜂蜜を使用しているせいかもしれません」
私の説明に、ヴィンス様は少し驚いた顔をした。
「蜂蜜? 贅沢だね」
そう。砂糖も勿論高級品だけど、この国では蜂蜜はもっと貴重なのだ。
「ウチの領地で採れた蜂蜜なんです」
「へー。
ハサウェイ領って生糸の産地ってイメージばかりだったけど、養蜂までやってるとは知らなかった」
ヴィンス様のその疑問に答えたのは、フフンと胸を張ったニコラだ。
「ご存知ないのも無理ありませんわ。
養蜂は、お嬢様の提言で最近始めた産業なのですから」
コラ。お客様と主の会話に口を挟まない!
手先が器用でなんでも出来るのに、ウチより格上のお邸に雇って貰えなかったのは、多分そういう所だぞ。
しかも、なんでちょっと得意げなのよ?
でも、ヴィンス様はニコラの無礼も全く気にしていないみたいで、ただ感心した様な顔をしている。
「成る程ね。もしかして、マルベリージャムの為に?」
「察しが良いですね。
ええ。養蚕農家でしか食べられていなかったマルベリーを新たな産業にしたかったんですけど、砂糖の調達に躓きまして……」
「それで蜂蜜から作っちゃうなんて、大胆だね」
「お兄様にも最初は無謀だと言われましたけど、友人のご実家が養蜂をやっていて、アドバイスをいただけたので、なんとか軌道に乗りました。
よろしければ、公爵夫人へのお土産に、マルベリージャムと蜂蜜をお持ち帰りになりませんか?」
「あ、ごめん。母上の話をしたのは、気を遣わせるつもりじゃなかったんだ。
ちゃんと購入予約はしてあるみたいだから、待たせとけば大丈夫だよ」
失言してしまったとでも思ったのか、ヴィンス様はブンブンと両手を振って辞退する。
催促されたと思った訳ではないのだけど。寧ろ、公爵夫人に気に入ってもらえたら良い宣伝になるかもっていう打算もちょっとだけ含まれてたりするのだ。
「ご遠慮なさらないで。ご迷惑でなければですが」
「凄く喜ぶと思うけど……、いいの? 入手困難なんでしょ?」
「いえ。
実は、販売戦略として流通量を少な目にしているだけで、在庫が足りない訳ではないんですよ」
「あー、なるほど。販売戦略、大当たりだな」
「そろそろ流通量を増やそうかと、お兄様と相談しているのですが───」
お父様やヘンリー様には『賢しらだ』と否定されてばかりだった私の話を、ヴィンス様は全く嫌がる事なく、時折相槌を打ちながら楽しそうに聞いてくれる。
そんなヴィンス様に、胸の奥でずっと泣いていた幼い頃の私が、慰められた様な気持ちになった。




