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解剖台の継承者 ――殺された解剖医は、胃の中に最後の証拠を残した  作者: 二条理|アコンプリス


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第十章 会見

 会見室の空気は、始まる前がいちばん濁る。

 朝。まだ記者は入っていない。椅子は整然と並び、壇上の机には白い布がかけられ、マイクの赤いランプだけが無言のまま点いている。整っているからこそ、ここで何をどこまで出し、何をどこで止めるかという計算だけが、先に部屋を満たしているように感じられた。

 二階堂壮也は控室の長机に想定問答の紙を広げ、鉛筆でいくつかの語句を消していた。消しては書き直し、書き直してはまた消す。筆圧は一定で、焦っているようには見えない。実際、彼の手は乱れていなかった。乱れないからこそ、周囲には余計に不気味に映る。

「医務院内部の関与について聞かれた場合は」

 部下がメモを見ながら確認する。

「現時点で特定の所属や立場を前提とした見解は差し控える、でいい」

「港湾ルートの件は」

「未確認情報に基づく質問には答えない。拘置所死亡案件へ飛ばれたら、個別案件への言及は控える」

 二階堂は視線を上げずに答えた。質問が来る前に、その質問が燃える順番を潰していく。どう聞かれ、どこで記者が色をつけ、どの文言が見出しに切り取られるか、その先回りが早すぎた。

 控室の入口に凭れたまま見ていた木下が、小さく息を呑んだ。真壁はその気配で振り向いたが、木下はすぐ目を逸らした。若手の刑事から見れば、有能さはときに能力ではなく隠し事に見える。いまの二階堂はまさにそうだった。

 真壁も同じことを思っていた。二階堂が真実を知っているとは限らない。だが、真実がどう燃えるかは知りすぎている。その知りすぎている感じが、ここ数日、真壁の神経を逆撫でしていた。

「そこ、止めるのか」

 真壁が言うと、二階堂はようやく鉛筆を置いた。

「何を」

「医務院内部犯説」

「雑に燃えるのが一番困る」

 二階堂は紙を揃えた。指先の動きに無駄がない。

「血文字、医務院、港、拘置所案件。いま全部を一つの皿に載せたら、記者は味の濃い順に食う。最初に食われるのは血文字だ。その次が内部犯説。港まで行く頃には、もう絵が出来上がってる」

「お前、何を止めたい」

「燃える順番だよ」

「順番だけか」

「お前は掘るだけでいいから楽だな」

 刺すような言い方だった。真壁も引かなかった。

「掘らせたくないようにも見える」

「見えるなら、そう見える顔をしてるんだろ」

「否定しないのか」

「否定して欲しいなら、もう少し可愛げのある聞き方をしろ」

 木下が目に見えて息を詰めた。部下の前でこれ以上やり合う気は、どちらにもなかった。だが言葉の先だけは、互いに喉元へ届く距離まで出ている。

 松本が遅れて控室へ入ってきて、その空気を一目で読んだ。

「会見前に始めるな。記者に見せる喧嘩と見せない喧嘩の区別くらいつけろ」

 二階堂は鼻で笑い、真壁は黙った。外から人の入る気配が近づいてくる。記者たちだ。椅子が引かれ、カメラの脚が開かれ、低いざわめきが部屋へ流れ込み始める。その音を聞いた瞬間、二階堂の顔が切り替わった。苛立ちも刺々しさも消え、代わりに硬質な平静が前へ出る。

 その速さが、真壁には嫌だった。

 会見が始まる。

 警察幹部が中央に座り、二階堂は少し斜め後ろに立つ。質問が飛ぶたびに、誰より先にどの言葉が危ないかを見抜き、返答者の視線が泳ぐ前に紙を差し出し、必要なら耳元で一言だけ補う。

「被害者が残した血痕について、特定個人を示す可能性は」

「現在、鑑定および解析を継続中です。特定の解釈を前提としたコメントは差し控えます」

「医務院内部の関係者が捜査対象に含まれるのか」

「関係先を含め、幅広く確認を進めていますが、現段階で所属や職種を限定した言及は控えます」

「被害者は過去の拘置所死亡案件について独自に調査していたという話もあります。その点との関連は」

 壇上の幹部が言葉を探す、ほんの一拍前だった。

 二階堂が一枚の紙を差し出す。

「個別案件との関連を含め、現在確認中です。現時点で特定の動機や背景を断定する段階にはありません」

 その紙を受け取りながら、幹部がほっとした顔をしたのを真壁は見た。

 記者会見は情報を出す場である以前に、情報が誰の形になるかを決める場だ。そこに立つ二階堂は、まるで流路を変える堰のようだった。せき止めるのではない。水は流す。だが、どこを先に濡らし、どこを後回しにするかを決めている。

 質問は続く。

「血痕について、被害者の強い意思表示と見る余地は」

「現時点で、そこまでの評価を置く段階にはありません」

「港湾ルートとの関係について、警察が特に慎重になっている理由は」

「慎重かどうかではなく、確認の段階にあるということです」

「被害者はどのような人物だったのか。正義感の強い監察医だったとの話もありますが」

 その問いに、二階堂の指先が一瞬だけ止まった。

 九条は、対等に話せる相手だった。

 その思考を、いま自分は外へ出せる形へ薄めている。

 その一行だけが胸の奥で鋭く立った。だが顔には出さない。

 壇上の幹部が答える前に、二階堂はまた紙を差し出す。

「被害者像を現時点で一方向へ固定することは、捜査上も適切ではありません」

 口に出された文言はきれいだった。

 きれいすぎて、二階堂は内側で吐き気に近いものを覚えた。九条の思考の速さも、嫌な正確さも、人を選ぶ冷たさも、この一文の中では全部削られる。ただ“被害者像を固定しない”という無害な言葉に薄められる。

 それでも、そうするしかない。

 記者席の後列で、誰かがノートパソコンを叩く音が速くなる。見出しになる文言を拾ったのだろう。二階堂はその速度を知っている。知っているから、その一歩先へ文を置き続ける。

「被害者が残したものについて、警察は何か隠しているのでは」

「捜査の公正を害する情報については、現段階での詳細な開示を控えます」

 削る。薄める。止める。

 会見のあいだ中、二階堂はずっと同じことをやっていた。

 会見が終わったあと、記者たちが撤収する間も二階堂は立ち止まらなかった。幹部へ短く報告し、部下へ次の配布資料の修正を指示し、最後に残った質問への文面整理を始める。真壁は少し離れた場所からそれを見ていた。

 木下が小声で言う。

「二階堂さん、何か知ってるんですかね」

「知ってるように見えるだけかもしれない」

「でも、見えすぎます」

「そうだな」

 真壁はそれだけ答えた。

 見えすぎる。だからこそ厄介だった。実際に知っているのか、知っているように振る舞うことで場を持たせているだけなのか、その境目が見えない。だが、境目が見えないこと自体が、今の真壁には十分に疑わしかった。

 九条は自分に何かを託した。そう感じている人間は、自分以外にそれを握りうる者を本能的に警戒する。二階堂はまさにその位置にいた。


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