第八話 ながれゆく風
大陸歴662年・夏
「マリー、今日が魔力量の検査なのよね」
昼食の席で、リネが尋ねた。
「ええ。放課後に受けることになっているの」
「どんな検査なの?」
「水晶に手を添えて、少しずつ魔力を引き出してもらうそうよ。それで、どれくらいの魔力があるのか調べるんですって」
「へえ。結構時間がかかりそうね。どれくらいかかるのかしら?」
「それが、先生にも終わる時刻は分からないそうなの。魔力量が多いほど時間がかかるみたいで。念のため、屋敷には遅くなるかもしれないと伝えてあるけれど」
「無理はしないでね」
「ありがとう」
エマが手帳を閉じた。
「結果が秘密でなければ、あとで教えてね」
「ええ。話せることなら」
「それから、学院と教会の慈善事業のこと、聞いた?」
リネが話題を変えた。夏の終わりに、学院で集めた衣類や保存食、学用品を、教会が支援する家々へ届けるのだという。準備を手伝う学生も募集していた。
「私、帳簿の整理ならお役に立てると思うの。申し込んでみようかしら」
「リネなら頼りにされるわ。私も、普通科で学んだ領地経営の知識が役に立つかもしれないし、手伝いたいな」
「二人が参加するなら、私も付き合うわ。記録係なら適任でしょう?」
エマがそう言って手帳を軽く持ち上げたので、私たちは顔を見合わせて笑った。
放課後、魔法科の教室で帰り支度をしていると、ヴェルディス様たちに声をかけられた。隣にいらっしゃるシリルヴァン・オルヴェーヌ様は、公爵家のご嫡男で、この度同じ学級になった方だ。お顔は存じ上げていたけれど、直接お話しするのは初めてだった。
「ラフォール嬢。その後の訓練の調子はいかがですか?」
「まだ失敗も多いのですが、以前より鈴を一度だけ鳴らせるようになったんです。あの日は何度も練習に付き合ってくださって……本当にありがとうございました」
ご自身の訓練もあるのに、私のために時間を割いてくださった。たまたま声をかけてくださっただけかもしれない。それでも、あの時間は私にとって、とても心強いものだった。
「それならよかった。ところで、今日は魔力量の検査でしたね」
「はい。これから受けに行くところです」
ヴェルディス様が頷かれたところで、オルヴェーヌ様がおもむろに口を開かれた。
「ラフォール嬢。ご友人を助けたときに、風魔法が発現したそうですね。ご友人は、ご無事でしたか」
「モロー嬢のことでしょうか。はい。幸い怪我もなく、今は元気にしています」
「それは何よりです。……ところで、モロー嬢とは以前から親しくされているのですか?学院では普段、どのような方なのでしょう。よくご一緒に過ごされているのですか?」
立て続けに尋ねられ、私は少し驚いた。あの日のことを、それほど気にかけてくださっていたのだろうか。
「はい。初等課程の頃から、ベルナール嬢と三人で仲良くしています。モロー嬢はとても優しくて、しっかりした方です。教会の活動にも熱心なんですよ」
「そうですか。教会の活動にも……」
オルヴェーヌ様は、何かを確かめるように小さく頷かれた。
「転籍したばかりで、何かと大変でしょう。困ったことがあれば、どうぞ相談してください」
オルヴェーヌ様はそうおっしゃって、一礼すると先に教室を出ていかれた。残ったヴェルディス様が、私に向き直られた。
「検査室は少し分かりにくい場所です。よろしければ、ご案内しましょうか」
「……ありがとうございます。実は、まだ道順に自信がなくて」
「では、こちらへ」
私はヴェルディス様と廊下へ出た。行き交う学生を避けながら、私の歩幅にさりげなく合わせてくださった。道を教えていただくだけなのに、なぜか安心した。
「そういえば、学院と教会の慈善事業には参加されますか」
「ええ。今日、友人たちと参加しようかと話していたところです。街道の管理や物資の輸送について学びましたので、少しでもお役に立てればと思っています」
「それは心強いですね。私も学生準備委員としてお手伝いしているんです。ご一緒する機会もあるかもしれませんね」
「まあ、そうなのですか。それは楽しみです」
「ところで、モロー嬢とベルナール嬢も参加されるのでしょうか」
「はい。モロー嬢は物資の帳簿を、ベルナール嬢は記録の仕事を希望しています」
「皆さん、それぞれ得意なことがおありなんですね」
そんなお話をしているうちに、検査室の扉の前に着いた。
「こちらです。では、無事に検査が終わるよう願っています」
「ありがとうございました」
一礼してヴェルディス様を見送った。ご一緒する機会もあるかもしれない。その言葉を思い返すと、少しだけ楽しみになった。私は扉に向き直り、そっと叩いた。
検査室の机には、先日の属性確認で見たものと同じ、手のひら大の水晶が置かれていた。
「今日は、あなたの魔力量を調べます。水晶に手を添えてください」
「この前のように、魔力を流せばよいのですか」
「いいえ。今日は水晶が少しずつ引き出しますから、楽にしていてください。気分が悪くなったら、すぐに教えてくださいね」
私は頷き、水晶に手を添えた。
水晶の内側に小さな風の渦が現れ、身体の奥から魔力が静かに引き出されていく。先生は記録を取りながら、ときおり水晶を確かめていらした。
しばらくしても渦は消えなかった。窓の外の雲は流れ、砂時計は何度も返された。
「先生、まだ終わらないのでしょうか」
「ええ。もう少し様子を見ましょう。体調は大丈夫ですか」
「はい。でも、こんなに長くかかるものなのですね」
「お迎えの方には、検査が長引いているとお伝えしています。安心してください」
やがて窓から差し込む光が傾き始めた。先生が記録を見直す表情は、いつになく真剣だった。
検査が終わったのは、それからさらにしばらくしてからだった。水晶の渦が細くなり、ようやく手を離してよいと告げられた。
立ち上がろうとすると、少し足元がふらついた。先生に勧められて座り直し、温かい飲み物をいただく。
「……ずいぶん時間がかかりましたね」
「ええ。ラフォール嬢、あなたの魔力量は通常の学生の数倍に及ぶと考えられます」
「えっ……私が、ですか?」
「詳しい数値は後日お知らせします。この結果は慎重に扱う必要がありますので、ご家族など、ごく親しい方以外には、あまりお話しにならないようにしてください」
「そ、そんなに珍しいことなのですか?」
「ええ。ただし、魔力量の多さと制御の上手さは別です。まずは今の課題に取り組み、少しずつ扱い方を身につけましょう」
それは身にしみて分かっていた。鈴の課題も、ヴェルディス様の助言で以前より上達したけれど、まだ失敗することが多い。
「はい。これからも頑張ります」
帰りの馬車では、夕暮れの街並みを静かに眺めていた。目を閉じると、まだ水晶の中の小さな風の渦が浮かんでくる。自分にそれほど多くの魔力があるなんて、信じられなかった。
屋敷に着くと、エレナ母様が出迎えてくださった。
「お帰りなさい。長い検査だったのね」
「はい……。こんなに長くなるなんて、思いませんでした」
「身体は大丈夫?」
「少し疲れましたが、休めばすぐに回復するそうです」
「それなら安心したわ。少し休憩しましょうか。話を聞かせてちょうだい」
お茶の用意がされ、私は検査の結果をエレナ母様にお話しした。
「あら!普通の学生の数倍も魔力があるの?」
「はい。詳しい数値は後日だそうです。あまり人には話さないようにと言われました」
「お父様にも相談しましょう。でも、よかったわね。魔法が使えないことを、ずっと気にしていたのでしょう。あなたが何もおっしゃらなくても、気づいていたわ」
私は返事をしようとして、言葉に詰まった。気にしていないふりをしていた日まで、エレナ母様には見えていたのかもしれない。
エレナ母様は、そんな私を見て優しく微笑まれた。
「魔力量が多かったことも嬉しいけれど、あなたが少し安心できたのなら、私はそれが一番嬉しいわ。あとは焦らず、上手に使えるようになればいいのよ」
魔法を使えなかった頃の私も、今の私も、エレナ母様は同じように見守ってくださっている。そのことが分かって、ようやく心から嬉しいと思えた。
それから、ヴェルディス様が検査室まで案内してくださったことをお話しした。
「まあ。ご親切な方ね」
「ええ。先日も鈴の練習に付き合ってくださったんです。私が何度失敗しても、根気よく教えてくださって。本当に優しい方なんですよ」
「ふふ。ずいぶん嬉しそうにお話しするのね」
「えっ……そうですか?でも、本当に感謝してるんです」
「そうね。よい方と知り合えて、よかったわ」
エレナ母様は楽しそうにお茶を口にされた。なぜそんなに微笑んでいらっしゃるのか分からなかったけれど、私もつられて笑ってしまった。
翌日、魔法科の実技室で、私はまた鈴に向き合っていた。
最近は三度に一度くらい、一度だけ鳴らせるようになっている。けれど、続けて成功するとは限らない。
チリン、チリン。
「ああ、惜しい……。今度は二度鳴ったわ」
風を止めたつもりでも、鈴は揺れ続けてしまう。力の加減が、まだつかめなかった。
「ラフォール嬢、昨日はお疲れさまでした」
顔を上げると、ヴェルディス様がいらした。
「ありがとうございます。昨日は検査室までご案内いただいて、本当に助かりました」
「いえ。検査は無事に終わりましたか。お身体はもう大丈夫ですか」
「はい。随分時間がかかりましたが、少し休んだら元気になりました」
「それならよかった」
ヴェルディス様は、検査の結果までは尋ねられなかった。
「それより、鈴の練習なのですが……以前よりは上達したものの、まだ安定しなくて。もう一度、教えていただけませんか」
「もちろんです。何かお役に立てるかもしれません。まずは一度、見せていただけますか」
「はい。お願いします」
私は掌を鈴に向けた。短く風を送ったつもりだったのに、やはり二度鳴ってしまう。
「……音が鳴ってから止めようとすると、少し遅くて、かといって、鳴る前に止めると鈴は動いてくれません。風は見えない分、調節が難しくて……」
「なるほど。では、少し違う考え方を試してみませんか」
「違う考え方、ですか?」
「私は火魔法なので、同じようにできるかは分かりませんが……剣に炎をまとわせるときは、炎を飛ばすのではなく、自分の手から伸びた炎を剣に沿わせるように操るんです」
「手から伸びた炎を……」
「ええ。手の延長のように考えるんです。ラフォール嬢も、風を送り出して終わりにするのではなく、自分の手につながっているものとして操ってみてはどうでしょう」
私は自分の掌を見つめた。
「……ああ、そうか。風を出したあとも、強さや向きを変えていいんですね」
「ええ。見えない指先で鈴に触れるように。そうすれば、力の加減もしやすくなるかもしれません」
「……試してみます」
私は鈴に向けて掌を伸ばした。風を一度に送り出してしまわず、指先から細い流れが伸び、鈴のそばに届いてもまだ自分とつながっているところを想像する。ほんの少し触れて、揺れ始めたら力を緩める。
チリン。
「あっ!一度だけ鳴りました!」
「ええ。今は風を止めるというより、鈴の動きに合わせて加減していらしたように見えました」
私は頷いた。
音が一度だけだったことも嬉しい。でも、それ以上に、風が掌の先に残っていて、強さを変えられたような感覚が不思議だった。もう一度、同じようにできるだろうか。そう思うと、早く試したくなった。
「ありがとうございます。もう少し頑張ってみます」
「ラフォール嬢も、無理はなさらず。課題に合格できるよう、願っています」
私は鈴に向き直り、何度も試した。最初はまた二度鳴ったけれど、風が鈴に届いたあとも意識を向けると、一度で止まることが増えた。先生に見ていただいたときには、五回のうち四回、澄んだ音を一度だけ響かせることができた。先生はしばらく鈴の揺れを確かめてから、頷いてくださった。
「もう十分ですね。鈴の課題はこれで合格としましょう。次は、羽根を風に乗せて籠の中へ運ぶ練習です」
「本当ですか? ありがとうございます!」
嬉しくて、思わずヴェルディス様の姿を探した。あの方の言葉を試したから、初めて自分の意思で風の動きを変えられた気がした。そのことを、どうしてもお伝えしたかった。
ヴェルディス様のもとへ歩み寄り、私は声をかけた。
「ヴェルディス様! 合格しました!ヴェルディス様のおかげです。あのとき教えていただいて、本当にありがとうございました」
「私は少しお話ししただけですよ。何度も練習して努力したのは、ラフォール嬢でしょう」
その言葉に、胸の奥が温かくなった。うまくできないところを何度も見ていらしたのに、ヴェルディス様は私の努力を認めてくださった。鈴の課題に合格できたことと同じくらい、それが嬉しかった。
次は羽根。きっと、また思いどおりにならないのだろう。それでも、今は次の課題が少し楽しみだった。できないことがあるのは、もう恥ずかしいだけではない。
――エマの手帳より
大陸歴662年・夏
『マリーが教えてくれた。魔力量はすごく多いらしい。でも、これは内緒。詳しい結果は聞かないことにしよう』
『鈴を一度だけ鳴らす課題に合格したそうだ。次は羽根を運ぶらしい』
『最近、マリーはヴェルディス様のお話をよくする。話しているとき、何だか嬉しそう。……これは、ひょっとして?』




