07.ただいま、福島
福島の滑走路に降りた時には、すっかり夕暮れだった。
エンジンを切ると、虫の声がした。
二人は小さい声で「ただいま」と言った。
それを言うのが、ここに帰ってきた時の習慣になっていた。
コックピットから降りると、集落の人が何人か来た。
「ちょうどよかった、今からみんなで夕飯なんだ。お前らも一緒に食べろ」
「マジっすか! 今行きます!」
俺はハルカを背負って、走った。
その時、トビオ爺が滑走路の端に立っていたのが見えた。
「ゲッ、トビオ爺……!」
「何をそんなに驚いとるんじゃ」
「い、いやぁ……、何でもないよ」
トビオ爺は、杖をついてスカイフィッシュ号を見ていた。
機体を見て、それから俺を見て、ハルカを見た。
「二人とも、無事だったか?」
「見りゃわかるだろ?」
トビオ爺が頷いた。それ以上は聞かなかった。「飯にするぞ」と言って、先に歩き出した。
◇
集落の夕飯は、いつも大きなテーブルを囲んで食べる。
今夜は二十三人。子どもが六人、大人が十七人。テーブルの上には、畑で採れたトマトの煮込みと、麦のパン、それから干した魚が少し。質素だが、温かかった。
「ソラヒト兄ちゃん、北海道どうだった?」
子供の一人に聞かれた。
「北海道はな、夏なのに雪で真っ白だったぞ!」
「夏なのに寒いの?」
「ああ、寒かった。それと、津軽海峡を越えるのが大変だったな。
海って、川と全然違うんだぞ? 横からビューっと風が来て、下からズドーンと突き上げてくる感じがして——」
話し始めると、子どもたちが「それで、それで」と前のめりになった。
ハルカはその隣で、静かに食べていた。
時々、俺の話に「それ、ちょっと盛ってる」とか「そこは私の指示のおかげ」と訂正を入れた。
それで余計に子どもたちが笑った。
食事が終わった後、大人たちが片付けを始めると、トビオ爺に呼ばれた。
「ソラヒト、ちょっと話がある。ハルカちゃんも来なさい」
「なんだよ、改まって」
とは言ったものの、何となく呼ばれそうな気はしていた。
集落の外れに、小さな丘がある。
俺が子どもの頃、よくトビオ爺に連れてきてもらった場所だ。
三人で丘に座った。
宇宙は晴れていた。“天井”越しに、たくさんの星が見えた。
「北海道で、何か聞いたんだろ?
さっきの反応を見て、何となく察しがつく」
とトビオ爺が聞いた。
「まあ、いずれ話さなきゃいけないんだよな。
それが、シロさんとの約束だ」
俺は、シロさんから聞いた話をそのまま伝えた。
小惑星・オデッセイの話。軌変隊の記録の話。そして、父さんがオデッセイ島に向かったという話。
トビオ爺は黙って聞いていた。
「……その男の言うことは、信憑性が高いだろうな」
「父さんの話も……か?」
「ああ、お前の父親は昔から、気になったことは確かめずにはいられない性格だった。
だからきっと、その話を聞いてオデッセイ島へ行きたくなったんじゃろう。
だからわしは、この話をしたくなかったんじゃ。
危険な道を選ばせてしまうと、わかっておったから……」
「トビオ爺……」
「ただ、あのバカ息子は、わしに相談せずに出て行った」
トビオ爺は星を見ながら言った。
俺は決意を固めた。真っ直ぐな気持ちをぶつけるんだ……!
「トビオ爺、俺——オデッセイ島に行きたい。
父さんがどうなったか、確かめたい。
それに、軌変隊の記録のことも。
人災だって言う人が多いけど、本当にそうなのか、確かめたい」
その“確かめたい”という言葉に、トビオ爺の目の色が変わった。
「危険だぞ。考えなしに行ったのでは、必ず墜落する。
何かプランはあるのか?」
「太平洋から抜けられないかなって、考えてた。
知床からの帰りも太平洋沿いに飛んできて、少しでも大気が安定してる場所はないかなって偵察してきた」
「そうか。で、どうじゃった?」
「ハルカが言うには、どこの海域も大荒れらしい。
それにシロさんには、知床より北へ行くとエンジンが凍るって言われた。
だから、次は南下しつつ大気が安定してる海域を探す。そして、集落を見つけたら積極的に降りて、オデッセイ島に関する情報も集める。
しばらくはこの作戦で行くよ」
「ああ、焦る必要はない。お前はまだ十八歳なんだ。
のんびり目指すくらいで、ちょうどいい」
「トビオ爺……、じゃあ、俺たち行ってもいいのか!?」
「ただし、無理だと思ったら引き返してこい。それだけは約束だ」
「ありがとう、トビオ爺。必ず帰ってくるよ」
「ハルカちゃんも、行くのか?」
とトビオ爺が聞いた。
「行く」
ハルカは答えた。迷わずに。
「ソラヒト一人では、大気が読めない。私がいないと、危険」
「体は大丈夫か?」
「飛行機の中にいる時の方が、楽」
「……そうか」
トビオ爺は持っていた杖を置き、両手を宇宙に掲げた。
「宇宙は、広いな……」
「トビオ爺、その言葉よく言うよな」
「……かもな」
「何か意味でもあるのか?」
トビオ爺は少し間を置いた。
「……帰ってきたら、話す。
だから——必ず帰ってこい。“二人”で、必ずだ」
「ああ、わかった」
「食事も三食しっかり摂るんじゃぞ」
トビオ爺は、もう一度宇宙を見た。
俺とハルカも、しばらく星を見ていた。
星が多い夜だった。
◇
翌朝、出発の準備をしていると、集落の人間が全員出てきた。
そして、ハルカに保存食を持たせてくれた。
乾燥した桃の顆粒と、固いパンと、塩と、タイムを少し。
ハルカは頭を下げた。
最後にトビオ爺が近づいてきた。
何も言わずに、ただ皺だらけの手で、俺の肩を一度だけ叩いた。
その肩に残った感覚が、心強かった。
「じゃあ、行くぞ。ハルカ」
「行こう。ソラヒト」
スロットルを押し込む。
草の滑走路を、スカイフィッシュ号が駆け出す。
見送りの人たちが手を振っている。
トビオ爺は杖を持ったまま、まっすぐ立っていた。
その瞳から、涙が一滴零れ落ちたような気がした。
そして、機体が浮いた。
吾妻連峰の稜線が、翼の下に流れていく。
眼下には集落の屋根が見えたが、小さくなって、やがて消えた。
「ハルカ、“天井”は?」
「あと五百メートルはある。安定もしてる」
「ありがとな」
スカイフィッシュ号が、南へ向かって飛んでいく。
福島の空は、今日も広かった。




