06.父の背中と、決意
ハルカは俺の目を真っ直ぐに見た。
「ソラヒト、一つ聞いていい?」
「なんだ?」
「本当に一人で行くの? 行けると思ってるの?」
「……お前の体のことを考えると、無理はさせられないからな」
「そうじゃなくて。
ソラヒトは津軽海峡、一人で越えられた? さっきの着陸も、私がいなかったらどうなってた?」
「……」
俺は何も言えなかった。
「私がいない方が、もっと危ない。それに——」
「それに?」
「行きたい。私も。
ソラヒトのお父さんがどうなったか、私も知りたい。
軌変隊の話も、知りたい」
俺は少し黙ってから、息を吐いた。
「……わかった。一緒に行こう。だけど——」
その時、シロさんが割って入ってきた。
「ちょっと待てお前たち! ちゃんとわしの話を聞いとったのか?
オデッセイ島には絶対に行ってはならん! 無謀過ぎる!」
シロさんは立ち上がって、俺たちを見た。
「シロさん、ありがとう。でも俺、もう決めたんだ」
俺はシロさんの目を見つめた。見つめ続けた。
すると、シロさんは観念したように息を吐いた。
「……わしも歳かの。若者の期待に溢れる目には弱い。
あの夜、宇宙を見上げた自分の目と重なるような気がしてしまう。
——ただし、それとこれとは話は別じゃ。わしの口から『行ってこい』などと簡単には言えん。
お前さんには祖父がいると言っていたな?
その人にしっかり事情を話して、想いを伝えてこい。許可をするのは、わしではなくその人のはずじゃ」
シロさんは立ち上がって、両手を俺の肩の上に乗せた。その手は力強かった。
「……困ったなぁ、祖父を説得するなんて、オデッセイ島に行くよりもムズいかもしれないです……」
「なぁに、素直に気持ちをぶつけるだけじゃ。
それでもダメなら、今は大人しく諦めろ」
その日は、部屋を一つ貸してもらい、泊まった。
初めての長距離飛行で、自分で思っているより体は疲れていたようだった。
◇
翌朝、俺は廃ホテルの修理を申し出た。
氷に押されて歪んだ扉の蝶番を直し、暖炉の煙突の詰まりを取った。
俺が修理をしている間、ハルカは残った食材でもう一品作った。
潰した豆と桃の顆粒を混ぜたペーストを、温めたパンに塗って食べた。
「これは何だ?」とシロさんが一口食べて言った。
「豆と桃のペースト。豆は潰すと、全然違う食べ方ができる」
「うまい……。パンがこんなに変わるとは思わなかった」
「食材が少ない時は、調理の仕方を変えるといい。
同じものでも、形や温度を変えると、全然違う料理になる」
「お前さんは、どこで料理を覚えたんだ?」
「集落の人に教わったり、自分で試したり。
食べ物のことは、飛びながらいろんな人に聞いてきた」
「旅をしながら覚えたのか」
「はい。知らない土地に行って、知らないことを教えてもらう。それが楽しい」
「お前たちは、旅が好きなんだな」
俺は修理の手を止めずに言った。
「地上にいたら見られないものが、飛べば全部見えますから。俺はそれが好きです。
川がどこから来てどこへ行くか。森がどこから始まってどこで終わるか。人はどこに集まっているか。
——全部、飛べばわかります」
「それを見て、どう思うんじゃ?」
「そうですね、地球ってまだこんなに豊かなんだって思います。
人がいなくなっても、気候が変わっても、地球はそのままある。
川は流れてるし、森は育ってる。
それを見てると、この地球が“終末世界”って呼ばれてるのが、嘘みたいに思えるんです」
「わしはあの日から五十年生きてきて、つい最近そう思えるようになった。
お前は若いのに、もう気づいとるんじゃな」
「隕石が落ちる前の地球を知らないってのもありますけどね」
俺はそう言って笑った。
◇
廃ホテルの修理を終え、俺とハルカはスカイフィッシュ号に乗り込んだ。
出発の時、シロさんが一つだけ言った。
「ここより北には行くなよ。
夏でもエンジンが凍りつくぐらいの低温になる」
「わかりました。寄り道しないで福島まで帰ります。
それじゃ、また来ます。シロさんも、それまでお元気で」
「ああ、待っとる。今度はわしがスープをごちそうする。材料くらいは用意できる」
「……楽しみ」
ハルカは、ぽつりと言った。
スカイフィッシュ号のエンジンが唸りを上げた。
雪の上を滑走する。
機体が浮いた。氷の廃ホテルが下に流れていく。
夏の太陽の光を受けて、青白い氷柱が少しだけ金色に変わっていた。
「ソラヒト」
「なんだ?」
「怖い?」
「んー、一番はトビオ爺が怖いかもな」
「ふふ。説得、頑張って」
「こういう時もサポートしてくれよ……。
オデッセイ島に行くまでのプランとか、考えながら飛ぼうぜ」
「確かに。現実的な話は、大事」
「とりあえず、太平洋からオデッセイ島に向かえないか、偵察しながら帰ろう」
「わかった。なるべく居眠りしないように、太平洋側の大気を読む」
「い、いつも静かな時、居眠りしてたのかよ……」
「ソラヒトの操縦、安心感があるから、眠たくなる。
でも、大事な時は起きるから、心配しないで」
スカイフィッシュ号は太平洋を左手に、安定飛行に入った。
「なあ、ハルカ。“天井”まで何メートルある?」
「今は四百メートル。でも、これからどんどん高くなる。
今日は、とってもいい日」
「サンキューな」
二人は前を向いた。
夏の知床が、翼の下に広がっていた。
夏なのに雪をかぶったままの大地が、静かにそこにあった。




