05.隕石が落ちた日
スープを飲み終えると、シロさんが「礼をしたい」と言った。
「いやいや、礼なんていいですよ!」
俺はそう言った。ハルカの代わりに。
「いや、これがわしのやり方じゃ。
もらったものには、返す。それがこの世界の作法だ」
シロさんは静かに言った。何を返そうかと、辺りをキョロキョロしている。
お礼と言ってもなぁ……、そう思った時、ふと気になった。トビオ爺以外で、あの隕石が落ちた日のことを知っている人は、数少ないのではないかと。
「……じゃあ、聞かせてください。昔のことを。
俺にもシロさんと同じ歳くらいの祖父がいるんですけど、頑なに昔のことを話そうとしないんです」
「……わしくらいの歳の老人は、そういう人も多いじゃろな。
いいだろう、何が聞きたい?」
「隕石が落ちた日のことを」
シロさんは暖炉に薪をくべた。火が大きくなった。
「あの夜は……、星がよく見えていたのぉ……。
たしか、時間は夜中の二時頃か。“天井”がない分、今よりずっと空気が澄んでいた。
わしは当時、二十五歳じゃった」
「夜中に、隕石が落ちたんですか?」
「ああ、そうじゃ。
軌変隊が出動したというニュースは知っていたから、最初に宇宙が光った時、作戦が成功したのかと思った」
「キヘンタイ……?」
「軌道変更部隊の略称じゃ。
小惑星・オデッセイの軌道を変えるために派遣された、民間の特殊部隊。
彼らの任務はこうじゃ——オデッセイに着陸し、爆弾を起爆させて軌道を変える」
「小惑星に、直接行ったのか……。
でも、それってヒーローじゃないですか」
「いや、世間の見方はそうではなかった。
そもそもオデッセイは地球に衝突する軌道ではないという噂があったからじゃ。
『余計なことをするな』という声は、多かった。
じゃが軌変隊は、おそらく技術力を誇示するために、作戦を強行した」
「そうだったんですか……」
「ああ。何もしなければ地球に衝突すらしなかった小惑星を爆破し、その破片を地球に落下させた。
それが、彼らが非難の対象となる理由じゃ」
「じゃあ、やっぱり彼らがこの地球を……」
「残念ながら、それが事実じゃ」
シロさんは暖炉の火を見たまま言った。揺らぐ火の明かりで悔しそうな表情が見えた。
「その夜、シロさんの目は何を見たんですか?」
「あの夜、わしはこのホテルの屋上で宇宙を見上げとった。
周りは皆、不安そうに見とったが、わしは期待の目で見とった。軌変隊の活躍が楽しみだったんじゃ。
——そして、宇宙が光った。
太平洋に次々と落ちる閃光が、夜空を昼間のように照らした。それから、一際大きな閃光が落ち、衝撃波が来た。
地面が揺れて、窓ガラスが全部割れた。
そして最後に——灼熱が来た」
シロさんは左腕の袖を捲った。
その腕には、大火傷の痕が残っていた。
俺とハルカは、黙って見るしかなかった。
「わしは運良くこの程度で済んだが、ほとんどの人間はこの熱線で死んだ。
それからしばらくして、津波がきた。沿岸の集落は飲み込まれた」
「そんな……」
「じゃが、それで終わりではない。その後三年、空が暗くなった。作物が育たなくなった。飢えと病気で、生き残っていた人間が死んでいった。
最初の一年で、世界の人口は一割以下になったと言われとる」
「最終的に、生き残ったのは全体の数パーセントだったって、俺の集落では言ってます」
「そうだろう。でも正確な数は誰も知らない。
数える人間も、数えられる人間も、いなくなってしまったからの」
暖炉の火が、ぱちりと音を立てた。
「くそっ、軌変隊が失敗しなければ……」
俺は自分の膝を叩いた。
「……人災だという者は多い。しかし——」
シロさんはゆっくりと口を開いた。
そして、初めて俺を真っ直ぐに見た。
俺はその鋭い眼差しから、目を離せなかった。
「わしは、本当にそうなのだろうかとも思っておる」
「……それは、どういう意味ですか?」
「軌変隊が何を考えてオデッセイに向かったのか、作業の途中で何が起きたのか、結局は誰も知らないんじゃ——記録が残っていないからの」
「……記録?」
「軌変隊は、作業の全記録を残していたはずじゃ。
音声、映像、データ。宇宙での作業だから、あらゆる記録を取るのが当然じゃ。
しかしその記録は、見つかっていない。
消失したのか、残っているのか、それすらわからない」
シロさんは暖炉の方に視線を戻した。
「隕石の落下地点周辺に、記録媒体が残されている可能性があると考えた人間が各地にいた。
その者たちは、船で隕石の落下地点に向かった。隕石が海上に露出して島になっていることを願って、『オデッセイ島』と呼んでおった。
存在するかどうかもわからん、架空の島じゃ」
「その人たちは、どうなりましたか?」
「……誰一人、帰ってこなかった」
シロさんは静かに言った。
「周辺の海は常に大荒れじゃった。船では近づくのはあまりにも危険なんじゃ。
それ以来、誰も向かわなくなった」
部屋が静かになった。
「——だが、十五年くらい前に、船ではなく飛行機で向かった男がいたんじゃ」
俺は顔を上げた。まさか、と思った。
「お前と似た顔をしていたの」
「会ったことがあるんですか?」
「わしが、焚き付けてしまったからの……。
彼にはオデッセイ島の話をした。記録媒体の話も。
そうしたら彼は言った。『飛行機ならいけるかもしれない』と。
それで飛んでいった——『オデッセイ島に向かう』と言って」
「その人の名前、聞きましたか?」
「“大空蒼太”と名乗っておった」
俺は息を呑んだ。
「……父さんです。それ」
暖炉の火が揺れた。ハルカがそっと俺の方を見た。
「しかし、その後は何も連絡がないんじゃ。
お前のところにも戻っていないのか?」
「はい。父さんは十五年前に飛んだっきり戻ってきていません。
俺が三歳の頃です……」
「……そうか。さっきは希望的観測で話したが、実際は記録媒体が残っている可能性なんて、ほとんどないじゃろう。
そんなもののためにオデッセイ島へ向かうのは危険極まりない。
あそこは気流が常に乱れておるはずじゃ。
お前の父親も、それで行方不明になったんじゃろう。
……行くのはやめておけ」
そう言ったシロさんの声は、少し低くなっていた。
しかし、俺は立ち上がった。
「ハルカ、俺、一人で行くよ」
ハルカが顔を上げた。
「……え?」
「父さんがどうなったのか、自分の目で確かめたい。
それに、軌変隊が何をしていたのかも知りたい。
人災だってみんなが言うけど、それが本当かどうか、残された俺たちには、確かめる義務があると思う。
なんか、今まで隕石には興味がなかったけど、それは違った。興味を持たなかったんじゃなく、持たされなかったんだ。
——そりゃそうだ、誰も話をしてくれないんだからな……」
「一人で……行くの?」
ハルカが言った。
「ハルカを巻き込むわけにはいかない。
体調のこともあるし、一緒に行くのは危険すぎる」
俺の言葉を聞いて、ハルカは静かに立ち上がった。
今にも泣き出しそうな表情に見えた。




