04.知床の老人
目が合うと、老人はニッコリ笑った。
「いらっしゃい。
お前たち、もしや飛行機で来たんか?」
「そうです。音で気づきましたか?」
俺はそう答えた。
「この辺に飛行機が来ることは滅多にないが、プロペラの音はすぐにわかる。
それよりお前たち、腹は減ってないか?
そろそろ夕飯なんじゃが、一緒にどうじゃ?」
「……お腹は減ってますけど、なぜ見知らぬ俺たちに食べ物を分けてくれるんです?
この辺りじゃ貴重でしょう、食料は」
「ああ、貴重じゃ。
しかし、旅人に食べ物を出さない人間が、この“終末世界”にいるか?」
「……え?」
「お前たちの集落に、旅人が迷い込んできたらどうするんじゃ?
迷わず歓迎するじゃろ?」
「……そりゃ、そうですけど」
「“終末世界”となってから五十年じゃ。
生き残った人間は、みんな知っとる——ひとりでは生きていけないことを。
今日の旅人は明日の隣人になるかもしれん。それだけのことじゃ」
「……まあ、そうですね」
俺は少し恥ずかしそうに小声で言った。
「わしは、シロという。お前たちは?」
「俺はソラヒトです。こっちはハルカ」
「どこから来たんじゃ?」
「福島からです」
「そうか、“また”福島からか……」
シロさんはそれだけ言って、立ち上がった。
「今、食べるものを出す。その間に、温まっとれ」
シロさんが棚から取り出したのは、乾燥した魚と、硬くなったパンのようなものだった。
「これと、あとは塩くらいしかない」
「塩があれば、十分」
とハルカが言った。
「それと、場所を少し借りる。
私たちが持ってきたものと合わせて、料理を作る」
「なんと、これではどっちが客人かわからんの」
俺はハルカを指差した。
「この子、生意気そうに見えて料理得意なんですよ!
もしかしたら、シロさんに美味しいものを食べさせてやれるかもしれない」
「“生意気そう”は余計。それと、人のこと指差さない。
私、器用そうに見えるでしょ?
話し方も落ち着いてて、品があるし」
「それ……、自分で言うのかよ……」
二人のやり取りを見て、シロさんは大笑いしていた。
「ねぇ、ソラヒト。
スカイフィッシュ号から持ってくるの、手伝って」
二人はスカイフィッシュ号に戻った。
後部荷物室から、布に包んだ荷物を取り出す。
小さなアルミの鍋、折り畳み式のコンロ、小さな瓶がいくつか——香辛料とハーブ類、そして、桃を乾燥させて砕いた顆粒が入っている。
それと、乾燥豆も少しあった。
「今回は、何を作るんだ?」
「出来てからのお楽しみ」
「ちぇっ……」
ハルカは、雪を鍋に入れ始めた。
表面の雪は避けて、その下の新しい雪を使っているようだった。
廃ホテルに戻り、暖炉の近くでハルカが調理を始めた。
コンロに火をつけ、鍋に入れた雪を溶かす。
「ほう、もしやスープかの? 体の芯から温まりそうじゃ」
シロさんはその様子を興味深そうに見ていた。
沸いたところで乾燥魚を入れ、しばらく煮ると出汁が出てきた。
その匂いが部屋に広がり始めた。
「……これは、いい匂いじゃ。
わしはいつも、その魚はバリバリ齧っとったからの」
ハルカは、塩と乾燥豆も加えた。
豆は柔らかくなるまで時間がかかるらしい。
その間に、パンを暖炉の近くに置いて温める。
硬くなっていたパンが、少し柔らかくなってきた。
小瓶からハーブを少しつまんで、鍋に落とす。
「それは何じゃ?」
シロさんが聞いた。
「私たちの集落で育てているタイム。
魚の臭みを消して、香りをつけてくれる。
少し入れるだけで、全然違う味になる」
「ほう、福島の集落でタイムを育てているのか」
「ハルカが提案したんです」
俺は補足した。
「食べ物が少ない世界でも、香りがあると豊かな気持ちになるって言って」
「いいことじゃ」
ハルカは仕上げに、桃の顆粒を振りかけた。
「これを入れると、味に深みが出る」
「これって、桃の香りかの……?
隕石が落ちてからは、食べたことがなかったわい。
懐かしいのぉ……」
話していると、スープが出来上がった。
器はシロさんのものを借りた。
三人分をよそって、暖炉の前に並んだ。
最初にシロさんが一口飲んだ。
「……こりゃ、うまいわい。しかも、身体が温まる」
「大したものは、入ってないけど」
とハルカが言った。なんだか照れくさそうにしている。
「食べ物の匂いがする部屋は、久しぶりじゃ。
一人でいると、食事はただのエネルギー補給じゃからの」
シロさんが器を両手で持った。
「やっぱ誰かと食べると、違いますか?」
俺はシロさんに聞いた。俺は今まで一人で食べたことがなかったから、単純に気になった。
「違うのぉ。きっと同じものでも、一人で食べるのと誰かと食べるのでは、味が違うわい」
「シロさん、このパンもめっちゃ美味しいです!」
「じゃろう? 少し離れたところに、娘が住んどるんじゃが、定期的に焼いて届けてくれるんじゃ」
「一緒に住まないんですか?」
「わしはこの場所が好きじゃからの。
娘は『永久凍土での生活は不便だ』と言って離れたが、ここはわしの生まれた土地なんじゃ」
「故郷って、ことですか?」
「ああ、離れることはできん」
三人はしばらく、黙って食べた。
外では、“天井”を流れる乱気流が鳴っていた。
割れている窓からは、夏の月明かりで光っている氷柱が見えた。
隕石の影響で変わり果てた地球は、三人にとって共通の故郷だった。




