39.大航空時代のドバイ
チベットを出て、何日も飛んだ。
ヒマラヤに引っ張られて低くなった“天井”を迂回するように、ペルシャ湾を大きく回るルートだった。
中央アジアの乾いた大地を越え、山岳地帯を抜け、やがて荒涼とした砂漠地帯に入った。アッサマのシンデン改が、ジェット噴射特有の高い音を立てながら先導してくれている。
「ドバイ、そろそろ着くと思う」
いつものように、ハルカが俺の背中に手を当てた。
「だいぶ長旅だったな……」
すると、砂漠の向こうに何かが見えてきた。
近づくにつれて、それがビル群だとわかった。砂の中から突き出している、巨大な建造物の残骸。
東京の廃墟とも、香港の廃墟とも違う。
隕石の落下地点から遠いからか、ガラスは割れずに残っている部分が多い。
「すげぇ……。人類は砂漠の中に、こんな建物を建てたのかよ……」
「あれが、世界一高い建物——ブルジュ・ハリファ。
地図帳の写真を見て想像してたより、何倍も大きい」
ビル群の近くに、集落が見えた。砂漠の中の緑地——オアシスのような場所に、煙が上がっている。
アッサマに誘導してもらって着陸した。
二十人ほどの集落の人々に加えて、見慣れない飛行機が四機ほど並んでいる。
(飛行機、こんなにあるのかよ……)
圧倒されていると、集落の人々が集まってきた。
そして、俺と同じくらいの歳の少女が近寄ってきて、話しかけられた。
「あなた……、もしかしてソウタさんの息子さん……?」
「……え? キミ、父さんを知ってるのか?」
「やっぱりそうなのね! 顔がそっくり!」
「父さんに会ったことあるのか?」
「ええ! ソウタさんは十五年くらい前にここに来て、私たち子供を飛行機に乗せてくれたのよ!
懐かしいわ……」
旅をして、また父さんの生きた証を見つけた。
「俺って、そんなに父さんに似てるのか?
ついこないだも、旅をしてて言われたんだ」
「なんだろう、やっぱり目が似てる気がする……!
それに、鼻と口も似てるかも!」
「なんだよそれ、全部じゃんか!」
少女はくしゃっと笑った。
「でも本当に似てるよ! だってすぐ気づけたんだから!
まさかちょうど帰ってきたタイミングで、ソウタさんの息子さんに会えるなんて、ラッキーだわ〜私!」
「キミも、空を飛ぶのか?」
「ええ、ここの集落の人たちはね、みんなソウタさんに憧れて飛行機乗りになったのよ!
初めて空を飛んだ時、本当に衝撃だったわ!」
それを聞いたアッサマは、「僕は憧れてなどいない。越えるべき対象だ」と言った。
「アッサマ、あいつ本当に可愛くないわよね〜」
少女はため息をついていた。
その時、西の空から一機の飛行機が近づいてきた。
着陸すると、表情の暗い若者が降りてきた。年は俺より少し上だろうか。
アッサマが「彼はカリムです」と紹介した。「西回りでオデッセイ島を目指していたのですが、ちょうど昨日引き返してきたらしいですよ」
「西回りで……。どこまで行ったんですか?」
カリムさんは、少し疲れた顔で答えた。
「アフリカの西岸まで行った。紅海を越え、エジプトのピラミッドを通過してな……」
「そこで、何があったんです?」
カリムさんは首を振った。
「無理だった。大西洋から吹く風がとにかく恐ろしかった。だが、本当に恐ろしいのはそこからだ。
地中海を抜けてヨーロッパに出ようとした俺の飛行機の操縦桿が勝手に動き、気づいた時には百八十度回頭してしまっていたんだ。
きっと凄まじい横風を受けたに違いない……」
カリムさんはその場にしゃがみ込んでしまった。
「じゃあ……」
「西回りでオデッセイ島を目指すのは、……やめておけ」
カリムさんの言葉は重かった。
俺は何も言えなかった。頭の中が真っ暗になった。これまでの積み重ねてきた旅路が、全部無駄だったんだ。
「最初から、無理……だったんだ……」
その時、トビオ爺の言葉が頭をよぎった。
『無理だと思ったら引き返してこい。
それだけは約束だ』
今は、帰るしかないのか……。
◇
夜、集落で焚き火を囲んだ。
ハルカは料理を手伝っていた。集落の人々から教わったスパイスを使い、これまで旅してきて得た知識を総動員して料理をしている。
「ハ、ハルカさん、料理上手いですね」
とアッサマが言った。
「みんなから教わったものを、組み合わせてるだけ」
「こ、今晩は、楽しみだなぁ!」
アッサマはスキップしながらどこかへ行った。
俺は焚き火を見ながら、考え込んでいた。
この絶望を打ち破る術は何かないのか、と。
「ソラヒト、難しい顔してる」
ハルカが顔を覗き込んできた。
「……カリムさんの話、考えてた」
「西回りが無理ってこと?」
「ああ。それに、南からも北からも近づけないってことだ。どこから攻めても、結局オデッセイ島の周りは難所だらけなんだなって。
これまで五十年間、誰も近づけなかったって事実を完全に舐めてたんだな、俺」
大西洋は横断できない、ヨーロッパにも近づけない、東南アジアは大噴火、シベリアは極低温……。
俺は焚き火をじっと見つめた。炎が揺れている。
熱いなと思って、少し距離を取った。
その時、アッサマの石油精製燃料の缶が近くに置いてあることに、ふと気がついた。
「なあ、アッサマ。この焚き火って何を燃やしてるんだ?」
「なんですか、僕は今ハルカさんの観察で忙しいんだ。後にしてくださいよ」
「……石油精製燃料で燃やしてるのか? この焚き火」
「……ええ、そうですよ」
アッサマはイライラしたような口調で答えた。
「エリクシル燃料よりずっと熱を放つから、こういう使い方もできる、ということだよな?」
「……ああ、うるさい人ですね」
「もし、エリクシル燃料と石油精製燃料を組み合わせたら……?」
アッサマは眉をひそめ、ついに俺の方を見た。
「……組み合わせる、ですか? 組み合わせて何になるんです?」
アッサマは体を俺の方に向けながらも、ハルカの方をチラチラと見ている。
「石油精製燃料の熱で、エリクシル燃料が凍るのを防げないか?
そういうエンジンがあったっていい」
アッサマは少し考えた。
「理論上は可能かもしれませんが、誰もやったことがない。エンジンの設計自体を変える必要がありますよ」
「やってみる価値はあると思わないか?
石油精製燃料の熱と、エリクシル燃料の燃費の良さ。
うまくいけば、低温に耐えつつ長い飛行距離を実現させられる……!」
「つまり、ソラヒトさんはどうしたいんです? 話が見えてきませんよ、全然」
「……日本から、直接行く。オデッセイ島へ」




