32.インドに隠された闇
ダーラムさんが見せた資料に書いてあったのは、次の通りだ。
『NEXUSより入電——オデッセイの地球接近に際し、衝突リスクが確認された。弊社NEXUSは社会的責任として軌道変更任務を引き受ける。御社LABIの協力は、一切不要だ。
政府機関と協議の上、軌道変更部隊——通称、軌変隊を派遣する』
「NEXUSが先手を打って軌変隊を派遣すると言い出したってことですか?」
「ああ。NEXUSは地球を守るという名目で、オデッセイへの接近を独占した。
こう言われてしまっては、LABIには何もできない」
とダーラムさんが静かに言った。
「じゃあ軌変隊は、地球を守るためじゃなくて、LABIを潰すために宇宙へ飛んだのか……!」
ダーラムさんは首を振った。
「いや、それがそう単純ではない」
ダーラムさんは最後の資料を見せた。
「これは、NEXUS内部の情報を盗んだものらしい」
『我々NEXUSが軌変隊を派遣する真の目的は、LABIがオデッセイへ接近することを防ぐためである。
なお、軌変隊にはこの事実を知らせるな。彼らにはオデッセイの軌道変更任務に純粋に従事させる。
この目的を知っているのは、NEXUS上層部のみとする』
部屋が静かになった。
「軌変隊は……、知らなかったのかよ……」
「そうだ。軌変隊は、ただ地球を守りたいという一心で任務に当たっていた。
LABI潰しが真の目的だと知っていたのは、NEXUSの幹部だけだった」
「じゃあ軌変隊は、本当に地球を守ろうとしてたってことか……」
「少なくとも、彼らはそのつもりで動いていたはずだ。それは間違いない」
俺は、汚い大人の世界を知り、絶望した。
「……でも、結果として、破片が地球に落ちた——それは、なぜですか?
軌変隊のミスなのか、それとも別の原因があったのか……」
ダーラムさんは首を振った。
「それは、本当にわからない。
残された記録にも、その答えはなかった。
軌変隊がなぜ失敗したのか、そもそも失敗だったのかどうかも——ここにある記録だけでは、わからない」
「わからない、か」
「その答えって、オデッセイ島にあると思いますか?
軌変隊の活動記録媒体が残されているなら——そこに、全てがあると思いませんか?」
俺は胸のポケットを触った。そこには、父さんの手紙があった。
ダーラムさんは額に指を当て、何かを思い出しているようだった。
「たしかNEXUS所属のとある部隊は、一度宇宙からの帰還に失敗している。大気圏への侵入速度を誤って、空中で木っ端微塵になった。
だが、NEXUSはその破片からデータを回収している——つまり、NEXUS製の記録媒体は、相当頑丈に作ってあることになるな……」
「……それだけわかれば十分です。俺たちにとって、大きな希望になりました」
「お前たち、まさかオデッセイ島に……?」
「最初からそのつもりで来てます。日本から」
「……頼む。あの時、軌変隊に何があったのか、なぜ母ちゃんが消されなきゃいけなかったのか、……知りたい。それを知らなきゃ、俺は……俺は……」
ダーラムさんは、大粒の涙を流していた。
俺は何を言えばいいかわからなかった。ハルカも黙っていた。
しばらくして、俺はゆっくりと口を開いた。
「俺たち、必ず確かめてきます。
軌変隊に何があったのか。ダーラムさんのお母さんが命がけで残した記録が、何を意味しているのか」
ダーラムさんは顔を上げた。目が赤かった。
生まれてから十八年間、大人の男性が泣くというのは、見たことがなかった。
「……頼む」
「約束します」
川の流れる音だけが、遠くから聞こえていた。
◇
夕飯は、ダーラムさんと三人で食べることにした。
ダーラムさんが集落から食材を持ってきてくれた。ひよこ豆と、香辛料がいくつか。
ハルカは鍋を取り出した。
「これ、何ていう香辛料?」
ハルカが聞いた。
「クミンとコリアンダーだ。
インドでは基本的な香辛料で、ほとんどの料理に使うんだ」
「使っても、いい?」
「もちろんだ」
ハルカはクミンを鍋で乾煎りし始めた。すぐに香ばしい匂いが広がった。
「いい匂いだ。久しぶりだな、料理なんて」
「普段は、何を食べるの?」
「集落の人から、パンをもらって食べることが多いな。
俺は機械いじりが得意だから、お返しにいろいろ直してやってる。
一応、料理にも興味あるんだが、みんな上手だからな……。俺がいたら迷惑になるかなって思って、手伝えないんだ」
「きっと、そんなことないと思う。
私が旅の中で学んできた料理を見せるから、ダーラムさんも、集落のみんなに、教えてあげて」
「ああ、ありがとうな」
ハルカはテキパキと料理を続けた。
「クミンは加熱すると、成分が変わって香りが出る。
炒めてから使うのがコツ」
続いて、ひよこ豆とコリアンダーを加えて煮込む。福島から持ってきた桃の顆粒も少し入れた。
シンプルだが、香りが豊かな一皿ができた。
ダーラムさんは静かに「いただきます」と言って、一口食べて言った。
「ん、こりゃ美味い。ひよこ豆をこんな風に食べたのは初めてだ」
「ふふ、美味しいなら、よかった」
俺は旅の中のこういうひと時が大好きだった。
◇
食べ終えると、あたりはすっかり暗くなっていた。
ダーラムさんは布団を三枚持ってきた。
「ソラヒトくん、ハルカちゃん。今夜はこれを使いな。
いざという時のために、多く持っといてよかった」
「ありがとうございます」
その布団は、なんとなく異国の香りがした。
俺は、自分が今インドにいるという事実を改めて噛み締めながら、布団に入った。
「二人はこれからどの方向へ飛ぶんだ?
オデッセイ島へ向かうなら、わざわざインドへ来なくたって、日本から近いじゃないか」
「俺たちも最初はこっちに来る予定はなかったんです。
ただ、ロシア方面は気温が低くてダメ、太平洋の西側も気流が激しくてダメ。
なので、オーストラリア経由で南側から侵入しようと思っています。
インドへ来たのは、ちょっと寄り道です」
「そうか。来てくれて、ありがとう」
最後にダーラムさんの言葉を聞いて、眠りについた。




