26.台湾の空
台湾の海岸線が見えてきた頃には、日が傾き始めていた。
沖縄を出てから約七時間。東シナ海を渡る間、ハルカはずっと大気を読み続けていた。
「どうだ、外国の大気は?」
「……日本とあんまり変わらない」
「そうなのか。もっと違うもんなのかと思ったけどな」
「空気に国境はない。昔の人間が地図に線を引いただけで、大気は繋がってる」
「確かに、それもそうだな」
台湾の海岸線を越え、内陸へ向かった。
集落を探しながら飛ぶ。煙が上がっている場所を探す。
しかし、一向に見えない。
平野を飛び、山の麓を飛び、川沿いを飛んだ。
それでも、人の営みが生み出す煙は見えなかった。
「おかしいな……、台湾って人がいないのか?」
「そんなことないと思う」
「もう少し探すか?」
「そろそろ日が暮れる。今日は無理だと思う」
ハルカが西の空を見た。太陽が山の稜線に近づいていた。
「降りる場所、探して」
「了解した」
そして、川沿いの草地に降りた。平らで広かったため、着陸に問題はなかった。
エンジンを切ると、虫の声がした。日本とは違う、聞き慣れない虫の声だった。
「初めてだな、俺ら二人で野宿なんて」
「うん」
「一日中飛んでて、人が見つからないなんてな……」
荷物から毛布を出した。スカイフィッシュ号の翼の下にランプを吊るした。
二人で地面に座り、固いパンをかじった。
「星、きれい」
「本当だ、福島を出発する夜ぶりだな。
最近は屋根のある場所で寝てたからな」
見上げると、星が出ていた。
日本で見る星と、同じ星だ。同じ宇宙が、ここまで続いている。
ハルカが言う通り、宇宙にも国境なんてないんだな、と思った。
「こんなに離れてるのに、福島と同じ星なんだな」
「なんか、安心する」
「だな」
しばらく黙って星を見ていた。
虫の声と、川の音が心地よい。
「なぁ、ハルカ」
「なに?」
「日本、恋しくないか?」
ハルカが少し間を置いた。
「……恋しいし、寂しい。
こんなに遠くで、二人ぼっち」
「二人なら、ぼっちじゃないだろ?」
「確かに、そうかも」
「でも、寂しいのは俺も同じだ。
なんか急に、トビオ爺の飯が食いたくなった」
「トビオ爺、料理しないでしょ?」
「たま〜にするぞ? むっちゃ不味いけどな。
普通に砂利とか入ってるし、一回だけネジが入ってたこともあったな」
「ふふ」
ハルカが小さく笑った。
「私は、集落の図書館が恋しい。
数十冊しかない焼け跡の図書館だけど、ソラヒトが機械をいじる音を聞きながら、地図帳を読むのが好きだった」
「戻ったら、また読めばいいさ」
「でも、戻る頃にはきっと、地図帳に書いてあることよりも多くの知識を得ていると思う」
「ハルカ自身が地図帳になってるに違いないな」
ご飯を食べながら話していると、いつの間にか夜が深くなった。
毛布を二枚並べて、スカイフィッシュ号の翼の下に横になった。
「ハルカ」
「なに?」
「怖くないか?」
「怖くないって言ったら、嘘になる」
「だよな。俺も、怖い。
外国に出てみて、初めてわかった。
日本を飛んでた時とは、怖さの種類が違う。
帰れなかった時のことを、具体的に考えちまうんだ」
「それでも、行くんでしょ?」
「ああ、行く。父さんから頼まれたことがある。
それを確かめないと、帰れないだろ」
「うん」
「明日は、噴火がおさまってるといいな」
「……うん」
「なんか眠そうだな。おやすみ、ハルカ」
「おやすみ、ソラヒト」
しばらくして、ハルカの寝息が聞こえ始めた。
身体以外は、本当に強い子なんだなと思った。
俺はまだなんとなく不安で、目を開けていた。
日本から遠く離れた台湾の夜空に、同じ星が光っている。大気は国境を越えて繋がっている。
地球はどこでも同じだ。そう思おうとしたが、それでも少しだけ心細かった。
◇
翌朝、目を覚ますと立っているハルカが目に入った。
南の空を見ているようだった。
「おはよう。大気、どうなんだ?」
「ダメ。フィリピンを通るルートは、諦める」
「そうか、ハルカが言うなら仕方ないな。
じゃあ次はどこに行くんだ?」
「南の海上の大気を読みながら、一度ユーラシア大陸へ渡る」
「中国へ行くってことか?」
「そうなる」
「了解した! 空の案内、頼むぜ!」
二人はスカイフィッシュ号に乗り込んだ。
エンジンをかけ、スロットルを全開にする。
「行くぞ! ユーラシア大陸!」
二人を乗せたスカイフィッシュ号はどんどん加速し、西の空へ飛び立った。
昨夜野宿した川沿いの草地が、空から小さく見えた。
台湾の山々が右手に連なっている。中央山脈だ。
島を背骨のように南北に走る山脈が、朝日を受けて輝いていた。
「ソラヒト、“天井”が近い。山に近づきすぎないように気をつけて」
「了解だ!」
俺は海岸線寄りを飛んだ。
やがて台湾が後ろに消え、また海上に出た。
ここから広い南シナ海を横断するんだ。




