25.迫り来る黒い影
「ハルカ!」
俺は即座に海へ飛び込んだ。
海の中に入ると、ハルカが沈んでいくのが見えた。
体が弱いから、泳ぐ力が足りない。
(届け……!)
俺は腕を掴んで、なんとか水面から顔を上げた。
「おい、大丈夫か!」
「……ごほっ、大丈夫。ごめん」
とハルカが言った。息が乱れていた。
「怪我は?」
「ない」
ウミさんが舟から手を伸ばし、俺たちを引き上げてくれた。
二人は舟の上に倒れ込んだ。
「ソラヒト」
ハルカは濡れた体で俺にしがみついてきた。
「なんだ?」
「ありがとう」
「当たり前だろ。ったく、心臓止まるかと思ったぜ」
「私も」
「やっぱ、俺がいないとダメだな。
……いや、空の上では、いつも俺が助けられっぱなしか」
海を見た。透き通ったエメラルドグリーンの水の下に、珊瑚礁が広がっている。
ハルカが落ちた場所の下にも、静かに広がっていた。
「ハルカ」
「なに?」
「絶対に死ぬなよ」
「……ソラヒトこそ」
「俺も死なない。生きて、父さんとの約束を果たすんだ」
二人とも空を見上げたまま、舟の上に横になっていた。
◇
三日目の朝、南の空に異変が起きた。
ハルカをおぶって海岸を歩いていると、肩を叩かれた。
「ん、どうした?」
「……南の大気が、変わった」
ハルカが南の方角を向いたまま、動かない。
目を細めている。
「何かが来るのか?」
「来るんじゃない。もう、来てる」
数分後、水平線の向こうに黒い柱が見えた。
最初は細かった。しかしどんどん太くなり、横に広がり始めた。
黒い煙が、空に向かって猛烈な勢いで広がっていく。
水平線を埋め尽くすほどの規模だ。
「でっか……、あれってまさか噴火か?」
「ダイチさんの言った通り。四日以内って言ってたから、今日か明日だと思ってた」
集落の人間が次々と外に出てきた。
みんな黙って南の空を見ていた。
ウミさんも出てきたが、その顔は少し青ざめていた。
「南の外国の火山でしょうか?」
とウミさんが聞いた。
「たぶん、そうです。
俺たち、熊本に寄った時に、大地の波動が読める少年と出会ったんです。
その人が言っていたことが、当たった……」
「そう……。あそこまで大きな噴火、私の記憶にはないわ。
それをピンポイントで予言できたなら、その人の能力は本物なのでしょうね」
俺はハルカの方を向いた。
「ダイチくんがいなかったら、今頃俺たち噴火に巻き込まれてたな」
「うん。海の上にいたら、逃げ場がない。
大地の動きは、私じゃ感知できないし」
ハルカが静かに言った。
「……明日、出発できそうかな?」
「……たぶん、できると思う。
ただ、ルートは考え直さなくちゃいけない。
噴火の影響が続きそうだから」
ハルカは南の空を見て、何かを考えているようだった。
◇
夕飯は、また集落の全員で食べた。
今日はハルカも料理を手伝った。
魚の干物とイモを合わせたものに、ハルカが持ってきた桃の顆粒を振りかけた。
福島で育った桃の甘い香りが食欲をそそった。
「桃って初めて食べたけど、意外と料理に合うのね!」
とウミさんが言った。
「基本的には、何にでも合う。
後で種をあげるから、育ててみて」
「いいの? それは嬉しいわ」
「次に来た時に、ちゃんと育ってるか、見せて」
「それはもちろんよ。
その代わり、必ず帰ってきてね……」
「俺たちは必ず帰ってきますよ。父さんとの約束もありますし」
俺は即答した。即答以外、あり得ないといった感じだ。
「ソウタさんとの約束?」
「父さんが帰れなかったら、俺が代わりに確かめてくれって書いてあったんです。
確かめたら、ちゃんと伝えなきゃいけない。
ここにいるウミさんたちにも、シロさんにも、テツジさんにも、ミオちゃんにも、ダイチくんにも——トビオ爺にも」
「みんなに伝えるために帰らなきゃいけないのね」
「そういうことです」
「……なら待ってるわ。ずっと、ずっとね」
◇
俺とハルカは明日に備えて、早めの時間に布団に潜っていた。
「なぁハルカ。帰ってきたら、また日本を飛ぼうな。
まだ行ってない場所がたくさんある」
「うん」
「沖縄に渡るまでに、たっくさん島があった。
それに、四国もちゃんと降りてみたかったな。渦潮のそば、危なかったけど面白かったし」
「私がいないと、きっと飛べない」
「だな。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
◇
翌朝は、早くに目が覚めた。
起きてスカイフィッシュ号の様子を見に行くと、燃料は満タンになっていた。
ウミさんが夜のうちに用意しておいてくれたらしい。
集落の全員が見送りに来た。
子どもたちが「また飛行機に乗せて!」と叫んだ。
ウミさんが最後に近づいてきた。
「ソウタさんに似てるけど、あなたはあなただから。
ソウタさんの言葉もあるでしょうけど、まずはあなた自身のために飛んでほしいわ」
と静かに言った。
「……ありがとうございます」
「帰ってきたら、話を聞かせて。全部」
「待っていてください」
スロットルを押し込む。滑走路を駆け出す。
そして、機体が浮いた。
リゾートホテルの駐車場の跡に、ウミさんが立っている。
子どもたちはジャンプしながら両手を振っている。
「……また、来ます」
俺は小さい声で、そう言った。
しばらく飛行し、南西諸島の最南端の島を越えた。
眼下の海の色が、エメラルドグリーンから深い青へ変わっていく。
日本が後ろに消えていき、東シナ海が広がった。
どこまでも続く、深い青の海。
今、スカイフィッシュ号は、世界へと飛び立った。




