02.津軽海峡、夏景色!?
福島を出てから、一時間が経っていた。
スカイフィッシュ号は、東北の空を北へ向かって飛んでいる。
眼下には、見慣れた景色が続く。
仙台駅のペデストリアンデッキは崩壊し、隙間から小さい木が生えている。
速度を上げると、頬に当たる空気の流れが更に速くなった。
スカイフィッシュ号のコックピットは開放式である。そのため、操縦する俺の視界は良好で、ハルカは直接肌で大気を読むことができる。
「今、“天井”まで四百メートルくらい」
ハルカは俺の背中に手を当てた。大気の情報を伝える時は、必ず背中に手を当ててくれる。俺はその暖かい手に安心感を覚える。
「サンキュー。今日は低めだな」
「でも、すごく素直で読みやすい。
このペースなら、お昼過ぎには津軽海峡に出られる」
その時、前方に煙が見えた。
誰かが朝ごはんを作っている煙だろう。
「あそこ、前に寄ったとこだよな?
ほら、風車が一本だけ回ってる、あの集落」
「うん。元気そうで、よかった」
風車の上を通り過ぎようとすると、地上で誰かが手を振っているのが見えた。
翼を軽く傾けて、挨拶を返した。
「煙が上がってる場所には、必ず人がいる。
それだけはわかった、東北を飛んで」
「うん」
「北海道にも、集落があるといいな」
「きっとどんな場所でも、人間は力強く生きていると思う」
「だな!」
スカイフィッシュ号が、のんびりと北へ進む。
左手には奥羽山脈が聳え立っている。
右手には、遠くで太平洋が光っている。
「なあ、ハルカ」
「なに?」
「海の上を飛ぶの、今日が初めてになるよな」
「うん」
「怖いか?」
「……少し。川とか湖の上は飛んだことあるけど、海は別物な気がする」
「やっぱそうだよな。ちょっとだけ緊張しちまうな」
「でも、ソラヒトの操縦なら、大丈夫」
「まあ、それもそうかもな!」
「……調子に乗らない」
「はい。すみません……」
◇
時刻はお昼前。青森の海岸線を低空で飛んでいると、前方に灰色の海が広がった。
「ソラヒト、津軽海峡が見えてきた」
「おう。広いな……」
俺は思わず声が小さくなった。
今まで飛んできた川や湖とは、スケールが違う。対岸が見えない。水平線まで、ただ灰色の海が続いている。
波が白く砕けているのが、上空からでもわかった。
「ハルカ、渡れると思うか?」
「渡れる。でも、思ってたよりも気流が複雑。
日本海側の空気と太平洋側の空気が喧嘩してる。
海特有の上昇気流と横風が、同時に来る」
「どう飛べばいいんだ?」
「高度を下げて、海面から百メートルを保って飛ぶ。
上昇気流に乗ると“天井”に近づく——だから、低い方が安定する」
「海面から百メートルな……。よっしゃ! 任せろ!」
スロットルを全開にし、海岸線を越えた。
途端に、左側から風が来た。
俺は操縦桿をしっかりと握り、揺れる機体を制御する。
「次、右から風が来る」
「了解した!」
機体が流されないように、機首を右に傾ける。
「ソラヒト、高度が上がってきてる。
もう少し下げられる?」
「任せろ!」
今度は高度を下げる。海面が近づいてくると、白波が立っているのがよく見えた。
スカイフィッシュ号が、波に引き寄せられるように感じた。
「下げすぎないで、あと十メートル上」
ハルカは、俺の背中に手を当てながら指示を続ける。
その指示を聞いて、高度を少し戻す。
すると、機体が安定し始めた。
「また強い上昇気流が来る。機首を少し下げて」
「了解だ!」
「一度強く押し上げられたら、しばらくは来ないと思う」
ふわっと機体が持ち上がったが、即座に機首を水平に戻す。高度が保たれた。
「疲れるな、これ」
「慣れないうちは、そうかもしれない。
でも、津軽海峡はそんなに広くない。もう少し」
俺は操縦桿を握りしめたまま、前だけを見た。
機体が揺れるたびに、体が反応した。
「九秒後に、左から来る。しっかり操縦桿を握って」
ちょうど九秒後に左から横風が来た。
一瞬、機体が右に傾いたが、補助翼を操作して水平に戻す。
「やっぱり、上手い……」
「ハルカって、たまに褒めてくれるよな」
「事実を言ってるだけ」
「なら、もっともっと言ってくれ!」
「また調子に乗るんだから……」
すると、前方に緑色の大地が見えてきた。
「見えたぞ! きっと北海道の海岸線だ!」
「あと二分。気流がまだ乱れてる。集中して」
最後の二分。横風に煽られ、上昇気流に押され、それでもスカイフィッシュ号を真っ直ぐに飛ばすることができた——ハルカのサポートのおかげだ。
そして、海岸線を越えた。真下には地面が戻ってきた。
「越え……た……」
俺は大きく息を吐いた。
足元に陸地があるという安心感を改めて噛み締めるように。
「……海、難しかったな」
「私も、情報が多くて疲れた」
「でも、面白かったな!」
「……そこはいつもと変わらない」
ハルカの小さな笑い声が後ろから聞こえた。
やがて森が深くなり、川が増え、山の稜線が迫ってくる。
そして、白いものが見え始めた。
「これ、雪か? 夏なのに」
俺は、その光景に目を疑った。




