01.終末世界、空の旅
西暦二二〇〇年、夏。
「父さん、行ってらっしゃい!
帰ってきたら、またお話聞かせて!」
三歳の俺は、祖父のトビオ爺に抱っこされながら父さんを見送った。
父さんは飛行機に乗って、一人で大空へ飛び立った。
◇
◇
あれから、ちょうど十五年……。
父さんは未だに帰ってきていなかった。
「ソラヒト、図書館で面白い本見つけた」
幼馴染のハルカが一冊の本を持って歩いてきた。
ハルカはいつも、囁くような小さな声で話しかけてくる。
「なになに、『人類の進化図鑑』……?
今日は地図帳じゃないのかよ?」
「地図帳は、もう全部覚えたから。
今はこの図鑑にハマってる。特に『人間の進化予想』ってページが、面白い」
そのページには、未来の姿として、毛むくじゃらの人間が描いてあった。
「何だよこの胡散臭い図鑑は……。
それより、そろそろ出発するけど、準備はできてるか?」
「私は大丈夫。そっちこそ、エリクシル燃料は確認した?」
「おう、バッチリだぜ!」
ハルカが俺の顔をじっと見つめてくる。
三秒ほど沈黙が続いた後、ハルカが「……いつもありがとう」と言って、頭を撫でてきた。
「ちょ、子ども扱いすんなっての!」
夏の福島の朝は空気が澄み切っていた。
俺は、小型のプロペラ機に手をついて、西の空を見た。
吾妻連峰の稜線が、薄明かりの中に浮かびあがっている。
しかし、山頂だけは相変わらず乱気流の中にあった。
「しっかし、いつ見ても俺のスカイフィッシュ号はカッケェよなぁ。
特に、この二重の翼とかよ!」
「自分で言うものでもないけど、かっこいいのは認める」
「へへ。ところでハルカ、今日の“天井”の高さはどうだ?」
ハルカは目を閉じ、数秒間動かなかった。
それは、全身で大気の情報を読む時の仕草だった。
「ここから八百メートルより高く飛ぶと、乱気流に飲み込まれる。
夕方の“天井”は、もう少し下がると思う」
滑走路の近くに、人が集まってきた。
ボロボロのTシャツを着た集落の人間が十人ほど。
大人も子どももいる。
先頭には、杖をついた老人が立っている。
彼は大空飛雄——通称トビオ爺だ。今はもう七十五歳になった。
「ソラヒトよ、また行くのか?」
「うん、行ってくる!」
「今度はどこに行くんじゃ?」
「この辺りはもう大体飛んだから、次は北海道まで飛んでみようかな」
「そうか……。ハルカちゃんは危険な目に遭わせるなよ。
必ず“二人”で帰ってこい」
「わかってるって。
大人になる前に死んでたまるかってんだ」
すると、男の子が前に出てきて、スカイフィッシュ号の翼を触りながら言った。
「ソラヒト兄ちゃん、この文字はなんて書いてあるの?」
男の子の指先には、『空魚號』の文字があった。
「それは、日本語で、『スカイフィッシュ号』って書いてあるんだぜ。
今の俺たちが話してる言葉は英語だけど、隕石が落ちるより遥か前の地球では、いろんな言語があって——」
その時、トビオ爺が大きな声を出した。
「隕石の話はするな……!」
その一声で、空気が一気にピリついた。
トビオ爺はそれだけ言い残し、滑走路を去った。
「わ、悪かったよトビオ爺。話の流れで、つい……」
トビオ爺に聞こえるようには言ったつもりだが、足は止まらなかった。
「ソラヒト兄ちゃん、なんでトビオ爺は怒ったの?」
「俺も昔っからわかんねぇんだ。
隕石のせいで色々と失ったとか、そんな感じじゃねぇかな……?
それに、五十年前に落ちた隕石は、“人災”だったんだ。
当時の人が聞いたら、怒るのも無理はねぇ……」
「“ジンサイ”って何?」
「人の手による災害って意味だ。
詳しくは知らねぇんだけど、地球をかすめる予定だった隕石を爆破したら、その破片が北太平洋に落ちたって話だぜ。
それで、地球上の生物のほとんどが死滅した。
“天井”と呼ばれる乱気流の層が上空にできたのも、その時だ」
「へぇ、知らなかった! その隕石はまだ残ってるの?」
「それはわからん。だが、落下地点の周辺は常に大荒れで、簡単には近づけないらしい。
でも、別に俺はそんな場所には興味ねぇ。
なぁ? ハルカ」
「私も、この“終末世界”をのんびり飛べれば、それで満足。
それにしても、スカイフィッシュ号、いつの間にか継ぎ接ぎだらけになってる……」
「各地で直しながら飛んでるからな……。怖いか?」
「ううん、ソラヒトのメンテナンスは信じてるから。
……修理する時は、手伝う」
「お前は体が弱いんだから、無理すんな。
俺の背中で、大気を読んでくれれば、それでいい」
俺は操縦席に乗り込み、ハルカに向かって手を伸ばした。
ハルカはその手を取り、後ろの席に乗り込んだ。
慣れた動作だ。何度こうして飛び立っただろう。
「なぁ、ハルカ」
「なに?」
「北海道の空って、どんな感じだと思う?」
俺は空を見上げた。“天井”付近では、いつも通り高速で雲が流れている。
「……わからない。東北の空しか感じたことないから」
「怖いか?」
「……ううん。むしろ楽しみ」
「じゃあ行くか!」
スロットルを押し込む。
草の滑走路を、スカイフィッシュ号が駆け出す。
見送りの人たちが手を振っている。
男の子が走って追いかけてくる。
トビオ爺は、寂れた家の中から心配そうに見ていた。
そして、機体が浮いた。
スカイフィッシュ号は、高度を上げながら北へ向かう。
朝の光が、かつての国道四号線沿いに広がる草原を金色に染めていた。
眼下を銀色の阿武隈川が流れていく。
廃線路の赤く錆びたレールが草の中に見える。
この地球が、“終末世界”と呼ばれるようになってから五十年。
それでも、空から見る大地は、こんなにも色に溢れていた。




