18.鳴門の渦潮
奈良盆地を出ると、紀伊半島の山地に入った。
山の稜線が続く。山が低いところを選びながら、慎重に高度を上げる。
エンジンは昨晩カズマさんに直してもらってから、快調だ。
「“天井”まで、今は三百五十メートル。
この山地を抜ければ、海が見える」
「どのくらいかかりそうだ?」
「三十分くらい」
「そうか、今日はどの辺りまで行けっかな?」
「寄り道しなければ、夕方には沖縄に着くと思う」
「沖縄か、確かリゾート地なんだよな?」
「うん。今はどうなってるのか、わからないけど」
「楽しみだ」
山の斜面が目の前を流れていく。かつての林道だろうか、草に覆われた細い跡が山腹を走っていた。
やがて山が低くなり、前方に光が見えた。
「海だ……。なんか久しぶりな気がするぜ」
紀伊水道が、朝日を受けて輝いていた。
「ここから四国まで渡る。今は穏やかだけど、鳴門の辺りは、少し違う感じがする」
「違うってなんだよ?」
「海流が、大気をかき混ぜているような感じ。うまく言えないけど」
「そうか、気をつけながら飛ぼう」
海岸線を越えると、海面スレスレの飛行になった。波頭が白く砕けている。水面が翼の真横に見える。
「塩、気をつけなきゃな。
また誰かに直してもらうことになっちまう」
「大丈夫。四国まで、距離は短い」
四国の海岸線が見えてきた頃、前方の海面に異変があった。
遠くから見ると、海の色が違う場所がある。青い海の中に、白く泡立つ円形の模様がいくつも見えた。
「ハルカ、あれ何だよ……」
「……鳴門の渦潮」
近づくにつれて、その規模がわかってきた。
巨大な渦が、海面をゆっくりと引きずり込んでいた。直径は五十メートルを超えているだろうか。渦の中心に向かって、海水が螺旋を描きながら沈んでいく。
海面全体が、まるで生き物のように蠢いていた。
「でっけぇ……」
「鳴門海峡は、瀬戸内海と太平洋の潮位差で流れが生まれる。潮が満ちる時と引く時で、海水が大量に行き来する。その時にできる渦が、鳴門の渦潮」
「潮位差で、あんなものができるのかよ……」
「流れる量が膨大だから。流れる水の量は、世界でも有数の規模だって本で読んだ。隕石落下後の地形変化で、さらに激しくなってるのかもしれない」
スカイフィッシュ号が渦の上空に差し掛かった。
その瞬間、機体が揺れた。
「ソラヒト、高度を上げて」
とハルカが言った。声が少し緊張していた。
「どうした!?」
「渦が気流を引っ張って、下向きの力が発生してる。
上昇気流じゃなくて、下降気流。吸い込まれる」
「空気まで下に引っ張るのかよ……!」
「いいから早く上げて」
スロットルを押し込み、機首を上げる。
しかし、下降気流が機体を押し下げようとする。
「“天井”まで、あと二百メートル。上げすぎも、ダメ」
「下からも引っ張られて、上も限界か」
「そのまま、速度を上げて渦から離れて」
「了解した……!」
スロットルを最大にして、前に突き抜ける。
渦の上空を抜けた瞬間、下降気流が消え、機体が一気に安定した。
「ふぅ、なんとか抜けたか……。
渦が、空にまで影響を与えるのかよ」
「水と空気は繋がってる。水が動けば、空気も動く」
「なら、ミオが言ってた通りなら、オーストラリアやアメリカ側の大気は安定してるのかもな」
「うん」
振り返ると、渦潮が変わらず海面を引きずり込んでいた。
遠くから見ると、ただ白く泡立っているだけのように見える。しかしその力が、空まで届いていた。
四国に入ると、海岸線から内陸へ向かった。
四国山地が眼前に広がる。山の稜線が幾重にも重なり、奥へ行くほど濃い緑になっていく。川が山の間を縫って流れている。渓谷が深い。
「四国って、山ばっかなんだな」
「四国山地は、日本でも有数の急峻な山地。川の流れが速くて、渓谷が深い。だから人が入りにくい場所が多かった」
「そのせいか、人の気配が全然しないのは」
「隕石が落ちる前も人が少ない場所だったから、生き残った人も、少なかったのかもしれない」
「そっか。東京みたいな場所もあれば、こういう場所もあるんだよな」
山の上を飛びながら、川を見下ろした。水が澄んでいて、川底まで見える。魚が泳いでいる。清流だ。
人間がいなくなった川は、あまりにも透明だった。
四国山地を越えると、西側に別の海が見えてきた。
豊後水道だ。四国と九州の間に横たわる海峡。
波は穏やかで、水面が静かに光っていた。
「こっちは穏やかだな」
「豊後水道は、瀬戸内海と太平洋をつなぐ海峡。
鳴門みたいな急激な潮位差はないから、流れは緩やか」
「どのくらい広いんだ?」
「直線で渡れば、距離は短い」
「よし、じゃあどんどん進むぞ」
海岸線を越えた。また海の上だ。
今度は波が穏やかで、水面が落ち着いている。
鳴門の時とは全然違う。
「ハルカ、気流は?」
「安定してる。このまま真っ直ぐ飛んで」
スカイフィッシュ号が豊後水道を渡っていく。
四国の山並みが遠ざかっていき、九州の陸地が近づいてくる。
すると、前方に巨大な煙が見えた。
「ハルカ、あれって?」
その煙は、俺たちの行手を阻むように立ち昇っていた。




