17.水の声が聞こえる少女
「ウチね、水に触れることで、その情報を読むことができるの。
『こっちで金属が溶けてる』とか、『あっちで木が腐ってる』とか!」
ハルカは、ミオを見た。
「それって、私と同じ。私も、触れてる空気の情報が読める」
「本当!? じゃあ、今の東京の天気とか、わかったりするの?」
「そこまで遠いと難しいけど、百キロ先くらいまでなら、なんとなくわかる。
ミオちゃんは、どのくらい遠くまでわかるの?」
「今はつま先しか触れてないから、この湖全体の範囲くらいしか読めない——でも、全身で潜れば、川を越えて海の情報まで読める!」
「海の情報……。太平洋の様子も、わかるの?」
ミオは顔をしかめた。
「太平洋は、嫌い。毎日毎日大荒れで、怒ってる感じがする。ずっと荒れてる。近づいたらダメな感じ。
もし太平洋が静かだったら、もっと気持ちよく泳げるんだろうなって思う」
俺は大きく後ろに倒れて、空を見上げた。
「そっか〜、じゃあ安全にオデッセイ島に近づくのって、無理なのかもな」
ミオは俺に視線を向けた。少し驚いた顔だった。
「ソラヒトさん、オデッセイ島に向かおうとしてるの!?」
「ああ、俺の父さんが向かったっきり帰ってこないんだ。どうなったのか、確かめたくてな」
「オデッセイ島……、アメリカとかオーストラリアの方面からなら行ける日もあると思う!
ウチね、体調が悪い日だと、太平洋全体が読めるの」
「体調がいい日、じゃなくてか?」
「感知能力で言えば調子はいいんだろうけど、ウチの脳に情報がなだれ込んでくる感覚が止められなくて、気持ち悪くなるの」
「敏感過ぎるのも、辛いんだな」
「まあ、慣れてきたけどね! それに、原因もなんとなくわかってきたし」
「なんだよ、その原因って」
「たぶんだけど、近くにお父さんが使ってる燃料タンクがあると敏感になっちゃうの」
「燃料……か、何か関係あるんかな?」
「詳しくはわかんない。それでね、その敏感になってる時は『反対側の海は静かでいいな〜』って思うの! 毎回じゃないけどね〜」
俺はハルカを見た。同時にハルカは俺を見た。
「ハルカ、どう思う?」
「……確かめてみないとわからない。でも、ミオちゃんは正しいと思う。
私が空気を読むのと、ミオちゃんが水を読むのは、同じ感覚なんだと思う。
だから、信用できる」
「そうか、じゃあどのルートで行く?」
「ひとまずは、フィリピンを通って、オーストラリアまで行く。
その後は、大気の様子を見ながら、島伝いに北上する」
「ちょっと待って……! もし、ウチの感覚が間違ってたら……」
とミオは少し不安そうに言った。
「俺たちは、俺たちの意志で行くんだ。
もし間違ってても、ミオを責めたりなんてする気はないぜ」
「でも……、ならウチも一緒に行きたい! いいでしょ?」
「いいかどうかは、まずはカズマさんに聞かないとな」
「お父さんなら、いつも通り『好きにしろ……』で済むと思うけど」
三人でしばらく、水面を見ていた。
湖底の街が、水を通した光の中でゆらゆらと揺れている。誰もいない街が、静かにそこにあった。
◇
夕飯前にスカイフィッシュ号の所へ戻ると、カズマさんが工具を手に持って待ってくれていた。
俺が「すみません」と遅れたことを謝ると、ミオが話し出した。
「ねえお父さん、二人はこれからオーストラリアを目指すんだって!
ウチも一緒にオーストラリアを見てきたい! いいでしょ?」
「ダメだ」
「ありが……、え……?」
「ダメだ」
カズマさんの予想外の返答に、ミオの表情は固まった。
「お前は、俺のそばにいろ」
「……いつもの『好きにしろ……』は?」
カズマさんは、ミオを無視して作業を始めようとした。
「ソラヒトくん、エンジンを見せてくれ」
「あ、お願いします!」
俺はカズマさんと二人でエンジンの修理を始めた。
カズマさんは、不自然なほどに何も言わずに作業をしていた。
小一時間ほど作業を続け、エンジンは直った。
「今から飛ぶんじゃ遅いな。もう一泊していけ」
「ありがとうございます。お礼に何かできることはありませんか?」
「そうだな、ジャンク品の整理をしてくれると助かる」
「任せてください!」
◇
夕飯の後、また湖岸に出た。
今度はハルカと二人きりだった。ミオはカズマさんに呼ばれて家の中にいる。
夜の湖は、朝とも昼とも違う顔をしていた。月が出ており、水面が銀色に光っている。
湖底の街は見えない。ただ、水面だけが光っている。
「俺ら、やっと明日から飛べるな」
「うん」
「ルートはどうする? 実際オーストラリアなんて、どうやって行けばいいのか、わかんねぇぞ?」
「そんなに難しくない。沖縄まで南下して、そこから外国に出る。
島伝いに海を渡るのが、安全」
「わかった。ルートに関しては、ハルカに任せるな」
「ありがとう」
水面が、月の光を受けてきらきらと揺れた。
二人でしばらく、月の光を受けた水面を見ていた。
◇
翌朝。エンジンをかけると、昨日とは全然違う音がした。滑らかで、力強い。
「よし、戻った!
カズマさん、本当にありがとうございました!」
「礼はいらない。その代わり、またミオに会いに来てやってくれ」
カズマさんは言った。左手でミオの頭を撫でている。
「ありがとうございます。絶対また来ます」
「絶対会いに来てよ! オーストラリアの話、楽しみにしてる!」
ミオはいつもの笑顔で見送ってくれている。
「じゃあミオは、大仏に会いに行けたら、その話を聞かせてくれよな」
「約束する!」
「約束だ。俺も、いい土産話を持ってくるぜ」
「ありがとう。ハルカちゃんも、またね!」
「うん。また」
スカイフィッシュ号のエンジンが唸りを上げた。
丘の草地を滑走し、機体が浮かんだ。
眼下に湖が広がった。エメラルドブルーの水面。水没した街の屋根。興福寺の五重塔。
——全部が、朝日の中で静かに光っていた。
ミオとカズマさんが、丘の上で手を振っているのが見えた。




