13.ハルカの料理教室
部屋に戻ると、ハルカが調理を始めた。
「テツジさんも、見て覚えて」
まず、セリの根を洗い始めた。根の細い部分を取り除き、泥をきれいに落としている。
その間に、コンロに火をつけ、お湯を沸かす。
「なるほど、根っこの方を先に茹でるのか」
とテツジさんが鍋を覗き込んだ。
「根は固いから、先に火を通しておかないと、葉と一緒に炒めた時に固さが残る。
根と葉で、火の通りやすさが違う」
「理屈があるんじゃな、料理にも」
「全部そう。なぜそうするかを知ると、食材が変わっても応用できる」
ハルカは、セリの根が柔らかくなったところで一度お湯を捨てた。そして、そこに刻んだドクダミを加えて炒め始めた。
すると、独特の匂いが立ち上った。
「うわ、この匂いじゃよ。わしが苦手なのは」
テツジさんは少し顔をしかめた。
しかし、しばらくすると匂いが変わった。
「あら……、匂いが消えたわい」
「飛んだ。加熱すると、匂いの成分が揮発する」
ハルカが説明した。
「ほう。科学じゃな」
「料理は科学。私もそう思う」
仕上げにセリの葉を加えて、さっと炒める。
最後に塩で味を調える。
俺はハルカから鍋を受け取り、三人分を器に取り分けた。
「……それじゃ、いただきます」
テツジさんが、最初の一口を食べた。
「うまい……。ドクダミが、こんな味になるとは思わなかった。今まで料理しなかったのが勿体ないくらいじゃな。
お前たちが来なければ、知らないまま死ぬところじゃったわい」
テツジさんは、さらにもう一口食べた。
「美味しいなら、よかった。
次に来た時は、他の調理方法で作る」
「また教えてくれ。わしもお返しを用意しておく」
テツジさんは器を置き、ノートを取り出した。
今日の出来事を書き記しているようだった。
「テツジさんは、なんでノートに書き続けてるんですか?
誰かに読んでもらいたいからですか?」
俺は、ふと気になったことを聞いた。
「いや、そうではない」
「じゃあ、何のために……?」
「記録することで、今日の出来事がモノとして残る。
記録されないものは、忘れ去られてしまう気がしての——それが嫌なんじゃ」
「忘れ去られる、か……」
「一千万人が暮らしたこの街が、誰にも記録されずに朽ちていく。
それは、あまりにも寂しいと思わんか?」
「思います、確かに。だから書き続けてるんですね」
「わしが死んでも、ノートが残る限りは……」
テツジさんが棚の奥から一冊のノートを取り出した。
他のものよりも、しっかりとしたノートだ。
「これは父のノートじゃ。隕石が落ちる直前に書いたらしい。
父はビルの管理人をしながらも、NEXUSという、香港にある民間の宇宙会社にも勤めておった」
「NEXUS……?」
「NEXUSは、軌変隊が所属する会社じゃ。
そこで、軌変隊との交信をする仕事もしておった」
「軌変隊と、直接やり取りしてたんですか?」
「そうじゃ。軌変隊との最後の交信を受け取ったのも、父じゃった」
部屋が静かになった。
「最後の交信、というのは?」
「隕石の破片が地球に落ちる、その直前じゃ。
通信が途絶える寸前に、軌変隊から一度だけ交信が入った。
父はその内容を、そのままこのノートに書き記した。
世界が崩壊する前に、記録として残しておかなければと思ったんじゃろう。
わしにはわかる」
「何と書いてあるんですか?」
テツジさんはページを開き、俺たちに見せた。
ノートには、几帳面な手書きの文字が並んでいた。
『作業は完了したが、予期せぬ事態が発生した。最年少の隊員一人だけが帰還する。
我々は最後まで、任務を全うした』
「軌変隊に、生き残りがいたんだ……。
その人は、今どこにいるんですか?」
「わからん。世界が崩壊した後、その人間がどうなったかは、誰も追えなかったんじゃろう」
テツジさんは、首を振った。
その晩は、テツジさんの部屋に泊まった。
外は蒸し暑かったが、ビルの外壁を覆う蔦のおかげで、部屋の中は涼しかった。
植物でできた自然のカーテンが、ありがたかった。
◇
翌朝、スカイフィッシュ号のエンジンが唸りを上げた。——出発の時だ。
「気をつけてオデッセイ島に行くんじゃぞ」
「……あれ、俺らその話しましたっけ?」
「いや、言わんでもわかったわい。
あの話をした時の、目でな」
「そういったところまで観察されているんですね」
「わしは観察も記録も大好きじゃからの、ほっほ」
テツジさんは、持っていたノートとペンを見せた。
「それじゃテツジさん、お元気で」
「ああ、お前さんも元気でな」
テツジさんは、手を振っている。
「料理、たまにはやってみて」
ハルカも小さい声で、別れを告げた。
「ああ、お嬢さんに教えてもらったことは、しっかりノートに書いたから大丈夫じゃわい」
狭い草地を滑走する。木の枝が翼をかすめる。
機体が浮き、テツジさんが下に見えた。ノートを持ったまま、まっすぐ立っている。
「テツジさん、見てるな」
「うん」
翼を軽く傾けて挨拶をすると、テツジが小さく手を上げた。
スカイフィッシュ号を南へ向かって飛ばした。
廃ビル群が後ろに流れていく。
石と鉄の森が、緑の海の中に沈んでいった。
「ハルカ、“天井”は?」
「今は四百メートル。南下すると、少し余裕が出てくるはず」
「今日は、どの辺まで行けるかな?」
眼下の景色が変わってきた。
石と鉄の森が終わり、また草原が広がった。




